雷獣
王宮騎士杯に向け、フィオナは朝から傷薬のポーションを作っていた。
昨日残りの素材を集め終わり、今日から一気に大量のポーションを作るつもりだ。
最近すっかり慣れて失敗する事が殆どない筈のポーション作りだが、今日はすでに朝から五本も失敗して、素材をだめにしている。
「あっ!」
また試験管に魔力を込めすぎて、魔力水の色が濃くなってしまった。
思わず大きなため息をつくと、作業場の壁際のデスクで作業をしていたシキが立ち上がってやってくる。
「フィオナ、少し休憩しようか。キノ、お茶を淹れて」
あいわらず優秀で可愛いキノがてこてことキッチンへ歩いて行くのが見えた。
失敗続きにしょんぼりしていると、シキに腕を引っ張られ、ソファへ座らされた。
「どうしたの?朝からずっと浮かない顔してる」
そんなに顔にでていたろうか。
「ごめんなさい」
「別に謝らなくていいよ」
キノが良い香りのお茶を淹れて運んできた。
「キノありがとう」
そう言うと、キノは口を笑みの形にする。
そんなキノをシキはさっと抱き上げて膝に乗せ、双葉の間を撫で始めた。
シキにとっては、私もああいう感覚なのだろうなと、ちくりと胸が痛くなった。
元気がなかった理由は二つあった。一つは二日続けて夜シキが研究棟から戻って来なかった事。多分ダマシハジキの件でまだフィオナに気をつかってくれたからだとは分かっているのだが、朝起きて隣にいない事に思いの外落ち込んでしまった。
それと、もう一つ。
昨日ルティアナが帰って来なかったのだ。
一昨日出て行く時、明日には帰ると言っていたのに、夜になっても戻らず、今朝研究室と寝室を覗いても、帰っている様子がなかったのだ。
「ルティ、大丈夫かな……」
ルティアナもシキも絶対大丈夫だと言っていたが、思っていたより雷獣が強く、何かあったのではないかと、気が気ではなかった。
「それで朝からそんな顔していたのか」
つい口に出ていたと気がついて顔を上げると、シキが優しく微笑んでいた。
「ルティ、今朝もまだ帰ってないんですよ?何かあったんじゃ……」
「ないない。どうせ、ついでとばかりにあの辺りの街に寄ったりしているだけだと思うよ?」
「そうだといいんですけど」
「そもそもルティを倒せる奴がこの世に存在するとは思えないよ。魔王が現れても、ルティには敵わない気がする」
自信満々にそう言うシキにそうなのかなと、少し心が軽くなった。
キノのお茶を口につけて、飲みこもうとした時、叫び声と同時にバタンと大きく扉が開いて、フィオナは思い切りむせてしまった。
「よう!帰ったぞー!!」
「ルティ、もっと静かに入ってきてよ、フィオナがむせちゃったじゃない」
「ル、ルティ!けほっ、良かったっ!けほっ、おかえりなさい!」
「お、キノ私にもお茶をくれよ」
ものすごく元気そうなルティアナに、ほっとすると同時に、なんだか心配したのが馬鹿らしくなってしまった。
シキに背中を擦られて、やっと落ち着くと、ルティアナに尋ねる。
「ルティ、雷獣は?どうなったんですか?」
「それがさ!聞いてくれよ!箒すっ飛ばして、オーム山脈の麓の村についたらさ、なんと、その村の中に雷獣がいたんだよ!もうびっくりだね」
「それ、村の人達は?」
シキが眉間にしわを寄せた。
「んー、まあ、数人殺されちまってはいたね。見た感じ雷撃を浴びて即死ってところだったよ。殆どの村人は、他の村や街に避難したんだけど、討伐しようとした血の気の多い男ら数人が、返り討ちにあってたよ」
「そう」
「まあ、その村人に関しては残念としかいいようがないけどね。それがさ、その雷獣ちょっと変だったんだよ」
「変?」
フィオナとシキの声が重なった。
「なんていうかさ、人懐っこいんだよ」
「は!?」
人懐っこい魔獣なんて聞いた事がない。大抵魔獣は凶暴で、人を襲う。魔獣の種類によっては人を食う目的で襲ってくる。
「近くに行ったらさ、じっとこっちを見てさ、近づいてくるんだよ。そいつの目を見ても狂気に染まってないし、殺気も感じない。だから、ちょっと撫でてやったら、すり寄って来るんだよ。いやあ、びっくりしたねぇ!それがまた可愛いんだ!」
「でもルティ、雷獣に村が襲われたんですよね?精鋭部隊も全滅したって」
確か国王はそう言っていたはずだ。
「それなんだけどね、私が思うに、雷獣が一方的に攻撃されて抵抗して殺されたんじゃないかと思うんだよね。多分人懐っこい雷獣が、たまたま人里に降りてきて、ひびった人間が攻撃して、反対にやられちまったんだろ。それで討伐部隊が編成されて、これまた返り討ちにあった。そんな感じだと思うんだよ」
ルティアナの話しに、フィオナとシキは顔を見合わせる。
「ルティ、それでその雷獣どうしてきたの?その言い方だと殺してないんでしょう?」
シキがすうっと目を細めた。
「あんな可愛いのを殺せるかよ。お前だってきっとあの場に居たら殺せないよ」
「それで?山に返してきちゃったの?」
「いや、あれだけ人懐っこいとまた人里に降りて来ちまって、同じ事が起こるかも知れないからねえ」
「それで?」
「うん、連れて帰ってきちゃった」
てへっと可愛らしく笑うルティアナに、シキがにっこりと微笑んで冷たい声で言った。
「今すぐ捨てて来なさい」
「えー!やだよ!可哀想じゃないか」
「犬や猫じゃないんだよ、ルティ。雷獣でしょ?もうここには僕とルティだけじゃないんだ。もし、フィオナに何かあったらどうするの?」
「ちゃんと躾けるよー」
「魔獣が躾けられるわけないでしょう?」
「もし、襲われても即死じゃなければちゃんと私が責任持って治すから」
「それ、躾けられてないでしょう」
「ご飯も散歩もちゃんと世話するからー」
「ペット感覚で魔獣を飼わないでよ」
ひたすら言い合っているルティアナとシキをよそにフィオナはきょろきょろと視線を彷徨わせた。
「ルティ、その雷獣ってどこにいるんですか?外?ちょっと見てみたいかも」
人懐っこい魔獣というのも気になるが、雷獣自体滅多に見れるものではない。ぜひ一度見てみたいと好奇心がむくむくと湧き上がってくる。
「フィオナ!見たいだろ!?そうだろう!ほら、シキ、フィオナもこう言ってるじゃないか!」
「見たいってだけでしょう?飼いたいとは言ってないじゃない」
「よおし!じゃあ、フィオナが飼いたいって言ったら、飼ってもいいんだな!?」
「……フィオナがもし、そう言ったらね」
「よおっし!話しは決まった!外の芝生にいるはずだよ!」
ルティアナがぴょんとソファから飛び降りて、外に向かって駆けていった。
フィオナは、さすがに雷獣がいるとあって、おそるおそる管理棟の扉から外を見ると、少し離れた芝生の上に、大きな白い毛皮のかたまりがあるのが見えた。
すぐ後ろにシキがぴたりと貼りついて、一緒に扉の隙間から外をのぞき込む。背中にシキの体温を感じてしまい、こんな時なのに心臓が跳ね上がってしまった。
「ほら!二人とも早く出てきな!」
ルティアナがその大きな毛皮の横で手を振って叫ぶので、警戒しつつ外に出て近づこうとすると、シキがすっと前にでて、かばう様に歩き出す。
「フィオナ、危ないかもしれないから、僕の後ろにいて」
「はい」
シキのシャツの裾を掴んで、後ろから出ないようにして、ゆっくりと近づいていく。
文献では気が付いたら殺されているとまで書かれていた魔獣なのだ。怖くないわけがない。
すぐ側まで行くと、芝生に寝そべっていた真っ白な魔獣が、やってきたフィオナ達に興味を向けて立ち上がった。
大きい!
見た目は白い大きな獅子の様ないで立ちだが、長く真っ白なふわふわとした毛並みと、異様に長い尻尾に、頭から生えている鋭い一本の角が明らかに獅子ではないと物語っていた。角は白金色の二十センチほどの長さで後頭部から後ろに向けて真っすぐに生えている。
四つ足で立っているのに、顔の高さがフィオナとほぼ変わらないその雷獣は、金色の瞳をじっとフィオナに向けて顔を近づけてきた。
シキがとっさに間に入ると、雷獣は視線をフィオナから目の前の背の高い男に移し、鼻先をその胸に押し当ててきた。
噛まれるのではないかと、シキの背中に必死にしがみついて、雷獣から離そうと引っ張るが、シキは後ろ手でフィオナの手を握って止めた。
「大丈夫だよ」
よくよく見ると、雷獣はシキの匂いをくんくんと嗅いで、そのあとぐりぐりと顔をシキの胸に擦り付けている。
ぽかんとして見ていると、今度は雷獣がフィオナに目を向けて、顔を寄せてくる。
なんだかとても可愛らしい顔をしていた。
雷獣はフィオナのお腹の辺りに顔を寄せて匂いを嗅ぎ、そのままぐりぐりと鼻面を擦り付けてきた。雷獣にとっては軽く頭を擦り付けただけなのだろうが、思いがけず力が強くて、尻もちをついてしまう。すると雷獣は今度はフィオナの顔をべろべろと舐め始めた。
「え、ちょっと」
雷獣の美しく長い尻尾がしなる鞭のように、ぶんぶんと揺れているのを見て、どうやら喜んでいるのだと分かった。
「あははは!フィオナ、なつかれたみたいだね」
ルティアナが大笑いすると、雷獣はますます嬉しそうに、フィオナにのしかかってきた。
「ちょ、こら、だめだって、あ、そんなに、舐めないでっ」
舐めるのをやめさせようと、思わず雷獣の首に手を回して抱きしめると、もふもふのその柔らかい毛並みがたまらなく気持ちよく、ついわしゃわしゃと撫でまわしてしまった。
「うわあ!すごい!もふもふ!なにこれ!もふもふのふかふか!」
抱きしめながらその毛並みをもふって、頬ずりすると、雷獣は嬉しいのかフィオナの頭に鼻づらをこすりつけてきた。
「可愛い!」
これは、確かに可愛い!本当にこれが雷獣なのかと疑ってしまう。
「どうだい?フィオナ。こいつを飼うかい?それとも捨てて来るかい?」
そんなのこの状況を見たら聞かなくても分かりそうなものだ。
でもシキが何て言うだろうか。
心配になって、雷獣の首を抱きしめながら、シキを見上げる。
「シキ、この子飼っちゃだめですか?」
シキがぐっと言葉を詰まらせた。その横でルティアナがさも可笑しそうに笑い転げる。
「あはは!フィオナ、どこでそんなテクニックを身につけたんだい!?そんな顔で下から見上げられて、シキが断れるわけないだろーが!あー、可笑しい!」
どうやら何だか分からないが、シキに効いているようなので、前にアキレオに教わった事を思い出して、そのまま、シャツの裾を握ってもう一度頼んでみる。
「シキ、お願いします。この子飼いたいです」
そう言って見つめると、シキはあっという間に落ちた。
「分かったよ。僕の負け。もう、ずるいなあ」
シキがまいったと言うように首を振って、苦笑いする。
「やったあ!ありがとうございます!」
フィオナが雷獣をぎゅむっときつく抱くと、雷獣の尻尾が興奮したように、ぶんぶんと揺れて、それと共に急に魔力が高まった。
「フィオナ!」
シキに叫ぶように名を呼ばれ、振り返ろうとすると、両脇に腕を差し込まれて、素早く雷獣から引き剥がされた。フィオナは何がなんだか分からず目をぱちくりさせていると、ルティアナがフィオナと雷獣の間に身体を滑り込ませ、瞬時に結界を張る。
バチッ!と大きな炸裂音が響いたかと思ったら、雷獣の身体から、雷が放電して一瞬辺りが真っ白になった。
声も出せずただただ呆然とみていると、フィオナを抱えたまま、シキの声が上から降ってきた。
「ふう、びっくりした。さすが雷獣だね。フィオナ、あんまりあの子を興奮させないようにね」
まだ驚きがおさまらず、こくこくと必死に首を降っていると、結界を解いたルティアナが雷獣に近寄ってその頭を思い切りポカリと叩いた。
「バカタレ!興奮したら放電するのはやめろって言っただろーが!そこにお座り!」
頭を叩かれて怒りだすかと思ったら、なんと雷獣は、しょぼんと座ってうなだれた。
「いいかい!?あんたの雷撃は人間に当たったら即死なんだよ!お前はそこの二人を殺したいのかい!?ここに居たいのなら、その癖をなんとかしな!」
ベシッともう一度ルティアナは雷獣を引っ叩いた。
なにあれ、躾け?
呆然と見ている中、ルティアナは雷撃にくどくどとお説教を続けていた。
もしかしたらとんでもないものを、飼いたいと言ってしまったのかもしれないと、冷や汗を流すが、もう後の祭りだ。
こうして魔植物園に新たに番犬、いや番獣が加わったのだった。