心臓に悪い
目を覚ますと、そこはいつものベッドだった。
まだ眠い。
そういえば今日は仕事は休みなのだ。
それなら二度寝してもいいかな……。
とろとろと目を閉じようとして、はっと気がついた。
頭の中で昨日の夜の出来事が蘇ってくる。
ロアルに誘われて、打ち上げに行って、一番隊のチームのみんなに飲まされて……。
記憶がない。
やってしまった……。
フィオナはガバっと起き上がると、自分の服を見た。昨日来ていたままの白いワンピースだ。残念なくらいシワになっているが、それはもうどうでもいい。
ベッドから降りて、シワシワのワンピースのまま、慌てて二階へと降りた。
キッチンを覗くが誰もおらず、バスルームにも人の気配はない。
どうやらシキは研究棟に居るようだ。
と言う事は、ロアルがここに運んで寝かせてくれたのだろうか?
わざわざ呼んでくれた打ち上げで、とんだ迷惑をかけてしまった。
あまりの情けなさに、その場にうずくまりたくなるが、とりあえずシャワーを浴びなければとよろよろとバスルームへと向かった。
シャワーを浴びて、少し頭がスッキリすると、フィオナはふと疑問に思った。
ロアルが管理棟まで来て、三階までフィオナを運び、しかもいつも寝ているベッドを的確に当てて寝かせるなど出来るだろうか。
いや、出来ないだろう。
そうすると、やはりシキが運んでくれたとしか考えられなかった。
ロアルばかりか、ルティアナの手伝いで忙しいシキにまで迷惑を掛けた可能性が高く、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
とりあえず研究棟に行って謝ろう。
フィオナは思い立ったと同時に、一階へと駆け下りて薬剤室の扉を手前に引いた。
引いたと同時に、扉がふっと軽く感じ、反対側から誰かが扉を押していると分かった。
扉の先にシキが立っていて驚いた顔を向けてくる。
「フィオナ!?」
「シキっ!あの、私昨日の夜、シキに迷惑掛けました?掛けましたよね?覚えてないんですけど……」
シキは珍しく少し怒っているような声を出す。
「迷惑なんて思ってないよ。だけど……」
そこまで言うとぐっとフィオナを抱き寄せて腕の中に捕らえてしまう。
「あのっ、シキっ。本当にごめんなさい」
「フィオナ」
耳に息を吹きかけられるように名前を呼ばれて、全身がぞわっと粟立ち、心臓が跳ね上がる。
「あ、あの……っ」
何を言っていいのか分からずうろたえていると、突然耳をかぷりと噛まれた。
「ひゃっ!」
「お仕置き」
「シキっ!」
恥ずかしさと、耳に残る感触に血液が沸騰しそうになる。思わず身を捩って逃げようとすると、シキは抱きしめた腕に更に力を込めて、耳元で話し始める。
「昨日夜遅くに、ロアル君と、あと金髪の小柄な女の子が二人で君をここまで運んで来たんだよ。それで、フィオナが起きないからって、通信機で連絡を貰ったの」
概ね予想通りだ。
いや、小柄な女の子はチエリだろうから、迷惑を掛けた人がもう一人増えたと言える。
「ううっ……。シキ、すみません。ルティの研究で手が離せなくなるって言ってたのに……」
「そんな事はどうでもいい。別に君が外で友人と飲もうと、たまにはめを外して遊びに行っても全然構わないよ。でも、僕といる時以外は、記憶がなくなるほど飲みすぎて無防備に男の前で寝ちゃうなんてもうしないで」
「ごめんなさい……」
もう謝るしかない。シキに思い切り抱きしめられているが、観念したように大人しくする。
「ロアル君は紳士的だったからいいけど、男がみんなそうだとは思わないで」
「ごめんなさい。気をつけます」
「それに酔って寝ちゃう君を他の人に見せたくないからね」
「え?私酔って寝てる時、何か酷い事してますか!?」
どうしよう。今まで気付かなかったが、酔って寝てるとき、よだれを垂らしていたり、歯ぎしりをしていたり、いびきをかいたりしているのだろうか!?
そうだとしたら、それらをいままでシキに見られていた事になる。
「いや、そうじゃないけど……。まあ、ある意味酷いかな……」
「え?それってどういう事ですか?」
「うーん、内緒」
シキはそう言ってもう一度軽く耳を噛むとやっと離してくれた。
もう、お酒飲むのやめようかな。
本気でそう思った。
朝食のあと、シキはまたすぐに研究棟に帰ってしまった。どうやら、わざわざフィオナが心配で様子を見に来たらしい。
つくづく情けないが、シキに心配して貰えるのは嬉しかった。
今日も魔導士のローブを着て、王宮騎士杯へと出掛ける事にする。
その前にロアルとチエリに謝りに行かなければと、箒に乗って管理棟を出ると、南のゲートの横の訓練場にぽつんとアルトゥールらしい人影が見えて、箒を近づけた。
近くに行くと、やはりアルトゥールが試合前の肩慣らしなのか、剣を振っている。回りに誰もいないのは、アルトゥールが鬼気迫るような様子で集中しているからだろうか。
「アルト、おはよう」
少しためらいつつも、箒に乗ったまま、アルトゥールの上から声を掛けると、一つに結んだ長い髪がふわっと孤を描いて、見上げて来る。
「フィオナ!おはよう」
「朝から頑張るね」
「ああ、気合が入っているからな」
「うん、上から見ていても凄い迫力だった。邪魔するつもりはなかったんだけど、頑張ってねって言っておきたくて」
アルトゥールのまとっていた空気が一気に柔らかくなり、いつもあまり大きく動かない整った顔が、見た事もないような優しい笑みを浮かべた。
思わずどきりとしてしまい、じっと見ていると、一瞬見せたその笑顔はすっといつもの冷たそうな表情に戻り、口を開く。
「フィオナ、ちょっと降りてきてくれないか?」
よく分からないが、アルトゥールの近くに降り立つと、突然腕を掴まれて、抱き寄せられてしまった。
「え!?ちょっと!アルト!何するの!?」
「少しだけ。今日勝てるように」
そう言われてしまうと、無下にできず、でも周りの視線が気になって、じっとしていられない。ほんの一瞬だったような気もするが、すぐに耐えられなくなり、アルトの胸を軽く押し戻す様にすると、シキよりもがっちりとした腕が離れていった。
「フィオナ、ありがとう。今日絶対勝つから」
そう言ったアルトゥールの顔を直視できず、視線を泳がせながら答える。
「うん、頑張って。じゃあ、私闘技場にいくね」
フィオナは、さっと箒に飛び乗ると、一気に高度を上げた。
びっくりした。
びっくりしたどころではない。まさかアルトゥールがあんな事をしてくるとは思ってもいなかったのだ。普通なんとも思っていない相手にあんな事を言って抱きつくだろうか?
アルトゥールが自分に気があるのではないかと考えてしまい、箒の上でぶんぶんと顔を振ってバランスを崩して慌て立て直す。
いやいやそれは無い。
だって、アルトゥールは、ロアルと付き合っているのだから。
やはり自意識過剰だったと思いなおして一気にスピードを上げたのだった。
フィオナはアルトゥールの事は、考えない様にして、警備部へと向かった。
いつもより人の少ない警備部で、ロアルが居るか尋ねると、一番隊は朝から闘技場の警備をしているとの事だった。
朝早くから仕事だったのに、昨日酔って送らせてしまったと、申し訳なくなる。
急いで闘技場へ飛んで行くと、入り口に立っているチエリを見つけた。
「チエリちゃん!」
「あ!フィオナちゃん、おはよう!大丈夫?ごめんね、みんなが飲ませ過ぎちゃって」
「ううん、こっちこそごめんなさい。昨日ロアルさんとチエリちゃんが送ってくれたってシキに聞いて……。今日早くから仕事だったのに、迷惑かけて本当にごめんなさいっ」
「全然迷惑なんかじゃないよー。ていうか、うちのメンバー私とマシュー以外全員潰れてたから。よくある事なんだっ、あはっ!」
「それで、早朝からみんな仕事って凄いね……」
「うん、二日酔いで仕事も慣れてるから、平気平気!」
「チエリちゃん、ロアルさんは?」
「あー、隊長?闘技場の周りを巡回してくるってさっき行っちゃったとこ」
「そう、私昨日のお礼言いたいから探してくるね」
「あ、待って!フィオナちゃん!」
ロアルを探しに行こうと、駆け出そうとすると、チエリに呼び止められた。
「なあに?」
「あー、うー、いや、何でもない!行ってらっしゃい!」
何を言いかけたのだろうと、少し気になったが、とにかくロアルを探さないと思い、闘技場に沿って、足を進めた。
闘技場の裏手のひと気のない場所まで来てしまい、さすがにここには居ないだろうと踵を返そうとしたとき、視界の端に赤いものが映って目を凝らした。
闘技場の裏手、まったく人のいない、林の中で、木に寄りかかるように、魔導士のローブを着た赤毛の男が立っていた。
「ロアルさん!」
思わず叫んで駆け寄ると、向こうも気づいて、驚いた顔をする。
「フィオナ?なんでこんな所に」
「ロアルさんを探していたんです。昨日はごめんなさい。今日朝早いのに送ってくれたんですよね?」
「ああ、気にするなよ。みんなぐでんぐでんだったからさ」
ロアルはそう笑うが、どことなく元気がなさそうだ。
「ロアルさん、二日酔いですか?あんまり元気なさそうですけど」
「え?ああ、まあ、そんなところ。でも慣れてるから気にするな。それよりフィオナは大丈夫か?昨日だいぶ酔ってたみたいだから」
「はい、ポーション飲んだので大丈夫です」
「飲めたのか?」
「え?」
「昨日フィオナ、ポーション飲めるかってシキさんに聞かれて、飲めないって言ってたから、心配してたんだ」
「あっ、いや、飲めましたよ?」
今朝シキにポーションを飲ませたよと言われて、また口移しされたとすぐに分かったが、それを言うわけにはいかない。
「そっか。なら良かった」
そういうロアルの顔はなんだか辛そうで、逆に心配になってしまう。
「一番隊は午後からまた観戦ですか?」
「ああ、多分そうだな」
「じゃあ、またご一緒しても良いですか?」
「ああ、みんな喜ぶよ」
いつも明るいロアルが沈んでいて思わずよほど具合が悪いのかと、手を伸ばしてしまう。
額に手を当てて、じっと見つめると、ロアルの赤い瞳が驚きに揺れた。
「ロアルさん、具合悪いんじゃないですか?熱はないみたいだけど」
そっと手を離すと、その手をロアルが掴んだ。
どうしたのかと、目を瞬かせると、ロアルの顔がくしゃと歪み、その瞬間思い切り抱きしめられていた。
「え……?」
「ごめん、十秒だけ」
「ぐ、具合悪いんですかっ!?」
「ああ……」
「医療室に行きますか!?」
「いや、いい。少ししたら治る」
やはり飲み過ぎで寝不足な所に、早朝から仕事だったのが堪えたのだろうかと、可哀想になり、背中を撫でると、ロアルの身体がびくりと硬直した。
「ロアルさん、無理しないで下さい。辛いなら医療室に行きましょう。チエリちゃん呼んで来ますから」
そう言うと、肩の辺りでロアルが大きく息を吐いて、そっと身体を離して行く。
顔を上げたロアルは、少しだるそうだったが、いつもの様ににっと笑った。
「フィオナ、サンキュ。少し楽になった。じゃあ、警備に戻るから」
ロアルが箒に乗って去ってしまうと、フィオナは、ふーっと息を吐いた。
具合が悪かったから仕方ないが、急に抱きつかれて、びっくりした。
今日は朝から、いろんな人に抱きつかれてばっかりだ。
まったくもって心臓に悪い。
フィオナは、少し上がってしまった心拍数を落ち着かせると、試合を観戦すべく、闘技場の入り口へと向かった。