噂
わああああ!と上がった歓声に驚きながらも、フィオナは訓練場の真ん中で繰り広げられる試合に目を奪われた。
剣術の事はあまり知らないフィオナでも、その二人の戦いがものすごく高度なものなのだと分かるくらい、それは凄まじい攻防だった。
アルトゥールの相手は南騎士団の副団長という事だったが、さすが黒豹と名高いアルトゥールを相手に、余裕の笑みを浮かべて、次々と向かってくる剣をさばいている。アルトゥールに比べると、少し身長も低く、身体の線も細いのに、重そうなアルトゥールの剣を難なく受け流して、返す剣で逆に攻撃をし返している。アルトゥールが速さと重い一撃で攻撃するのに対して、副団長は柔らかくしなやかに受け流して、隙をついて反撃している。
徐々にアルトゥールが押され始めて、不用意に突っ込んでいった所に、副団長の剣が鮮やかに脇腹を薙いだ。
アルトゥールが傷みに動きが鈍くなった隙に、副団長の剣が、アルトゥールの剣を叩き飛ばす。
「勝負あり!シオンの勝ち!」
ナック隊長が叫ぶと、またもや周囲は大歓声に包まれた。
副団長のシオンはアルトゥールの腕を取って立たせると、目を細めて口元をにっと上げた。
「おーい、誰か。アルトを医療室に連れて行って」
フィオナは思わず訓練場入って、アルトゥールに駆け寄った。
「あの!私が連れて行きます!」
「あれ、君は……」
「フィオナ!?」
アルトゥールとシオンが同時に驚く。
「あれえ!フィオナちゃん!来てたの!?」
ナック隊長が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ナック隊長。私、今から配達なのでアルトを連れて行きますよ」
「あ、そう?自力で歩かせようと思ったのに、アルト君ラッキーだね」
「とりあえず止血しますね」
フィオナはアルトゥールを座らせると、脇腹に治療魔法をかける。フィオナの初級魔法では完全に治す事は出来ないが、止血くらいはできるだろう。
「フィオナさんだっけ?ありがとう。僕は副隊長のシオン・カルナだよ。よろしくね」
切れ長の細いつり目にすっと通った鼻筋、うっすらと口角があがった薄い唇のシオンはどことなく狐のような顔立ちに見える。銀と藤色が混ざったような不思議な色の髪で、一瞬フィオナはその不思議な魅力に見とれてしまった。
「あ、フィオナ・マーメルです!よろしくお願いします!」
慌てて答えると、シオンは優しそうな笑みを浮かべる。雰囲気が少しだけシキに似ている気がした。
とりあえず血が止まると、フィオナは箒を出す。
「アルト、乗って。医療室に行こう」
「ああ、悪いな」
アルトがフィオナの後ろに乗って、腰に手を回すと、なぜか周りからブーイングの嵐が起こった。
「アルト、お前は掛け金二倍払えよー」
「負けたのに羨ましい奴め」
「副隊長に真っ二つにされればよかったのにな!」
なぜ怪我をしたアルトゥールにこんなに冷たいのだろうと不思議に思いつつ、箒を浮き上がらせると、下の騎士達に向かって軽く会釈をして挨拶をする。
すると、さっきまでのブーイングが止んで、皆手を振ってくれた。
医療室に向かって箒を飛ばすと、聞きづらいが気になって尋ねてみる。
「ねえ、アルト……」
「なんだ?」
「アルトってもしかして、南でいじめられているの?」
フィオナの質問にアルトゥールが吹き出して笑った。
「そんなわけないだろう」
「でも、みんなアルトが怪我をしているのに、冷たかったじゃない」
「それは、フィオナが俺を連れて行くって言ったからだよ」
「なんで?私何かまずい事した?」
「いや、みんなフィオナと仲良くしたいんだろ。だからあれはただ単に、俺が羨ましかっただけだから、フィオナがなにか悪い事をした訳じゃないさ」
「そ、そうなんだ」
自分がそんな風に思われていたとは知らず、ちょっぴり嬉しいような恥ずかしいような気分になってしまう。
王宮の入口で箒を下りると、横腹を切られているアルトと、それに肩を貸しているフィオナにまたもや視線が注がれた。
「なんだか来るたびに注目されている気がするわ」
「諦めろ」
「うん、諦める。けどパティさんにまた何言われるやら……」
「今日居るのかな?」
「こういう日はきっと居るよ」
二人で苦笑いしながら医療室に入ると、出てきたのはエレノラだった。
「あ、エレノラさんこんにちは」
挨拶をするが、エレノラは一緒にいるアルトゥールの横腹の傷にくぎ付けになって、息を呑んだ。
「あ、アルトさん!どうしたんですか!?その怪我は!」
「訓練で切られた」
「とりあえずこちらへ!」
エレノラはフィオナの事は無視して、アルトゥールを腕を掴むと奥の治療室に連れて行く。
フィオナは仕方ないかと苦笑いして、他の職員を探すと、仕切りの奥からパティの声が聞こえてきた。
「パティさん!」
フィオナが呼びかけると、奥からいつもの眼鏡をした童顔の女性が顔を出す。
「おやあ!フィオナたん!いらっしゃい!配達かね?」
「はい。これ、医療室の分です」
ポーションを渡すと、パティはそれを受け取って尋ねる。
「今日は愛しのアルト君と一緒ではないのかい?」
「パティさん、そういう冗談はやめて下さい。もうっ、また変な噂が立つでしょう」
「いいじゃないか。なんなら噂を事実にしてしまえば良いのだよ」
「私はそんな気はありません」
「やっぱり本命はシキ君かあ」
「もう!パティさん!」
「あはははっ!本当に君はからかいがいがあるねえ!アルト君もだけど!」
「アルトなら、そっちの治療室で手当中ですよ」
「ん?なんだい?痴話喧嘩でアルト君をボコボコにしてしまったのかい?」
「違いますっ!訓練場の上を通り掛かったら、たまたま試合をしてて、アルトが怪我をしたから、連れて来たんですよ」
「ほう!どれどれ」
パティはアルトゥールが治療を受けている部屋へと入っていく。フィオナも怪我の具合が気になったので、一緒に部屋に付いていった。
「あーるーとー君っ!怪我したんだって?」
アルトゥールはパティの顔を見て、げっと嫌そうに顔を歪める。
「なんだいなんだい、その嫌そうな顔は!私の下着まで見た仲なのにっ!」
パティの発言に治療中のエレノラの手が一瞬びくっとこわばった。
「誤解を生む発言はやめて下さい。あなたが勝手に脱いだんでしょう。こっちは被害者です」
パティはニヤニヤしながらアルトゥールの脇腹の傷を見る。
「こりゃあバッサリやられたねえ!あははは!誰だい?ナック隊長?」
「シオン副隊長です」
アルトゥールが苦々しくそう言うと、パティは一瞬目を瞬いて、またすぐにいつもの表情に戻る。
「シオン君は強いからねえ!アルト君じゃあまだまだ勝てないだろうねえ!あははは!」
地味に傷ついたようで、アルトゥールはガックリと肩を落とす。
「アルト、傷はどう?もう痛くない?」
フィオナが尋ねると、アルトゥールは少し笑ってうなずく。そこにエレノラが、アルトゥールとの間にさえぎるように入ってきた。
「治療は私が責任持ってしますので」
エレノラは口元は笑っているが、何故か視線だけはフィオナを突き刺すように鋭かった。
フィオナは治療の邪魔だったかなと反省し退散することにした。
「じゃあ、私は配達に行くので。アルトまたね」
「ああ、フィオナ、送って貰って助かった」
アルトゥールがにっと笑みを浮かべたので、フィオナは安心して医療室を出たのだった。
フィオナは薬室に寄ってから、魔導警備隊の詰め所に行き、納品を終わらせる。
ロアルにこの前のお礼を言いたかったのだが、今日は会えなかった。
今日はこのあと魔導師長室と、開発室、北の騎士団の詰め所に行く予定だ。
まずは面倒な魔導師長室を済ませてしまおう。
フィオナが魔導師長室をノックすると、中から入るように声が掛かった。
「おお!フィオナ君!納品に来てくれたのかい!?」
「はい、いつものお薬です」
「あ、うん。ありがとう」
「では失礼します」
あっさりと帰ろうとすると、フィオナは魔導師長に呼び止められた。
「あ!ちょっと、フィオナ君!聞きたい事があるんだけどっ!」
「はい?なんでしょうか?」
「その、なんだね。最近ちょっと噂で聞いたんだけどね。君と南の騎士団のアルトゥール君が、その、お付き合いをしていると……」
まさか、魔導師長のところにまでそんな噂が届いているとは思いもよらず、フィオナは思わず顔を引きつらせる。
「そのね、別に、王宮内での恋愛は禁止されていないし、付き合うのはいいんだけど、なんだかもう結婚の約束もしていると聞いてね。まさか結婚退職なんて考えていないよね!?もしや子供が出来ちゃったなんて事はないよね!?」
フィオナは口をぱくぱくさせて、魔導師長の話をなんとか理解しようとする。
え!?アルトと結婚!?子供!?
なんでそんな話に!?
「ちょっと、ちょっと待って下さいっ!なんで?どこからそんな話しが!?」
「いや、みんなそんな噂をしているから。なんでも、王宮の通路で、その、抱き合ってたとか、君がアルトゥール君に背負われて歩いていたとか、色んな噂があってね。みんな付き合っているというのは知っていたけど、まさか結婚までもう考えているとは思わなくて。だからもしや、できちゃったのかなあ、なんて……」
「いや、いやいやいやっ!ちょっと待って下さい!全然違いますっ!私アルトと付き合ってませんから!それになんですか!子供って!?私まだここに来てひと月ですよ!?」
「いや、そうなんだけど……。別に隠さなくてもいいんだよ?私としては、君に辞めて欲しくないだけで。もしできちゃったんなら、産休とかもあるから」
「いい加減にしてください!本当に、本当なんですっ!アルトとは付き合ってません!通路で抱き合っていたっていうのはでたらめですっ!ちょっと言い合っていただけで、事実無根です!背負われていたのは、私が訓練中に魔力切れを起こして歩けなくなったのを、北の騎士団のイアンさんが送って行くように言ったからですっ!それにその時は魔法警備隊のロアルさんも一緒でしたからっ!」
魔導師長はフィオナの剣幕に目をぱちくりさせると、頭をひねる。
「あれ?じゃあ本当に付き合っていないのかね?」
「本当ですっ!」
「なあんだ。びっくりしたよおおお!」
「こっちがびっくりしましたよ!」
「それならいいんだ!良かった良かった」
ほっと息をつく魔導師長に、フィオナを眉を下げて頼み込む。
「魔導師長、あの、お願いがあるんですけど」
「なんだね?何か魔植物園で困っているのかね?」
「違いますっ!困っているのは噂の方です!魔導師長、もしその噂をしている人達を見かけたら、片っ端から違うと説明してもらえませんか?私もそうですけど、アルトも困ると思うので」
「ああ、なんだ。そんな事かい。いいよ、もし見かけたら、私が違うと言って回ろう」
「ありがとうこざいます。魔導師長が否定して下さったら、信憑性がありますので。助かります」
「君が辞めないでくれるなら、そんな頼みごとくらいお安い御用だよ」
「宜しくお願いします」
フィオナは魔導師長に頼み込むと、げんなりとしながら、開発室へと向かったのだった。
開発室に行くと、フィオナが来たことを知ったユアラが飛び出してきて、彼女の研究室へと引っ張っていかれた。中にはアキレオが苦笑いしながら座っている。
「ちょっとフィオナ!あなた南の騎士団の子と結婚するって本当!?」
フィオナはぎょっとしてユアラの肩をガシっと掴むと、必死に否定する。
「違うんですっ!全然そんな事はありません!時事無根ですっ!なんでそんな噂になってるんですか!?さっき魔導師長にも言われたんですっ!」
泣きそうな顔で否定すると、ユアラがほっとした顔になった。
「なんだ、違うのね。びっくりしたわ」
「な、だから言っただろう?絶対に違うって」
アキレオがそう言うと、ユアラがすまなそうな顔でフィオナを見る。
「ごめんなさい。あんまりびっくりしたものだったから」
「いえ、それは良いんですけど、なんでそんな噂にまでなっちゃってるのか……」
力が抜けたように椅子に座ると、アキレオが慰めるように言う。
「まあ、君もアルトゥールも目立つからねえ。ちょっとした噂に尾ひれが付いて広まっちゃったんだろう。そのうちおさまるよ」
「だと良いんですけど」
「シキと噂になるならともかく、まさかアルトゥールと噂になってるから俺もびっくりしたよ」
「もうっ!パティさんがまた変な事言ったのかしら!」
フィオナが頬を膨らますと、ユアラがそっと頭を撫でる。
「気にする事ないわよ。噂なんてそのうちおさまるわ」
ユアラの綺麗な笑顔を見ていたら、フィオナはそれだけで、ほっと落ち着いてしまい、やはりアキレオが羨ましいと思ってしまうのだった。
その後、北の騎士団の詰め所に寄って、ポーションを納品すると、フィオナは王宮を通りたくなくて、そのまま箒で外を飛んで帰ることにした。
北の騎士団では、噂の事を言われる事はなかったが、明らかに好奇の視線が向けられたので、やはり噂が広まっているんだろうなと、内心ため息をついた。
箒で飛んで魔植物園に向かうと、ゲートに向かって歩いている人影が見えた。
アルトゥールだ。医療室からの帰りだろう。
フィオナは周りに誰もいない事を確認して、ゆっくりとアルトゥールに向かって降りて行った。