魔王様の雨降らし
「なんかすごかったね……」
「ああ……」
フィオナはアルトゥールと共に、最後の納品先、魔導師長の部屋へ向かいながら、先程の光景を思い出して、顔を赤らめながら歩いていた。
わずかに前を歩いていくアルトゥールが、少し歩調を緩めてフィオナにちらりと視線を送る。
「あのさ……」
「何?」
「さっき、医療室で、その、パティ副室長が言ってた事って本当なのか……?」
「パティさんが言っていたこと?」
「その、シキさんが、フィオナに、ポーションをそのっ……」
フィオナの顔がみるみる赤くなる。
「あれは!そのっ。仕方なくというかっ」
「じゃあ、嘘ではないんだな……」
「あの時は、私が意地になってポーションを飲まなかったから、それで、仕方なくであって、いつもは、動けなくなった時しか、そういう事はシキはしないからっ!」
「え、いつも……?」
「え、いやあわうえっ」
フィオナはつい余計な事まで言ってしまって、パニックになり呂律が回らなくなる。
「動けなくなったら、シキさん、いつもそんな事するのか!?」
アルトゥールは立ち止まると、大きな手でフィオナの肩を掴んで、かくかくと揺する。思わず、後ずさってしまい、壁際に追い詰められるような格好になってしまった。
「ち、ちがっ。私がいけないの。いつも、植物の毒で、すぐ倒れたり、動けなくなったりするからっ!」
「毒!?大丈夫なのか!?」
「大丈夫よ。ポーションを飲めば大した事ないから。それに、魔植物園の植物なんだからそんなの当たり前なんだよ?」
「それにしたって、女の子に、口移しって、していい事と、悪い事があるだろう!?」
「シキはそんなつもりじゃないよ。仕事の一環として、しているだけで」
「そんなの信じられるか。俺がシキさんに抗議してやろうか?嫌なら嫌とちゃんと言わなきゃだめだ!」
「本当なの!だってシキは女性に興味ないから」
「え……」
フィオナの肩をつかんで壁に押し付けていた、アルトゥールが固まる。
「それってどういう……」
「おやー、アルト君。女の子を口説く時はもう少しひと気のない所でやりたまえよー」
「パティ副室長!」
壁に追い込まれ、肩を掴まれているフィオナを見て、通りかかったパティが、ニヤニヤした顔で近づいてくる。その後ろにはエレノラもいた。
アルトゥールが焦ったように、ぱっとフィオナを離す。
「これは違います!」
アルトゥールが慌てて弁解するが、なぜか顔が赤くなっている。
「いやいや、良いのだよ。いやあ、アルト君がこんなに積極的だとは思わなかったよお。今まで女の子からモテモテだったのに、浮いた話一つなかったのにねえ!まあ、でもここは結構人が通るからね。うん、なんならひと気のない通路を教えようか?」
「パティさん、違います」
フィオナが呆れた様子で言うと、パティはにんまりと笑う。
「君はシキ君ひとすじだもんねえ。いやあ、アルト君頑張らないといけないよ!あはははっ」
パティはそういうと、ケラケラと笑いながら歩いて言ってしまった。
ふと、エレノラと視線が合った。
なぜか睨まれたような気がして、もう一度見ようとすると、さっと顔をそらされてパティを追っていってしまった。
「もう、アルト、へんな誤解されたじゃない」
「すまない、つい」
「さ、魔導師長室にいこう」
この話はもう終わりとばかりに、フィオナが歩き出すと、アルトゥールは黙って付いてきた。
魔導師長室では、相変わらず過度に心配されたが、きっぱりと転属はしないと宣言して戻って来た。
ゲートまでアルトゥールに送ってもらい、フィオナは礼を言う。
「アルト、今日も付き合ってくれてありがとう」
「いや、今日は、そのすまなかった」
「ん?」
「そのパティ副室長に変に誤解をされてしまって」
「ああ、いいよ。あの人ってああいう人でしょ。からかっただけだよ」
「ああ」
「それじゃあ」
「フィオナ!」
「何?」
「その、本当に困っていたりしないのか?そのシキさんとの事で」
「うん、困ってないよ。シキはいつも真剣に仕事を教えてくれるの。そりゃあ、最初はびっくりしたけど、なんかちょっと慣れてきたし、別に嫌ではないから」
「嫌ではないのか……」
小声でつぶやくアルトゥールの声がよく聞き取れなくて、聞き返す。
「うん?何?よく聞こえなかった」
「いや、なんでもない。そうだ、フィオナ、次の休みっていつだ?」
「休み?うーん、休みってあるのかなあ?分からないわ。しばらくお休みは無いんじゃないかな?」
「は!?休みがないのか!?」
「覚える事が沢山あるから、そんな暇ないと思う。どうしても欲しいって言えば、シキはちゃんとお休みくれると思うけど、今の所ほしいとも思わないし」
「身体は大丈夫なのか!?」
「大丈夫よ?むしろ寝てばっかりだよ」
「そ、そうか。ならいいが、無理するなよ」
「うん、ありがとう。じゃあまたね、アルト」
フィオナは笑顔で箒に飛び乗る。なんだかアルトゥールが微妙な顔をしていたが、フィオナは手を振って宙に浮くと管理棟に向かって飛んで行った。
すっかりお腹が空いていた。
シキのご飯が早く食べたい。
管理棟の通信機でシキを呼ぶとすぐに返事が帰ってきた。
『お帰りフィオナ。今いくよ』
シキにお帰りと言われると、ものすごくほっとする。
キッチンに上がって待っていると、間もなくシキがやって来た。
いつも通り、ふわりと微笑まれて、心が落ち着く。
一緒に夕飯の仕度を始めると、楽しそうに料理をしているシキに尋ねられた。
「配達はどうだった?」
「はい、無事に納品できました。ついでにもう申請書を持ってこられないように、転属はしませんって宣言してきました」
そう言うと、シキはとても嬉しそうに、にこにこと野菜を切る。
「そうだ、開発室の室長さんに会いましたよ。シキと同期で親友って言ってました」
「ああ、アキ?」
「はい、それから、この前の申請書はアキ室長じゃなくて、副室長のユアラさんが勝手に出しちゃったみたいで、アキ室長が怒ってました。まあ、すぐ仲直りしてたけど」
「そう。相変わらずみたいだね」
シキがくすりと笑う。
「でもシキに親友がいるって聞いて、ちょっと嬉しかったです。いつもここに居て、外にあんまり出ないから」
「まあ、アキが勝手に親友って言っているだけどね。でも、そうだね、アキの事は好きだよ」
「じゃあ、親友なんですよ」
フィオナがそう言うと、シキは意外そうな顔をしてから笑った。
夕飯を食べ終わると、シキがお茶を入れながら尋ねる。
「フィオナ、お茶を飲んだら、魔植物園に来るかい?」
「今からですか?急ぎの仕事?」
「ううん、ルティが雨を降らせるんだよ」
「あ!そうか!行きます!見たい!」
「じゃあ、行こうか」
研究棟に行くと、ルティアナがソファに座って、キノの淹れたお茶を飲んでいた。
「おう、フィオナ」
「ルティ!雨を降らせるんですよね!?」
「ああ、フィオナは見るのが初めてか。まあ雨に濡れてもいいなら、見に来な」
「濡れてもいいです!見たい!」
「よし、じゃあ行くかね。フィオナが見やすいように、チューリップ畑でやるか」
ルティアナはぴょんとソファから立ち上がり、楽しそうに外へと出て箒に飛び乗ると、信じられないスピードで森へと突っ込んでいった。
「僕らも行こうか。フィオナ後ろに乗って」
「箒で行くの!?」
「うん、急がないと始まっちゃうよ?」
シキが箒を出すと、フィオナは、後ろに乗って腰に掴まり、情けない声を出す。
「シキ、安全運転でお願いしますっ」
この前ルティアナの後ろに乗って、夜の森を飛んだ時は、恐怖以外のなにものでもなかった。今思えば失神しなかった自分を褒めてあげたい。
「うん、そんなに飛ばさないよ」
シキはくすりと笑うと、浮き上がって一気にスピードを上げた。
「うっ、ひゃああああっ!」
確かにルティアナに比べたら、ゆっくりなのかもしれないが、逆になんとか目を開けていられるだけに、ひゅんひゅんとギリギリで枝や蔦を交わしながら飛んでいくのが見えて、それはそれでなかなかの恐怖だった。
何度、木にぶつかる!とひやりとしたか分からない。もちろんぶつかる直前でひらりとかわしていくのだが……。
「ついたね」
ざっと木々を抜けて、一面のチューリップ畑に出る。シキの腰に回した腕に思い切り力を込めて、締め上げるように抱きついていたようで、こわばっているフィオナの腕を、シキがぽんぽんと優しく叩く。
「フィオナ、そんなに怖かった?」
我に返って、腕を緩めると、急に恥ずかしくなった。
「ルティよりは怖くなかったけど、怖かったです」
「フィオナもすぐに慣れるよ」
シキはくすりと笑うと、フィオナを後ろ乗せたまま、チューリップ畑の真ん中で、箒を浮かせたまま、空を見上げる。
この園内は真夜中でもぼんやりと明るい。それは月明かりや星明りだけではなく、森のいたる所で、発光性の植物が光を発していたり、光をまとう虫なのか、植物の種なのかが、ふわふわと浮いてたりするからだろう。
上空から見る夜の魔植物は神秘的だ。
シキの視線を追って上を向くと、ガラス張りの屋根のすぐ下に、ルティアナが浮いていた。
「上空には結界とかトラップがあるって言ってませんでした?」
「うん、あるよ。でもそれを作っているのもルティだから。どこに何があるかを知り尽くしているから心配いらないよ」
上空では、ルティアナが魔法を発動させているらしく、ものすごい量の魔力が渦を巻くように、ルティアナを覆っているのが感じられる。
「シキ、私こんなに凄い魔力を感じたのは、初めてです。こんなに離れているのに、肌にビリビリくる」
「うん、凄いよね。それにしても今日はルティ、張り切ってるみたいだね」
「なんか魔王復活の瞬間に立ち会ってる気分です!」
ぶはっと思わずシキが吹き出して笑った。いつもにこにことか、ふわりと笑うシキが、吹き出して笑ったので、フィオナは目を丸くする。
「うん、フィオナ、それ、いいね。まさしく魔王復活っていったところだよ。君は本当に面白いね」
くすくすと肩を震わせているシキの振動が、掴まっているフィオナにも伝わってきて、楽しくなってしまう。
突然空に巨大な魔法陣が展開された。淡い水色の光輝く大きな魔法陣が天井に一つ展開されたと思ったら、次々に同じような魔法陣が、天井一面に何十個と出現していく。
「すっ凄い!こんなに一度に!」
魔法陣が一際輝いたと思ったら、そこからポツポツと雨が降り注いできた。
「フィオナ、始まったよ。魔王様の雨降らし」
シキはくすくすと笑って空を見上げている。
ルティは、再び魔法を練ると、今度は水色の魔法陣とは別に淡い緑の魔法陣が何十個と展開される。
緑色の魔法陣からぶわっと風が吹き始めた。その風に乗るように、一気に雨足が強くなり、辺りは吹き荒れる雨で真っ白になる。
フィオナもシキもすぐにびしょ濡れになってしまった。
下を見ると、ざわざわとチューリップが揺れて雨を受けていた。
「どう?フィオナ」
「凄い、凄いですよ、シキ。私、いつか同じような事が出来るようになるんでしょうか?」
空に浮かんで楽しそうに魔法陣を展開しているルティアナを見て、フィオナは呟く。
「フィオナならきっと出来るようになるよ。ねえ、フィオナ……」
シキが濡れた髪をかき上げながら振り向く。雨を滴らせながら、前髪を後ろに流すシキを見て、あまりの色っぽさにフィオナはどきりと心臓が跳ね上がる。
「ここはチューリップ畑だから、あんまり雨も風も激しくしないんだ。ちょっと面白い場所に行ってみない?」
「面白い場所?」
「うん、特区。チューリップ畑の先。ルティは場所によって、雨と風の量を調節しているんだよ。特区には土砂降りになってる場所もあるよ」
「見てみたいです!」
「そのかわりしっかりと掴まっていてね」
「はい!」
フィオナはシキの腰にしっかりと腕を回す。
「じゃあ行くよ」
シキが箒を操って、チューリップ畑の先へとぐんとスピードを上げた。
思ったより早い加速に、フィオナは慌ててシキの背中にしがみつく。濡れた服の先から伝わってくる体温にどきりとし、妙にシキの身体の感触が生々しく感じられて、ますますドキドキしてしまう。
シキが一気に高度を上げると、突然目の前の宙に半透明の網が現れた。
「!」
フィオナがひやりとする中、シキはあっさりとそれをかわす。そのかわした先に光の槍が降ってきた。
「ひゃああああああ!シキー!」
シキはくるんと向きを変えて、それも難なくかわしていく。真っ白になるくらいの雨で視界が悪い中、シキは次々に現れるトラップを難なくかわして、ぐんぐんスピードを上げていく。
「ひいいいいいいいいいい!!」
「あははっ、大丈夫だよ。この前ここのトラップは一回見たから。フィオナ、舌噛まないように気を付けてね」
そういったかと思うと、今度は高度をぐんと落とす。涙目で上を見ると、さっきまでいたところ一面にバチっと音を立てて雷撃のようなものが走っていくのが見えた。
恐ろしすぎる。
それもつかの間、今度は下から凶悪なトゲの付いた蔓が、鞭のようにしなって飛んできた。
シキはひゅんひゅんと、それらをあっさりとかわして飛んでいく。
フィオナは、方向感覚が上か下かもわからなくなるくらい、翻弄されながら、とにかく振り落とされないように、全力でシキの背中にしがみついた。
「ほら、見えてきたよ」
ぼんやりと薄明るい森が広がるなか、前方にやたらと高い木々が生い茂っている場所が見えてきた。
ずばあああああああっと激しい雨音が轟いている。
「あそこはジャングルみたいになっているんだよ」
シキが箒を進める。そのエリアに入った途端、身体中に痛いくらいの勢いで打ち付けるような雨が降り注いできた。
シキはトラップを避けながら上空に高度を上げていき、安全な場所で箒を止めた。
どしゃあああああと、上空の魔方陣から雨が落ちて、それに合わせて、時折突風が吹き荒れる。
「ひゃああああ!すごい!なにこれ!」
「あははっ、面白いでしょう?」
「もう、これ、災害レベルの嵐じゃないですか!」
叫んで話さないと、声すらかき消されそうなほどの雨に、フィオナは興奮して、楽しくなってくる。
「なにもうこれ!楽しい!!」
「でしょ?じゃあ、ジャングルを一周してこよう。嵐の中飛ぶのは面白いんだ」
シキはぐんと高度を落としてジャングルに突っ込んでいく。いたるところから、棘だらけの蔦が襲ってきた。
「うひゃあああああああああああ!」
「あはは!」
シキは、それをすいすいとかわして、ジャングルの中を突っ切っていく。
横から何か、真っ黒な大きな猛獣が飛びかかってきたのを、シキは、くるんと箒で回転して避けて、その頭を撫でていく。土砂降りのなか次々と襲ってくるわけの分からない者達を、シキは華麗にかわして飛んでいった。フィオナは最初は叫びながら、必死にシキに掴まっていたが、徐々に、シキの余裕な様子に、何とか周りを見る余裕が出来てくる。
これは楽しくなってきちゃったかも!
フィオナは、もう恐怖を通り越して、いつの間にか笑っていた。
「あははははははははははは!ひゃああああああ!」
もう、何がなんだか分からないが、とにかく楽しかった。
ざあっと、森を抜けて、視界が広がり草原のような所に出た。とたんに雨足が弱くなる。
「あ、抜けちゃった。ふふ、面白かったねえ」
「は、はいっ。はあっ、面白かったあ」
叫びすぎて、息を荒くしながら、答えるフィオナにシキは振り返ってふわりと笑う。
「じゃあ、もう一か所回ったら帰ろう」
シキがまたぐんと高度を上げて、トラップに突っ込んでいく。
小雨になった上空で、トラップをさらりとかわしながら、しばらく行くと、急に気温が下がったような気がした。シキが高度を落とす。遠くに真っ白な花を付けた木が何本か生えているのが見えた。
「わたゆきの木だよ。あそこに咲いている花は触れると手が凍り付いてしまうくらいに冷たいんだ。ほら、木の周りを見てごらん」
わたゆきの木の周りだけ大気が冷やされて、雪が舞っていた。
「雪!?」
シキが、木に近づく。ぐんと気温が下がって、寒さに思わず、シキの背中に身を寄せた。ひやりと冷たい服の感触のあと、じんわりとシキの体温が伝わってくる。
真っ白な花が咲き乱れる大木の周りに、ひらひらと粉雪が降り注いで、うっすら積もってゆく。
「きれい……」
「うん、きれいだね」
フィオナは、我を忘れたようにその光景を見つめる。さっきまでジャングルにいたのが嘘のように、そこはきらきらとした白銀の世界で、しんしんと音もなく降り積もっていく粉雪に見入ってしまう。
ひゅうっと冷たい風が吹き抜けて、思わず身震いすると、シキはゆっくりとその場を離れていった。
「シキ、すごくきれいだった」
フィオナが放心したような声で、大きな背中に寄りかかると、シキが嬉しそうに笑った気配がした。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
ぐんと上がるスピードに、フィオナは再び振り落とされないようにしがみつくのだった。