八つ当たり
「シキ、帰りました」
通信機で管理棟から研究棟に連絡すると、すぐに返事が返ってきた。
『お帰り、いまそっちに行くよ』
いつもなら癒されるこの言葉に、今日は素直に喜べずにいる。
エレノラとのやり合いで、山を一つ吹っ飛ばして以来の王宮への配達だったのだが、今日は驚かされてばかりだった。
少しふくれっ面でカウンターの椅子で待っていると、爽やかな笑みを湛えてシキがやって来た。
「フィオナ、お帰り」
もう一度お帰りと言われて、フィオナはふくれっ面のまま、小さくただいまと答えた。
シキは不思議そうに近づいてきて、覗き込んでくる。
「どうしたの?何かあった?」
何かあったどころではない。
下から軽く睨むように見上げて、唇を尖らせる。
「吹っ飛んだ山の後に、大きな闘技場が立っていました」
「ああ、うん、作ったからね」
「いつの間にか、私とシキが付き合っている事になっていました」
「そうなんだ」
「エレノラさんの査問会に私が出席するのを断ったっていうのは本当ですか?」
「うん、ルティと相談して決めた」
あっさり言うシキにますます腹が立った。なんで勝手に決めてしまうのだろう。
「なんで言ってくれなったんですか?」
「出る必要がないと判断したからだよ。証拠は十分なんだから、これ以上煩わされる事はない」
そうだとしても、これはフィオナの問題ではないか。
ちゃんと最後まで自分で責任を取りたかった。エレノラは査問会のあと、王宮魔導士を解雇されたそうだ。
「闘技場をルティとシキとアキ室長が一晩で作ったって本当ですか?」
「本当だよ?」
「なんで言ってくれなかったんですか?」
「え?闘技場を作ったこと?」
「そうです」
「別に大した事じゃなかったし」
「私にとっては大した事です!王宮中大騒ぎになっていました。たった三人で一晩であの建物を作ったって。それも私が山を吹っ飛ばしたから、その責任をとるために国王命令であれを作らされたって」
「うーん、そんな大げさな事じゃないけど。けど部下の責任を取るのは上司の仕事だし。フィオナは何でそんなに怒っているの?」
「怒りますよ!なんで私にも手伝わせてくれなかったんですか!?やらかしたのは私なのに、私はルティとシキとアキ室長にそんな迷惑をかけているのも知らないで、のうのうと寝ていて、それも今日まで闘技場の事すら知らなかったんですよ!」
シキは困った様に目を揺らしている。こんなにフィオナを怒らせている理由が理解出来ていないのだろう。
「わざわざ言うほどの事でもないと思ったんだよ」
「シキにとってはそうかもしれないけど、私は違うんです」
「ごめん」
「大体みんな、私の事を甘やかしすぎなんです!もっと怒っていいんですよ!自分でもあれはやりすぎたって自覚はちゃんとあるんです!」
「別に甘やかしているつもりはないし、自覚があるって事は反省しているんだから、もういいじゃない」
「良くないです!尻ぬぐいを全部周りにさせて、自分は何もしていないのが許せないんです!」
「困ったなあ……。フィオナ、とりあえず落ち着いて」
撫でようと伸びてきたシキの手を思わず軽く払って避ける。
シキが明らかに動揺したのが分かった。
おそらく余計な心配や負担をさせないために、エレノラの件も闘技場の件も言わなかったのだろうし、二人にとっては本当に大したことではなかったのかもしれない。
それでも、きちんと伝えて欲しかった。そんなお姫様みたいな扱いは嫌なのだ。
何にも知らないままでいるのは、蚊帳の外にいるようで嫌だったのだ。ルティアナやシキがそんなつもりでない事は分かっているのだが、まるで仲間外れにされたような気分だった。
我ながら大人げないとは分かっていたのだが、どうにも気持ちがおさまらなかった。
「シキもルティも私に罰を与えないのなら、私が私に罰を与えます」
「え!?なんでそうなるの!?」
「決めました。これから一週間は絶対に金のポーションを飲みません。シキも飲ませないでください。私が怪我しても、辛そうでも、気絶しても絶対です。飲ませたらもうシキと口をききません。私にふれることもしないでください」
そう言って睨みつけるように見ると、シキはまるでその言葉にひっぱたかれたような顔になり、少し後悔してしまった。
「それじゃあ、まともに仕事できなくなっちゃうでしょう」
「それでもです。遅れた分は一晩中かけてでもやります」
「フィオナ、謝るから、今まで通りに仕事して」
「シキは何でこんなに私が怒っているのか分かっていないでしょう。それなのに謝られたって、意味がないです」
シキの目が一瞬泳ぐ。やはり、理解出来ていないのだ。
「今日は夕飯もいりません。明日に備えてもう部屋で休みます」
ぴしゃりとそう言うと、シキはぴきんと固まってしまったが、フィオナはそのまま怒った表情でその場を後にしたのだった。
翌日からフィオナは、いつも以上に仕事に精を出した。
ろくに休憩も取らず、怪我をしても、チューリップの催淫にやられても、金のポーションを飲むことを徹底的に拒んだ。その代わり、薬室の中級ポーションを自分の給料から個人的に買って、なんとかしのいでいる。
シキもルティも顔を見合わせて困った表情を浮かべているが、フィオナはそれを見ないふりをした。
金のポーションを飲まずに仕事をし始めてから三日経った。
薬室のポーションで何とか対応しているが、やはり効き目が遅いのと効果が弱いせいで、仕事は常に遅れ気味になって毎日帰るのも深夜になっている。なにせ今まではチューリップにやられても、三十分で復活していたのが、今は一時間以上倒れ込んでしまうのだ。そしてようやく起き上がれるようになっても、まだ身体に熱さが残り、その後の仕事に支障をきたしてしまう。
今も、チューリップ畑の横の芝生の上で、一人寝ころびながら熱く痺れる身体に耐えていた。
シキが膝枕をしようとするのを、きっと睨んでけん制すると、その茶色の目が泣きそうに揺らぐ。
そんな顔をされても一週間は絶対にやり通すと自分に言い聞かせて、シキから顔をそむけた。
いつの間にか気絶していたのか、目を開けると、シキが心配そうな顔でのぞき込んでいる。危うく手を伸ばしそうになってしまうのを、慌てて押しとどめた。
「フィオナ……。良かった。ねえ、お願いだからポーションを飲んで」
「い、や、です……」
「本当に、心から謝るから。何でも言う事聞くから。だからお願い」
「そんな事を、してほしくて、やって、いるわけじゃ、ないんです。もう、大丈夫ですから」
あきらかにかすれている声で、頑なに拒むと、シキがひどく辛そうな顔をする。
本当に自分は頑固だなと思ってしまう。シキのあんな顔を見ると、心が折れそうになってしまうが、それでも譲れず、ふらふらと畑に向かって歩きはじめると、水やりを始めた。
四日目の夜、いい加減仕事がたまりすぎて、徹夜でポーション作りをすることにした。
これ以上仕事をためては、次の納品に間に合わなくなってしまう。
今は地下にいるシキに、帰る時に声を掛けるように言われているが、今日声を掛ける事はないだろう。
疲れ切った身体に鞭を打って、作業台に素材を準備し始めると、いつの間に来ていたのか、ルティアナが立っていた。
「こら、フィオナ」
「ルティ」
「何こんな時間からポーションを作ろうとしているんだい」
「仕事が溜まってきてしまって、今晩は徹夜でポーションを作ります」
「何馬鹿言っているんだい。金のポーションを飲まないでそんな事していたらすぐにぶっ倒れるよ」
「それでもやります」
ルティアナは、はあと大きくため息をついた。
「何をそんなにむきになっているんだい」
「これは私への罰です」
「罰?」
「エレノラさんの事で、私はルティとシキに尻ぬぐいさせて、自分は何も罰を受けていません」
「なんだい、闘技場の事と査問会の事を黙っていた事がそんなに腹が立ったのかい?」
「そ、それはっ」
図星を指されてぐっと言葉を飲み込む。
「私が責任を取るって言ったんだ。なんでそんなに罰だなんて言い出すかね」
「……」
「なんだい、言いたい事があるならちゃんとはっきりいいな」
「だって……、私ただでさえ、何も役に立ってないのに……。金のポーションを無駄に使わせるばっかりで。エレノラさんの事だって、ルティが責任を取るとは言ってくれたけど、それでもその責任をちゃんと一緒に背負いたかったのに、誰も何にも言ってくれなくて……。私だってここの一員だと思っていたのに、なんだか仲間外れにされたような気になっちゃって……」
何もかも見透かされたようにルティアナに見つめられると、フィオナはあっけなく、シキには言えなかった本音をぼろぼろと吐き出してしまう。
いい加減意地を張るのに、疲れてきていたせいもあるのかもしれない。
「だからシキに八つ当たりするみたいに、ポーションを飲まずに仕事していたのかい?」
そう言われて、これがただの八つ当たりだったのだと気づいて情けなくなった。
「私……」
「まあ、いいさ。小娘の八つ当たり程度を軽くあしらえないあいつが悪いんだから。な?シキ」
ルティアナの視線に、勢いよく振り向くと、シキが壁にもたれて立っていた。
ほっとしたような、苦笑しているようなそんな顔をして立っているシキに、フィオナは謝らなければと思い口を開きかけると、ルティアナの声にさえぎられる。
「でもまあ、そんなに罰が欲しいっていうなら、罰を与えてやろう」
ルティアナの口元が悪だくみするように笑みを描く。
「え!?ちょっと、まって、ルティ?」
「シキ、その小娘を連れて帰って、金の体力回復ポーションと魔力回復ポーションそれから傷薬を飲ませな。嫌だと言っても力ずくで飲ませるんだよ。そうしたら逃げないように、羽交い絞めにしてでも寝かせな。絶対朝までベッドから出すんじゃないよ。所長命令だ」
「所長命令なら仕方ないね」
口をぱくぱくさせていると、あっという間にシキに抱きかかえられる。
泣きそうな顔で見上げると、シキがふわりと微笑んでいた。
「お、降ろし……」
「降ろすんじゃないよ。さっさと連れて帰りな」
「うん、ルティ、お休み」
シキはにっこりと笑うと、研究棟を後にした。
管理棟に付くと、抱きかかえられたまま寝室に連れて行かれ、ベッドの上に降ろされる。
「フィオナ、ポーションを取ってくるから、そこにいてね。逃げたらだめだよ」
逃げられるわけがないじゃないか。
そうだ、寝たふりをしよう。寝ちゃっていれば、シキも安心するだろうし。明日シキにちゃんと謝ろう。
フィオナは毛布をかぶって、入り口に向かって背を向けるとゆっくりと呼吸を繰り返して寝たふりをする。
足音が聞こえ、シキが部屋に入って来た。
「フィオナ?寝ちゃったの?」
そうそう、寝ちゃったの。だからそっとしておいて。
そう思っていると、肩を掴まれて、仰向けにされた。それでも寝たふりをしていると、唇を塞がれポーションが流れ込んでくる。
思わず目を開けると、シキがくすりと笑う。
「寝たふり下手だね」
ぶわっと顔が熱くなった。
その途端また唇を塞がれる。ポーションが流れ込んでくるのをこくりと飲み込むがなかなか唇が離れていかない。
「んんんんっ」
苦し気に声を上げると、そっと唇が離れて、見つめられる。
「フィオナ、ごめんね。これからはちゃんとなんでも言うから」
そう言って、シキはまたポーションを含むと、唇を塞いできた。やっぱりいつもより長くて、少し苦しくなってしまう。
やっと唇が離れていったので、フィオナは息も絶え絶えに口を開く。
「シキ、ごめんなさい。私八つ当たりし……んんんっ」
最後まで言う前に、次のポーションを飲まされる。
「いいよ。八つ当たりくらいいくらでも」
優しい言葉と、少し熱がこもったような目で見つめられて、フィオナは心臓がどくどくと激しくなっていくのを感じる。すぐに唇がかぶさってきて、その感触に、背中の奥の方がぞわりとしてしまい、それが何なのか分からずに焦りでシキを止める。
「シキ、ポーション、自分で飲めるから……」
「だめ。所長命令だから」
呆気なく却下され、またいつもより長く塞いでくる唇に、頭がぼうっとしてしまう。
「あと一本だよ」
「……うん」
シキは金のシールを剥がして、最後のポーションを口に含むと、フィオナの唇を優しく塞ぐ。
シキの唇が気持ちいい。
目を瞑って、されるがままになっていると、最後の一回は、更に長く唇を塞がれた。最後に、唇からわずかにこぼれたポーションをシキの舌が舐めとっていって、どうしようもない感覚が背中を走っていってしまい、思わずシキに抱きついてしまう。
「……きだよ」
シキが何かをつぶやいて抱きしめ返してくる。
「え?」
聞き返すと、おもいきりぎゅうっと抱きしめられた。
「所長命令で朝まで羽交い絞めにしてベッドから出すなって言われているからね」
急に今の状況に我に返り、どうしようもないくらい恥ずかしくて、今更ながらに抵抗を試みる。
「ちょっと、シキっ、はな、離してっ」
「だめだよ」
「お願い、は、恥ずかしいからっ」
「それが罰なんじゃない?」
「そんなっ、酷い」
「酷いのは君だよ」
そう言われると、自覚してるだけに、しゅんとしてまう。
そんな様子を察してシキが優しくささやく。
「さあ、フィオナ、ゆっくり寝よう」
腕が少し緩んで、寝やすいように優しく抱きかかえなおされる。
フィオナはどきどきしながらも、シキのシャツに顔を押し付けると、いつもの匂いにほっとして、ゆっくりと目を閉じたのだった。