上級体力回復ポーション(リンドルグの実)
チューリップの催淫効果で、フィオナは足腰が立たないくらいにへろへろになってしまったので、結局残りのチューリップ刈りはシキが行った。
フィオナが一時間かけても、三十本程度しか刈り取れなかったのに、シキはたったの十五分程で残り六十本を難なく刈り取ってしまった。
「さて、研究所に、異常状態を治す薬があるから、一旦戻ろうか」
「ひゃ、ひゃい」
へたり込んでいるフィオナをシキは軽々とおぶると、歩き出す。背負われたフィオナは恥ずかしくてたまらない。その上、大きくて温かい背中に密着しているので、おかしくなりそうだった。
「大丈夫?」
シキの優しい声に、フィオナは真っ赤な顔でなんとかうなずく。背負われているせいで、顔を見られないのが幸いだ。
「研究所につくまでに我慢出来なくなったら言ってね。なだめてあげるから」
「へっ?」
何をするつもりだー!フィオナは心の中で絶叫した。
研究所に付くと、シキはフィオナをソファに寝かせて、棚から薬の瓶を取り出した。
「いやあ、この薬使うの久し振りだなあ。後で作り置きしとかないとだね。しばらくフィオナが必要になるしね」
しばらくチューリップ刈りをやらされると言う事かと、わかってはいたが絶望する。
「さあ、これを飲んで」
シキに頭を抱えられて、瓶を口元に当てられる。それなのに、口がまともに動かなくなってきた。身体もだらりと力が抜けて、意識が朦朧としてくる。
「あれ?思ったよりも酷いね。初めてだから成分が回るのがはやいねー」
シキが心配そうに覗き込んでくる顔すら、ぼんやりとする。
「じゃあ、飲ませてあげるね」
唇に柔らかく覆う感触がしたかと思うと、チューリップのめしべのように、ぬるりと何かが歯を割って入って来た。その次には、液体が口に流れ込む。少し苦い。だが、唇を塞がれているので、液体を飲み込むしかなく、ごくりとそれを飲み込んだ。
「よかった、飲み込めたね。もうあと、二回ね」
シキの声が耳元でそうくすぐると、また唇を塞がれる。あー、そうか、チューリップ刈りをしていたんだっけ。
フィオナはそう思って、めしべをうまくあしらおうと、舌を動かす。また苦い液体が入って来て、それを飲み込む。
「フィオナ、あと一回だよ。頑張って」
もう一度唇を塞がれて、液体を飲み込むと、シキの指が、唇についた液体をなぞって拭き取っていった。
「なんか、ねむ、い」
「いいよ。少し眠りなさい」
頭を優しく撫でられて、フィオナの意識は遠くなった。
☆
「それで?何本くらいでぶっ倒れたんだい?」
「三十本くらい。思ったよりも早く催淫効果が出ちゃったみたいで、さっき薬を飲ませて寝かせたんだ」
「まー、しゃーないか。シキも最初は大変だったよねえ」
「そうかなあ?覚えてないな」
「私が介抱してやっただろ?」
「うーん、嫌な事は記憶から抹消しちゃうタイプだから、覚えてないな」
「ま、慣れるまでは、あんたが責任もって見てやりなよ」
「もちろん、そのつもり。素直でいい子だよ」
話し声に、フィオナが身動ぎすると、ぴたりと会話が止んで、足音が聞こえてきた。
すぐ横で人の気配がする。
「フィオナ、大丈夫?」
うっすらと目を開けると、シキがふわりと微笑んで覗き込んでいる。
突然色々な記憶が蘇ってきて、フィオナはガバッと起き上がった。
「そんな急に起き上がっちゃだめだよ」
「わ、わたしっ!?」
「うん、チューリップの毒素が回りすぎちゃったみたいだね。もう平気かな?」
フィオナは手をわきわきと動かしてみる。ちゃんと力も入るし、呂律も回る。身体中が熱かったのも、すっかり引いていた。
「大丈夫です。ご迷惑おかけしました」
「こっちこそ、ごめんね。あんなに早く酷くなるとは思わなくて」
フィオナがソファから起き上がると、作業台の横の椅子に、ピンク色の髪の少女が座っているのが目に入った。
「ルティ!」
そういえば、最初に蔦の所で放置されたっきり、会っていなかったと思い出す。
「よう、フィオナ。チューリップにやられたんだって。あれごときに、やられているようじゃ、この先勤まらないぞー」
情けなくて、下唇をきゅっと噛むと、シキがすかさず援護する。
「何言ってるの。チューリップ刈りまで辿りつけた新人なんて、今まで一人しか居なかったでしょう?しかもその一人も、チューリップ刈りのあと辞めちゃったし」
「フィオナだってこれで嫌になって辞めるかもしれないぞ」
ルティは本人を前に堂々と言い放つ。負けず嫌いのフィオナはこうまで言われては黙ってはいられなかった。
「辞めません!チューリップ刈りだって、ちゃんとやれるようになってみせます!」
「へえ、聞いたかシキ?」
「ええ、聞きました。フィオナ、君はやっぱり見どころがあるよ。頑張ろうね」
嬉しそうに、にこにこしているシキの後ろで、意地悪そうに、にやにやしているルティを見て、やられた、と後悔するフィオナだった。
「それじゃあ、午後は、リンドルグの実を取りに行こう」
昼食を終えると、シキはさっそく仕事の説明をする。
「あの、さっき私が倒れたせいで、チューリップ置きっぱなしにしちゃったのは、取りに行かなくていいんですか!?」
「ああ、あれはお手伝いさんに、運んで貰ったから大丈夫だよ」
「キノに?」
「いや、別のお手伝いさん」
話していると、自分の名前を呼ばれたのが聞こえたのか、二階からキノが降りてきた。
「ああ、キノ。ちょうど呼ぼうと思っていたんだ」
シキがそういうと、キノは首を傾げる。
「一緒にリンドルグの実を取りにいこうか」
シキがしゃがみこんで、キノに目線を合わせて微笑むと、キノはこくりと頷いた。
シキは誰にでも、こんなふうに優しいんだなあと感心してしまう。ちょっと天然な所もあるけれど、いい人だなと改めて思った。
背負えるようになっている籠を持って、森に入ると、いつものように蔦が挨拶しにくる。これにはもう慣れた。
「さて、リンドルグは今日はどこにいるかなあ」
シキがつぶやく。
「どこにいるかなって、どういう事?」
「リンドルグの木はね、活発でね。園内をいつも動き回っているんだよ。大抵は森の中にいるんだけど。たまに畑の向こうまで行っちゃうから、探すのに手がかかるんだ。近くにいれば動いている音がするからね。よく耳をすませていてね。チューリップ畑にいないといいね。ははっ」
シキの冗談にフィオナは真剣にそうならない事を祈る。本当にここの植物達は、尋常ではないものばかりだ。
耳をすませながら、さくさくと森を歩いていく。目の前には、シキがキノの手を引きながら、まるで兄のように、優しく話しかけている。
「キノ、午前中はだれかお客さんはきたかな?」
キノがうなずく。
「誰が来たかな?薬を買いに来た人?」
キノが首を振る。
「ああ、この前、器材を注文したから配達の人かな?」
キノがうなずく。
「そっかあ。器材はしまってくれた?」
キノがうなずく。
「ありがとう。他には誰か来た?」
キノが首を振る。
「そう。お留守番偉かったね」
なんだろう。見ているとほっこりしてしまう。フィオナはうっかり、二人の様子に和んでしまい、仕事をちゃんとしなくてはと切り替える。
今の所、特に大きな音は聞こえない。また蔦がやってきて、フィオナにいたずらをしてくる。
「こら、だめよ。今は仕事中なんだから。リンドルグの木を探さなくちゃいけないの」
やんわり叱ると、蔦は、ぴくりと動きを止めた後、向こうだ、というように、蔦の先端で指し示す。
「え?向こうに、リンドルグの木がいるの?」
蔦が、そうだ、というように、ぶんぶんと動く。
「シキー!待ってー!リンドルグの木は、向こうみたいですー!」
少し先に進んでしまったシキを慌てて呼び止める。
「物音が聞えた?僕には聞き取れなかったけど、フィオナは耳がいいね」
「いえ、そうじゃなくて、蔦があっちにいるって教えてくれて」
「え?」
シキは驚いたように蔦を見る。
「あっちにいるの?」
シキが蔦に尋ねても、蔦は動かない。
「あれ、あっちにいるんだよね?」
フィオナが尋ねると、ぶんぶんと蔦を動かす。
「どうやら、フィオナにだけ心を開いているみたいだね。僕もうここに十年いるけど、蔦がこんな風に人間に何かを教える所、初めてみたよ。やはりエルフの血が関係しているのかなー」
「どうなんでしょうか?ここに来るまでは、森にいても、そんな事はなかったんですけれど。あれ、今十年いるって言いました?」
「うん、そうだよ、ここに配属されて十年目」
「あの、シキって年はいくつなんですか?私より少し上くらいにみえるんですけど」
「僕?今年で二十八だよ。十八で王宮魔導士を受験して一発で合格したはいいんだけど、合格者の中で最下位だったんだ。それで生贄になった」
「二十八!?全然見えませんね。生贄って?」
「生贄のこと知らなかった?ここって新人が誰も来たがらないから、最下位の人が生贄として配属されるの。その最下位の人も本来ならギリギリ不合格になってもおかしくないっていう人を合格にして、すぐに辞められても困らない仕組みになってるわけ」
「初めて知りました……」
「今年の最下位の人はラッキーだったね。まさかここに志願する人がいるとは、魔導士長も、試験官たちも思わなかっただろうから。僕は出来が悪かったけど、案外ここに向いていたみたいで、それからずっとここで働いているんだ。僕は入った時は成績最下位だったけど、ここで働くようになってから、随分鍛えられて、今では多分王宮魔導士のなかでは五本指に入るくらいには優秀だと思うよ」
「私も、ここで働いていたら、そのくらい、いえ、王宮魔導士で一番に、いつかはなれるでしょうか?」
「君は元々が優秀だからね。きっとなれるよ。僕なんてすぐ追いつかれてしまいそうだ。ああ、でも、ルティに勝つのはなかなか大変かもしれないね」
「あ、そういえば、魔導士長が言っていたんですが、ルティが三百歳って本当ですか?さすがに冗談ですよね?」
「いや、本当だよ?今年三百歳のはず。今はまだ二百九十九だよ」
「ええええ!でも、子どもみたいに見えますけど!?」
「ルティは見た目を魔法で変えられるからね。今の見た目は僕の希望でああしてもらってるの。かわいいだろう?」
「え……。そりゃあ、可愛いですけど……」
にこにこと、キノと手をつないで歩いているシキを、ジトっと見ると、ふわりと微笑み返された。
話しながら、蔦の指した方へとしばらく歩いて行くと、今度は違う蔦が、あっちと指してくる。蔦同士の共通意識があるのか、フィオナがリンドルグの木を探していると知っているようだ。何度か違う蔦に案内されて、歩いていくと、ガサガサと大きな音が聞えた。
「どうやら本当にリンドルグの木がいたようだよ」
シキがフィオナに笑顔を向ける。音の方へ行くと、巨大な広葉樹が、ゆっくりと木々の間を縫って進んでいた。太い根をタコの足のように動かして歩いていく姿に目を剥いてしまう。
「大きい!」
「こんなに早く見つかるなんてね。嬉しいけどちょっとだけ嫉妬しちゃうよ」
ぷくっと頬を膨らませたシキに、フィオナはなんだかズルをしたような気持ちになる。
「そんな顔しないで。冗談だよ。毎回こんなに楽に見つけられるなら仕事が捗って助かるよ」
すぐにいつものふわりととした笑顔を向けられて、フィオナはほっとする。
「じゃあ、実を採ろうか。リンドルグの木は実を取られそうになると、子供が取られると思うようで、かなり抵抗してくる。だからうまく攻撃を避けて実をもぐんだ。まずは僕とキノでやってみせるからちょっと見ててね」
シキは、籠をキノに渡すと、箒を魔法で出して飛んでゆき、シキの背の五倍の高さはありそうな枝に、飛び乗る。リンドルグの木には、握りこぶし大の木の実がぶら下がっているのが見えた。
シキが枝を駆けて、木の実を掴もうとすると、長い木の根がシキ目掛けて鞭のように飛んでいった。
「シキ!」
思わずフィオナは叫ぶが、シキは分かっていたようで、ふっと笑うと、横の枝を掴んで身体を一回転させてかわし、そのついでとばかりに実をあっさりともぐ。
そして、すぐさまその実をキノに向かって投げつけた。
実はキノより少し離れた所に飛んでいったが、キノは見た目にそぐわない俊敏な動きでそれをキャッチすると、背中の籠に入れて、すぐにリンドルグの木の根から離れる。
そうする間にも、シキが次の実を投げて来る。さっと移動してキノはジャンプしてそれをキャッチする。そのキノを木の根が狙って来るが、キノの頭の双葉から緑色の蔓が伸びて、木の根に巻き付くと、それを利用して、リンドルグの射程外に着地する。
「すごい……」
物凄い数の木の根の攻撃を曲芸のようにかわしながら、二人はリンドルグの実を収穫していく。
「フィオナどう?こんな感じにやってみて」
木の上からシキの声がする。
こんな感じにって、とフィオナは顔を引きつらせる。元々森育ちで、風魔法を使って木の実取りなどをしていたので、高い場所への恐怖は無いが、あの無数の木の根をかわせるだろうかと、不安になる。
「フィオナおいで、ちゃんとサポートするから」
シキが再び木の上から呼び掛けてくる。フィオナは意を決して、箒を魔法で出すと枝まで飛び、乗り移った。下を見ると、無数の茶色の木の根がうじゃうじゃと、まるで大量のミミズか這っているからのように見えて、ぞっとする。
少し上の枝で、すでに敵と認識されて、木の根に追い回されているシキがいる。顔を向けると、シキが気づいて優しく微笑んで、うなずいた。
フィオナは周りをぐるりと見渡す。少し離れた枝にリンドルグの実がぶら下がっているのが見えた。木の根に注意して、集中し、実が付いている枝に飛び移ると、赤緑の実に手を伸ばした。その瞬間、一斉に木の根がフィオナに向かって伸びてくる。
フィオナは、風魔法と、己の身体能力を駆使して、なんとか木の根をかわすが、木の実までもう一歩で、手が届かなかった。
これは相当繊細な、風魔法のコントロール力が要求される、と冷や汗をかく。
もう一度今度はスピードを上げて、木の実に向かう。隣の枝を掴み、しならせて、木の根をうまく避ける。うまく身体を反転させて、木の実を掴んだ。
「やった!」
素早くその場から他の枝に飛び乗る。
「シキ!やった!とれたー!」
「早く投げて!」
そうだ、キノに投げなくてはと思った時、いつの間にきていたのか、木の根が足に巻き付いて、乗っていた枝からフィオナは引っ張られ、宙吊りにされる。そして宙吊りのままぶんぶんと振り回された。
「ひゃあああ!!!!」
「フィオナ、実を投げて、早く!」
フィオナは半分パニックになりながらも、木の実を投げる。キノがどこにいるかなど、確認する余裕もなかった。
木の実を投げると、振り回されていたのが止み、宙吊りのままぴたりと止まった。下でキノはちゃんとキャッチしてくれたようで、木の根の射程外で、かごに木の実を入れていた。
ほっとしたのもつかの間、ヒュンと音がしたかと思うと、足に巻き付いていた木の根が切断された。もちろんフィオナは落下していく。
「ひぃやあああ!」
風魔法で浮くか、箒を出せば良かったのだが、半パニックのフィオナは、呂律が回らず、そのまま落下していく。
ぶわっと風が巻き起こったと思ったら、箒に乗ったシキに抱きかかえられていた。
「大丈夫?」
「だ、だいひょうぶ……」
「あははっ。びっくりしたね」
シキは地面に降り立つと、ゆっくりとフィオナを下ろす。
「毎度毎度、助けてもらってすみません」
しゅんとうなだれるフィオナに、シキは優しく頭を撫でる。
「全然謝ることなんかないよ。むしろ、木の実を採るとろこまでは、凄く良かったよ。その後に、すぐにキノに投げなかったのが敗因だったね。リンドルグの木は、もがれた後すぐは、実を持っている相手に異常に反応して、実を取り返そうと襲ってくるからね。だから、実を採ったらすぐにキノに投げるんだ。多少変な所に投げても、キノなら大丈夫だからね」
「はい!」
「それから、もし捕まったら、多少なら木の根を切り落としても大丈夫。出来るだけ傷は付けたくないから、先端だけを狙えるようになるとより良いかな」
そういえば、さっきフィオナが捕まった木の根も、シキが切ったのだろう。うまく先端だけ切り落とされていたなと感心する。
太い木の根の根本から切ってしまったら、木にとってもそれなりのダメージになってしまうのは明らかだった。
「気をつけます」
「うん、じゃあ、もう一度採りに行こうか。危なくなったら助けるからね。でも僕もあんまり木の根を切りたくはないから、捕まらないように頑張ってね。今日のノルマは木の実五十個だよ。頑張ろうね」
シキは風魔法でふわりと木に戻って行く。
五十個……。
フィオナは一瞬遠い目で、リンドルグの木を見つめたのだった。