傷薬(ハシリドコロの花)
研究棟に帰ると、びしょ濡れの二人を見て、キノが慌ててタオルを持ってきた。
「ずぶ濡れになっちゃったね。フィオナ寒いよね。着替え持ってきてもらえばよかった。とりあえず僕のシャツでいい?」
シキは地下から洗い立ての白いシャツを持ってくる。
「とりあえず、お風呂が沸くまで、濡れた服を脱いで、シャツを着ていて。キノ、お風呂にお湯をお願いできるかな?」
キノがうなずいて、すぐにバスルームへと向かう。シキも地下へと着替えに降りて行った。
フィオナは、二人が作業場を出ていくと、雨で濡れてしまった服を全て脱ぎ、シキのシャツを着る。下着までずぶ濡れになってしまっていたので、着ているのはシャツ一枚だけだ。シャツは膝上までの長さがあったが、それ一枚だけというのは、なんとも心もとない。
「さすがにこれはちょっと……」
フィオナは無意識に胸の前で腕を合わせて、何か羽織るものがないか探すが見当たらない。この前シキが使っていた毛布を借りようと、地下に向かうと、ちょうどシキが着替え終わって部屋を出てきた。
「シキ、この前の毛布を借りれませんか?」
「ああ、すぐに持ってくるよ」
シキが部屋に戻ったので、フィオナは先に階段を上がり、作業場で待つことにする。
下手をしたら階段を上がっている最中に見えてしまいそうだ。
シキはすぐに毛布を持って戻ってきた。
「ごめんね、寒かったよね。雪が降っている所に長居しすぎたね」
「いえ、大丈夫です。それにとてもきれいでした」
シキはふわりと微笑むと、ソファにフィオナを引っ張っていき、強引に自分の膝に座らせる。
「シキ!?」
「寒いでしょ?」
シキは自分の上からフィオナごと毛布でくるんで、ぎゅうっと抱きしめる。真っ赤になるフィオナの耳元でシキがささやく。
「ほら、身体が冷たい」
「だ、大丈夫ですから!」
抜け出そうとすると、毛布の隙間から、シャツがめくれてフィオナの太ももが露わになり、慌てて毛布を掛けて隠す。
「ほら、じっとしてて。こうしていれば暖かいでしょ?前に僕が冷えた時、フィオナもしてくれたじゃない」
「あ、あれは、シキが、異常に冷えてたから、仕方なくっ」
「今のフィオナも冷えてるよ」
「も、元々体温が低いんです!大丈夫ですから」
「でも僕も寒いし」
もう、毎度毎度、こんなことばかりで、フィオナは、そのうち心臓が壊れてしまうのではないかと思ってしまう。
「お風呂が沸くまで。ね?」
優しく言われて、諦めてじっとする。こういう時のシキはいくらフィオナが反論しても、聞いてくれない。やさしくぎゅうっと抱きしめられて、シキの首元にぴたりとあたった頬が、とくんとくんという鼓動を感じて、また心臓がきゅうっとなった。
外ではまだ雨音が響いている。
ルティ、まだもう少し、雨を降らせていてください!
今戻ってきたら、恥ずかしくて死ぬから。
☆
「今日は前に言っていた傷薬の素材集めをするよ」
翌朝、しっとりと潤った森の中で、フィオナはシキと一緒に歩いていた。あれだけ雨が降ったのに、水分はすっかり地面に吸収されて、水たまり一つない。
「傷薬は、体力ポーションと魔力ポーションの次に注文が多いね。それに王宮騎士杯が開催される日が近づくと騎士団がこぞって注文してくる。まあまだ二ヶ月先だけどね」
「王宮騎士杯?」
「騎士団の隊長、副長以外が、北、南、西、東、中央で代表を何名かずつだして、試合をするの。とくに南と中央が、気合が入っていて、練習中から大けがするから、大変なんだよね」
「へえ、そんな行事があったんですね」
「だから、今の内からフィオナには傷薬の作り方を覚えてもらわないと」
「はい、頑張ります!」
「じゃあ、まずレシピから説明するよ」
傷薬 1本分
魔力水 100ml
ハシリドコロの花 2輪
ダマシハジキの果肉 小さじ1杯
ネズの木の葉の果肉 小さじ1杯
ドクロソウの実の粉末 少量
フィオナはノートに書き込んでいく。
「シキ、傷薬はポーションとは違うんですか?塗り薬みたいなもの?」
「いや、ポーションだよ。液体だし、いつものポーション瓶に作るんだ。本当はルティが、外傷・内部損傷治療ポーションって名前を付けたんだけど、みんな長ったらしくて、傷薬って注文してくるようになって、それでそのまま傷薬になったんだ。まあ、確かに長いよね」
「そうですね。その傷薬ってどのくらいの効能があるんですか?」
「簡単に言うと、薬室で作る、上級傷回復ポーションの上位かな。薬室で作る上級の傷用ポーションは、例えばだけど、腹を刺さされるような大傷を負ったとして、飲めば、傷口が徐々にふさがって、数時間後には組織が再生し始める。飲み続ければ、二日もすれば、きれいに治るって感じ。それで魔植物園で作った傷薬は、飲むか、患部にかけるかすれば、すぐさま傷口はふさがって、数十分ほどで組織は再生する。数時間もあれば、完全に治っちゃうよ。もちろん、外傷だけじゃなくて、骨折とかにも有効だよ」
「すごいですね……」
「その分作るのに手間がかかるし、素材だって集めるのが大変だ。だから、騎士団の人達には、毎年言ってるんだよね。無駄遣いするなって。出来れば薬室のポーションと治療魔法で治して欲しいものだよ」
「治療魔法は時間がかかるから、きっと早く直して訓練したいって思っちゃうんでしょうね」
「そうなんだよ。それに、王宮内以外にも、国営の医療所から定期的に注文がくるしね。今年も早めに作りだめしなきゃだよ」
アルトあたりは訓練で無茶しそうだなと、想像ができた。
「じゃあ、まずハシリドコロの花集めからしようか。普通のハシリドコロは見た事ある?」
「はい、普通の魔法薬の素材でも使いますよね」
「うん、そう。見た目は普通のハシリドコロと変わらないよ。ただここのハシリドコロは、走るんだよ」
やっぱりか……。
そうじゃないかと思ったよ。
フィオナは苦笑いする。ここの植物が何もしないわけがないのだ。
「だから走っているハシリドコロを捕まえて、花を取る。花は咲いている分全部取っても大丈夫。数日ですぐに新しい花がつくから。基本的には、チューリップ畑より手前の森の中にいて、探せばわりとすぐに見つかると思うよ。森の中を探しながら歩いて、見つけたら捕まえるって感じだね。ただ、手を伸ばした途端に猛ダッシュで逃げていくからね。とりあえず探しながら歩こう」
さくさくと森の中を歩いていくと、フィオナの目の端に、赤い小さな花がちらりと見えた。
「シキ、あれですよね?」
「あ、そうそう。あんな分かりずらい所にいるのをよく見つけたね」
「昔から、キノコとか山菜を見つけるのは得意だったんです」
「さすがだね。じゃあ、見ててね」
シキがハシリドコロに近づいて、手を伸ばす。
途端に、ハシリドコロが、根っこを土から引き抜いて、猛ダッシュしていった。
「早い!」
フィオナが思っていたよりも、何倍も速いスピードだ。
シキは風魔法で、勢いをつけて、瞬時に追いつくと、ハシリドコロの進路に立ちふさがる。ハシリドコロは急いで立ち止まって向きを変えようとするが、シキはさっと茎を掴かみ、二輪ほど咲いていた花を手際よくぷちぷちと摘んでいく。シキが茎を離すと、ハシリドコロは、あっという間に逃げ去っていった。
「こんな感じだよ。フィオナなら簡単にできちゃいそうだね」
確かにハシリドコロは速かったが、風魔法をタイミングよくかければ、なんとか追いつけそうだ。
そう考えていると、また赤い花が少し離れた所に見えた。
「シキ、あそこにいました!」
「もう見つけたの?じゃあ、やってみて」
「はい!」
フィオナはそろそろとハシリドコロに近づいて、いつでも風魔法を発動出来るように、魔力を集めながら、手を伸ばす。
ぱっとハシリドコロが逃げていった。
フィオナはすかさず風魔法を操って、勢いをつけて追いかける。あっという間に追いついて、ハシリドコロの前に立ちふさがると、茎を掴んだ。赤い花は一輪しか咲いていなかったが、それを手早く摘んで、離す。
「シキー!お花採れましたー!」
すぐにシキがやってきて、目を丸くする。
「フィオナ、凄いね。簡単に成功しちゃったよ」
「これは、得意かも。私頑張って沢山採りますよ!」
珍しく、順調に素材集めがいきそうで、ほくほく顔でシキに言うと、シキは少し不服そうにあごに手を当てて考えこむ。
「うん、まあ、でもなー……」
「どうしたんですか?」
「これだと面白くないんだよね」
「え?」
シキは、ふふっと口元を上げると、森中に聞こえるような大きな声で話し始めた。
「こんなに簡単に出来ちゃうと、フィオナの訓練にならないなぁー!僕の時は、もっと色々妨害されたのになー!」
「し、シキ!?」
「このままだと、フィオナが成長できなくて特区に行ったときに怪我するかもなー」
「え!?」
「採取の間、蔦とか、草とかの妨害があった方が、フィオナの為なんだけどなー!」
シキは若干棒読みで森に叫ぶ。
急に森の中がざわつき始めた。
「さ、フィオナ。目標はハシリドコロの花百五十個だよ。頑張ろうね」
「は、はい……」
次にフィオナがハシリドコロを見つけて、近づこうとすると、蔦が伸びてきて、やんわりと腕を掴まれた。その隙にハシリドコロが逃げていく。
「これは……」
「うん、普通なら、こういう妨害の中、ハシリドコロの花を取らなきゃいけないからね。フィオナもこの前特区を見て、少しは分かるでしょう?無数の攻撃やら妨害をかわして、素材を取らなきゃいけないんだ。しかも特区ともなれば、捕まっただけで、毒に侵されたり、痺れて動けなくなるような奴ばっかりだよ。だから、ここで、捕まらない練習をしよう。この辺りの蔦や草なんかは、邪魔するだけで、命に関わるような事はして来ないからね。いい練習になるよ」
簡単だと思ったハシリドコロの採取だったが、途端に難易度が上がり、フィオナはがっくりとなる。
「手を抜いたら、フィオナの為にならないからねー!」
シキが森に向かって叫んだ。
相変わらずこの人は、仕事になると容赦ない。
それでもフィオナは、この前見た特区のジャングルでの、シキの神業のような動きを思い出して、自分もいつかあんな風にと思わずにはいられなかった。
フィオナは森に向かって叫んだ。
「みんな!手加減しないでお願いします!」
シキがぷはっと吹き出して、にっこりと微笑んだ。
「さあ、面白くなるよ」
フィオナはあちこちから伸びてくる蔦を避けながら、ハシリドコロに手を伸ばし、直前でムソビソウに足を掛けられ、地面に思い切り突っ伏した。
「痛たっあー。うひゃあああ!」
痛がっている間もなく、ツヅラフジがバシバシと種を飛ばしてくる。これが何気に痛い。すぐに立ち上がって、走り出すと、左右からまた蔦が伸びてくる。
かわしながらも、視線はハシリドコロの赤い花を探す。さっと足元にムスビソウが輪を作って伸びてくる。それをジャンプして飛び越えると、右手にハシリドコロが見えた。なりふり構わず走って行くと、ハシリドコロが逃げていく。風魔法を使って、ハシリドコロの前に回り込むと、そこにはツヅラフジが一斉に種を飛ばしてきた。
「いたたっ!いたっ!」
顔に種が直撃してしまい、思わず目を瞑ると、ハシリドコロはもういなくなっていた。
「はあ、はあ、はあっ!これは、なかなかっ!」
フィオナが荒い息で、また走り出そうとすると、シキに腕を掴まれた。
「シキ?」
「フィオナ、ちょっとだけアドバイス」
シキがそう言ってフィオナを立ち止まらせると、周りの蔦達がぴたりと、攻撃を止めた。
「フィオナは防御魔法は使えるかな?魔法陣を盾の様にして、飛んできた攻撃を防ぐ魔法」
「あ!そうか!使えます!」
「分かったみたいだね。じゃあ頑張って」
「はい!」
シキばフィオナの腕を離すと同時に、また一斉に周りから蔦が襲ってくる。
フィオナはそれをかわして、走って行く。時々気配を消して近寄ってくるムスビソウにも神経を尖らせる。右手から、ツヅラフジの蔦が見えた。その瞬間、フィオナは防御魔法を展開して、右手にかざす。種はすべて弾かれた。
「やった!」
フィオナはそのまま走ってハシリドコロを探すと、茂みに赤い花が見えた。
一気に近づくと、ハシリドコロがダッシュする。風魔法で追いつくと、蔦が妨害しようとしてくる。フィオナはハシリドコロの茎を掴むと、そのまま、一旦蔦を交わし、左手で防御魔法を展開し、飛んできた種を弾く。防御魔法を消すとすぐに花を摘んで、ハシリドコロを逃した。
「やったー!やっと取れたー!」
手にした花を見て喜ぶと、いきなり蔦に足を掴まれて宙吊りにされ、持っていた花を落としてしまう。
「フィオナ、油断大敵だね」
シキは情けない顔で宙吊りになったフィオナをみて、にっこりと微笑んだのだった。
やっぱりこの人は鬼だー!