集中しすぎは気を付けて
国王たちが帰り、ルティアナがオーム山脈に雷獣討伐に出かけてしまうと、作業場は一気に静かになった。
「はあ、やっと帰った」
シキは疲れたという様に作業場のデスクに座って、頬杖をついて息を吐く。
「シキ、人前でああいう事するのやめて下さい。しかも国王と王子が来ていたのにっ。もう、恥ずかしくて死ぬかと思いました!」
本気で怒りながらシキに詰め寄ると、なぜか口元を上げて微笑んでいる。
「人前じゃなかったら良いってこと?」
こっちが怒っているのにと、更に怒りがこみ上げてくる。
「揚げ足をとらないでくださいっ!」
本気で怒っているのが伝わったのか、シキが立ち上がってすぐ側にやってくる。
背の高いシキを見上げるようにキッと睨むと、せつなそうに見つめられて少したじろいでしまう。
一歩下がろうとすると、そうはさせないとぎゅうっと抱きしめられた。
「ごめん。嫌ならしないようにする。でも、あの腹黒親子なら本気でフィオナを側近にするために奪っていきそうだから、僕もちょっと気が立ってた。せっかくフィオナがここに残るって決めてくれたのに、あっさりと国王権力で奪われたらかなわないよ。だから意地でも渡さないって分からせようと思ってついやりすぎた。ごめん、許して」
もう、本当にずるい。
こんな風に真っすぐに気持ちを伝えられたら許さないなんて言えないじゃないか。
それに、膝に乗せられるのだって、抱きしめられるのだって、シキにふれらるのは本当はすごく嬉しいのだ。ただ、あんなふうに人前でされて笑われるのはもう嫌なだけで。
「もう、人前であんなことしないでください」
「うん、しない」
「じゃあ、許します」
「多分ね」
「シキ!」
抱きしめられていた腕をほどかれて、ふわりと微笑まれてしまった。
今日も負けである。
「さあ、仕事をしようか。フィオナ、もうすぐ王宮騎士杯だけど、傷薬の在庫はどう?」
「昨日までに三百本作り置きがあったんですけど、また各騎士団と地方の警備隊から注文がきてて、それを納品したら五十本くらいしか残らなそうです」
「ああ、じゃあ、また作らないとだね。当日使う分で五、六十本は確実に確保しておかないとだからね」
「王宮騎士杯って、五十試合もあるんですか?」
「いや、そんなにはないよ。各騎士団で五、六人づつだしてのトーナメントだから多分三十試合くらいかな?それを二日に分けてやるんだよ。ただ三十試合あるとして、二人とも怪我をしたら二本使うし、単純に倍で計算したら六十本使う事になっちゃうだろう?もちろん、勝った方は怪我をしていない場合もあるから、多めにみて、六十本」
「よく考えたらそうですよね。一試合に一本じゃあないですよね。まあ、怪我をしないでくれるのが一番ですけど」
「うん、それはまずないよ。普通にちゃんと切れる剣で相手を倒すまでやるからね」
「痛そうですね」
想像して、ぶるりと身震いをしてしまう。それでも騎士にとっては剣の腕が自分の価値になるのだ。この試合にかける意気込みは相当だろう。
「さっき国王に言えば良かった。王宮騎士杯廃止にしてって」
「きっと無理ですよ。アルトなんて、ものすごい気合入ってましたもん」
「そうだね……。さ、フィオナ。素材を取りにいこうか」
「はいっ!」
今日はシキとは別行動で作業だ。
フィオナはダマシハジキの実の収穫で、シキは特区にドクロソウを採りに行っている。
最近は、こうやって少しずつ一人での作業が増えてきた。
少しでも一人前として扱われ、シキが自分の仕事をする時間が増えるのはとても嬉しいのだが、今まで一日中ずっと一緒にいる事が多かったので、ちょっぴり寂しく感じてしまうのも事実だ。
でもこのダマシハジキ収穫に関しては話は別である。
破裂した実の果汁をかぶると服が溶けてしまうこの作業は、ぜひ一人でしたいと常々思っていたので、シキが特区に行ってくれてほっとする。
一人なら服が溶けて、いろんなところが見えてしまおうが構うものか。なんなら最初から裸でやってしまおうかとさえ思ってしまう。
「さすがに最初から裸っていうのは、なんだか一人でも恥ずかしいな」
独り言をつぶやきながら、前に市場で買った一枚五百ウェルのシャツ一枚になる。ちなみにシャツの柄は無数の蟻だ。下着が溶けてしまうと勿体ないので、本当にシャツ一枚だけになり、少し迷ってパンツも脱いでしまう。
どうせシキはいないし、パンツだってタダではないのだ。
シャツ一枚でも、お尻が隠れるくらいの長さはあるので大丈夫だろう。ダマシハジキの収穫用に少しサイズの大きいものを買っておいて正解だった。
首から金属の細い鎖が付いた笛を掛ける。もちろん笛も金属性だ。
何かあったら、この笛を思い切り吹くようにとシキに渡されたのだ。何でもアキレオの作った魔道具らしく、魔植物園の中ならどこにいても聞こえるようになっていると言っていた。
「アキ室長って、本当に何でも作れちゃうんだなあ」
まじまじと笛を見て、感心すると、フィオナはハサミを持って早速ダマシハジキの収穫を開始した。
相変わらず、この作業は集中力を半端なく消耗する。
数ある果実の中にハズレが混じっていて、ハズレにさわると果実が破裂し、もろにその果肉をかぶってしまう。なので、ハズレを引いた瞬間に防御結界を発動させるという、特訓付きの作業だ。いつハズレを引くか分からないので、常に気を張っていなければいけないし、ハズレを引いた瞬間ほんの少し果実が震える感触を逃さず瞬時に結界を発動させるため、いつでも魔力を練っていないといけない。
今の所ハズレ五個中二個の果肉をかぶってしまった。
シキは簡単に結界を張って、一つたりとも破裂した果肉をかぶる事はなかったのになと、その能力差に嫉妬してしまう。
金属の箱がダマシハジキでいっぱいになった頃、服が溶け始めてきた。
十個ほど果肉をかぶってしまったので、上半身はものの見事にオレンジ色に染まっていて、その部分から繊維が溶けていく。左の胸はすでに丸見えといっていいほどに露出し、背中もだいぶ溶けてしまったのかスースーする。
「うーん、どうしようかな……」
ノルマは箱二個分の果肉なので、もう一箱分穫らなければならない。
シキもドクロソウの採取は時間がかかると言っていたし、まだ来ないだろう。
服も勿体ないし、このままでいいか。
そう結論づけて、フィオナはダマシハジキの実の収穫を再開した。
多分すごく集中していたのだと思う。
七割くらいの精度で防御魔法に成功して、その後かぶった果肉は数えるほどだったのだから。
だから気が付かなかったのだ。
いつの間にかシキが来ていた事に。
二個目の箱がいっぱいになって、ほっと息をついて回りを見わたした時、隣の畑でシキが果実を収穫しているのを見た時は、驚きで声が出なかった。
フィオナはばっと駆け出すと、シキから距離をとって、細い支柱の陰に隠れて叫んだ。
「シキー!!こっち見ないで!!」
怒鳴るように叫ぶと、シキは一瞬振り向いて、すぐに背を向けると、分かったという様に手を振る。
唇をわなわなさせながら、畑の端で水魔法で果肉を洗い流して、新しい服に着替えると、下唇を噛んで、シキの元へと近づいて、後ろから、責め立てた。
「な、なんで来た時声を掛けてくれなかったですか!」
前にも見られてはいるが、やはり恥ずかしさで声が怒りに震える。しかも今日は上下下着無しでシャツ一枚だったのだ。もしかしたら、お尻や、下手をしたら前も見えていたかもしれない。そう思ったらカッと顔が熱くなった。
シキは振り向いて困った顔をする。
「少し遠くから声掛けたんだけど、フィオナ集中してたみたいで、全然反応しないし。遠目で見ても、明らかに溶けてたから近づくのも悪いし、しょうがないから、隣の畑で収穫してたんだよ。フィオナが恥ずかしがるから、そっちに背を向けて見ないようにしてたんだけど」
シキの事を怒鳴っておいて、あきらかに自分に非があった事実に、どうしていいか分からず泣きそうになってしまう。自分が悪かったと分かってはいるのに、恥ずかしさに耐えられず、言葉が出ない。
「フィオナそんな顔しないで。見てない。見てないから」
絶対見えてた!自分で顔が真っ赤になっているのが、熱く火照る感じで分かってしまい、耐えきれなくなった。
「さ、先に帰ります!」
フィオナは箒を出すと、さっと飛び乗って、後ろを振り返らずに森へと突っ込んだ。
無我夢中で管理棟まで飛ぶと、作業場に駆けこんでソファに突っ伏した。
もう、最近自分がおかしい。
シキを好きだと気づいてしまってから、ちょっとしたことで感情が爆発してしまいそうになってしまう。そして今日はその挙句逃げ出してきてしまった。
シキは呆れてしまっただろうか。
何も悪くないシキに勝手に怒って怒鳴りつけて、収穫した実も荷物もそのままにして飛び出してきてしまった。
もう重症だ。
こんな調子でここできちんと仕事をやって行けるのだろうか。
ソファに伏せたまま、思い切りへこんでいると、扉が開く音がして、足音が近づいてくる。
「フィオナ」
伏せた頭にそっと手が乗せられた。
「ごめんね。気分が落ち着いたらご飯にしよう。地下に行ってるから、呼びに来て」
とても優しい声に、心臓がぎゅうっと痛くなった。
足音が遠のいて、地下の扉が閉まる音がすると、フィオナはそっと顔を上げた。
シキが優しすぎて泣けてくる。
パンと両手で自分の頬を思い切り叩いた。
これではただ拗ねている子供ではないか。
ちゃんとしよう。
もうシキが好きだとか考えるのはよそう。ここで自分がやらなければならないのは、仕事なのだ。
甘えるな。
ひりひりする頬の傷みが、逆にフィオナの心が落ちつかせていった。
午後は、そんなフィオナに気をつかったのか、研究棟の裏でダマシハジキの処理をするように言って、シキは地下に降りて行ってしまった。
大量のダマシハジキの実の皮を一人でひたすら剥いていると、あっという間に夕方になってしまい、全て剥き終わった頃には辺りは暗くなっていた。
フィオナは光魔法のランプをつけて、次の準備に取り掛かる。ダマシハジキの実の処理は皮を剥いただけでは終わりではないので、魔導コンロを準備し、実の入った大鍋を弱火にかけて、かき混ぜはじめた。ここからまだ一時間はドロドロになるまでずっとかき混ぜていなければいけない。
腕時計を見ると、夜の六時半だった。
これは瓶詰めまでしたら九時までかかりそうだ。
ぐうっとお腹の虫が空腹を訴える。
そういえばシキが一度も様子を見に来ない。
いつもなら一人で作業している時も、数時間置きに顔を出しにくるのに、やはり昼間の自分の態度に呆れて、そんな気も起きないのだろうか。
しょぼんと肩を落としてしまい、慌てて頭をぶんぶんと振ってくだらない考えを追い出すと鍋に集中した。
一時間しっかりと煮詰めてダマシハジキの実がドロドロになったのを確認すると、フィオナは魔導コンロの火を止めた。あとは冷めた果肉を瓶に詰めればおしまいだ。
この間にあらかた片付けてしまおう。
立ち上がり、ぐうっとひときわお腹が大きな音を立てた。
そもそも、この果肉が煮詰めている間ずっと甘い匂いをまき散らしているせいだ。
鍋の中のオレンジ色のジャムのような果肉を見つめて、くっと下唇を噛む。匂いに反してこの果実はとんでもなく苦いのだ。
恨めしそうに鍋を見つめていると、うしろからくすりと笑われて、驚いて振り返った。
「食べてもいいけど、美味しくないよ」
「シキ!いつからいたんですか?」
「今来たところ」
シキは手に持ったバスケットをフィオナに見せるように持ち上げる。
「お腹空いたでしょ?」
「空きました……」
力なく返事をすると、シキは水魔法と風魔法で石のテーブルをさっと洗い乾かすと、バスケットを置いた。
「たまには夜外でご飯を食べるのも良いと思わない?」
思わず顔がぱっと綻んでしまう。
「笑った」
シキが嬉しそうな顔を向け、バスケットからたっぷりと具が入ったサンドイッチを取り出した。
「美味しそう!」
「はい、飲み物あるよ。デザートは欲しかったら、そこのダマシハジキをどうぞ」
ぱくりとサンドイッチを頬張ったまま、ダマシハジキの味を想像してしかめっ面になってしまう。
口の中のものを飲むこむと、シキに文句を言った。
「そんな事言うから、せっかく美味しいサンドイッチまでなんだか苦い気がしちゃうじゃないですか」
「ふふ、ごめんごめん。あ、フィオナ、上見てごらん」
言われて視線を向けると、空にいくつもの星が瞬いているのが見えた。
シキが魔法ランプをさっと消すと、星の光が一層強くなって、空一面が星で埋め尽くされた。
「今日は新月なのかな。雲もなくて星が沢山見えるね」
「すごく綺麗です……」
「うん」
星を見ながら、ぽつりぽつりと会話しながら食事をするこの時間を、フィオナは幸せだと心から感じてしまうのだった。