ちゃんと信じるから
それからフィオナとロアルは夕方まで、ぷらぷらと買い物をしながら、噴水広場と市場通りをいったり来たりしていたが、アルトゥールとは会えずじまいだった。
「あんまり遅くなるといけないし、そろそろ帰るか。アルトも俺たちに会えなくて一人で帰ったのかもしれないし」
「そうですね……」
もう一度噴水広場をぐるりと見わたしてみるが、アルトゥールらしき人物は見つけられなかった。
二人は王宮に戻り、南のゲートで一旦箒を下りて、警備をしていた騎士に、アルトゥールを知らないか聞いてみると、今日は休みで見ていないとしか返ってこなかった。
ロアルは管理棟の前まで、フィオナの荷物の半分を運んでくれた。
「ロアルさん、今日は本当にありがとうございました。良かったらお茶でも飲んでいきませんか?」
「いや、やめとくよ。シキさんに殺されちゃうから」
「え?シキはそんな事しませんよ。ロアルさんが転属申請書を持ってきていたら分かりませんけど」
「ひいっ!こええ!俺前に一回持ってきているからな!やめとくわ」
ロアルはそう言って笑うと、颯爽と帰って行った。
やはりいい人だな。
後でなにかお礼をしよう。
山のような買い物袋を三階の寝室に運んで片付けると、お土産に買ったグラスを持って二階に降りる。シキはいなかったので、きっと研究棟にいるのだろう。
そう思ったら、急激にシキの顔が見たくてたまらなくなった。
時計を見ると、夕方の五時半だった。食事にはまだ早い時間なので、シキを呼び出すのは、なんだか気が引けてしまう。
フィオナは一階の薬剤室に降りると、カウンターの椅子に座って、じいっと通信機を見つめた。
どうしよう。帰ったことだけでも伝えておこうかな。
それとも夕飯時まで待って連絡した方がいいだろうか。もしかしたら手の離せない作業をしているかもしれないし。
しょんぼりとカウンターに顔を乗せて、通信機を見つめていると、急に入り口の扉が開いた。ぱっと頭を上げて入って来た人物にフィオナは驚いた。
「アルト!?」
アルトゥールが額に汗を浮かべて、息を切らしていたのだった。
「フィオナ!すまない。戻るのが遅くなってしまって」
「そんなの全然大丈夫だよっ!それよりエレノラさんは?」
「ああ、彼女は大丈夫だ。ただ、家に送って行ったら、気分が良くなるまでいて欲しいと言われてしまって、なかなか戻ってこれなかった」
「それで、具合は良くなったの?」
「ああ、たいしたことはなかったみたいだ。何度も医者に連れて行こうとしたんだが、寝てればよくなると断られてしまって、放ってくるわけにもいかなくなってしまって」
「いいよいいよ。ロアルさんがいろいろ案内してくれたから、欲しい物はちゃんと買えたし」
そういうと、アルトゥールは、少しぶすっとした顔になってしまい、慌ててねぎらいの言葉を掛ける。
「エレノラさんの事任せきりにしてしまってごめんね。アルトありがとう。それにわざわざ知らせにきてくれたんだよね」
「え、ああ。彼女の事は仕方なかったからな。それより、合流できずにすまなかった。そのフィオナ、ロアルとはどこに行ったんだ?」
「え?えーと、お菓子屋さんに行って、ケーキを食べて、その後噴水広場に戻ったりしながら、雑貨屋巡りをしてたよ?」
「そうか……。ロアルに何か、その言われたりしなかったか?」
「え?何かって?」
「いや、言われてないならいいんだ。フィオナ、その、俺っ……」
なぜか必死な様子で詰め寄ってくるアルトゥールに驚いていると、薬剤室の後ろの扉が開いてシキが帰って来た。
「あれ、フィオナ帰っていたの?それに、アルト君?」
「シキ!」
「ああ、なんだ二人で街に行っていたのかい?アルト君、フィオナに付き合ってくれてありがとう」
シキはそう言ってにこりと笑うと、すぐに二階へと上がって行ってしまった。
フィオナはなぜか動揺してしまい、シキを追いかけようとして、アルトに呼び止められた。
「フィオナ!」
切羽詰まったような声に、アルトゥールがさっき何か言いかけていたことを思い出して、シキを追いかけるのを思いとどまる。
「あ……。アルト、ごめん。なにか言いかけていたよね?なに?」
「いや、その……」
「うん?」
「いや、何でもない。じゃあまたな」
アルトゥールがさっと背を向けて帰ろうとする。
「え……、あ!アルト今日はありがとう」
「ああ、またな」
アルトゥールは結局何も言わずに帰ってしまい、フィオナは急いで二階へと駆けあがる。
シキの姿を探すと保冷庫の前で、今晩の食材を出そうとしていた。
フィオナはいつもと変わらない様子のシキに、なんだか心臓がきゅうっと苦しくなってしまい、そっと近づいて声を掛けた。
「シキ」
「ん?どうしたの、フィオナ」
「その、今日は、アルトも一緒だったけど、魔導警備隊のロアルさんも一緒で、別に二人で買い物に行っていた訳ではないんです」
なぜそんな言い訳みたいなことを言っているのだろうと思いつつも、フィオナは止められなかった。
「だから、その、この前も言ったかもしれないけど、私、アルトと付き合っているわけではないですから……」
シキは保冷庫をぱたんと閉めると、フィオナの方を向いて不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの、フィオナ。そんな事思っていないよ」
「いや、その……。ただでさえ変な噂が流れているのに、シキにまで誤解されたくなくて」
「変な噂?」
フィオナはしまったと口を手で押さえる。
「噂ってなあに?」
「なんでもないですっ。シキ、ご飯の支度手伝いますね」
「そんな顔しているフィオナを放っておくと思う?」
そう言われてフィオナは、自分が泣きそうな顔をしていると気づき、無理やり笑おうとして失敗する。
シキはフィオナの腕をつかんでソファに連れて行くと、自分の膝の上に後ろから抱きかかえるように座らせ、ガッチリと腕を回して逃げられなくしてしまった。
「シキっ!は、離してっ!」
「フィオナ、噂ってなに?昨日酷い顔していたのと関係があるの?」
図星を指されて、ぐうっと黙り込む。
「な、ないですっ」
「じゃあ、噂って何?どんな噂?」
「それは……。言いたくありません」
頑なに口を割らないフィオナの耳元でシキがささやく。
「何で言いたくないの?噂なんでしょう?言いたくないって事は事実だから?」
「違いますっ!」
思わず叫んでしまい、フィオナはしゅんとうなだれる。
「フィオナ、お願い。言って」
ね、と再び耳元で吐息を吐くようにささやかれて、くすぐったさと、変にぞわりとする感覚に身をよじる。
「話してくれるまでずっとこうしていようかな?」
シキがくすりと笑って腕に力を込める。
こうなってしまっては、フィオナの負けは決定だ。
仕方がなく、ぼそぼそと小さい声で話し始める。
「昨日、配達に行ったら、魔導士長に、アルトと結婚するのは本当かって聞かれました」
「結婚!?」
さすがにシキも驚いた声を出す。
「だから、私、付き合ってもいないし、結婚なんてしませんって言ってきたんですけど、今度は開発室に行ったら、ユアラさんにも同じ事聞かれました。何故か、そんは噂になっているらしくて、どこに行っても、じろじろ見られて……」
「それであんな顔して帰ってきたのか」
シキがはぁとため息を吐いて、フィオナの首に顔を沈めてきた。
「し、シキっ!?」
シキはフィオナの首に顔を沈めたまま呟く。
「もう配達に行かせるのやめようかな……」
「シキ!それは駄目です!」
「余計な噂や、つまらない事でフィオナを煩わせたくない」
「シキ、駄目です。やると言ったからには、三ヶ月間はちゃんと配達に行きます。そりゃ、私もいい気はしないけど、魔導士長が噂している人を見つけたら、ちゃんと噂がデマだと否定してくれると言ってくれたので。そのうち噂も止むと思います」
「魔導士長が?」
シキが顔を上げて、驚いたような声を出す。
「はい。私が辞めないなら、嘘の払拭くらい安いものだと言ってくれました」
「そう。僕ちょっとあの人の事見直したよ」
「なんですかそれ?魔導士長ですよ?ちゃんと尊敬してあげて下さい」
「そうだね、僕は何もしてあげれてないのに、魔導士長はフィオナの助けになってくれているんだもんね。うん、わかったよ。少し尊敬する事にする」
「少しって」
思わず笑ってしまうと、シキが嬉しそうに息を吐くのが聞こえた。
「良かった、笑ったね。ねえ、フィオナ?」
「はい?」
「僕は君に関する事は、どんな噂を聞いても、君の言葉を信じるから心配しないで。だから、噂でも何でも、辛いことがあれば隠さないで教えて欲しい。魔植物園以外の所で、僕がしてあげられる事は少ないけど、君の言葉をちゃんと信じるから。だから昨日みたいに辛い顔をして、そのまま押し殺そうとしないで」
シキはフィオナを優しく抱きしめると、ゆっくりと諭すように言葉を落とした。
その優しさに、涙腺がじわりと緩んでしまう。
「シキはいつもそうやって、私の事甘やかして、優しすぎますっ」
「うん、君にしか言われないけどね」
いつものようにくすりと笑われて、フィオナも顔が緩む。すっかりささくれた心が治って、ぐいっと、出かけた涙を拭うと、お土産の事を思い出した。
「あ!そうだ!シキっ!お土産があるんですっ」
早く見せたくて膝の上でもがくと、シキはすんなりと、腕を離して解放してくれた。
いそいそとグラスの入った箱を持ってくると、シキはしっかりと頑丈そうな大きめの箱を見て、目を瞬かせる。
「何を買ってきたの?」
「じゃーん!見てください!」
フィオナが箱を開けると、色の付いていない白っぽい気泡の入ったグラスと、淡い赤と淡い緑の気泡の入ったグラスが、丁寧に梱包されて入っていた。
「うわっ、これグラス?へえ!変わった風合いだね。凄く素敵だよ」
「これ、私とシキとルティでお揃いにしようと思って買ってきたんです。三人でこれでお酒を飲めたら楽しいなあと思って」
「うん、それはとても楽しそうだね」
「シキはどの色が良いですか?」
フィオナが尋ねると、シキはそれぞれグラスを手に取って光にかざして眺める。
「僕はこれがいいな」
シキが選んだのは、透明な色の付いていない白っぽいグラスだ。
それから、ほんのりと赤いグラスを手に取る。
「ルティには、これがいいと思う。それでフィオナにはこの淡いグリーン。フィオナの目の色と同じ翡翠色」
そう言われて、フィオナはそう言えばそうだなと今更気づく。
「そんな事考えもしませんでした」
「フィオナの瞳は凄く綺麗だからね。すぐにこの色はフィオナの色だと思ったよ」
瞳の色を褒められて、急に恥ずかしくなり、顔に血が上がっていく。
「ルティの赤は、ピンク色の髪だからですね」
「うん、ルティもきっと喜ぶよ。ふふ、このグラスでお酒を飲むのが楽しみだなあ。ねえ、フィオナ、ルティには悪いけどひと足先に今晩、このグラスで少しお酒を飲もうよ」
嬉しそうにグラスを眺めて言うシキに、フィオナがダメと言えるはずがない。
「アケビ酒出してくれるなら良いですよ?」
「いいよ。ただし水割りでね」
「もちろんです」
嬉しそうに笑うと、シキは立ち上がって、フィオナの頭を撫でる。
「さ、ご飯をつくろうか」
フィオナは、すっかり気分が良くなり、シキと一緒に並んで、食事を作り始めるのだった。