マムシソウ
「きゃあああああああ!!!!」
フィオナが叫ぶと、蛇は足首から口を離し、草むらの中へと、逃げていった。
「フィオナ!?どうしたの!」
シキの叫び声がする。
どうしよう!?
とりあえず服を着ないと。
左の足首を見ると、二つ針で挿したような赤い咬み傷がついていた。
とりあえず下着だけでも、とカバンに手を伸ばすと、咬まれた左足に激痛がはしり、痺れてだしてしまった。
足を動かしただけで、針の上を歩くように痛み、その範囲がみるみる広がっていく。
あ、これ、まずい奴かも。
フィオナはもう服は諦めて、なりふり構わず叫んでいた。
「シキ!シキっ!蛇に咬まれた!」
叫んだと同時にフィオナは地面に倒れ込む。
なんとか動く腕で、身体にタオルを巻きつけて隠せたので、それだけはほっとする。
すぐにシキは走ってくると、タオル一枚で地面に倒れていてるフィオナに驚く。
「どこ!?」
「あ……、し」
すぐに舌まで痺れてきて、絞り出すように声を出した。
シキは、フィオナの足首を見ると、眉をひそめて、すぐにカバンからポーションを取り出した。痺れて動けなくなっているフィオナを抱き起こすと、ポーションを口に含み、フィオナの唇を塞さぐ。
シキがポーションを飲ませようとしてくれているのに、舌も喉もしびれて飲み込めず、口の端からポーションが溢れてこぼれていってしまった。シキはすぐに気づいてポーションがこぼれない様に、フィオナの唇を強く塞ぐと、指でフィオナの鼻をつまんだ。
フィオナは息が出来なくて、苦しくなり反射で、ポーションを飲み込み、むせた。
「フィオナ、頑張って」
シキは少し怖いくらい真剣な目で、フィオナを覗きこむと、ポーションを口に含んで再び口を塞ぐ。
最後のポーションを飲み込んだ時、フィオナは、苦しさに盛大にむせた。
「よく、頑張ったね」
シキはそう言ってフィオナの頭を撫でてくれるが、すぐに顔を曇らせる。
「フィオナ、とりあえず時間稼ぎで解毒ポーションを飲ませたけど、この蛇の毒はかなり強力で血清を打たないとだめなんだ。すぐに研究棟まで行こう。ちょっとした揺れでも足が痛いと思うけど、我慢してね」
フィオナは、舌が痺れてしまっているので、答えられなかったが、目だけでシキをじっと見て答える。
シキはタオル一枚姿のフィオナを、なるべく優しく抱き上げる。
抱き上げられる振動でほんの少し足が揺れただけで、太い針でザクザクと刺されているかのような痛みが走った。
ポーションのおかげで痺れは少しマシになった分、痛みがさらに強調されて感じた。
思わず顔をしかめてしまい、シキが心配そうな顔で見つめる。
「ごめんね、フィオナ。急ぐから箒で行くよ」
シキは箒を出すと、そこにフィオナを抱えたまま横座りになり、なるべく足に負担にならないように、少しずつ加速していく。
それでもほんの少しゆれたり、風圧が足にかかるたびに、フィオナは耐え難いほどの激痛を味わった。
痛みで下まぶたに涙が溜まっていく。
飛んでいた時間はおそらく五分程度だったのだろうが、フィオナには永遠とも思えるほど長く感じた。
研究棟に到着すると、シキは中に向かって叫ぶ。
「キノ!扉を開けて!」
シキの声を聞いて、キノがすぐに扉を開けて出てくる。キノは、痛みでぐったりとして抱かれているフィオナを見て、目を大きく見開いた。
シキは、なるべく振動がないように、中に入りながら、キノに指示を出す。
「キノ、マムシソウの血清を準備して」
マムシソウ!?蛇ではなく、植物だったのかと驚く。
キノはすぐさま血清を取りに飛んでいく。
シキはソファにそっとそっとフィオナを横たわらせるが、やはり、ソファに足がふれただけで、猛烈な痛みに襲われて、涙がこぼれる。
「痛かったよね、ごめんね。フィオナ」
シキがすまなそうに、フィオナをのぞき込むと、足に目をやり、顔をしかめた。
自分では足首の様子がよく見えないのだが、シキの様子からして、きっと腫れ上がっているのだろう。
キノがトレーに注射器と小さな小瓶を持ってやって来た。
シキは慣れた様子で、注射器に瓶の液体を注入すると、フィオナの腕を消毒して、針を刺し血清を打つ。
そこまで済ますと、シキはほっとしたように、フィオナに微笑んだ。
「これでもう大丈夫だよ」
まだ足には激痛が走っているが、フィオナもシキの顔を見て安心する。
シキが大丈夫というのだから、大丈夫なのだ。
「騒がしい声が聞こえたけど、何かあったのかい?」
顔を向けられないがルティアナが二階から降りてくる足音がした。
「ルティ、フィオナがマムシソウに咬まれたんだ」
「マムシソウ?お前らダマシハジキを取りに行ってたんじゃなかったのかい?血清は……、打ったみたいだね」
ルティアナは、テーブルの上に置いてある、注射器と小瓶をちらりと見る。
「ダマシハジキの畑の横で咬まれたんだよ。ルティ、見回りの時は異常はなかった?」
「いや、なかったねえ。それはちょっと変だね。少し見てくるとしようか。もしかしたらマムシソウが増えすぎてるのかもしれないね。それより、シキ」
「なに?」
「フィオナに何か掛けてやりな。年頃の娘の胸がはだけてるのに、本当にお前は無神経だね。それにあんたも上着くらい着てきな」
え!?
「あ、本当だ。血清を打つことばっかり考えてたよ。キノ、フィオナに毛布を掛けてあげて」
シキは、さっとフィオナの胸元のタオルを直すと、何事もなかったかのように奥の部屋へと入っていった。キノはすぐに毛布を持ってきてフィオナの身体に掛けてくれる。
ちょっと、待って。
ええええええええ?
えええええええええええ!?
もしかして、ずっと胸丸出しだった!?
フィオナは、ボンっ!と顔が熱くなる。
シキに胸見られてた!?いつから!?というか今、胸元のタオルを堂々と直していったよね!?
あたまがぐるぐると混乱する。
すこし経ってから、シキが着替えて戻って来た。
シキの顔を見た途端、恥ずかしさが一気に爆発して、逃げ出したいのに、身体が動かなくてどうにもできず、みるみると、目に涙がたまっていく。
「ほら、みろ。フィオナが泣きそうになってるじゃないか」
ルティアナがやれやれといった様子で肩をすくめる。
「もう、ルティが言わなければ、フィオナも気づかなかったのに」
しれっと言うシキに、ますます涙がふくらんでいき、ついに、ぽろりと溢れだす。
「さーて、マムシソウの様子でも見てくるか」
ルティアナはそんなフィオナをちらりと面白そうに見てから、さっさと研究棟を出ていってしまった。
ルティアナが出ていってしまうと、シキがソファの横にひざまずいて、困ったような顔でフィオナを覗き込む。
「ごめん、フィオナ。本当に血清を早く打たなきゃって、他の事に気が回らなかったんだ。ごめんね」
頬の涙を拭いながら、シキはじっとフィオナを見つめる。茶色の目が困ったように、揺れる。
そんな風に言われたら、怒ることなんてできやしないじゃないか。
それにシキがわざとやった事ではないのくらいは知っている。
ただ恥ずかしくて、自分でもどうしようもないだけなのだ。
まだ身体が動かなくて、何も言えないのに、一度出始めた涙だけなかなか止まってくれない。
シキはますます困った顔で、フィオナの頭を優しく撫でて、頬の涙を拭ってくれる。
優しくされればされるほど、なぜか涙が止まらなくなってしまう。
「ああ、どうしよう。フィオナ、泣かないで。どうしたら泣きやんでくれるかな」
おろおろと困っているシキは、なんだか可愛くて、少し動くようになってきた、口を微かに動かして僅かに微笑む。
「あ、少し笑ってくれた?よかった。本当にごめんね」
やっとおさまってきた涙の最後の一筋を、シキが優しく拭う。
「シ……キ」
「少し声が出るようになってきたね。よかった。徐々に痺れも痛みも取れるからね」
シキはそう言ってふわりと微笑む。
「フィオナは本当に恥ずかしがり屋だね。泣くほど恥ずかしかったの?」
フィオナがほんの少しうなずくと、シキがくすりと笑う。
「でも、ダマシハジキの実を獲っている時から、結構丸見えだったから、そんなに気にする事ないのに」
さらりと言うシキに、フィオナは再び目に涙を溜めたのだった。
一時間ほどでフィオナの身体しびれはすっかりと良くなり、足の腫れも引いてきた。
痛みはもうない。
「よかった、足の腫れ引いてきたね」
シキがフィオナの足首を優しく掴んで、状態を調べている。
なんだか、シキを直視出来ずに、曖昧に返事をすると、そっと足を離されて、代わりに頬に手を伸ばされた。
どきりとして、顔を背けようとすると、両手を頬に当てられて、阻止されてしまった。
シキが顔を合わせて、じっと見つめてくるので、思わず視線を下に逸らすと、優しく尋ねられた。
「フィオナ、僕の事嫌いになった?」
思ってもない事を言われ、驚いてシキの目を見てしまうが、まっすぐな視線に耐えきれずに、また視線をそらしてしまう。
「ち、違うっ」
「じゃあ、どうして、目を逸らすの?」
フィオナの心臓がどくどくと音を立て始める。シキはいつもこうやって逃してくれない。
「は、恥ずかしくて……」
「まだ怒ってる?」
「怒ってない」
「じゃあ、こっち見て」
フィオナがおずおずと、視線を合わせると、優しく、だけど寂しそうに見つめられる。
「フィオナ。お願いだから避けないで」
そんな顔でそういう事を言うのはずるい。
逃げられないではないか。
フィオナがちゃんと目を見てうなずくと、シキはほっとしたように微笑む。
「じゃあ、もう少し休もう。足の腫れが完全に引くまでね。僕は少し他の仕事をしてくるよ」
シキがソファを離れると、今度はキノが側にやってきて、双葉の間から伸ばした蔓で、フィオナの頭を撫で始めるのだった。
フィオナの足の腫れがすっかり引いた頃、ルティアナが帰ってきた。
早速シキが尋ねる。
「ルティ、マムシソウどうだった?」
「それがさあ!A区画にマムシソウがうじゃうじゃだったよ!あははは!適当に減らしてきた」
「どうしてそんな急に?昨日の夜は何でもなかったんでしょう?」
「そう!それなんだけどさ、昨日A区画に、試しに新しい魔植物を植えたんだよ!その時にちょっと多めに肥料をあげたんだけど、それが昨日降らせた雨でマムシソウのエリアまで流れたんだろうね。昨日はフィオナが見に来てたから、ちょーっと調子に乗って雨を振らせ過ぎたしね!あはははははっ!」
フィオナはルティアナに冷ややかな視線を送る。けれどルティアナはそんな視線はものともしない。
「なるほどね、原因がはっきりしてるならいいんだ。フィオナの足首の咬み傷を見て、びっくりしたよ。特区の植物がなんでこんな場所にって」
「増えすぎて、特区から脱走したんだろうねえ。特区から手前のエリアに確かに一株マムシソウがいたよ。それはちゃんと捕まえておいたから、大丈夫だよ」
「そう、ならよかった」
ルティアナはフィオナが横になっているソファに来ると、ひょいっと足首を掴み上げる。
「ルティ!?」
「もう腫れは引いたね。これならもう大丈夫だろうよ。しかし、マムシソウに咬まれるとは危なかったねえ!あれ、耐性ない奴は十分以内に血清打たないと、心臓まで麻痺して死ぬからねえ!あははっ!」
フィオナは今更ながら恐怖に血の気が引いてくる。
「か、咬まれてから、ここに来るまで十分くらい経っていたいた気がするんだけど……」
「時間稼ぎに、すぐに特級解毒ポーション飲ませたからね。それに僕が側にいる限りは、フィオナを死なせたりしないよ」
「シキもすっかり指導係りが板についてきたじゃないか。うんうん、これからも任せたからね」
ルティアナはツインテールをひょこひょこ揺らしながら、機嫌よく二階へと上がっていった。
ルティアナが二階に行ってしまうと、シキがフィオナの側にやってきて、足を見る。
「うん、もう良さそうだね。すっかり腫れも引いたみたいだ」
足をみてにこりと微笑むシキに向かってフィオナは情けない声を出す。
「シキ……」
フィオナの声を聞いて、シキはすぐにフィオナの横にかがんで心配そうに顔をのぞき込む。
「どうしたの?まだ痛む?」
「ううん、シキ。私、マムシソウがそんなに危険な植物だって知らなくて、シキが急いで連れてきて血清を打ってくれたのに、ちょっと、裸を見られたくらいで、動揺して、避けたりして、ごめんなさい……」
フィオナがたどたどしくも、シキの目をしっかりと見て伝えると、シキは少しだけ目を見開いてから、とても嬉しそうに微笑んだ。
「フィオナ。いいんだよ。僕も気が付かなくて悪かったんだ。さ、立てるかい?」
シキの差し伸べられた手を、少しためらってから掴むと、ゆっくり立ち上がった。
「大丈夫そうだね。じゃあ、ダマシハジキの収穫に戻ろうか。どうする?そのままの格好でやる?どうせ溶けちゃうし」
フィオナは、はっと自分の姿を見る。
よく考えたらまだタオル一枚の格好だったのだ。
フィオナは真っ赤になりながら、慌ててバスルームに駆け込むのであった。