新しい指導係
ぼんやりと目を覚ましたフィオナは、何か暖かいものを握りしめている事に気づいた。暖かいそれをぎゅうっと抱きしめて、頬にすり寄せる。
ぴくりとその暖かいものが動いて、フィオナの意識は急激に覚醒していった。
ぱちりと目を開くと、大きな手を握りしめていた。そして、その手の持ち主に視線を向けると、椅子に座って、ぼうっとフィオナを見ているシキがいた。
「シキ!?」
ぱっと手を離すと、わたわたと毛布を掴んで起き上がる。
「おはよう、フィオナ」
ふわりと微笑んだシキの顔が、明らかに疲れていた。
今まで、仕事で寝ていなくてもこんな顔をしているシキは見たことがない。
「シキ!?私、シキの手を掴んだまま寝てたんですか!?」
「うん」
「ご、ごめんなさい!シキ、寝てないですよね!?」
「うん、それはいいんだ」
「本当にごめんなさい!」
「なんで、フィオナが謝るの?むしろ、謝るのは僕の方だと思うけど……」
シキがなんだかつらそうな顔をする。
私は一体昨晩シキに何をしたんだろう!?
アケビ酒を飲んだあとから全く記憶がない。
「シキっ、私、昨日、何かしましたか!?なんでそんな顔をするんですか!?」
「なんでって……」
「ごめんなさい!私アケビ酒飲んでから後、何も覚えていなくて、シキに迷惑かけたんですよね!?あ!アキ室長は!?私、アキ室長にも何かしましたか!?」
「え?覚えてないの?」
「はい……」
しょぼんと声を落とすと、シキがもう一度尋ねてくる。
「アケビ酒を飲んだ後から?」
「はい」
「この部屋に来てからの事は?」
「ごめんなさい……。覚えてません。何やらかしたんですか?」
泣きそうな声で尋ねると、シキが下を向いて思い切り息を吐き出した。
そんなにひどい事したの!?
顔を上げたシキは、あきらかにほっとしたように肩をで息をつくと。フィオナの頬に手をあてて、微笑む。
「そっか、覚えてないか。うん、ならいいんだ。それより具合はどう?頭はもう痛くない?」
「え?え?シキ、昨日の事は……」
「それはもういいよ。大丈夫、酔って寝ちゃっただけだから」
「じゃあ、なんでさっきあんな顔してたんですか?絶対私何かしましたよね!?」
「してないよ。おへそ出して寝てたくらいしかしてないよ」
にこにことシキが頭を撫でてくる。
「シキ、お願いだから教えてくださいっ」
「教えたら、フィオナ絶対恥ずかしがるよ?心臓止まるかも。それでもいいの?」
「え……」
本当に何したの?
「嘘だよ。自分で服脱いで寝ちゃってたから、ちょっと直しただけ。その後頭痛いって、苦しそうだったから、心配してたんだよ。もう大丈夫?」
「私まさか、全部脱いで寝てたんですか!?」
全裸で寝ている所を、シキに着替えさせられた!?
「違うよ。シャツのボタン外しておへそ出して寝てたの。それより具合は?」
全裸ではなかった……。よかった。
「だ、大丈夫です。全然、どこも痛くもないし、気持ち悪くもないです」
フィオナがふとベッドサイドを見ると、金のシールがはがされたポーションが置いてあった。
「シキ、もしかしてポーション飲ませてくれたんですか!?」
「え!?」
シキはベッドサイドの空になったポーション瓶に気が付いて、慌てて、ポケットにしまう。
「あー、うん。あんまり辛そうだったから。ごめんね」
「なんで謝るんですか?謝るのはこっちの方です。また貴重なポーションを無駄にしちゃって。私、その分働いて返すので!」
フィオナはベッドから勢いよく起き出す。
「ポーションなんて気にしなくていいよ。大丈夫そうなら、シャワーでも浴びてきたら?ご飯作っておくから」
「はい、すぐに浴びて、朝食作るの手伝いますね」
ほっとしたように笑って、出ていくシキを見て首を傾げた。
朝起きた時、なんだかひどく元気がなかったように見えたのは、心配していたからだったのだろうか?それだけのようには見えなかった。
やはり夜中にシキに何かしら迷惑をかけてしまたのだろう。
手を握ったまま眠ってしまうのも、相当迷惑だろうが、シキならそのくらいではあんな顔はきっとしないだろう。
でも、これ以上聞いてもきっとシキは話してくれそうもない。
それならせめて仕事で返そうと、フィオナは、気合を入れるのだった。
☆
「午前中は畑の管理に行こう。そろそろ糖度が下がってきているかもしれないから、マッド君三号に肥料を持たせようか」
フィオナはいつもと変わりない困り顔のマッド君三号を呼ぶと、倉庫から肥料を取り出して持たせ、シキを呼びに戻った。
「シキ準備出来ましたよ。畑に行きましょう」
「うん、今日はフィオナ、一人で行ってもらおうかな」
「え?一人で出歩いていいんですか?」
「そろそろここにも慣れてきただろうし、絶対にいつもの道をそれなければ、チューリップ畑の往復は一人で行ってもいいよ。その代わり、一人で行くときは絶対にマッド君かキノを連れて行く事。あと行く前に僕かルティに言ってから行く事」
「はい!」
「じゃあ、畑に付いたら、糖度チェックをしてノートに記入。それから肥料が必要だと思う所に肥料をあげて。どのくらいあげたかもノートに書くようにね。それが終わったら水やりをして帰ってきて」
淡々と指示をするシキに、フィオナは少し不安になる。
「肥料の量は私が決めてもいいんですか?」
「うん、この前一緒にやった時、肥料の量を決めてもらったけど、ほぼ合ってたからね。心配なら少し少なめにあげるといいよ。多すぎるよりは、少ないくらいの方が調節がきくから」
「分かりました」
「はい、あとこれ」
シキから、上級解毒ポーションとフィオナの失敗作の上級魔力回復ポーションを渡される。
「蜜の催淫が回って来ちゃったら、動けなくなるギリギリ前に飲む事。それと、水やりの途中に魔力回復ポーションを飲む事。いいね」
「はい!」
フィオナは力強く返事をする。
自分が畑の管理を一人できちんと出来るようになれば、シキの仕事がだいぶ楽になるはずだ。
「シキ、私頑張りますね!じゃあ行ってきます!」
やる気をみなぎらせてそう言うと、シキはいつものように微笑んでくれたが、やはり少し元気がないように見えた。
「気をつけていってらしゃい。何かあればマッド君ね」
「はいっ!」
フィオナはマッド君三号と一緒に管理棟を出た。扉を閉めるとき、ちらりとシキを見ると、やはり疲れたような顔で、二階に上がって行くのが見えた。
どうにもシキの様子がおかしい気がする。
さくさくと落ち葉を踏みながら、マッド君三号と歩いていると、フィオナはふと、カバンに水筒を入れ忘れている事に気づいた。お気に入りのハーブティーを畑で飲もうと、準備して、研究棟のキッチンに置きっぱなしだった。
まだ歩いてすぐの場所だったので、フィオナはすぐさま引き返すことにした。
研究棟に戻り、作業場に入ると、そこには誰もいなく静まり返っていた。さっきシキが二階に上がっていくのが見えたので、きっとルティの研究室にいるのだろう。キッチンに行くと、やはり水筒が置きっぱなしになっており、フィオナはそれをカバンに入れる。
作業場を通って、外に出ようとすると、二階の部屋から、ルティの怒鳴るような声が聞こえてきて、フィオナは思わず足を止めた。
「フィオナの指導係を代わって欲しいだあ!?」
かろうじて聞こえた話の内容に、心臓が止まりそうになる。
フィオナは二階を見上げると、勝手に足が階段を上っていた。
扉の向こうから、シキの声がする。話の内容がどうしても気になって、フィオナはいけないと思いつつも、扉に耳を押し当てていた。
「お前が責任もって見るって最初に言ったんだろう!」
「そうなんだけど、少しの間だけでいいから」
「ちゃんと理由を言いな」
シキはなかなか話し始めない。
フィオナの心臓がどくんと大きく嫌な音を立てた。
やはり、昨晩フィオナはシキが指導係を代わって欲しいと言うほどの何かをしてしまったのだろう。
「なんだい、早くいいな!」
「昨日の夜、酔ってフィオナに手を出しかけた」
フィオナは扉に耳をあてたまま硬直した。
「はあ?お前、女に興味なかったんだろう?」
「そうなんだけど、昨日、酔って寝ちゃったフィオナの様子を見に行ったら、目をさましたあの子が、アルトとは付き合ってなくて、僕にポーションを飲まされるのは嫌じゃないとか言い出して」
「全然話が分からないだけど?」
「フィオナと騎士団のアルトってやつが王宮内で付き合ってるって噂になっているらしいんだ。この前フィオナが配達に行った時に、アルトに詰め寄られていたって話を、アキが持って来たんだよ。それを本人は気にしていたみたいで、酔ったフィオナが一生懸命に言うんだよね。僕がいつも動けなくなったフィオナに口移しでポーションを飲ませているのを、嫌々されているんじゃないかって、アルトに迫られてだけだって。だから違うと説明したし、嫌じゃないって」
「それで?」
「飲みすぎて頭が痛いっていうから、ポーションを渡そうとしたら、嫌じゃないから飲ませて欲しいってせがまれた」
フィオナは一気に身体中が熱くなっていた。それでも話を聞くのをやめられない。
「そんなのお前とフィオナはいつもの事だろう」
「そうなんだけど、僕も酔ってて、いつもなら動けなくても自分で飲むっていうくせに、あんな顔で飲ませて欲しいっていうから……。それに飲み終わっても、もっと欲しいみたいな事言うし。なんていうか魔がさして、つい……キスしてた」
心臓が破裂しそうなほどに、どくどくと音を立てる。
「何を今更そのくらいで。この前なんか一緒に寝てたじゃないか」
「一緒に寝てたけど、別にやましい気持ちはなかったし、手を出したいなんて思ってもなかったよ」
「へえ、今回はそうじゃないと?」
「そうだね。あー、なんでだろう。自分でも分からないよ」
「別に最後まで手を出したわけじゃないんだろう?それでフィオナは?」
「手はだしてないよ。フィオナは起きたら覚えてなかった」
「じゃあ、別にいいだろ」
「いや、僕がよくない」
「なんでさ。また手を出しそうになるってか?」
「そうじゃなくて、すっごい罪悪感でまともにフィオナを見れない」
「二、三日離れた所でその罪悪感がなくなるのかい?」
「わからない」
「三日後にまだお前がフィオナに対して、まともに接することが出来ないと思たらどうするつもりだい?」
「その時は、正式にルティに指導係を代わって欲しい」
フィオナは全身から血の気が引いて、指の先が冷たくなっていく。
「本気で言ってるのか」
「もちろんだよ。僕さ、昨日の夜思ったんだよね。もし朝起きてフィオナが、そのことが原因で転属したいって言ったらどうしようって。でも、起きたら全然覚えてなくて、その時はすごくほっとしたのに、でも取り返しのつかない事しちゃったって罪悪感はどんどん大きくなっていくんだよ。フィオナに知れたら絶対転属するっていうと思って黙ってる僕は卑怯者だよ。それなのにあんなにきらきらした目で頑張って仕事するって言ってるあの子見てたら、なんか自分が指導係だなんて、おこがましく思えて」
「ふうん……。まあ、お前がどうしても無理だと言うなら、私が代わりにやってやってもいいよ」
ルティアナの言葉に、フィオナは扉から離れると、そっと階段を下りた。心臓が自分の物ではないみたいに、どくんどくんと嫌な音を立たている。動揺しすぎて、足がもつれてしまい、思わず階段を踏みはずしてしまって、残り少ない段数を盛大に転げ落ちた。
「いったああ……」
思い切り膝をぶつけてしまい、痛さにうずくまる。
「フィオナ!?」
二階のルティの研究室の扉から物音に気づいたシキが出てきて、目を丸くしてフィオナを見ていた。
フィオナは混乱していて、まともにシキの顔が見れず、痛いのを我慢して、立ち上がると、研究棟を飛び出して、走り出していた。
じんじん痛む膝を少し引きずるようにしながらも、チューリップ畑に向かって無我夢中に走った。
チューリップ畑につくと、荒い息でしゃがみ込んで芝生の上にうずくまる。がさがさという音にびくりとして顔を上げると、フィオナに置いていかれたマッド君三号がやっと追いついて到着したところだった。
抱えた膝を見ると血がにじんでいた。
どおりで痛いと思った。
「痛い……」
そう呟くと、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
涙を流したくなくて袖で拭うと、芝の上に仰向けに転がり、腕で目を覆った。
しばらくそうしていると、ふわっと風の舞い上がる感覚がして、かさりと芝を踏む音が聞こえた。
シキ!?
フィオナはがばっと身を起こす。
フィオナの予想とは裏腹に、目の間にピンクのツインテールの少女が立っていた。
「ルティ!」
ルティはフィオナの横にきて手を腰に当てると、にっと笑った。
「さ、今日から私があんたの指導係だよ!」