王宮騎士杯開幕
朝目が覚めたフィオナは、シキの腕の中で固まっていた。
やってしまった。
酔って頭が回らなくなって、勢いでとんでもない事をしたような気がする。
気がするではなく、した。ちゃんと覚えている。
歩けないと嘘をついて、寝室まで運ばせて、シャツを掴んで、一緒に寝てくれないと寂しいというような事を言ったような気がする。いや言った。
それに好きだと言われて、シキにキスをされたような気がする。これはちょっとおぼろげだ。でも多分された。
どうしよう。
どんな顔してシキを見たらいいのだろう。
シキは自分の気持ちに気づいてしまっただろうか。
シキも少しは女としての自分を見てくれているのだろうか。
フィオナの頭はもうパニックで煮詰めたダマシハジキの果肉のように、ドロドロのぐちゃぐちゃになっていた。
隣でシキがぴくりと動いて、ぎゅうっと強く抱きしめてくる。
どうしよう。
逃げ出したいのに逃げられない。
「フィオナ……」
かすれた寝起きの声にきゅんとしてしまう。
返事をせずじっとしていると、シキが動いて、顔をのぞき込んできた。
「起きてる。顔見せて」
多分真っ赤になっていたと思う。
手が伸びてきて、きゅっと目を瞑ると、その手は額に優しく当てられた。
「熱ある?大丈夫?二日酔いで頭痛い?」
心配げな声にそれだ!とひらめいた。
「シキ、昨日飲みすぎて、何も覚えていなくて……。その、ごめんなさい」
酔って覚えてない事にしてしまおう。だって、なんて言ったらいいのかさっぱり分からないのだから。
じっとシキに見つめられる。
「覚えてないの?」
「は、はい……」
視線を外してしまったのはまずかっただろうか。けれどシキは信じてくれたようで、ふふっと笑って頭を撫でてくる。
「そっか。頭は痛くない?」
「大丈夫です」
「じゃあ、起きてご飯食べよう」
いつも寝起きが悪いシキは、珍しく上機嫌でベッドから出ると、二階へと下りていってしまった。
フィオナは一人になると恥ずかしさで、しばらくベッドでじたばたもがいていたのだった。
☆
今日は王宮騎士杯当日だ。
朝食をとりながら、シキに騎士杯を見に行ってもよいか尋ねてみると、なんと丸二日間お休みにしていいと言われてしまった。
「シキ、全然丸一日のお休みじゃなくていいんす。興味があるのでちょっと見に行ってみたいだけなんですよ。知り合いの出る試合を少し見れればいいですから」
「いや、このところずっと傷薬作りで夜中まで仕事をさせちゃってたし、ずっとお休みとっていなかったでしょう?せっかくだから、ゆっくり二日間見てきなよ」
「じゃあ、シキも一緒にいきませんか?」
「僕はいいよ。騎士杯は興味ないし。それに、ルティの研究の手伝いが立て込んでて、二日間はそっちの作業に集中するよ。本当は騎士杯とは関係なしに、近々フィオナに二日くらいお休みしてもらおうと思っていたんだ。ルティの研究で長時間手が離せなくなる作業があってね。だからフィオナも気にせず楽しんできてよ」
昨晩シキの仕事を中断させた手前、何も言えなくなってしまう。
「じゃあ、お言葉に甘えてお休みを頂きます」
「うん、年に一度のお祭りだし、今年は新しい闘技場も出来て盛り上がっているはずだよ。楽しんできて」
「闘技場を作ったのはシキ達なのに、まるで他人事ですね」
「作らせたのは君でしょ?」
くすりと笑われて、唇を尖らせると、その唇を指でつままれてしまった。シキの指でさわられると、キスされた事を思い出してしまって、また顔が熱くなってしまう。
朝食を終えると、シキは早速研究棟に行ってしまった。なんだか少し楽しそうなシキに、自分が手伝える内容ではないのだろうが、なんだか仲間外れにされているように感じてしまい、寂しくなってしまう。お昼ごはんもいらないし、今晩は帰らないとまで言われてしまって、がっつり落ち込んでしまう自分は、重症だなとため息をついた。
せっかくだから王宮騎士杯を楽しもうと、自分用に支給された夏用の魔導士ローブを着て、管理棟を出ると、南のゲートに向かって箒を飛ばしたのだった。
南のゲートに着くと、訓練場にはすでに何人かの騎士達が打ち合いをしたり、剣を振ったりしていた。
試合が始まるのはまだ早いのでなんとなく訓練場の横に降り立ってみる。
アルトゥールはいるだろうかと訓練をしている騎士達に視線を向けると、後ろから声を掛けられてびくりとしてしまった。
「フィオナさんおはよう」
「シオン副隊長!おはようございます」
「随分早い時間からどうしたの?」
「いや、シキに少しだけ王宮騎士杯を見に行きたいと言ったら、今日と明日丸々お休みにしてくれて、暇だったのでちょっと立ち寄ってみたんです」
「へえ、シキも優しい所があるんだね」
「シキはいつでも優しいですよ」
つい、にへらと顔を崩してしまうとシオンはちょっと意外そうな顔をしてから、少し考えこむようなそぶりをして、じっと見つめてきた。
「ねえ、フィオナさん、お休みって事は、明日も騎士杯を見にくるんだよね?」
「はい。アルトが優勝するって息巻いていたので、応援に行こうかと思ってます」
「そう、じゃあ、君に一つお願いをしてもいいかな?」
「お願いですか?もちろん、私にできる事なら構いませんけど?」
張り紙の件でお世話になったのだから、出来る事なら役に立ちたいと思い、神妙に次の言葉を待つ。
何だろう、アルトゥールが負けないように励まして欲しいとかだろうか?
「実はね、二日目の決勝戦の後なんだけど……」
シオンからお願いされた内容は、まるで予想外の内容だったが、そんな事ならお安い御用だと、フィオナは二つ返事で承諾したのだった。
シオンが行ってしまうと、訓練場から、打ち合いを終えた一人の騎士がこちらに向かってきた。
アルトゥールだ。
試合前に身体を動かしていたのだろう。うっすらと汗をかいている。
「フィオナ!早いな、どうした!?」
いやに嬉しそうに近寄ってくるアルトゥールに、今日明日休みになったと伝えると、ぱっと破顔して、ポケットから紙を取り出して渡してくる。
「騎士杯のトーナメント表だ。試合開始時間も書いてあるから、俺の試合見てくれるか?」
「うん。見に行くよ。ずっと暇だしね」
「暇だから見るのか?」
ついぽろりと余計なことまで言ってしまったと、慌てて言い直す。
「いや、違うよ。アルトの試合は元々行くつもりだったけど、全部はいけないかもなあと思っていたから。あ!そうだ!ロアルさんも一緒に誘ってみるよ!」
ロアルを連れて行くと言えば、きっと喜ぶだろうと思ったのだが、なぜか顔をしかめられてしまった。それどころか険しい顔になると、手首をぎゅと握って、真っすぐに見つめてくる。
「フィオナ、約束忘れてないよな?」
「え?」
「昨日約束しただろう?優勝して、シオン副隊長に勝ったら、時間を取って欲しいって」
「うん、覚えているよ」
「大事な話なんだ。絶対に勝つ。だから、二日間俺の応援をしてくれ」
「うん、わ、分かった」
「絶対だぞ」
やたら念を押して去っていくアルトゥールに首を傾げていると、遠くでこちらを見ているシオンが肩を震わせているのが見えて、ますます首を傾げてしまうのだった。
貰ったトーナメント表を見ると、アルトゥールの初戦は十一時からだった。
時計を見ると、まだ九時前だ。
少し考えて、闘技場でも見に行ってみようと箒を取り出して、ふわりと浮かび上がると北に向かってぐんと速度を上げた。
実の所、北の闘技場の中に入った事が一度もないのだ。
何せ自分がやらかしてしまった象徴のような建物である。
今まで北の騎士団に納品に行く度に、立派すぎる闘技場を目にしては居たたまれない気分にさせられてきたのだ。
どちらにせよ今日は中に入ることになるのだし、ほとぼりも冷めた頃だろう。
箒を飛ばして闘技場の前に降り立つと、すでにちらほらと人が集まって来ていた。
騎士はもちろん、魔導士や王宮に勤める侍女や下働きの者達も、興奮した様子で闘技場の入口に向かって歩いていた。
入口の場所が分からないフィオナは、周りの人達に習って同じ方向に向かって歩いていく。すると前方にずらりと並んでいる集団が目に入り驚いた。
「観戦の方はこちらにお並び下さい!」
魔法警備隊のローブを着た男性が、歩いている人達を誘導している。
もしかして、あのずらりと並んだ列は皆王宮騎士杯を観戦に来た人たちなのだろうか。
思わず立ち尽くして、その長い列を見てどうしようか迷っていると、誘導の男性に声を掛けられてしまった。
「君観戦?あれ?フィオナさん?」
見知らぬ若い男に名前で呼ばれて、ぎょっとしてしまう。
どこかで会った事があっただろうか?
「え、はい。あの、どこかでお会いしました?」
「いえいえ、直接お話したのは初めてですよ。私、あなたが山を吹っ飛ばした時訓練に参加していたんですよ。いやあ、あの時は死ぬかと思いました。はははっ!それからすっかりあなたのファンです」
思わぬところで、古傷をえぐられ、しかもファンだと言われ、羞恥に悶絶していると、今度は知った声に呼ばれて後ろを振り向いた。
「あれ?フィオナ?何してるんだこんなところで」
「ロアルさん!」
「ロアル隊長、おはようございます」
「よ、トマス。そっか、午前中は三番隊が警備だもんな」
「ええ、一番隊はリハですか?」
よく見ると、ロアルの後ろに、同じく赤のローブを着た魔導士達が十人ほどぞろぞろと控えている。
「そうなんだよ。入らせてもらうよ」
「もちろんですよ。さ、どうぞ」
若い男は、一番隊のメンバーを闘技場の入口に案内し、封鎖ように掛けてあるロープを一部外し、闘技場の中に入れる。
ロアルだけがすぐに入らず、フィオナの元に残った。
「フィオナは観戦か?」
「はい、今日明日お休みをもらったから来てみたんだけど、まさかこんなに人が多いと思わなくて、ちょっと戸惑っていたところなんです」
苦笑いして正直に話すと、ロアルがフィオナをじっと見つめてくる。
「なあ、フィオナ。前に山吹っ飛ばした時、雷の雨を降らせたって言ってたよな?得意なのは光属性の魔法なのか?」
またもや古傷をえぐられて、ダメージを受けるが、何とか持ちこたえて返事をする。
「別に得意っていうわけでは……」
「得意じゃなくてあの破壊力はおかしいだろ。じゃあ、何魔法が得意なの?」
「特に得意っていうのはないいですよ?みんな同じくらいです」
「同じくらいって?光属性以外にどんな属性魔法が使えるの?」
「属性魔法?全部使えますよ?ああ、でも治療魔法はちょっとまだ苦手かな」
「全属性!?はあ!?属性レベルは?」
「全部五です」
ロアルがぽかんと口をあけたまま固まった。
「ロアルさん?」
「いや、化け物なのかなと思ってたら、予想以上に化け物すぎて一瞬死にそうになったわ。そりゃウチの総隊長がしつこく勧誘するわけだな。今頃理解した」
話が見えなくて首を傾げると、ロアルに腕を掴まれて、闘技場の中へと引っ張られる。
「フィオナ、開会式のデモンストレーションに一緒に参加してくれよ。どうにも迫力が足りなくてどうしようかと思っていたんだ」
「そりゃあいいですね!ぜひ見たいです!」
話を聞いていたのかさっきトマスと呼ばれた男が、うんうんと嬉しそうにうなずいて同意すると、フィオナを闘技場の中に入れようとする。
「ちょっと待って、デモンストレーションって何!?え、私観戦に来ただけだからっ!」
「大丈夫大丈夫、フィオナならすぐ出来るよ」
闘技場の中に入ると、引っ張られるまま通路を進んで行く。珍しくロアルが強引で戸惑ってしまう。
通路を抜けると、一気に光が差し込み、吹き抜けの闘技会場にでた。
楕円形の広い会場の足元はしっかりと固められた土のようだが、なんだか土とは違うようで、微妙に弾力があるような不思議な踏み心地だ。
その楕円形の会場を観客席がぐるりと取り囲んでいる。
その迫力に、思わず口を開いて見上げて、茫然としてしまう。
一体観客が何人くらい入れるのだろう。
外にずらりと並んでいた人達が入ったとしても、そんなものは物の数に入らないほど大勢の人間を収容できるだろう。
これを一晩で作ったなんて、あの三人は一体どんな化け物なのだろうと思ってしまう。
「フィオナ、ほら、ぼうっとしてないでこっちに来て」
「え、あ、はい」
闘技場のあまりの迫力にすっかり魅了させて、ロアルに引っ張られるまま会場の中央まで連れていかれてしまった。
そこには魔導警備隊一番隊の面々がずらりと待ち構えており、フィオナは思わず腰が引けてしまう。
「おーい。いい助っ人を連れてきたぞー」
「隊長、その人連れて来るとかさすがっすねー」
「うわあ、近くで見るのはじめてですう!」
「フィオナさんが入ってくれるんですか!?これは盛り上がりますねー。何せここを作らせた人ですから」
ぐさりとまた傷をえぐられた。
「フィオナは全属性レベル五だって。何でもできるからドーンと凄い事をやろうぜ!」
ロアルがそう言うと、全員がおー!と叫んで盛り上がる。
「あのー、私何にも説明受けてないんですけど……」
フィオナの言葉は一番隊の歓声にかき消された。
☆
王宮騎士杯開会式が始まった。
観客席はみるみる埋め尽くされていき、席の三分の二が埋まっている。
ロアルに聞いたところ、この王宮騎士杯は、王宮に勤めている者以外でも、招待状を持った者なら観戦することが出来るらしい。
招待状は国王が招待した各街のお偉いさん方や、街の警備隊、それから王宮勤めの親族などに配られるらしい。なので会場は大賑わいになっていた。
主賓席に国王と王子に姫君が現れて、フィオナは緊張で心臓がばくばくし始めた。
これからここでロアル達と、開会セレモニーとして、魔法を使ったデモンストレーションをしなければならないのだ。
なんでこんな事になってしまったんだろうと、心臓を押さえて青い顔でうつむく。
こんな大勢の、国王や王子達もいる前で、しかもたった一時間にも満たない練習で、会場に魔法で華を添えなければならないのだ。
緊張で気持ち悪くなってきた。
会場の隅で、隣に立って司会者の進行をじっと見ているロアルのローブをぎゅうっと握って、引っ張った。
ロアルが気づいてフィオナを見ると、どうしたという様に目で聞いてくる。
「ロアルさん、だめ、緊張で、気持ち悪い。私、やっぱり無理」
大体田舎育ちで、こんな大勢の前で何かするなど、今まで生きてきて、一度も経験したことがないのだ。緊張するなという方が無理である。
真っ青になっているフィオナを見て、ロアルがぷっと吹き出した。
「フィオナ、真っ青だな!そんな緊張するなって。大丈夫だよ、ちょっと失敗したって、そういうものだってみんな思うだけだから。別に正解があるわけじゃないんだから、気楽に楽しもうぜ!」
そう言ってロアルがフィオナに肩を組んでくる。
今までされた事のない動作に驚いていると、反対側の肩を小柄な女の子ががしっと組んできた。
気づけば、横一列に全員が肩を組んで笑っていた。
一番隊全員が皆心から楽しんでいる様子に、一瞬戸惑いつつも胸が一気に熱くなってきた。
司会者が拡声器で会場を盛り上げるように叫んだ。
「それは、試合開始に華を添えてもらいましょう!魔法警備隊一番隊による、魔法デモンストレーションです!皆さまお楽しみください!」
司会者が言い終わると、ロアルがにっと笑ってから全員に告げた。
「よおっし!お前ら、派手に暴れようぜ!全員思う存分楽しんで来い!」
「おー!」
ロアルの言葉に答えるように全員が肩を組んだまま叫ぶと、それぞれが箒を出して、空へと散っていった。
フィオナもさっきまでの緊張がまるで嘘のように軽くなり、身体中を興奮が駆け抜け熱くなる。そしてこれから起こる魔法の乱舞に胸を高鳴らせ、皆に続いて箒で空へと駆けていったのだった。