傷薬(ダマシハジキの実)
それから三時間、森の中で無数の妨害を避けて、ハシリドコロを追い回し、やっと百五十個花を摘み終わった時には、フィオナは地面に突っ伏していた。
「ひいっ、はあっ、はあっ、やっと、終わったー!」
「フィオナお疲れ様」
シキが優しく微笑んで、頭を撫でる。
フィオナは服が汚れるのも構わず、ごろんと仰向けに寝転がった。まだ息が上がったままだ。
身体中の筋肉が痛い。魔力もかなり消耗している。それに、森の中で蔦達から逃げ回っていたせいで、枝にあちこち切り傷や、擦り傷だらけだ。
「フィオナ、手当しないとね。傷だらけだよ。ふふ、傷薬の効果を身を持って体験出来るね」
シキはカバンから傷薬のポーションを取り出す。フィオナは疲れて、虚ろな目でその瓶を見る。金色のシールできちんと蓋が止めてあった。
「シキ、それ、ちゃんとした金の傷薬なんですよね?」
「そうだよ?」
「勿体無いです。私、薬室のポーションで大丈夫ですよ。むしろ、このくらいの傷なら、絆創膏でも貼っておけば大丈夫です」
「だめだよ」
「でも、これから沢山必要になるんですよね?」
「そうだけど、それを作る人が怪我をしてたらだめだろう?」
こういう時のシキは、フィオナがいくら言っても聞いてくれない。
このまま、ゴネていると、また口移しで無理やりというパターンになりそうだ。
フィオナはあっさりと諦めて、素直にポーションを受け取る。
「じゃあ、ありがたく頂きます」
フィオナがポーションを飲むと、あっと言う間に全身の傷が塞がっていく。痛みもすぐに消えて、怪我なんてまるでどこにもなかったかのように、きれいに消えてしまった。
「すごい!」
「うん、軽症の傷だと、あっという間に治っちゃうんだ。自分で飲んで体験してみるのも、大事な事だよ」
その通りだなと、フィオナは自分の傷の消えた腕を見て納得する。
「じゃあ、帰ってお昼にしようか」
「はい」
フィオナは立ち上がろうとして、膝がかくんと落ちた。
「シキ、もう少し休んでからでもいいですか?」
「じゃあ、体力回復ポーションをあげるよ」
「いいんですか?」
「うん、ちょっと待って」
シキはカバンから上級体力回復ポーションを取り出しかけて、手を止め、瓶をカバンに戻す。
「研究棟に忘れてきちゃった」
「今取り出しかけなかったですか?」
シキはふわりと微笑むと、フィオナを抱き上げる。
「シキ!?え?今ポーションありましたよね!?」
「ううん、なかったよ。さ、戻ろう」
シキはにこにこと笑いながら、フィオナを抱いて歩き始める。
「シキって、結構嘘つきますよね」
「嘘はついていないよ」
「じゃあ、さっきのポーションはなんのポーションですか?」
「あれは、上級体力回復ポーション」
「やっぱり持ってるんじゃないですか!」
「でもほら、あれ、金のシールだし。研究棟にフィオナが失敗した回復ポーションいっぱいあるし」
「ぐっ!」
そう言われると言い返せない。
「自分で飲んで体験するのも必要って言ってましたよね?」
「うん、でも、フィオナ前に、医療室で、金の上級体力回復ポーションは飲んでるから」
そういえば、あの時飲んだポーションの効果は凄かったなと改めて思い出して、それ以上反論の術がなく、観念する。
「シキは、意地悪です」
「よく言われるよ」
「でもすごく優しいです」
「それはフィオナにだけ、よく言われるね」
にこりと微笑まれて、フィオナは諦めて力を抜いてシキに身を預けるのだった。
☆
「フィオナ、これは何て料理なの?すごく美味しいね!このトマトの感じがいいよ」
「チキンライスですよ。私も大好きなんです」
「フィオナ、おかわりないのかい?」
「ルティそれ、三杯目ですよね」
「別にいいだろう、美味いんだから」
「まって、ルティ、僕のおかわりがなくなるから、一人でそんなにずるいよ」
「大丈夫ですよ、沢山作りましたから」
すっかりお米にはまってしまったシキとルティに、おかわりを盛りながら、フィオナはニマニマする。
気に入ってもらえて良かった。
自分の好きなものを、気に入ってもらえるのは嬉しいものだ。
おかわりを持って、ソファに行くと、シキとルティが何やら話していた。
「やだよ。私は忙しいんだ」
「忙しいって、どうせ何かの実験でしょう?」
「当たり前だろう。それに最初にお前が責任もってフィオナの世話をするって言ったじゃないか」
「そうなんだけど……。さすがにあれはフィオナが恥ずかしがるかなあと思って」
「何を今更。散々フィオナに恥ずかしい事しているだろう」
フィオナは、自分の事でなにか揉めていると気づき、心配になる。
「どうしたんですか?」
フィオナが二人の前にチキンライスを置いて、不安そうに尋ねる。
「ああ、フィオナ、午後のダマシハジキの実の収穫を僕じゃなくて、ルティと一緒に行ってもらおうと思ったんだけど、断られちゃった」
「シキ、忙しんですか?ここで他にやれることがあれば、シキがお仕事中はそれをしていますよ?」
「いや、そうじゃないんだよね……。僕はいいんだけど……」
シキが何か言おうとしたところに、ルティが割り込んでくる。
「フィオナ、お前はどっちと行きたい?シキかい?私かい?」
急に聞かれてフィオナは戸惑う。
「え、急にどうしたんですか?二人とも」
「いいから、答えな」
「私の指導係はシキですから、シキと行きます。ルティはやる事があるみたいだし……」
よくわからずそう答えると、ルティはにやっと笑って、勝負ありとばかりにシキの肩をバンと叩く。
「ほおら、シキ!フィオナもお前と行きたいってよ。良かったな」
シキは小さくため息をつくと、フィオナを見て困った様に微笑む。
「わかったよ。でもフィオナ、ちょっと恥ずかしい目に合うかもしれないけど、我慢してね」
フィオナの血の気がさーっと引いていく。今まで散々恥ずかしい事を、こともなげにしてきたシキが言うのだ。
なにされるの!?これは選択を間違った!?
「やっぱりたまにはルティと行こうかな……」
小声で申告してみたが、ルティアナにはあっさり無視された。
昼食を終えると、シキはフィオナにだめになってもいい服をきて、着替えを持ってくるように指示した。
もう嫌な予感しかしない。
森を歩きながら、フィオナはおそるおそる尋ねる。
「シキ、ダマシハジキって、どんな植物なんですか……」
「うん、ダマシハジキは、オレンジ色の果実のなる蔓性の木だよ。見た感じは、オレンジ色のキウイみたいな感じなんだ」
「それで?」
「あー、気になるよね。その果実なんだけど、沢山実っている中に、ハズレがあるんだ」
「ハズレ?」
「普通の実は、もいでもなんともないんだけど、ハズレを引くと果実がさわった瞬間破裂するの」
それで汚れてもいいように、だめになってもいい服といったのか。
フィオナは少し安心する。
「ただ、その果汁が問題なんだよね」
「な、なんですか!?果汁に毒があるとか!?」
「いや、人には何の影響もないんだけど、服を溶かしちゃうんだよ」
「え……?」
「だから、もろにかぶっちゃうっと、服が溶けて、見えちゃうからさ、だから、ルティにお願いしようかなと思ったんだよね」
「それを早く言ってくださいいいいいい!!」
「まあ、僕は別にみられてもいいんだけどさ」
「わ、私は困ります!!」
「そういうと思ったよ。でもフィオナが悪いんだよ?僕と行きたいっていうから」
「そんなあ……」
「さ、フィオナ、こっちだよ、ほら見えてきた」
チューリップ畑から、林を超えた先に、ダマシハジキの畑があった。
確かに見た目はキウイのようで、金属の支柱と網目状の天井に絡ませるように栽培してあり、沢山のオレンジ色の実が実っていた。それらの畑が少し間を開けて四区画あった。
シキはためらいもなく上着を脱いで、上半身裸になる。そして、ズボンのベルトに手をかけた。
「!」
フィオナは思わず顔を赤らめて背けてしまう。
え!?下も脱ぐの!?
怖くて振り向けずにいと、シキがフィオナを呼ぶ。
「フィオナ、おいで、とり方を教えるよ」
おそるおそる、そっと振り向くと、シキは上半身裸に、膝丈くらいの薄手のショートパンツを履いていた。
思わずほっとして、息を吐く。それでも目の毒だ。
フィオナがシキに近づくと、シキは金属のハサミを持って、畑へと入っていく。
「フィオナ、さっきも言った通り、ハズレの実をさわっちゃうと、思い切り果汁が破裂して飛び散るからね。ハズレを引いたら防御結界を張るといいよ。果実はこのくらいの大きさの物を収穫していって。これよりも小さいのは残しておいてね。今日はこの一区画を穫れるだけとるよ」
シキはそう言うと、ためらいなく一つの実に手をのばして掴みハサミで切っていく。それを金属製の箱に入れると、フィオナを見て、微笑む。
「さ、やってみて」
シキが上半身裸なので、直視できずに、ハサミを持って畑に入る。
真上に鈴なりに沢山の果実が実っていた。
フィオナは念の為防御結界を張ろうとして、気が付いた。
果実を持ってハサミで切ったら両手がふさがるよね?
結界を張るとしたら、破裂の瞬間しかない。
それは無理ですね……。
仕方なくフィオナはハズレを引かないように祈って、果実の一つにぷるぷると手を伸ばした。
指先がふれる。
「!」
破裂しなかった……。ほっとして、フィオナは安堵の息を吐き、ハサミで切る。
ハズレはそんなに多くないのかもしれない。
ちらっとシキを振り返ると、楽しそうに、さくさく果実を収穫している。もう箱に五、六個入っているのに、破裂はしてはいない。なんとなくシキの様子をうかがっていたフィオナは、次の瞬間とんでもないものを見てしまった。
シキが一つの果実にふれた瞬間、果実がパン!と大きな音を立てて破裂したのだ。そして、もっと驚くことにその瞬間にシキは防御結界を張って果汁がかかるのを防いでいた。神業としか言いようがない。
シキはふふっとフィオナに笑いかける。
「ハズレはこんな感じ。破裂する瞬間って、ちょっと果実がぶるっと振動するんだ。それを感じたら結界を張ると、かからなくてすむよ。それでもほんの少しはかかっちゃう事もあるんだけどね」
そんな神業出来るだろうか……。
でもできないと、恐ろしい事になってしまう。
フィオナは指先に神経を尖らせて果実にふれる。破裂はしない。
二個目、三個目と収穫していっても破裂はしなかった。四個、五個、次あたり危なそう……。
集中して果実にさわる。
破裂しなかった。
やはり、ハズレの数自体はそう多くはないらしい。
果実を箱に入れて、次の実に手を伸ばした瞬間、パン!と大きな音と共に果実が破裂した。
「ひゃあ!」
防御結界を張る間もなく、フィオナはまともに果汁を浴びてしまう。
上着にかなり掛かってしまった。果実のオレンジ色の染みが服に飛び散っている。
フィオナは焦って、胸を隠すように腕を当てるが、服は溶けていなかった。
「フィオナ、ハズレだったね。服はすぐには溶けないよ。徐々に溶けていくから、今のうちに頑張って」
それを早く言ってー!
フィオナはぷるぷるとしながら、今のうちに個数を稼ごうと、果実に手をのばした。
パン!
「……え」
「二個続けてなんて、フィオナ運が強いね」
嬉しくないー!
涙目になりながら、おそるおそる果実に手を伸ばそうとすると、いきなり後ろから手を掴まれた。
「フィオナ、落ち着いて。こうやるんだよ」
上半身裸のシキが後ろに立っていて、フィオナは叫び出しそうになる。
シキはフィオナの手を掴んだまま、一緒に何個かの果実に順にさわっていく。
一つの果実にさわった途端、ほんの少しぶるっと手に振動が伝わった気がした。それと同時にシキの手から魔法陣が展開される。展開されたと同時に果肉が破裂した。
本当に一瞬だった。
「すごい……」
「慣れてくればフィオナにも出来るよ。これが出来るようになったら、特区に行ったときに反射的に防御結界を張れるようになるよ」
シキはふわりと笑って、離れていく。
フィオナは指先に伝わった振動と、シキの一瞬で魔力を練って展開した魔法陣の感覚を、イメージに焼き付ける。
果実を穫りながら、意識を集中する。いつハズレがきても良いように、手の先の感覚を極限まで高める。
何個かの果実を穫ったあと、手にふれた果実から、ぶるっと振動が微かに伝わった。フィオナは一気に魔力を練って魔法陣を展開する。
それは果実が破裂するのと、ほぼ同時だった。ぶしゃっと頭から果実をかぶる。
「遅かったかあ……。でももう少し」
フィオナは集中が切れないようにと、次々に果実を収穫していく。そして、つぎの振動を感じた時、フィオナは高速で魔法陣を発動させる。降り注ぐ果汁が目に入らないように、ぎゅっと瞑るが、いつまで経っても果汁がかかってこなかった。
「あれ?やった……!?」
フィオナが真上の破裂した実の残骸を見つめて呟くと、離れた所で収穫していたシキから声がかかる。
「フィオナ、今のいい感じだったよ」
「本当ですか!?」
「うん、その調子」
「はいっ!」
フィオナはその後も果実を穫りながら、ハズレを引いたタイミングで、魔法陣を発動させていく。三回に一度は防げるようになって来た。
収穫した果実を金属の箱に入れようとして、フィオナは気づいた。
「!!!」
服が溶けている。果汁のついた所から、服に穴が空いていき、それはみるみる広がっていく。下半身は、そこまで酷くはないが、上半身は、頭から何度も果汁をかぶったせいか、長袖のシャツはすでに、布の切れ端が服に所々へばりついているような感じた。下着が丸見えになっており、その下着すら、染み込んできた果汁で、かなり溶けてしまっていた。
どうしよう!どうしよう!どうしよう!
シキがいた方に目を向けると、こちらに、背を向けて立って、果実を収穫している。着替えようにも、新しい服は、シキが立っている向こう側に置いてある。
放っておいたら、上半身が丸裸になってしまうと思ったフィオナは走って、細い木の幹に隠れた。全然隠れきれていないが、シキからはだいぶ距離をとった。
「し、シキっ!こっち向かないで!」
フィオナはそう叫ぶが、シキはつい反射的に振り向いてしまっている。
「こっち向かないで!」
シキはくすりと笑って背を向けると、優しい声で、フィオナに言う。
「フィオナ、僕はそっち側の畑の方に行っているから、水魔法で全身を流して、新しい服に着替えて。水でちゃんと流さないと、新しい服も溶けちゃうからね」
「わ、分かった!シキ、こっち見ないでね!」
「フィオナが良いって言うまで、振り向かないし、向こうに行ってるよ」
シキはそう言って、ひとつ離れた区画に行って、フィオナに背を向けるようにして、果実を獲り始めた。
フィオナは荷物が置いてある場所まで走ると、シキが向こうを向いている事を確認して、身体にへばりついている溶けた服を脱ぎだした。下着まで全部脱いで、生まれたままの姿になると、草地の上で水魔法を発動させて、頭から果実を流していく。
髪にベッタリと果肉と果汁が絡んでしまっていたので、フィオナは丁寧に流していく。少しでも残っていて、持ってきた服まで溶けてしまったら、もうあられもない姿で研究棟まで歩く事になってしまう。
髪をきれいに水で流し、身体についた果汁もベタつきがなくなるまで、よく水で流した。途中ちらりとシキを見ると、ちゃんとこちらに背を向けている。
きれいに身体を洗い終えて、タオルで水気を拭き取っていると、突然足首に鋭い痛みが走った。
「!」
驚いて下を見ると、赤と茶色と緑が混じったような斑模様の蛇がフィオナの足首を噛んでいた。
「きゃあああああああ!!!!」
フィオナはあまりの出来事に恐怖で声を張り上げた。