シキのいない日
「フィオナ、今日中に、上級体力回復ポーションを七十本作っておいてくれ」
作業場につくなり、ルティアナはそう言って、二階へと上がっていってしまった。
フィオナはすぐに素材の在庫を調べはじめる。
シキのいない作業場は、なんだかいつもよりがらんと広く感じてしまう。今までも、シキが地下に行っていて、作業場で一人の事は何度もあったのに不思議だ。
ルティアナが用意してくれてたのか、倉庫に取ってきたばかりらしい、チューリップと、オドリコナズナが置いてあった。リンドルグの木の実の粉末は前回の残りがまだ瓶に沢山残ってる。
「あ、そうか魔力水がないな。でもその前に蜜をしぼっちゃおう」
フィオナは、めしべを一本取り出して、糖度を確認する。良さそうだ。ルティアナが採ってきたのなら、その辺も確認済みだろうが、自分でも糖度を忘れないように、ちゃんと確認したかったのだ。
蜜をしぼり終わると、二階の研究室の扉を叩く。
「ルティ、魔力水を汲みに行きたいんですけど」
「ああ、それなら、マッド君とキノを連れて行きな」
「一人で行ってもいいんですか?」
「ああ、今日はいいよ。その代わり道を絶対それるなよ」
「わかりました」
キッチンに行くと、マッド君達が待機モードで立っていた。
「魔力水を汲みに行くんだけど……」
最後まで言わないうちに、三号がフィオナに向かって突進してくる。
すっかりなついた三号にフィオナは思わず嬉しくて、にへらっと頬を緩めてしまう。
作業場にキノが居ないようだったが、どこにいるんだろうと、いつもの外の陽だまりを見るが、そこにキノはいなかった。
フィオナは地下に続く階段を降りると、シキの研究室の前で立ち止まり、扉をノックする。
「キノ、いる?」
扉が小さく開いて、キノが顔を覗かせた。なぜか手にシキのシャツを握っている。
「魔力水を汲みに行くんだけど、一緒についてきてくれる?」
キノはこくんとうなずき、シャツを置いて部屋を出ると、フィオナについてきた。
シキがいなくて寂しいのかな。
シキのシャツを掴んでいたキノが可愛くてたまらなくなる。
研究棟の外に、キノとマッド君三号と一緒にでる。今日はなんだか薄暗い。上を見上げると、ガラス張りの天井のむこうはどんよりとした雲に覆われていた。
フィオナはキノと手をつなぐと、泉へと向かって歩きはじめる。
もう何度も通った道なのに、シキがいないだけで、なんだか心細くなってしまう。きっと曇り空のせいだろう。フィオナはそんな気分を振り払うようにキノに楽しそうに話しかけて、泉に向かうのだった。
魔力水を汲んで、泉から帰ってくる頃には、天井のガラスに雨粒が叩きつける音が聞こえてきた。
こんな大雨の魔植物園は初めてだ。もちろん園内には降ってこないが、天井のガラスに雨が当たって流れていく様子をじっと見つめてしまう。
雨音を聞いていると、不思議な感覚になった。心が落ち着くような、少し寂しいような。
シキは大丈夫だろうか。
気づくとシキの心配ばかりしている自分がいる。
フィオナはしばらく天井を見上げていたが、研究棟に戻って、ポーション作りを開始した。
前回のポーション作りでかなり慣れたのか、失敗もほとんどなく、夜の七時には作り終える事が出来た。ルティアナは、昼に一度降りてきたが、その後は研究室にこもりっきりだった。どうやら殺虫剤の追加を作っていたらしい。
シキは魔法の効果で、夕方まで目が覚めないはずだとルティアナが言っていたが、もう起きているだろうか。
殺虫剤を作り終えてご機嫌のルティアナの箒の後ろに乗せられて管理棟に付くと、フィオナの足はガクガクになっていた。
今後、機嫌のよい時のルティアナの後ろには乗らないようにしよう。
管理棟につくと、フィオナとルティアナは、すぐにシキの様子を見に行った。
そういえば、自分のベッドに寝かせたままだったなと、なんだか恥ずかしくなる。
二階は明かりがついていなかったので、三階の寝室へと行くが、部屋は真っ暗だった。明かりをつけて、部屋に入ると、ベッドに人影が見えた。
「まだ、寝てるのかね」
ルティアナが呆れた声を出す。
ベッドに近づくと、穏やかな寝顔でシキは眠っていた。
「相当疲れていたんですね」
「四、五日寝ないなんて事、今までもよくあったんだけど、今回は多分身体より、精神が疲れ切ってたんだろうね。丸薬も異常な速さで作り上げていたし、それに、あんたの事があったからね」
身に覚えがありすぎて、フィオナはしゅんとなる。
ルティアナはシキの額に手をあてると、すぐに、大丈夫だといって手を離した。
「身体の方はもうなんともないよ。そのうち起きるだろう。んじゃ、私は帰るよ」
「はい。ルティ、ありがとう」
「おう!お前も早く寝ろよ」
ルティアナは、手をひらひらと振って出て行った。
フィオナはしばらくベッドの横に座って、じっとシキの寝顔を見ていたが、起きる様子がないので、食事でも作ろうと、立ち上がろうとした。
すると、ベッドからシキの手が、フィオナの手首をつかんだ。
「シキ、起きましたか?具合はどうですか?」
「フィオナ」
シキの声がかすれている。だるそうに身を起こした。
「お水持ってきましょうか?」
「うん」
フィオナがコップを渡すと、シキは一気にそれを飲み干した。
「ごめん、寝ちゃった」
「いいんですよ。シキ、熱があったんですよ?覚えてますか?」
聞いておいて、朝の出来事を思い出して恥ずかしくなる。
「うん、なんか変な夢をみたんだ。フィオナが医療室行っちゃう夢。だめだと思って、行かせないようにしていた気がする」
それであんなにぎゅうぎゅう抱きしめてきたのかと、苦笑いする。
「もう身体は大丈夫ですか?何か食事をつくろうと思うんですが、消化のいいものがいいですか?」
「うーん、なんか、起きたらものすごくお腹が空いてきたよ。なんでも食べられそう」
「分かりました。じゃあ、シキはゆっくりしていてくださね」
フィオナが行こうとすると、再び手首をつかまれて引っ張られた。
「ひゃっ!え?シキ?」
シキにぎゅうっと抱きしめられる。
「ちゃんといるよね?」
「いますよ」
シキの不安そうな声に、フィオナはシキの背中をぽんぽんと叩くと、すぐに手が緩んだ。
「シキ、私、どこにも行きませんよ。安心してください」
「うん、わかったよ」
シキがふわりと笑うのを見て、フィオナはほっと息を吐くと、キッチンへと向かったのだった。
☆
翌朝キッチンに降りると、シキはいつもの爽やかな笑顔で朝食を作っていた。
「おはよう、フィオナ」
「シキ、おはようございます。具合はどうですか?」
「うん、もうすっかりいいよ」
昨日のことなどまるでなかったかのように、にこにこと返されて、フィオナは少し拍子抜けだ。
あんな不安そうなシキは初めてだったので、すごく心配したのだ。
「ところでフィオナ、なんだか見た事のない食材が届いてるけど、これ何?」
フィオナはぱっと顔を輝かせて、保冷庫に駆け寄った。昨日の夜は動揺していたせいで保冷庫をよく確認していなかったが、いつの間にかフィオナの頼んでいたものが来ていたのだ。
「シキ、今日のお昼は向こうで食べませんか?ルティにも食べさせたいので」
「いいよ。何を作るの?」
「秘密です」
届いた食材を籠に入れて、フィオナはニマニマと笑みをこぼした。
午前中は、しばらく世話をしていなかった、畑の管理だ。フィオナがチューリップの世話をしている間に、シキは他の畑を見に行く。
相変わらず途中、催淫効果でヘロヘロになってしまい、シキにポーションを飲ませてもらう。
口移しでポーションを飲ませてもらうのが、すっかり慣れてしまっているが、いいのだろうか。
考えないようにしよう……。
少し糖度の落ちている畑に肥料をやって、水やりをしようとすると、シキに止められた。
「フィオナ、今日の夜、ルティが園内に雨を降らせるって言っていたから、水やりはいいよ」
「今日やるんですか!?見たいです!」
「うん、いいよ。楽しみにしていて。結構な迫力だから」
フィオナは夜が待ち遠しくて仕方なくなる。この広い園内に雨を降らせるのだ。一体どんな風にやるのだろう。
「さあ、お昼に戻ろう。フィオナが何か作ってくれるんでしょう?」
「はい!」
フィオナは無意識で鼻歌を歌いながら、研究棟に向かって歩き出した。
研究棟に戻ると、早速フィオナはキッチンに入り、準備に取り掛かる。
籠から取り出したのは、お米だ。
この国ではパンや小麦料理が主流なので、あまりお米を食べる習慣がないのだが、育ての親のリザナがお米の料理が好きだったので、小さい時から、フィオナはお米料理をよく食べて育ったのだ。
「ねえ、なあにその、白い種みたいなの」
「シキはお米を食べた事はありませんか?」
「オコメ?ないなあ。王都でも見た事ないよ」
「そうなんですね。これは、洗ってから、水で炊くんですよ」
「へえ、豆みたいな感じ?」
「うーん、ちょっと違うかな?」
フィオナはお米をといで、吸水させる。その間に、野菜と肉を切って、ハーブを入れると、鍋でよく炒めていく。トマトと水を少し入れて煮込み、そこにスープの素になる調味料を入れていく。ふわりと香ばしいハーブの香りがただよってくる。
今度はしっかり給水させたお米を火にかけて炊いていく。一旦沸騰させてから、ごく弱火でコトコトとしばらく放置する。
シキが後ろから興味深そうにのぞき込んできた。
「いい匂いだね。このオコメってすごく優しい香りがする」
手を伸ばして、鍋の蓋を開けて中を見ようとするシキの手を掴んで止めた。
「シキ、蓋を開けてはだめです。お米は、途中で蓋を開けちゃうと蒸気が逃げちゃうので、じっくり二十分放っておくんですよ」
「そうなんだ、面白いね。フィオナそれは?」
フィオナが籠から取り出した謎の袋を見て、シキが尋ねる。
「これはカレー粉です。あんまり辛いのは私が苦手なので、辛みが弱めのを頼みました。リザナおばさんが、カレー粉を王都から取り寄せていたので、試しに注文したら、ちゃんと届いたので良かったです!」
フィオナが鍋にカレー粉を入れて、かき混ぜながら煮込んでいく。一気に特有のスパイシーな香りがただよい始めた。
「うわっ!すごいね!すごく食欲をそそる香りだよ」
「でしょう?カレーっていう料理なんですよ」
「僕これは初めて食べるよ」
「お口に合うといいんですけど」
話しながらカレーを煮込んでいると、二階から駆け下りてくる足音が聞こえた。
キッチンにフリルのワンピースのルティアナが飛び込んできた。
「この匂いは!!」
「ルティ、今カレーを作っているんですよ。ルティも食べますよね?」
「カレー!やっぱりカレーか!食べる!食べるよ!」
「ルティはカレーを知っているんですか」
「ああ、昔どこかの街の食堂で食べた事があるんだ。すごく美味しかった!まさかまた食べられるとは!」
「ルティ、薬とかなんでも作れるんですよね?カレーくらい自分で作れるんじゃないですか?」
「うーん、そうなんだけど、料理は面倒だろう」
「今までいつも何を食べてたんですか!?」
「面倒だから、あんまり食べてなかったな。最近は食べる事自体が面倒だったから。栄養剤とポーションで大丈夫だし」
「シキ、今までルティに作ってなかったんですか!?」
「だって作っても面倒くさがって、食べてない時があるんだもん。フィオナが来るまでは、僕もお昼はあんまり食べてなかったし」
「ええええええ!?もう、ここの人達は、自分の身体をないがしろにしすぎです!これからお昼は私がここで作ることにします!ルティも、カレーとか、変わったお米料理なら、珍しいから食べるでしょう?」
「うんうん、私はお米は大好きだよ」
「酷いなルティ、僕の料理は美味しくなかった?」
「そんな事はないさ。ただ三百年も毎日パンを食べていると、もういいかなって思ってしまうんだよ」
少しむくれるシキが可愛くて、フィオナはくすりと笑う。
「まあ、いいか。僕もフィオナのお米料理食べたいしね。ねえ、まだ?」
「もうできますよ」
お米の鍋の火を止めて、少し蒸らし、カレーの味を調節する。
「出来ましたよ。お米にカレーをかけて食べるんです」
フィオナが皿に盛りつけて、テーブルに準備すると、ルティアナは待ちきれないとばかりに、スプーンを手に取る。
ツインテールの少女がスプーンを片手に、うきうきとカレーを待っている様は、なんとも可愛らしい。
三百歳だけど……。
ルティアナが早速カレーを口に運ぶ。
「うん!うんうん!美味しい!前に街で食べたのはもっと辛かったけど、これはこれで美味しいよ!」
シキはルティアナが食べる様子をみてから、同じように、スプーンにお米とカレーを一緒に乗せて口に運ぶ。
「ああ、これは、美味しいね!今まで食べた事がない味だよ。これは癖になるかも」
二人がカレーを美味しそうに食べる様子を見て、フィオナは嬉しくなる。
フィオナもカレーを口に運んだ。
うん、美味しい。
その後、シキとルティアナがおかわりをしまくったおかげで、鍋に沢山あったカレーはきれいになくなってしまった。
自分の作った料理を沢山おかわりしてもらえるのは嬉しいものだ。
空っぽになった鍋を見て、フィオナはにへらっと顔を崩すのだった。