寒い時には人肌で
フィオナはシキが研究棟に戻っていくと、キッチンに上がり保冷庫の横を見る。
食材注文書があった。
その下には納品書も置いてあり、以前シキが注文したものが書いてある。
フィオナはそれを参考に、保冷庫を開けて、中に残っている食材をチェックしながら、何を注文しようか考える。
何か飲みながら、注文書を書こうと、お茶の入っている棚を開けた。ハーブティーを飲もうとしたが、肝心の茶葉が空っぽだった。あれはハーブ園のハーブを使って香り付けしているらしく、爽やかでほんのりラベンダーの香りがして、フィオナのお気に入りなのだ。
「ああ、ハーブティー、切れちゃったのか。あれ美味しいのになあ」
フィオナが残念そうにつぶやくと、後ろのテーブルでカタンと音がした。
振り向くと、テーブルの上に、透明な瓶に入った茶葉が置いてある。さっきまでは確かになかったはずなのに。
フィオナが瓶の蓋を開けて香りを嗅ぐと、求めていたハーブティーの香りがふわっと漂った。
もしかして……。
「レオナ?」
フィオナはつぶやいてみるが、誰もいない。でもきっとどこかで見ているはずだ。
「ありがとう」
フィオナはそう言って、にこりと微笑むと、ハーブティーを淹れ始めた。
シキの過去の注文を参考に、新しい注文書に食材を書き込んでいく。大体これで三日は大丈夫なはずだ。
フィオナは、ふと思いついて、注文書に文字を書き足した。田舎でリザナがよく作ってくれた料理を思い出したのだ。あまり、この国では見かけない食材なのだが、手に入るだろうか。駄目で元々のつもりで、フィオナはその注文書を保冷庫に貼っておいたのだった。
☆
今日もマダラミドリ蜘蛛の特効薬を作るため、朝からシキを手伝う。
キノもマッド君達もフル稼働だ。
シキは昨晩寝ていない事など全く感じさせない爽やかな笑顔で、フィオナに指示を出していく。
昼前に通信機にナック隊長の声が響いてきた。
マダラミドリ蜘蛛の状況を報告しに来てくれたらしく、通信機越しにシキと話をする。
『王宮内では、早めに注意勧告をしたから、それほど被害は出てないな。うっかり咬まれた者が昨日は二名。二人とも医療室で治療を受けているよ』
「王宮内はって言う事は、王都の街では被害が酷いんですか?」
『ああ、昨日のうちに、街の各警備隊の詰め所には連絡して、住民に注意するように伝えて回ってもらっているが、それより前に咬まれていた人間が結構いてな。街の医者達がてんやわんやになっている』
「街の医師からは報告は上がってなかったんですか」
『それが、ここ数日で一気に増えたらしいんだ。それに街医者は、あちこち沢山いるからな。数人患者が来てもたまたま重なったと思ったらしい。マダラミドリ蜘蛛の症状を知らない医者もいたしな。だが、街全体で見ればかなりの数だ』
「なるほど。これから増えるかもしれません。咬まれてから腫れるまで個人差があるんです。すでに咬まれてても、まだあまり症状が出ていない人もいるでしょうから。あとは、とにかく咬まれないように注意するように徹底してください。丸薬は昨日医療室に渡した分で最後です。新しく出来上がるのは早くて明後日ですから」
『わかった。あと、今日、国王が医療室と薬室に、緊急派遣命令を出した。街に臨時医療診察所を作って対応するらしい』
「それが良いでしょうね」
『まあ、とりあえず報告はこんなもんだ。とにかく薬を頼むぞ』
「分かってますよ」
フィオナは二人のやり取りを聞いて、唇を噛む。
自分もシキみたいに仕事が出来れば、もっと早く丸薬が作れるかもしれないのにと、悔しくなった。
けれどそれは考えても仕方のないことだと、必死に目の前の仕事に取り掛かった。
その日もフィオナは十一時まで仕事をすると、シキに送られて管理棟へと帰った。フィオナも残って仕事をすると、シキに抱き上げられないように注意しながら頼み込んだが、あっさりと捕まって、昨日同様抱っこされ管理棟に行く羽目になってしまった。
「シキ、本当に無理しないでくださいね」
研究棟に戻るシキに泣きそうな声で訴えると、シキはふわりと微笑んで、やはりフィオナの頭を撫でていった。
次の日、シキに伴われて研究棟に行くと、キノが研究棟の外の陽だまりで、眠っていた。
「キノも随分疲れているみたいですね」
「うん、ちょっと無理させちゃってるからね。午前中は寝かせておいてあげて」
「シキ、私も無理させていいんですよ。その方が嬉しいです」
シキの目をじっと見てせがむようにフィオナが言うと、シキが困ったように微笑んだ。
「フィオナ……」
「シキ、お願いします。丸薬は明日には出来上がるんですよね?だったら今日から私にも夜手伝わせて下さい。少しでも早く薬を届けたいんです」
「分かったよ。降参。でも、必ず数時間に一度は休憩を取るんだよ」
「はい!シキ、ありがとうございます!」
フィオナが嬉しくて満面の笑みでシキを見ると、柔らかく頭を撫でられて、おでこに軽くキスをされた。
「シキ!?な、何を!?」
「頑張れるおまじない」
そんなおまじないあるか!
フィオナは真っ赤な顔でシキを恨めしげに見ると、くすりと笑われた。
朝から、シキは真剣な顔で、マッド君とフィオナに指示を出して、自分も地下と作業場を行ったり来たりしながら、黙々と作業をしている。
ルティはあれから一度も見ていない。
フィオナの作ったご飯をシキが持っていってはいるが、自分の研究室に閉じこもったままだ。
少し心配になり、ルティの研究室をじっと見ると、気づいたシキが、フィオナの頭に手を乗せる。
「ルティなら大丈夫だよ。心配するだけ無駄なくらい元気だから」
「でも一度も部屋から出てきませんよ」
「うん、中で嬉々として作業してるからね。怖いから見に行かない方がいいよ」
「……はい」
昼前になって、作業場にキノが戻ってきた。
きょろきょろと何かを探すように部屋を見渡している。
「キノおはよう。もう大丈夫なの?無理したらだめよ」
フィオナが心配そうな顔を向けると、小さくうなずいて、フィオナに両手を広げて、てこてこと近づいて来きた。
「魔力が欲しいの?」
キノがうなずく。
フィオナは、キッチンの方へと目を向けた。
シキは少し前に、しばらく地下にいると言って降りて行ったきりだ。
フィオナはキノを抱き上げて、急いで口移しで魔力を与えていく。なんとなくシキに見らるとまずい気がした。キノは気持ち良さそうに目を瞑り魔力を取り込んでいる。
時々、キッチンの方へと視線を向けて、シキが来ない事を確認して、キノに魔力を与え続けると、キノが満足そうに口を離した。フィオナはにっこりと微笑んで、双葉の間を軽く撫でる。
可愛いな。
カタンと後ろから音がして、フィオナはびくりと肩を震わせた。
がばっと振り返ると、シキがふらりと立っていた。なぜか肩に毛布を掛けている。
「シキ!?こ、これは、そのっ」
フィオナは狼狽えて、しどろもどろになる。なんだか、恋人がいる相手に手を出したような、そんな気分だ。
シキは、うつむきながら近づいてくると、キノを膝に乗せたフィオナごと、ぎゅっと抱きしめた。
「シキ!?」
「ちょっとだけ」
フィオナは、はっとする。抱きついてくる、シキの身体がいやに冷たかった。まるで雪山から降りてきたばかりのようだ。
「シキ、身体すごく冷たいですよ!」
「うん、ワタユキの花を大量にさわってたから、冷えた」
「温かい飲み物を淹れましょうか?」
「うん、キノ、淹れて来て。あとバスタブにお湯をためておいて」
「え、私が……」
フィオナが言い終わる前に、キノはするっとフィオナの膝から降りると、キッチンにてこてこ歩いていく。シキはフィオナを冷たい手で掴んで、椅子から立ち上がらせると、ソファへと引っ張っていき、抱きしめて座った。
「シキ!?」
「寒い」
シキはそう言って、肩にかかっていた毛布でフィオナごと身体を包む。カタカタと小さく震えていた。
密着している部分が氷のように冷たく、シキの体温が相当下がっていると分かり、フィオナはシキに更にくっつくように抱きつくと、背中に手を回して、さすった。恥ずかしいけど、それよりなにより、シキが心配だった。
「フィオナあったかい」
シキはフィオナの頬に自分の頬をあてて首に顔を埋める。触れた頬がひどく冷たい。かかる髪がくすぐったいのを我慢して、なるべくシキが暖かいように、背中をさすり続けた。
そうしていると、キノがお茶を持ってやって来た。
「キノ、ありがとう」
シキはフィオナを抱いたまま、お茶に口をつけ、半分くらい飲んだ所で、ふうっと息を吐く。
「フィオナ、お風呂が湧くまでこうしていていい?」
「仕方ないですね」
「普通ならここまでならないんだけど、量が量だけに、冷えきっちゃったよ」
「シキ、無理しないでくださいって言ってるのに」
「だって、今日はフィオナも無理するんだろう?」
「そうだけど……」
「じゃあ、お互い様」
耳元で囁かれて、フィオナは顔が熱くなる。
「フィオナ、本当に暖かいね」
誰のせいだ!
そう思いつつフィオナは、下唇をきゅっと噛んで、シキの背中をひたすらさすった。
お風呂のお湯が準備出来たと、キノが呼びに来たので、フィオナはシキから離れようとすると、シキはぎゅっともう一度強く抱きしめてから、バスルームへとふらりと向かって行った。
よっぽど寒かったんだろうな……。
フィオナはお昼は何か温かい物を作ろうと、メニューを考えるのだった。
昼食後もひたすら丸薬作りの作業を続けていく。バスルームから戻ってきたシキはすっかり暖まったのか、再びテキパキと動き出した。
夕方になり、フィオナが、シキに作業の指示を受けていると、二階の研究室の扉がバンと大きな音を立てて開いた。
「出来たああああ!!!」
目をギラギラさせたルティアナが、ピンクのツインテールを揺らして降りて来ると、フィオナ達の目の前に、瓶に入った毒々しい色の液体を見せつける。
「出来たぞ!その名も、マダラミドリコロリ!」
その名前はどうなんだろう。
突っ込んだ方がいいのかなと考えていると、シキがにこりと微笑んで、ルティアナに言う。
「ルティ、やったね。こんなに早くできるなんてさすがだよ。でもその名前はどうかな?」
「分かりやすくていいだろ?んじゃ、ちょっと行ってくる」
ルティアナは、マダラミドリコロリの瓶を持って、ウキウキとしながら研究棟を出ていった。
「なんかすごく元気そうでしたね」
「だから言ったでしょう。心配するだけ無駄だって」
「シキ、あの薬どうやって使うんでしょうか?」
「うーん、おそらく希釈して、散布するんじゃない?」
「あれ、一瓶で足りるんですかね」
「ルティの事だから大丈夫だと思うよ。さ、それより、こっちはこっちで頑張ろう。もう一息だよ」
「はい!」
夜中の十二時を回ったころ、シキが、すり鉢に入った、焦げ茶色のペースト状の物を持ってやってきた。
「フィオナ、薬が出来たよ。後はこれを分量どおり計って、丸めて丸薬にする。丸めたら、風魔法で程良く乾かして完成だよ」
「本当ですか!?シキすごいです!。こんなに早く出来るなんて」
「フィオナやキノが頑張ってくれたおかげだね。もちろんマッド君達もね」
シキはちょうどフィオナが処理を終えた素材を受け取って、代わりにすり鉢を置く。
「さっそくだけど、丸薬を作っていってくれるかな?やり方を教えるね、ちょっと待っていて」
シキはそう言って、桶に魔力水を張ると、そこに数滴何かの薬品を垂らした。そしてキッチンで手を洗ってくると、桶に数秒手を浸す。桶から手を引きぬくと、風魔法でさっと手を乾かした。
「これで、準備はオーケイ。最初に手を洗って、この桶に手を数秒付けてから始めてね。分量はこの匙にぴったり一杯分。こうやってすくって、余分な分は、すり鉢の縁で落とす。そうしたら、両手でこするようにしながら丸めていくんだ。こんな風になったら完成だよ。出来たらそのトレーに入れて。後でまとめて乾かすから」
「分かりました!」
「じゃあよろしくね。僕はすり鉢にもう一杯分の処理があるから、あ、そうだ始める前にこれを飲んでおいて」
シキがポーション瓶をフィオナに渡す。
「体力回復ポーションだよ。多分朝までかかるだろうからね」
少し心配そうな顔をするシキに、フィオナはにっこりと安心させるように微笑む。
「はい、ちゃんと飲みます。シキありがとうございます」
シキはふっと表情を和らげると、地下へと戻っていった。