傷薬作成1
翌朝フィオナはいつもよりも早くベッドから起き出した。手早く着替えて支度を済ませると、いそいそとキッチンに降りていく。
調理台の上には昨日の夜から吸水させていたお米が置いてある。
早速火にかけると、その間に保冷庫から材料を取り出す。卵に鶏肉、それからミニトマト。
今日のお昼ご飯はお弁当にしようと考えたのだ。これなら、内緒でキノに頼めばシキに届けてくれるだろう。向こうで調理することもないので、匂いもしないし。
フィオナは、リザナに教えてもらった卵焼きを作っていく。本当は専用の長方形のフライパンがあると良いのだが、そんなものはないので、丸いフライパンで器用に作っていく。
アキ室長に頼んだら作ってくれるかな?
魔導具じゃないし、無理か。
出来上がった卵焼きを冷ましている間に、唐揚げを作る。鶏肉にハーブを振って衣を付けると、からりと油で揚げていく。
そうこうしている間にお米が炊き上がったので、少し蒸らしながら冷ましておいた。
リザナの得意料理の一つがおにぎりだ。お米を塩で握ったもので、中に色々な具材が入っている。
フィオナが特に好きだったのが、甘辛いミンチ肉が入ったものと、豆で作ったお味噌という調味料を塗って、焼いたもの。
この二つが特に好きだった。
この前の注文票にお味噌と醤油と書いてみたのだが、どちらも届かなかったのだ。
フィオナは悩んだあげく、保冷庫からサーモンを取り出して、フライパンで焼いていく。
焼いたサーモンを具にしても美味しいのだ。
サーモンのおにぎりを作りながら、フィオナはふふっと思い出し笑いする。
小さい時は三角にうまく握れなくて、リザナによく泣きついたものだ。
きれいな三角にできあがったおにぎりを皿に並べていく。
十個もできてしまった。
多かったかな?
フィオナは自分の朝食用に一つよけて、残りをバスケットに詰めていった。
シキの分だけ、小さめの四角い蓋付きのバスケットに個別に詰めて布を巻いて分からないようにしておく。
よし、これで準備万端!
フィオナはほくほくとしながら、ルティアナが迎えに来るのを待つのだった。
今日は、傷薬ポーションの作成だ。
ルティアナにポーション作りを教わるのは、なんだかとても新鮮でドキドキする。
「フィオナ、材料は揃ってるかい?」
「はい、魔力水に、ハシリドコロの花、ダマシハジキの果肉、ネズの葉の果肉、ドクロソウの実の粉末ですよね」
「うん、大丈夫そうだね」
ルティアナは作業台の椅子の上にぴょこんと座る。
「んじゃ説明するよ。傷薬は、作るまでに二段階それぞれ違う魔法陣で処理しなきゃいけない。まずこっちの魔法陣。これは傷を塞ぐための術式。んで、こっちが、身体の壊れた組織を再生させる術式。この両方の効果がきちんと作用して、初めて金のポーションといえる。今日はまず傷を塞ぐための術式をやろう」
「一日で両方の術式をやるわけではないんですね」
「そう、傷を塞ぐ術式をしたあと、十時間薬を馴染ませる必要があるんだよ。だから一日じゃあ完成しない」
「手間がかかるんですね」
「こんなのは手間というほどじゃないさ。蜘蛛の丸薬なんて、これの十倍は手間がかかるからね」
そういえば、丸薬を作るのに四日くらいかかったなと思い出す。それでも早く出来たと言っていたのだから、やはりここの薬というのは並大抵ではないのだなと感心する。
「じゃあ、まず魔力水。試験管に分量入れて、次にネズの葉の果肉」
ルティは半透明のぷるぷるとした果肉を、瓶からひとさじすくう。
昨日の午後フィオナが処理したのもだ。あの二十センチほどの長さのずっしりとしたネズの葉は、先端がほんの少しへこんでM字形になっている。そのへこみに、ナイフをあててトントンと叩くと、真っ二つに割れるのだ。そして、その葉の中に入っていたのが、そのぷるぷるとした半透明の果肉だ。
フィオナはそれをひたすら先の細い匙で掻き出すという作業を、夜中までやったのだった。
夜中までかかったのは、言うまでもなく、午前中にシキとの事で時間を取ってしまったからなので、自業自得だ。
ネズの葉の果肉を魔力水にいれると、魔力水の中で、ゆるいゼリー状の果肉がふよふよと浮いている。ルティアナはそれをガラス棒でひたすら混ぜた。
カチャカチャカチャカチャと、一分くらいひたすら混ぜただろうか。
ルティアナが手を止めると、果肉はまるで溶けてなくなってしまったかのように、試験管の中は透明だった。
「なくなりましたね」
「ひたすら混ぜると果肉は完全に溶けるのさ。ここがポイント。すこしでも果肉が残っていると失敗するからね。完全に溶かし切る事。溶けたと思っても、半透明だから結構分かりづらいんだよ。最低でも一分以上は混ぜる事だね」
フィオナはノートにメモをとる。
「それで完全に溶けたら、今度はドクロソウの粉。これはガラス棒の先に少し付けてかき混ぜる。これも完全に溶けるまで」
ルティアナは、ドクロソウの粉の瓶にガラス棒を入れて先端に少しつけると、試験管に入れてかき混ぜる。
「まあ、これは割とすぐに溶ける。十五秒くらいかねえ」
「ルティ、ドクロソウの粉は多すぎたりしたらまずいですか?棒に付きすぎちゃったら、少し落とした方がいいんでしょうか?」
「多少多くても大丈夫だけど、いっぱい入れたら溶かすのに時間がかかるし、この実は取ってくるの面倒だから、無駄遣いはやめてほしいね。だからといってあんまり少ないと失敗するから、棒の先端に薄くつく位は必ず入れる事」
「分かりました」
ルティアナは透明になった試験管に、ハシリドコロの花を二輪入れると、手をかざす。
「フィオナ、私の手に自分の手をあてな」
フィオナはルティアナの後ろから、腕を回して、手を合わせる。
なんだか、不思議だ。
シキの時はあんなにドキドキしたのに、ルティアナだと全然なんともない。
「魔力流すよ」
ルティアナの手にかなり大きい魔力が集まる。
それを一気に流すと、魔法陣がふわりと光って、試験管の中が淡い透明なピンクになった。
「結構魔力を流すんですね」
「そうだね、体力回復ポーションなんかに比べれば、魔力量は多いね。じゃあ、やってみな」
「あれ、ダマシハジキの実は入れないんですか?」
「これは今日は使わないよ。うっかり準備して貰っちゃったけどね。この実は明日の術式の時に入れるんだ。だから、今日ここまでやったら、ポーション瓶に移さないで、このまま試験管立てに入れておきな」
ルティアナは、十本ずつ立てられる、長方形の試験管立てを持ってくる。
「十本入れたら、上からゴミが入らないように、このカバーを掛けて、薬品用の保冷庫にしまう事」
「わかりました」
「じゃあ、やってみな」
フィオナはルティアナに習ったとおり、素材を入れてかき混ぜていく。
完全に透明になった魔法水に、ハシリドコロを二輪いれると、試験管に手をかざした。
横でルティアナがじっと見ている。
フィオナはさっきの魔力量を頭の中に思い描き、手に集めていった。
ふと、ルティアナの手がフィオナの手に重なり、ビクッとなる。
「続けな」
魔力が集まると、フィオナはそれを魔力水に向けて一気に流し込む。
パッと水の色が真っ赤に変わった。
「あれ!?」
試験管の中の水は透明ではあるが、ルティアナの作ったものよりはるかに濃い色で、そしてなぜか赤いハシリドコロの花が、色が抜けたように白っぽくなっていた。
「あんた魔力強いねえ。さすがと言うべきなのか」
「ルティ、これ失敗ですよね?」
「うん、失敗。なんで失敗したか教えてやろう」
「はい」
ルティアナは、新しく試験管に調合していくと、ハシリドコロを二輪入れて、手をかざした。
「最初に手に集める魔力の量は良かった。だが、流し方が悪い。例えるなら、細い注射針を腕に刺して、液を注入するとき、程よい加減ってあるだろう。勢い良く一気に押し込めば痛いし、ほんのちょっとずつ、ちびちび押し込んでいたら、いつまでも針が刺さってて痛い。さっきあんたがやったのは、一気に流し込むって感じだねえ」
「それは魔力を流すスピードって事ですか」
「そうだけど、それだけとも言えない」
「魔力回復ポーションの時は、多分今みたいにしたんだろう?」
「そうですね。シキに料理でいうと、高火力でさっと炒める感じって言われました。ただ魔力の量はもっと少なかったです」
「ああ、なるほどね。傷薬はそのやり方だとだめなんだよ。さっきもいったけど、細い注射針で程よくなんだ。フィオナ、いつもこの魔法陣の上に試験管を乗せてやるだろう。このほそく細かい術式を一本の魔力の線でなぞるように、そして、魔法陣が描き終わったら、そこから魔力水に向けて均等に魔力が流れるようにするんだ」
「な、なんだか難しいですね」
「実際にやってみよう」
ルティアナは調合した魔法水を手元に引き寄せる。だが、魔法陣の紙を下に敷いていない。
「ルティ?魔法陣は?」
「なくて平気だよ」
ルティアナが、手をかざして魔力を込めると、試験管の下に淡い光の魔法陣がふわっと浮かび上がる。
「え!?」
そして、その魔法陣から、上の試験管に向かって魔力が流れていき、魔力水の色が淡く変わる。ルティアナが手を離すと、魔法陣はすっと消えていった。
「ルティ!?なんですか!?今の!」
「そもそも、本来は呪文や紙に書いた魔法陣なんてなくても、頭の中で術式がしっかり組み立てられていれば、魔力だけで魔法は発動するんだよ」
「私今まで、ポーションは魔法陣がないと作れないと思ってました」
「まあ、薬室でさえ、魔法陣を使ってるからねえ。いちいち、魔法の根本たる術式を一つ一つ覚えて組み立ててなんて面倒な事するやつはよっぽどの変わり者か、開発室の奴らくらいなもんだろう」
「ルティ!私その術式についても勉強したいです!」
ルティアナは、目をぱちくりとさせると、ふんと鼻で笑った。
「そうだねえ。三ヶ月後もまだここにいたら教えてやるよ。どうせ、今は他に覚える事がいっぱいあってそれどころじゃないだろうからねえ」
「本当ですか!?約束ですよ!」
「分かったよ。とりあえず今は傷薬だ。これが出来なきゃ話しにならないからね」
「はいっ!」
フィオナは魔法薬を調合してから、試験管に手をかざした。
ちらりと魔法陣を見る。
さっきのルティアナが発動させた魔法陣が鮮明に頭の中に残っていた。
紙に描かれた魔法陣を見ずに、ルティアナの用に魔法陣を発動させるようなイメージをする。細い魔力の線で細かいラインを描くように。
そうしてから、均等に試験管に行き渡るように流す。
手を離して試験管を見ると今度は少し色が薄い気がする。
「もう少し強めに流しても大丈夫。だけど焦らずに」
「はい」
そうやって、ルティアナの指示を受けながら奮闘し、十本目にしてようやく成功する事が出来た。
「これは、なかなか難しいですねっ」
「慣れちまえば簡単さ。とりあえず今日は夜までひたすらこれを作って身体で覚えな。そうだね五十本は最低でも作ってもらおうかね」
「はいっ!」
「じゃあ、頑張りな。私は上にいるからね。あ、お昼ご飯が出来たら呼んでくれ」
「ルティ、今日はお昼ご飯はお弁当を作ってみたんですよ。だからお昼時、好きな時間に来てください」
「お弁当?」
「お米でおにぎりを作ってみたんです。私あれ、大好きなので」
「おにぎり!?へえっ、楽しみだね!じゃあ、昼時になったら降りてくるよ」
「はい」
ルティアナが二階に行ってしまうと、フィオナはひたすらポーションづくりに没頭した。
傷薬は、体力回復ポーションや、魔力回復ポーションに比べて、何倍も難しいし、手間がかかる。
これは時間がかかりそうだと、フィオナは気合を入れて、素材を調合していった。
十本ほど作り終わった所で、キノがてこてこと作業場に入ってきた。
キノはフィオナをじっと見て、両手を広げる。
「魔力かな?」
キノがうなずいたので、フィオナは抱き上げてキノに魔力を与えていく。しばらくすると、キノが口を離した。
「ねえ、キノ。シキは元気にしてる」
キノはうなずかない。
「元気じゃないの!?」
今度は慌てて首を振る。
どっちなのだろう。心配になってきた。
フィオナは声を落として、キノにお願い事をする。
「ねえ、キノお願いがあるの。ルティには内緒で、シキにお弁当を持っていってもらえないかな。私は明後日までシキに会っちゃいけない事になってるから」
キノはぱっと目を見開くと、口を笑みの形にしてうなずく。
フィオナは、キノと一緒にそっとキッチンへ行くと、布で包まれたバスケットをキノに渡す。
「お願いね」
小声で頼むと、キノは再び口を笑みの形にして、地下へと降りていった。
フィオナはついでに、キッチンでお茶を淹れて、気分転換すると、再びポーション作りへと戻ったのだった。