診療所2
フィオナが初級解毒魔法を覚えると、パティは、フィオナに症状の軽い者の治療を任せ、自分はそれより症状の重い患者の治療をしに行った。
フィオナは、治療をしながら、患者を安心させるように話しかけ、ボードに治療記録を書き込んでいく。治療をしていくそばから、新しい患者がやってきて、広い集会場はすでにもうびっしり患者で埋まっていた。
治療をするもの以外にも、炊き出しや、患者の看病、物資の運び入れなど、手伝いの者があちこち動き回っており、中には騎士団や魔導警備隊、開発室の者もいた。きっと、各部署に支援要請が出ているのだろう。パティは治療をしつつも、周りの魔導士や、手伝いの者に的確に指示をしていた。
どこの部署もやはり優秀な人が居るものだなと感心しつつ、フィオナも自分に出来る限り治療を進めていった。
何時間たっただろうか、入り口の方が途端に騒がしくなった。
どうやら、幼い子供が運ばれてきたらしい。
咬まれた傷口が傷むのか、大声でわんわんと泣いている。子供に付き添っている母親も、子供の尋常ではない泣きように、パニック状態になっていた。
入口付近にいたフィオナは、今の患者の治療が終わり次第向かおうと思っていいると、近くにいたエレノラがちょうど手が空いたのか、駆け寄っていくのが見えてほっとする。
エレノラは母親に連れられてきた五歳くらいの男の子を、マットに寝かして、診察を始める。
その間にも、母親がヒステリックに、エレノラに掴みかかって、助けてあげてと懇願し男の子も大声で泣き続けていた。
エレノラは、大丈夫、軽症ですからと母親をなだめ、男の子の腕に治療魔法をかけはじめた。
「いたい!いたい!いたい!いたいよおおお!うわあああああああん」
子供はすっかり興奮してしまっているのか、治療を開始しても泣き止まず、母親がものすごい形相で
エレノラに詰めよった。
「大丈夫なんですか!?すごく痛がっているじゃないですか!本当にそれ、治療魔法なんですか!?」
エレノラは母親の迫力に押されて、手を止めてしまい、おろおろと困った様に子供と母親を見て、大丈夫ですから、と繰り返す。
「助けて!助けて!いたい、いたいよお!」
男の子がさらに泣き叫ぶのを見て、エレノラは困り切った様子で先輩の魔導士に助けを求めようと探していたが、皆手がふさがっていてすぐには来れそうもなかった。フィオナが目の前の患者の治療をしつつ、助けに入ろうか考えていると、エレノラは意を決したような顔で奥の鍵の掛かった薬品置き場の扉を開けて入っていった。なぜか、きょろきょろと周りを気にしながら出てきて、鍵を閉める。エレノラは、小走りで戻ってくると、男の子の横にひざまずいて、ポケットから紙袋を取り出した。
フィオナはエレノラが手にしているものを見て、はっとなって立ち上がると、患者にすぐ戻ると伝えて駆けだした。
「この薬を飲めば、すぐ良くなりますから」
エレノラは、周りの魔導士達に見つからないように小声で、そっと丸薬を取り出す。
男の子の口元に運ぼうとするその手を、フィオナは掴んで止めた。
びくりとエレノラが肩を震わせて、フィオナを振りむき、目を見開く。
「エレノラさん。だめです」
フィオナは丸薬を奪うと、薬袋に戻して、自分のポケットにしまった。
「で、でも、すごく、痛がっていて」
自分のやった事が間違っているとは、分かっているのだろう。エレノラはフィオナからすぐ視線を逸らすと、泣きそうな顔で、言い訳をする。
「その子は軽症です。この丸薬は重症者のためのものです」
「でも、こんなに、小さな子供が、泣いて、痛がってて……」
段々声が小さくなっていくエレノラに、薬がもらえないと分かったのか、今度は母親がフィオナに詰め寄ってくる。
「なんでもらえないんですか!こんなに痛がっているのに!お願いよ!薬をあげて!」
「お母さんは少し黙っていてください!ちゃんと治療はします!叫んでわめいても治らないんですよ!」
フィオナがぴしゃりと言うと、その迫力に押されたのか、母親が黙る。
フィオナは泣いている男の子の頭にそっと手をあてて、覗き込んだ。泣きすぎてむせ始めているので、いつもキノを抱き上げるように、そっと起こして膝の上に座らせると、背中をさする。
「ごめんね。痛いよね。でもすぐに良くなるかね」
いつもシキがフィオナにかけてくれるように優しい声を出す。
「どこが痛いのかな?お姉さんに見せてくれる?」
男の子はしゃくりあげながら、腕を見せて来る。赤く大きく腫れあがっていた。
「少し腫れちゃったね。でも大丈夫よ。お姉さんがちゃんと治してあげるかね」
「ほ、本当っ?」
止まらない嗚咽の合間に、男の子が聞き返す。
「本当よ。じゃあ、少し治療させてくれるかな。魔法で、君の中に入っちゃった悪い奴を、やっつけてあげるからね。大丈夫。全然いたくないから」
フィオナはいつもシキがしてくれるように、ふわりと微笑んでみせた。その瞬間に脳裏にシキの優しい顔が浮かんだ。
呪文をつぶやき魔法陣を発動させると、子供はびくりと身を強張らせた。何をされるのか分からなくて怖いのだろう。フィオナは急いで魔力を発動させると、患部に魔力を流し始める。ここまでいけば、もう何人も患者を相手にしてきたので、話しながらでも大丈夫だ。
「ほら、痛くないでしょう?」
「うん!痛くない」
「お名前なんて言うのかな?」
「オリバー」
「オリバー君かあ。いい名前だね。何歳なの?」
「五歳!」
他愛のない会話をしていくと、オリバーもすっかり落ち着いてきたのか、引きつっていた呼吸も収まって、じっとフィオナの治療を見ている。
「この毒はね、なかなか手ごわい毒なの。一回治療しても、また時間が経つと腫れてきちゃう。でもね大丈夫。お薬を飲んで、何回か治療をしたら、ちゃんと良くなるからね。だから泣かないで治療を受けれるかな?」
「うん!だってお姉さんの魔法全然痛くないもん!」
フィオナは治療を終えると、にっこりと微笑んで、オリバーの頭を撫でた。
オリバーは泣き疲れてしまったようで、治療がおわると、こてんと眠ってしまった。
振り返ると、ほっとした母親と、唇をかみしめているエレノラがいた。
「あの、先ほどは取り乱してしまい、すみませんでした。ありがとうございます」
母親が深々と頭を下げる。
「いいえ、お母さんもびっくりしましたよね。でも大丈夫ですよ。あと何回か腫れが出るかもしれませんが、治療魔法で治りますから」
優しく諭すように説明すると、母親は泣きそうな笑顔でうなずいた。
「エレノラさん、私、他の患者さんを途中にしてしまったから、ボード記入お願いしてもいい?」
フィオナがたずねると、エレノラは、分かりました、と小さくつぶやいてボードを取りに行った。
ふうと息を吐いて、治療をしていた年配の女性患者の元へ戻ると、にこにことした顔を向けられた。
「あんた若いのにすごいねえ!治療もそうだけど、子供の扱いも上手いし。もしかして子持ちかい?」
「ち!違います!妹みたいな子がいるので……」
本当はいつもシキがしてくれることを真似しただけなのだが、なんとなく恥ずかしくなって、赤い顔で治療を再開した。
ひと段落して、パティを探していると、後ろからぽんと肩を叩かれて振り向く。
「フィオナたん、さっきは助かったよ。エレノラの行動には気付いていたんだけど、ちょっと手が離せない治療中だったんでね。彼女には後でちゃんと言っておくよ」
「パティさん。私も最初に話しを聞いていなかったら、同じことをしていたかもしれません。あまり怒らないであげてください」
「ああ、あの子もこういう所は初めてだから、気が動転してしまったのだろうよ。怒るつもりはないさ」
フィオナはほっとして、薬袋をパティに渡すと、室内を見まわす。
「そういえば、ルティはいませんね。ここに居るって言っていませんでした?」
「ああ、あれは嘘。ああいわないとシキ君、折れてくれそうだったし」
「え!?」
「ルティアナ様は多分今頃、近隣の街の様子を見に行っているんじゃないかな。他の街でも大量発生してないとは限らないからね」
「だとしたら大変ですね」
「でも未だに連絡がないっていう事は大丈夫なんだろうね。おそらく念の為に殺虫剤を撒いているんじゃないかな」
「そうですか。それにしてもルティって、聞けば聞くほど、ものすごい人な気がしてきました」
「何言ってるんだい。フィオナたん。ルティアナ様は、ものすごい人なんてレベルではないのだよ?国王ですら一目置いているお方なんだから。いや、むしろ、崇めていると言ってもいいくらいだよ?この国がこんなに平和なのもルティアナ様のおかげみたいなもんだしね」
「それ、どういうことですか?」
「ん?ルティアナ様の力を恐れて、他の国が手だしできないってことだよ。ルティアナ様相手に戦争を吹っ掛ける馬鹿はいないからね。そのくらいルティアナ様の力は大きんだ」
「私の上司ってそんなすごい人だったんですか……」
「そうだよお。それはそうと、フィオナたん、そろそろ少し休憩しよう」
パティに連れられて二階に上がると、そこは、タオルやシーツなどの日用品が置いてあり、臨時の物置にしているようだった。ついでに、休憩室として使っているらしく、青いローブを来た魔導士が数人休憩していた。
椅子の置いてある部屋に入ると、休憩していた魔導士達が、フィオナを見て驚いた顔をする。
「あれ、パティ副室長。その人って……」
「フィオナたんだよ。手伝いに来てもらったんだ。見ての通り金色の新人だよ」
「ああ!あの、主席なのに魔植物園に志願したっていう!」
「うんうん。三ヶ月後に私の部下になるように、唾を付けようと思ってね。無理やりシキ君から奪ってきたんだ」
「ひええええ!恐ろしい事しますね!知りませんよ」
「大丈夫だよ。フィオナたんはいい子だからね。きっと私をかばってくれるさ」
またその話かと、フィオナは少しうんざりするが、それより男がいった言葉に驚いた。
「パティさんって副室長だったんですか!?」
「そうだよ?言ってなかったかね?」
「知りませんでした。どうりで……。みんなに的確に指示を出していたので、すごいなと思っていたんです」
「いやあ!それほどでもあるがね!」
パティはフィオナに飲み物と軽い食べ物を渡すと、楽しそうな目を向けて尋ねる。
「それでどうだい?ここに来て医療室の仕事を手伝ってみてどうだったかね?」
「すごく勉強になります。こういう診療所での診察の仕方にも感心しましたし、私の治療魔法がちゃんと役に立っていると思うと嬉しくて」
「うんうん、そうだろう?医療室は、直に患者にふれ合って、助けることができる。それは何も治療魔法だけじゃあない部分もあるんだよ。さっきフィオナたんが、あの子供にしたみたいに、声をかけて安心させてあげるだけでも、手を握って大丈夫といってやるだけでも、人は救われる事もある。君は教えられてもいないのに、自然にそういう事が出来ていたね。そして、自分の治療や言葉で、治した患者に、ありがとうと言われると、どんなに大変でも報われるんだよ。フィオナたん、どうだい、そんな仕事をしてみたいとは思わないかね?君は医療の現場にとても向いているよ」
パティが眼鏡の奥からじっとフィオナを見つめてくる。口元は笑っているが目は真剣だった。
確かにパティの言う通りだとフィオナは思った。自分が人の為に立っているという実感がものすごくあったからだ。
でも、パティの質問には、はい、とはすぐに答える事は出来なかった。
黙って考えるフィオナに、パティはさらに続ける。
「フィオナたん。君はどうして王宮魔導士になったんだい。なにか目的や目指すものがあったんだろう?魔法薬を学びたいからかい?それとも、魔獣から人を守るためかい?魔法の力で怪我や病気の人を助けたいからかい?それとも、生活を豊かにする魔道具を作りたいからかい?君は何がしたくて魔植物園に入ったんだい?」
パティの声は淡々としているのに、フィオナの心に重く響く。
「君が人の助けになりたくて魔導士になりたいと思っているのなら、きっと医療室は君の居場所になるだろう。まあ、まだ考える時間は沢山あるからね。今日一日、その身体で目でこの医療の現場を体験して、よく考えてみるといいよ」
にんまりと笑うパティに、フィオナは黙ってうなずいた。
私は何がしたくて魔植物園にいるのか……。
午後も同じように軽症者の治療を行っていく。途中アザリー室長とエイビス薬室長がやってきて、大げさに感激され、言うまでもなく勧誘もされた。勧誘には苦笑いで返したが、パティの言葉が、ずっと小さな棘の様に胸の奥に刺さっていた。
「あ、フィオナたん!僕の治療そろそろですか!?」
ぐるりと入口付近の軽症者を見て回っていると、最初に足を治療した男性に声をかけられ、くすりと微笑みながら男性の足をみる。また少し腫れが出てきているようだ。
「じゃあ、少し治療しましょう」
フィオナが呪文を唱えて、魔法を発動させると、男がにこにことしながらその様子をみて話しかけてくる。
「フィオナたんが来てくれて良かったよー。嬉しいなー。治療も上手だし」
「何言ってるんですか。最初は本当に大丈夫なのかって、言ってたくせに。それに、他の方もみんな治療が上手ですよ」
「それは、そうだったんだけど……。フィオナたんが来てくれてから、なんかすごく診療所が明るくなったと思うんだよねー。あ、あとあの眼鏡の人もね。あの人冗談とか言ってくれて、面白いし。二人がいると、なんかほっとするんだよ。ほら、みてよ。フィオナたんが治療した人はみんな、明るくなったじゃない。さっきの子どもだってそうだし、ほら、あの爺さんだって、朝まではずっと不貞腐れたんだよ。あっちのおばさんだって、ずっと不安そうな顔してもん。フィオナたんが治療したら、みんな機嫌がよくなったよ」
フィオナはぐるっと見渡すと、確かに笑っている人が増えたような気がする。それは、本当にフィオナだけでなく、パティの影響が大きいのだろう。けれどそう言われて嬉しくないわけがない。
「だとしたら嬉しいです」
「こんど何かあったら王宮の医療室に行っちゃおうかなあ」
「王宮の医療室は一般の方は許可なく入れませんよ。それに私は今日は臨時の手伝いで、医療室とは別の部署です」
「え!?そうなの!?フィオナたん、てっきり医療室の人かと思ってたよ。医療室に入ればいいのに。勿体ないー」
男のその言葉に、また心がちくりとする。フィオナは苦笑いを浮かべると、治療を終えて、他の患者の元へと向かっていった。
すっかり日が暮れたころ、入り口に騎士団の制服を着た男がやってきた。すぐ近くにいたフィオナにその男は声をかけてくる。
「追加の薬を届けに来ました!え!?金色のローブ!?」
男は目をぱちくりとさせていたが、フィオナは笑ってごまかした。パティを呼ぼうかと思ったが、手がふさがっているようなので、近くにいた青のローブの魔導士の男に声をかける。
魔導士の男は、すぐに薬品置き場に案内してくれて、フィオナは騎士の男と一緒に薬品を薬置き場に運んでいった。魔導士の男は、騎士の降ろしていった薬を在庫ノートにチェックし始めたので、フィオナもそれを手伝う事にする。
「それじゃあ僕が数を読み上げていくので、そこの台帳に記入をしていってもらっていいですか?」
「分かりました」
「えっと、解毒ポーションが二百本、解熱ポーションが百本、それと、上級体力回復ポーションが五十本、上級魔力回復ポーションが三十本。中級体力回復ポーションが百本これが薬室からです」
「魔力ポーションもあるんですね」
「ええ、これは、職員用ですよ。治療に魔力を沢山使うので。体力ポーションも半分は職員用です。交代制とは言え、人手不足ですからね」
「そうなんですね」
「あと、こっちのは、金のポーションですね。それの上級体力回復ポーションが五十本、上級魔力回復ポーションが二十本」
「金のポーション?」
「そうです。あなたの所のポーションですよ?特級ポーション並みに即効性と効能がある、魔植物園のポーションです。魔植物園の金色のシールが貼ってあるから、金のポーションって呼んでいるんです、体力ポーションは重篤患者用です。魔力ポーションは、重篤患者が増えすぎた時、職員が使うようですよ。これがあると、いざという時に、かなり助かります。薬室のももちろん効果はありますけど、効いてくるまでに時間がかかるし、効能も金と比べたら格段に落ちますからね。それにしてもこの前、納品してもらったばっかりなのに、よく在庫がありましたね」
そんなに在庫があったのだろうかと、フィオナは考える。確かにこの間百本ずつは作ったが、他にも注文があったし、おそらく街の他の医療所でも必要になっているはずだ。
シキがあれから作ったのだろうか……。
フィオナは急に胸が苦しくなった。そんなフィオナに気づくことなく、男は続ける。
「薬室で上級回復ポーション作るのだって相当手間がかかるのに、魔植物園は本当に凄いですよね。それにルティアナ様が殺虫剤を完成させてくれていなかったら、今頃もっと患者が増えていたでしょうねえ。でもまあ、あそこに配属はされたくないですけど……、あっ!すいません!」
男は口を滑らせたとばかりに、慌てて謝ると、薬を整理して、保管庫から出て行った。
目の前にある金のシールが貼られたポーションをじっと見つめる。
私は、何がしたい?なんで、国一番の魔導士になりたいと思った?
ふわりとシキが微笑むのが、頭に浮かんだ。
私がしたい事は……。
フィオナは急に、すとんと心が軽くなった。
もやもやしていた気持ちがすっと晴れて、気づくとパティの元へと走っていた。
「パティさん!」
「おや、フィオナたんどうした?」
「私戻ってもいいですか!?」
真っすぐに見つめると、パティは肩をすくめて残念そうに笑った。
「いいよ。フィオナたん、今日はありがとう。助かったよ」
「はい!ありがとうございました!」
フィオナは、診療所から駆け出すと、箒を出して夜の空に浮きあ上がり、ぐんとスピードを上げて王宮へと向かったのだった。
診療所の入口でパティはその姿を見て、ふっと笑ってつぶやいた。
「あーあ、残念。振られちゃったよ」