失態
今回はシキ視点です。
シキは顔を乱暴に叩かれる感覚で、目が覚めた。
「痛い、痛い」
うっすら目を開けると、今度はがくがくと肩を掴まれ思い切り揺さぶられる。
「分かった、分かったから、起きるよ」
キノが無理やり起こそうとしているのだとシキは気づく。
目をこすって横を見ると、キノが未だにべしべしと双葉の間から出した蔓で頬を叩いてくる。なんだか手加減なしだ。
「何?どうしたの?」
シキはいつもとは違うキノの様子に、さすがにおかしいと思って、身体を起こした。
キノは蔦で絡めとった紙をぐいぐいと押し付けてくる。
どうやらその紙を見ろと言っているようだ。
異様に焦っている様子のキノに、紙を受け取って、書いてある文字を読んだ。
『マッド君と魔力水を汲みに行ってきます。フィオナ』
紙から目を離し、作業場を見わたすと、フィオナがいない事に気が付いた。
キノが蔦で腕を引っ張って、外に連れ出そうとする。
「なに?キノ、迎えに行きたいの?」
外に出たがる様子のキノに尋ねると、双葉の間から伸ばした蔦に、思い切り横っ面を引っぱたかれた。
「え……」
今までキノにこんなことをされた事は一度もない。あまりの驚きに唖然としていると、キノが再び蔓に力を込めてぐいぐいと引っ張り、外に連れ出そうとする。
キノに引きずられる様に外に出ると、今が真夜中だと気づいた。
もう何日も寝ていなかったので、時間の感覚がなくなっていたのだ。
真夜中……?
背中に冷たいものが走った。
キノが空を指さす。
満月が見えた。
「!!!」
その瞬間頭が真っ白になった。
すぐに我に返り、素早く箒を出すと、転がるように飛び乗って、持てる速さの限りを尽くして泉へと向かった。
なんで、今日が満月なんだ。
なんで忘れていた。
なんでフィオナが出ていくのに気が付かなかった。
なんで、なんで……。
必死に飛びながらも、頭の中で自分の迂闊さに吐き気がこみあげそうになる。
満月の夜には、魔力水の泉に、シュレンという水生植物の魔物が現れる。シュレンは特殊変異のスイレンが、あらゆる魔植物を捕食して出来上がった、人型の恐ろしい魔物である。
シュレンが本気を出せば、シキでも勝てない。
ルティアナだけが、この魔物を唯一抑えられる存在なのに、肝心の彼女は現在不在だ。
シュレンとシキは顔なじみで、むやみに襲われることはないが、フィオナは別だ。うっかり鉢合わせしたら捕食されかねない。
だから今まで、満月の日にはフィオナを泉に行かせないようにしていたのに、災害用のポーション作りに気を取られて、うっかり忘れていたなんて、間抜けにもほどがある。
頬や腕に枝が引っかかって、切り傷を作って作っていくが、そんなことに構っている余裕はなく、全力で泉に向かった。
猛スピードで森を飛んでいると、前方から、何かが走ってくるのが見えた。
「フィオナ!?」
叫んで近くに行くと、それはマッド君三号だった。困った顔を更に困らせて、身振り手振りで泉に行けと伝えてくる。
フィオナでない事に落胆し、更にマッド君の必死な様子に、もう嫌な予感で全身から冷や汗がふき出してくる。
すぐに、箒を飛ばして泉に着くと、そのほとりに手桶が転がっていた。
「フィオナ!?」
泉の中央からごぽごぽと泡が湧き上がってくるのを見て、シキは考えるより先に、泉に飛び込んでいた。泉はさほど深くない。すぐに底が見えて来た。
泉の底中央に彫り込まれた魔方陣の上に、シュレンの姿が見え、更にその下にいる人物に、くっと目を見開いた。
シュレンの下にフィオナが組み敷かれ、魔力を吸いとられている。
それを見た瞬間、一気に心臓が凍りついた。
身体が勝手に魔力を練り上げ、フィオナを拘束しているシュレンの蔦を切り裂いた。
シュレンが驚きの表情で振り返り、シキの姿に目を大きく見開いて、フィオナから意識を逸した。
その隙に一気に近づくと、フィオナの腕を掴んで水面に向かって引っ張っていった。
抱きかかえたその身はぐったりとしていて、更に心臓が凍りつく。
大きなしぶきを上げて水面に上がると、岸まで泳いで、ぐったりしたフィオナを草地へと上げ、横向きにして背中を思い切り叩いた。
水を吐かせなければ。
「フィオナ!しっかりして!」
フィオナはすぐに、げほげほとせき込んで、水を吐くと、荒く呼吸を始めた。
間に合った……。
「しきぃ……」
声を聞いた瞬間に安堵で泣いてしまいそうになる。手が僅かに震えていた。
「フィオナ、良かった。良かったよ、どうしようかと思った……」
フィオナが生きていたことに、この時ばかりは本気で神に感謝した。
覆いかぶさるようにして顔をのぞき込むと、まだ苦しそうに歪んだ顔で、必死に何かを伝えようと、口を開いて荒い呼吸を繰り返している。
急激に後ろから、魔力が膨らむのが分かった。
シュレンの殺気をひしひしと感じる。
さっき攻撃したことで怒らせてしまったのだ。
自分の迂闊さが招いた事だ。
シュレンの怒りを甘んじて受けようと覚悟を決め、それでもフィオナだけは傷つけさせないようにしなければと、シキは目の前の愛しい人を見る。
その瞬間、右胸にずんっと衝撃がきた。自分の胸をシュレンの鋭い蔓が貫いたのだとすぐ分かった。
来るのは分かっていたが、わざと避けなかった。これで気が済むのであれば安いものだ。
ごぽりと口の中に血の味がしたが、フィオナに気づかれたくなくて、飲み込んでやり過ごす。
再び後ろから魔力が膨れ上がるのを感じて、肌がぞわりと泡立った。
シキは視界の端に、追いついて来ていたキノの姿を見つけ、反射的に叫んだ。
「キノ!フィオナを連れて逃げて!」
キノが素早く動いて、双葉の間から伸ばした蔦でフィオナの胴と足を絡めとっていく。
胸から流れ出した血が、フィオナの服を汚していく。フィオナは自分の服が血で染まっていく様子を見て、小さく震えるように声にならない声を漏らしながら、ぐちゃぐちゃに顔を歪めていた。
こんな怖い思いは絶対させたくなかったのに……。
シュレンの怒りはまだおさまっていない。フィオナを連れて行こうとするキノに向けて低い声が響く。
「させると思うか?」
攻撃をしようとするシュレンに舌打ちをして、キノとシュレンの間に高速で移動し、防御魔法を展開する。
展開したものの、ポーション作りで魔力を使いすぎて、ぺらっぺらの防御魔法しか発動できなかった。
シュレンの両手から、尖った蔦がびゅんと音を立てて襲い掛かってくる。
蔦が防御魔方陣を貫いて、一本がシキの左腕に突き刺さり、もう一本は太ももをかすめて後ろに伸びていく。
それをキノは素早く避けて駆けだした。
キノもシュレンの怖さは知っている。
「シキっ!」
フィオナの悲痛な声が聞こえた。早く行って欲しい。これ以上は見せたくない。
「大丈夫だから!早く行って!」
「やだっ!キノ、私はいいからシキを助けて!」
「キノ、行って!早く!」
一瞬戸惑いを見せるキノに、追い打ちをかけるように叫ぶと、小さくうなずいて、一気に森に向かって駆けていった。
それでいい、とほんの少し安心したその時、刺さっていた腕の蔦がごりっと腕の中で変形し、刃物のような形になって、すぱっと左腕を跳ね飛ばす。
ごとりと音を立ててシキの左腕が地面に転がった。
「くっ!」
思わず傷みで声が漏れる。切られた腕から大量の血液が流れ落ちて、一瞬意識が飛びかけ、頭を振って耐えた。
こんな時に限って、ポーションを持ってきていないなんて、つくづく間抜けだ。
フィオナの叫び声が遠のき、二人が完全に見えなくなると、安堵で無意識に笑みが浮かんだ。
「シキ!何を笑っておる!なぜ邪魔をした!」
シュレンは金色の瞳に怒りをたたえ、ぎゅっと口を引き結ぶと、刃物の形と化した蔓で身体切り裂いてきた。
あちこちをナイフで切られたように、肉が裂けて、血が噴き出す。
これ以上は失血死してしまいそうだった。
これだけシュレンの報復を黙って受けたのだ。そろそろ良いだろうと思い、落ち着かせるように話しかける。
「シュレン、ごめん。あの子は僕の大事な人なんだよ。だから、君を傷つけた罰は甘んじて受けるよ。けどこれ以上はさすがに死んでしまいそうだ」
「シキの……、だ、大事な人!?あの小娘が!?」
シュレンの目がカッと見開かれた。
また何か攻撃してくるかのかと、身構えようとしたが、もう立っていられず、その場に座り込む。
足元は血だまりになっているが、構って居られなかった。
「な、何で!?私じゃなくて……」
「こら!お前ら何やっているんだい!」
シュレンが何か言いかけた所に、思いがけない声がした。上を振り仰ぐと、いるはずのない人物に、思わず口を開いたまま固まってしまう。
「ルティ?」
「ル、ルティ!」
上空には険しい顔のルティアナが、箒の上に仁王立ちになり、血まみれのシキと、攻撃態勢のシュレンを睨みつけて見下ろしていた。
ルティアナは、すっとシキの横に降り立つ。
「シキ、ポーションは?」
「持ってないんだ」
正直に言うと、ガツンと思い切り叩かれた。
「園内を歩くときは必ず持ち歩くように言っていただろうが!馬鹿者が!!」
久しぶりに本気で怒っているルティアナの声を聞いて、思わず嬉しくなってにこりと笑うと、もう一度更に強く叩かれる。
ルティアナは、転がっていたシキの左腕を拾うと、怒った顔のまま、ぐいっと肩の切断面に合わせるように押し当てた。
「いたたたたっ!ルティ痛いよ!」
「あほか!腕を切り落とされてんだから、痛いのは当たり前だろうが!」
ルティアナは、腕を肩にぴったり押し当てるようにしながら魔法をかける。切断面がぼうっと熱くなった。更に魔力が込められて、熱さが増してくる。
「あつっ、ルティ、魔力入れすぎ、あついよっ」
「本当に、お前は、目を離すとすぐこれだ!なんでこんな事になった。説明しな!シュレン!お前も逃げるな!」
そっと水中に身を沈めようとしていたシュレンがびくっと固まる。
「シュレンを怒らないで。僕が悪いんだ。今日満月だって忘れてて、寝ている間にフィオナが一人で魔力水を汲みに行ったのに気づかなかったんだ。それで、シュレンが、水中でフィオナ魔力を吸っているのを見て、かっとなって、シュレンに攻撃しちゃった。だから、何もかも全部自業自得」
「フィオナに今晩は一人で外に行かないように言ってなかったのかい!?」
「うん、言い訳になっちゃうけど、ここしばらく雨で月が見えてなかったし、ずっと寝てなくて朝晩の感覚もなくて……。完全に僕のミス。シュレンに殺されても文句は言えなかったよ」
「あの子の研修期間残り僅かで、とんだ失態をしたね……。それでフィオナは?」
ルティアナが大きくため息をついて尋ねる。
「キノに先に連れて行かせた。どこも怪我はしてないと思う。魔力切れにはなっているかもしれないけど」
「どこまでフィオナは見てたんだい?」
「どこまで?」
「お前がシュレンにやられているところだよ」
「あー、胸に穴開けられて、腕切り落とされるところまで。こんなにぼろぼろの血まみれにはなっていなかったよ」
再びガツンと思い切り頭を叩かれた。
「ルティ!?」
「馬鹿だね!お前も知っているだろう!あの子は昔、目の前で両親を殺されているんだよ!どんな気持ちでお前がシュレンに嬲られるているのを見ていたと思う!?」
「あ……」
スズランの幻惑の時に、酷く取り乱していたフィオナを思い出して、シキはそんな事にも気づいていなかった自分に愕然とする。
「あの子の心が壊れてないといいけどね。ほらとりあえずくっついたよ。ポーション飲んどきな」
ルティアナがポケットから出したポーションを投げてくる。
動揺でうまくキャッチ出来ず、落としてしまい、拾って一気に飲み干した。特級の傷薬だ。
すぐに胸の傷が塞がっていき、腕の違和感も薄らいでいく。全身の切り傷もあっという間に塞がって、血まみれでなければ、怪我などまるで無かったように、綺麗な肌に戻った。
「さあて、次はあんただよ。シュレン」
ルティアナがすごんだ声を出すと、シュレンが、びくっとなって、目から下までを水中に潜らせて縮こまっている。
ルティアナがシュレンに説教を始めようとしているので、シキは待っていられずに口を挟んだ。
「ごめん、ルティ、シュレン。後でちゃんと謝るから、今は戻らせて」
ルティアナは仕方ないといった風に、大きくため息をつき、シュレンは目を伏せて、視線を逸らしてしまった。
そんなシュレンの様子が気になったが、それよりなにより、フィオナが心配だった。
「早く戻ってやりな」
「うん、ありがとう、ルティ。シュレンごめんね」
ここはルティアナに任せておけば大丈夫だ。
そう判断して、箒に乗ると、失血でふらつく身体に耐えて、一気に速度を上げた。
管理棟に駆け込むと、すぐにキノがやって来て、シキの手を引いてソファに連れて行こうとする。
何かあったのだろうかと、急に心配になり、ソファに駆け寄ると、フィオナが真っ青な顔で、短い呼吸を発作の様に繰り返している。
「フィオナ?フィオナ?大丈夫!?」
はっ、はっ、はっ、と不自然な呼吸をするフィオナに、何が起こっているのか分からず、必死に呼びかける。
「ずっとこの状態なの!?」
キノに尋ねると、うなずいて、困ったように薬棚とソファを行ったり来たりしている。
魔力欠乏が激しくて、呼吸がおかしいのだろうか。だが、今口移しでポーションを飲ませたら、呼吸が止まってしまいそうでそれもためらわれた。
「フィオナ、フィオナ!しっかり、目を開けてっ」
いくら呼びかけても、全く良くならず荒い呼吸のまま、身体が痙攣し始めた。
なんで……、さっきは助けられたと思ったのに。
心臓が張り裂けるくらいに、痛い。
フィオナの手を握りしめて、キノを振り返り声を上げた。
「キノ!泉にルティが居るから呼んできて!」
あっという間にキノが出ていくが、ものの数秒で戻ってきた。
「なんだい?どうしたっていうんだい」
ルティアナがキノに引っ張られて作業場に入ってくる。
どうやら丁度泉から帰ってきたところだったようだ。
「ルティ!フィオナの様子がおかしいんだ」
「どれ、見せてみな」
フィオナは全身をビクビクと痙攣させて、はっ、はっ、はっ、と浅く荒い呼吸を繰り返している。
「馬鹿だね。過呼吸だよ」
ルティアナはフィオナの頭に袋をかぶせて、魔法を発動させる。
柔らかい光がフィオナに降り注ぐと、じきにフィオナの呼吸が落ち着き、痙攣が止んだ。
ルティアナがフィオナに被せていた袋を取ると、まだ顔は青白いが、表情は穏やかになり、呼吸も安定していた。
安堵で、深いため息がこぼれた。
「精神的ショックが大きすぎたんだろ。精神安定の魔法を掛けたから、しばらくは大丈夫だ」
胸の奥が熱くなり、ぎゅうっとルティアナを抱きしめた。
「ルティ、ありがとうっ」
「本当にお前は馬鹿だね」
「ルティ、僕は、この恩を返すためなら、なんでもするよ。死んだっていい」
「お前が死んだら、フィオナが泣くだろうが。バカタレ。ほらいい加減離れな。私の服まで血まみれになっちまったじゃないか。さっさと着替えてきな!」
もう一度、ルティアナをきつく抱きしめると、背中を優しく撫でられて、不覚にも涙が滲んだ。
そして、フィオナはそれから三日間、目を覚まさず眠り続けた。