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満月の夜

 ルティアナが魔植物園に帰ってきたのは、アドミューの街に出て行ってから、五日後の夜だった。


 「帰ったぞー!生きてるかー?」


 それはそれは元気な声で作業場に入ってきたルティアナは、くくっと笑ってソファに目を向けた。

 ソファではシキがキノを抱いて気を失ったように眠っていた。

 キノも珍しく、昼間の外ではなく、シキに抱かれながら眠っている。


 「よう!フィオナ。やってるか?」

 「ルティ!お帰りなさい。ポーションは最初の依頼書の分の納品は終わったんですけど、追加でまた依頼書がきて、今その分を作っています」

 「そうかい。それでシキはダウンしているのかい?」

 「二日前に一時間寝ただけだったので、さすがに疲れて、さっき眠っちゃいました。私は、ちょこちょこ寝ているので大丈夫なんですけど、シキはずっと休まず仕事をしていたので」


 ルティアナはシキを見て、優し気にふっと笑う。


 「情けないねえ。まあ、でも思ったより随分早い納品だったから褒めてやるよ」

 「それよりアドミューの街はどうなってるんですか?戻ってきて大丈夫だったんですか?」

 「大丈夫とはとても言える状況じゃないねえ。昨日から雨は止んでいるけど、いつまた土砂崩れが起こってもおかしくない状況だよ。ただリクオオヤドカリは、私と魔法隊の奴らで殲滅してきたから、そっちの被害はもうないだろうさ。まあ、着いた時には、すでに結構襲われて食われちまった人間もいてね、街や近隣の村は惨憺たる状況だったよ」


 想像して、そのおぞましさに顔が歪む。きっと自分が想像するより遥かに悲惨な状況なのだろうが、それは実際経験した者にしか分からないだろう。

 だから、何も言えなかった。


 「それでも、魔法隊の奴らがいち早く来てくれたんで助かったよ。いくら私でも体は一つだからねえ。街に結界を張るにしても、すでに侵入したヤドカリは防げないし、街中だから大々的な魔法で魔物を吹っ飛ばす訳にもいかないし。魔法隊が遅れてたらもっと被害が増えていたろうよ。ほら、あのフィオナと噂になっていた一番隊の隊長がいるじゃないか。名前何だっけ?」

 「ロアルさんですか?」

 「そう!あいつは見所があるね!判断力も行動力も指揮能力も高い。あいつのおかげでだいぶ被害が減ったんじゃないかねえ」

 「そうだったんですか……。ロアルさん、頑張ってくれたんですね」

 「あいつに任せておけば、とりあえず大丈夫だろう。街や村には結界を張ってきたから土砂崩れがあっても、これ以上土砂が流れ込む心配はない。今不足してるのは、食料やら医薬品だね。それでもフィオナとシキが頑張ってくれたおかげで、重症者は随分助かったみたいだよ。土砂に埋まって、死にかけていた奴が沢山いたみたいだからね」


 そう言われて、フィオナは嬉しくて胸が締め付けられた。


 「ルティは戻ってきてしまって大丈夫だったんですか?」

 「まあ、街や村に結界を張ってきたからとりあえずは大丈夫さ。すぐにまた、アドミューに戻るけどね。ここにはシキがいるからそう心配はないんだけど、魔植物園の結界の維持は私じゃないと無理だからね。何日もここを空けて、結界が緩んで、特区の奴らが逃げたしたら、今度は王宮が大騒ぎだよ」

 「それは確かに困りますね」

 「という事で、ちょっくら園内の結界を見に行ってくるよ」

 「ルティ?」

 「なんだい?」

 「大丈夫ですか?疲れてないですか?」

 

 心配そうに見つめると、ルティアナに鼻で笑われてしまった。


 「そこの小僧と一緒にするんじゃないよ」


 そう言って、ピンクのツインテールを揺らして、ルティアナは外に出ていった。

 

 アドミューの街で自分達の作ったポーションが役に立っていると分かって、ぐったり疲労していた身体が軽くなった気がしてくる。

 ロアル達警備隊も現場で頑張っているのだ。

 自分もやれる事を頑張らねばと、意気込んで、急いで追加のポーションを作ろうと作業台に向かった。

 作業を始めようとして、ふと桶を見ると、魔力水がもうほとんど残っていない事に気が付いた。


 「ああ、汲んでこなくちゃ。でもどうしよう……」


 泉まで一人で行くことは許されているが、必ず行く前にシキかルティアナに声を掛けてからと言われているのだ。

 シキを見ると、さっき眠りについたばかりで、その疲れ切った顔を見ると、起こすのはしのびなくなってしまう。一度起こしてしまったら、シキはそのまま起き出して仕事をしてしまいそうだ。

 少し考えて、フィオナは置手紙をすることにした。これならば、起きてフィオナがいなくても、心配をかける事はないだろう。


 置き手紙を作業台の目立つ場所に置くと、フィオナはマッド君三号を連れて、夜の森へと入っていった。


 そういえば夜の森に一人で入るのは初めてだ。

 ぼんやりと明るいので、魔法で明かりを出さなくても歩けるが、なんだか心許なくてさり気なくマッド君三号に寄り添って歩く。


 森を抜け泉に到着すると、いつも以上に明るい夜の泉に思わず目を見開いた。

 今日は満月なのだ。

 水面に浮かんだまん丸の月が、しらじらと辺りを照らし、あまりの神秘的な美しさに、フィオナはほうっと息を吐く。

 コポコポと泉が湧く音と、そよぐ風に疲れが癒やされていくようだ。


 うっかり見とれて、ぼうっとしてしまい、急いで魔力水を汲んで帰らなければと、手桶を泉に浸けた。

 その途端、泉の真ん中からこぽこぽと泡が湧きはじめ、思わず手を止める。

 泡は徐々に大きくなり、何か泉の中から浮き上がってくるようだ。


 その時すでに嫌な予感はしていたのだ。

 けれどなぜか、凍り付いたようにその場から動けなかった。


 じっと見つめていると、泡はゴポゴポと大きな音を立てて膨れ上がり、ざばあっと水しぶきを上げて、泉の中から美しい少女が姿を現した。

 美しいが、それは人間ではないと一目で分かる容姿をしていた。きらきらと銀色に輝く長い髪に、ほっそりとした身体。まるで血の気のない青白い肌はつるりとしていて、胸から下は大きな葉を何枚も重ねたようなものに覆われている。その少女は異様に大きな金色の瞳でこちらをじっと見つめ、血を塗った様に赤い唇をくっと持ち上げた。


 「初めてみる顔だな。今日はそなたがわらわに魔力をくれるのか?」

 

 魔力をくれるのかと聞かれて、これはとんでもなくまずい者だと、すぐに分かったのに、フィオナはピクリとも動けず、背中に冷たい汗を流していた。

 怖い。

 その少女からは、とてつもない威圧的な魔力を感じた。

 触れられてもいないのに、喉に牙を立てられているような気分になり、全身がふつふつと粟立つ。


 「私は、シュレン。そなたの名は?」

 「……」


 答えようとするが、なぜか恐怖で歯がかちかちと音を立てるだけで、声がでない。

 心臓がどくんどくんと嫌な音を立てはじめた。


 「私の問いに返事も出来ぬのか。ならばよい。その無礼身をもって思い知れ」

 「!?」


 シュレンの伸ばした手の先から、蔓が伸びてきて、フィオナの腕を絡み取った。

 逃げたいと思っているのに、その場に縫い付けられてしまったように動けなく、あっさりと腕を絡み取られてしまい、泉へと引きずられてしまう。


 気づいた時にはドボンと大きな音を立てて、泉に落ちていた。


 冷たい水の感触に、やっと我に返り慌ててもがくが、がっちりと蔓に掴まれて、あっという間に水底に引きずり込まれていく。水の中は月明かりで不思議と明るく、自分の吐き出してしまった泡が水面に向かってこぽこぽとのぼっていくのが見えた。


 息が……苦しい。

 早く水面に戻らなくては。


 こうなれば、魔法で蔓を切り裂くしかないと、魔力を発動しようとすると、目の前にさっきの少女の顔がぐっと近づいてきて、にたりと笑い、血のように赤いその唇で、フィオナの唇を塞いだ。


 その瞬間、口から一気に魔力が吸いとられていく感覚がして、発動しようとした魔法が霧散してしまう。

 酸欠と魔力欠乏により力がまるで入らなくなってしまい、ぼんやりと霞んでいく視界で水面を見つめながら思った。


 死んじゃうのかな……。


 意識がすーっと遠のいていく。


 最後にシキの顔がみたい。


 そう願って、意識を飛ばそうとしたとき、ぶわっと大きな水圧を感じ、何かに腕を引っ張られた。

 ごぼりと水を飲んでしまい、苦しさに訳のわからないまま、引っ張られていると、がばっと水面に頭が出た感覚がした。

 すぐにぐいぐいと引っ張られて、岸にあげられると、横向きにさせられて背中を思い切り叩かれる。

 

 げほげほと飲んだ水を吐き出して、肺がひゅうひゅうと痛いくらいの呼吸を繰り返す。


 「フィオナ!しっかりして!」


 その声に、ぎゅうっと胸が熱くなった。安心と、嬉しさと、罪悪感が入り混じった訳の分からない感情があふれ出して、涙が滲む。


 「しきぃ……」

 「フィオナ、良かった。良かったよ、どうしようかと思った……」


 全身びしょ濡れになったシキが、覆いかぶさるようにしながら、泣きそうな顔で覗き込むように見つめてくる。

 

 謝りたくて、荒い息のまま、口を開こうとすると、ずしゃっと鈍い音が聞こえた。

 なんだろうと、視線をさまよわせると、シキの右胸の辺りから、鋭く先端のとがった蔦が生えていて、赤黒く染まっていた。


 「え……?」


 今度はぐちゃっと音を立てて、その蔓が引き抜かれていった。

 シキの右胸が真っ赤に染まる。


 「あ……、あ……」


 声に出せない悲鳴を上げて、シキを見ると、その顔は苦痛に歪みながらも、真っ直ぐにこちらを見つめている。


 「キノ!フィオナを連れて逃げて!」


 シキが、大きく叫ぶと、いつの間に来ていたのか、キノの蔦がフィオナの胴と足に絡みつた。

 その間にも、シキの胸から血が滴って、フィオナの服を染めていく。


 「させると思うか?」


 そう響いてきたのはシュレンの声。

 キノの蔓に軽々と持ち上げられ、小柄な身体にどうしてそんな力があるのかと、驚いてしまう。キノがそのまま走り出りだしたところに、シュレンの身体から伸びてきた二本の鋭い蔦が襲いかかってくるのが見えた。


 キノの蔓にもちあげられながらも、なんとか攻撃を防ごうと手を伸ばし、防御魔法を発動させようとするが、魔力をシュレンに吸い取られてしまっていたため、全く魔法が発動しない。それでも無理やり魔力を集めようとすると、魔力欠乏で目の前がちかちかと点滅した。


 蔓に貫かれると思った瞬間、シキの大きな背がフィオナの目の前に立ちふさがり、防御魔法を展開する。

 だが、その魔法陣をいともたやすく、その鋭い蔓は貫いて、一本はシキの左腕に刺さり、もう一本は太ももをかすめて、下半身を血に染めていく。


 「シキっ!」

 「大丈夫だから!早く行って!」

 「やだっ!キノ、私はいいからシキを助けて!」


 血に染まっていくシキに、なんとかしなければと泣きながら叫ぶと、一瞬キノの動きが鈍くなった。


 「キノ、行って!早く!」


 そう叫んだシキの左腕が、今度は血しぶきを上げて宙を舞った。

 ごとんという鈍い音と共に、シキの腕だけが地面に転がった。


 フィオナは、目を見開いたたま、その光景を見ているしか出来なかった。


 こちらに背を向けているシキの、左の肩より下がなくなって、どくどくと血が流れ出ている。

 シキの姿が昔の両親が重なった。

 このままじゃ死んでしまう。


 それでもシキは、シュレンの前に立ちはだかり、フィオナ達を逃がそうとする。


 「早く!」


 シキの叫び声に、キノが一気に足を速めて、森へと駆けこんだ。


 「待って!待って!キノ!お願いっ、シキが死んじゃう!止まって!」


 フィオナが泣きながら必死に声を荒げても、キノは振り返りもせず、ぐんぐん速度を上げて駆けていく。

 シキの姿が見えなくなってしまい、恐怖でおかしくなりそうだった。

 それはシュレンに対する恐怖ではなく、また大事な人を失う恐怖だ。


 「お願い、シキが死んじゃうっ、いやだ、お願い、いやなのっ」


 声を引きつらせて、必死にキノに頼むが、キノはどんどん森を駆け抜けていく。

 魔力欠乏と、恐怖で目の前が白く霞んでゆく。


 嫌だ。

 シキが死んじゃう。

 もう二度と、大切な人を失いたくない。

 シキ。

 シキ、シキ。

 死なないで……。


 フィオナの意識はそこでぷつりと途絶えた。 

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