この研究所で一番まともなのは
研究棟に帰り、作業場に入ると、キノが作業台で、何かの木の実を潰していた。
近づいてなんの実なのか見ると、三センチくらいの見た事のない灰褐色の実だった。
だが、それはよく見ると、不思議な形をしている。そして気がついたフィオナは短い悲鳴を上げた。
「ひぃっ!な、なにこれ」
それは人の頭蓋骨の形をしていた。
「ああ、それはドクロソウの実だよ。キノ、順調だね、ありがとう」
キノは実をすり鉢で潰しながら、褒められて、口を笑みの形にする。
見た目幼い少女が、ドクロの顔の実を、嬉々としてすり鉢でつぶしているのは、なんともシュールな光景だ。
「フィオナ、ちょっと待っててね」
シキが地下に降りて行ったので、フィオナはキノの作業を見ていることにした。キノは物凄い手際の良さで、山積みのドクロソウの実を砕いていく。見た目より脆いらしく、実は簡単に粉々になっていった。
感心しながら見ていると、シキがすぐ戻ってきた。
「フィオナ、お願いがあるんだ」
「はい?」
「ちょっと地下での作業が長時間離れられない段階になっちゃったんだ。悪いんだけど、奥のキッチンで何か作ってくれない?」
フィオナは目を輝かせた。そういう事なら役に立てる。
「もちろんです!何か美味しいものを作ります!」
「ごめんね、実はさ、マダラミドリ蜘蛛が大量発生してるみたいで、それの薬作りを急がされているんだよ。医療室に午前中だけで、五人も患者がきたらしい。まあ、幸い初期症状で、向こうが対応したみたいだけど、これから丸薬が結構必要になりそうだからね」
「大量発生!?大変じゃないですか!分かりました。シキは作業に戻って下さい。ご飯が出来たら呼びますから」
「ありがとう。頼んだよ」
「ルティの分も作りましょうか?」
「うーん、そうだね。フィオナが作ったなら喜んでたべるんじゃないかな?」
「分かりました!任せてください」
「うん、ありがとう」
シキはふわりと微笑むと、地下に降りていった。
フィオナはキッチンに入ると保冷庫を開ける。あまり沢山の種類はないが、出来るだけ栄養のつくものを作ろう。
少し考えて、保冷庫から食材を出していった。
「忙しそうだから、食べやすい物がいいよね」
フィオナはサンドイッチを作る事にする。それなら、ルティも仕事の合間に食べられるだろう。
ゆで卵をつくり、野菜を切ると、鶏肉をハーブで焼いていく。
ゆで卵とキュウリのサンドイッチ、鶏肉のハーブ焼きと野菜のサンドイッチ、それに保冷庫にあったジャムとクリームチーズで、イチゴクリームチーズサンドイッチ。
少し多めに作ってしまったが、余っても後で食べられるはずだ。
コーヒー豆があったので、コーヒーも淹れる。いい香りがキッチンに広がった。
トレーにサンドイッチを乗せて、ソファの横のテーブルに運ぶ。
我ながら美味しそうにできたと思う。
シキを呼ぼうとして、一瞬ためらってしまう。なんとなくシキの研究室を見るのが怖い。ちらりとキノを見ると、一生懸命作業しているので、キノにお願いするのは気が引けた。
フィオナは意を決して、キッチンの奥にある地下へ続く階段を降りていった。
降りた先はすぐ作業場になっているのかと思ったら、扉があったので、ほっとして、フィオナはその扉をノックする。
「シキ、ご飯が出来ましたよ」
声をかけると、すぐに中から返事がくる。
「うん、ありがとう。いま行くよ」
フィオナは扉を開けずに階段を登って戻った。ソファで待っていると、すぐにシキが階段を上がってやってくる。
「うわあ、美味しそう」
「シキ、作業は大丈夫ですか?」
「うん、二十分くらいは放っておいて平気」
「ルティの分はどうしましょう?持っていった方がいいですか?それとも呼びます?」
「ああ、じゃあ僕が持っていくよ」
シキはフィオナからコーヒーのカップを受け取ると、サンドイッチと一緒に、二階に持っていく。
部屋の前で、声を掛けて、研究室の中へ入って行くと、すぐに戻ってきた。
「ルティすごく喜んでいたよ」
「本当に?よかった。ルティもあの丸薬を作っているんですか」
フィオナはシキにコーヒーを注ぎながら尋ねる。
「いや、ルティは別の事。マダラミドリ蜘蛛だけに効く殺虫剤を作っているんだよ。サンドイッチ頂くね」
シキは、サンドイッチにかぶりついて、すごく美味しいと、嬉しそうに微笑む。
「殺虫剤ですか」
「そう、これかなかなか難しいんだ。一個体だけに効いて、植物とかにも影響がない薬剤を作るのは難しいんだよ」
「確かに難しそうですね」
「ルティじゃなきゃ無理だろうね。僕がやったら月単位で時間が掛かるよ。ルティなら多分数日で作ると思う」
フィオナは目を丸くする。
以前シキが魔導士長より偉いと言っていたけど、ルティって一体何者!?
「ルティって、なんだかものすごい人なんですね」
「うん」
シキは自分が褒められたように、嬉しそうな顔をする。
「シキは特効薬の丸薬を作ってるんですよね?」
「そうだよ」
「どのくらい作るのに時間がかかるんですか?」
「うーん、急いで作っても四日は掛かりそうだなあ」
「あの、私でも手伝える事はないですか!?」
「うん、午後からはフィオナにも手伝ってもらうつもり。何せ量を作らないといけないからね」
「頑張ります!」
「ありがとう。本当は午後は傷薬の素材を取りに行きたかったんだけどね。仕方ないか。国王からの要請書だからね。蜘蛛が一段落したら、傷薬の作り方をおしえるからね」
「はい」
昼食が終わると、シキはフィオナができそうな作業を指示し、また地下に降りていく。
作業中はキノがさり気なくフィオナを見てくれていた。
器材を探していると、さっと取ってきてくれたり、フィオナが作業し終わった物を、そっと地下に運んでくれたりする。
つくづくキノの優秀さを思い知る。
本当にここの魔植物園は、人間も魔人も優秀だ。
シキは、フィオナが作業を終える頃に、また新たな指示をしにくる。指示も要点を捉えていて的確だ。このシキの采配の良さにも頭が下がる。今日のシキは、いつも通り優しいのだが、必要な事だけをフィオナとキノにテキパキと指示して、仕事に集中しているようだった。いつもすごい人だとは思っていたが、今日は更にそう感じさせられる。フィオナの理想のできる上司像そのものだ。
フィオナは、自分も頑張らねばと、手元の素材に集中した。
指示された素材の処理をしていると、作業台の反対側で風魔法を使って、不思議な大きな果物の様な実を八等分にカットしていたキノが、突然作業をやめて、フィオナに近寄って来た。
フィオナの服の裾を掴んで引っ張る。
「どうしたの?キノ」
キノは両手を広げて、抱っこして、と言うような仕草をした。
甘えられるのは嬉しいが、今は仕事中だ。この作業が終わったら、少し休憩をもらって、その時目一杯抱っこしてあげよう。
「キノ、これが終ったら抱っこしてあげるね」
キノの双葉の間を撫でると、キノは首を振って、もう一度両手をフィオナに向ける。どうしても今らしい。
仕方なくフィオナはキノを膝の上に抱き上げる。
するとキノは身体をフィオナの方を向けて、手を伸ばしてくる。
どうしたのだろうと、不思議そうに見ていると、キノはフィオナの頬に両手を伸ばして、顔を引っ張ろうとしてきた。
訳が分からず、されるがままになっていると、キノはフィオナの唇に自分の口をあててきた。
そこでやっと気が付いた。
魔力を欲しがっているのか!
口をつけても、魔力を流してくれないフィオナに、キノは口を離して、じっと見つめると、フィオナの服を引っ張る。
「キノ、魔力が欲しいの?」
キノがうなずく。
「そっか。ごめんね、すぐに気づかなくて。今あげるからね」
フィオナは、キノの口にそっと唇をあてると、魔力を流していく。ポーションを作る時ような感じと前にシキが言っていた事を思い出す。
これでちゃんとキノにご飯をあげれているのだろうか?
心配になり、一度口を離すと、キノに尋ねる。
「キノ、ちゃんと流れている?魔力もっと多い方がいい?」
キノは首を振る。
「今くらいでいい?」
キノはうなずいて、早くとねだるように、顔を寄せてくる。
フィオナは優しく微笑むと、キノに唇をつけて魔力を流す。どのくらいそうしていただろうか。キノが、ゆっくりと口を離してフィオナの後ろを見た。
フィオナも振り向くと、すぐ後ろにシキが立って、二人を驚いたように見ていた。
「シキ!?」
「そろそろキノの魔力がなくなるかなと思って、きてみたんだけど、フィオナがあげてくれたんだね」
「あ、えっと、その、キノが、欲しいってねだるので……」
「そっかぁ、すっかりフィオナになついちゃったね。いや、いいんだよ。フィオナ、キノに魔力をあげてくれてありがとう」
いつもの様にふわりと微笑むが、なぜかその笑顔がさみしそうに見える。若干肩を落として、また地下に下りようとするシキを見て、キノはフィオナの膝から飛び降りると、すかさずシキのシャツを掴んで引き止めた。
「どうした、キノ?」
シキがしゃがんでキノの頭に手を乗せると、キノはシキの唇に自分の口をあてた。
シキの顔がぱっと喜びに崩れ、そのままキノを抱き上げて、ソファに座り膝に乗せる。
にこにこと顔を綻ばせて、魔力をあげているシキを見て、さっきまでの、できる上司像がガラガラと崩れていった。
キノは、つくづくよく気が利くというか、気の回し方が上手いというか。
シキのツボをよく捉えている。
この研究所で一番人間的にまともなのはキノなのかもしれない。魔人だが……。
その後も順調に作業をこなし、夕食もフィオナが研究棟で作る事にした。
そのくらいしか、シキの役に立てないのが悔しいが、少しでも美味しいもので元気になって欲しいと思う。
夕食後も、もちろんすぐに、丸薬作りだ。
実を砕いたり、素材の皮をむいたり、とにかく出来る事をこなしていく。
支持された作業がひと段落したころ、シキが地下から上がってきた。
「フィオナ、終わった?」
「はい」
「じゃあ、管理棟に送っていくから、今日はもう休んで」
「まだ、大丈夫です。手伝えることがあるなら、言ってください」
「だめだよ。もう十一時じゃないか。フィオナはまだここに慣れていないんだから、必ず一日六時間以上は睡眠を取ること」
「でも、せめて丸薬が出来るまでは……きゃあっ!」
言い終わる前に、問答無用でシキに抱き上げられてしまった。
「だめ、もう終わり。ちゃんと眠って」
「シキ、降ろしてっ」
「ちゃんと管理棟に戻るなら降ろしてあげる」
「でも、シキもルティもこれから寝ないで仕事をするんでしょう?」
「僕たちは慣れているからいいの。戻らないっていうなら、僕がこのまま抱っこしていくから別にいいよ」
シキはそう言って、ふわりと笑うと、フィオナを抱き上げたまま、研究棟を出て歩きはじめる。
これは粘っても無駄だと察したフィオナは、すぐさま諦める事にした。
「分かりました。ちゃんと管理棟まで戻って寝ますから、だから降ろして」
「うーん、どうしようかな」
「さっき戻るなら降ろしてくれるって言ったじゃないですか」
「でも、降ろしたら、フィオナは走って研究棟に戻ろうとするかもしれないし」
「そんな事しません。魔植物園の中は一人で歩かないって、シキと約束してるし」
「だから、一人で歩かないけど、一人で走るかもしれないでしょ?」
「何ですかその屁理屈!?」
「うそ、フィオナはそんな事しないって分かってるよ」
「シキ、嘘はつかないってよく言うくせに、結構嘘つき」
「大事なことは、嘘つかないよ」
「ねえ、本当に降ろして。重いでしょう」
「全然」
「恥ずかしいから降ろしてください」
「でも誰もいないし。恥ずかしがっても仕方ないじゃない」
ああ言えばこう言う。
フィオナは諦めて、身体の力を抜いて、シキにもたれた。
「もう、知りません」
「うん」
ふわりと笑われる気配がして、フィオナはシキの体温を感じながら、ゆらゆらと心地いい腕に身を任せた。
研究棟につき、やっと降ろして貰えて、ほっとすると、すぐに戻ろうとするシキに尋ねる。
「シキ、明日の朝ごはん、向こうで食べませんか?」
「いいけど、どうして?」
「こっちから食材を持って行って、ルティの分も向こうで作っていですか?」
シキは嬉しそうに微笑むと、うなずいた。
「ルティが喜ぶよ。フィオナ優しいね」
「そんな事ないです。少しでも役に立ちたいですから」
「そうだ、フィオナ。じゃあ、食品の注文も任せていいかな?保冷庫の横に、注文票があるから、そこに欲しい物を書いて、保冷庫に貼っておいて。多分明日あたり、業者の人が来ると思うから。お肉とか、乳製品とか、魚とか好きな物を頼んでいいよ。三日分くらいの材料をよろしくね。そこで注文した分は経費で落ちるから、甘い物とか、ちょっと変わった物とかでも、欲しい物があれば注文していいよ」
「なんでもいいんですか?」
「うん、任せるよ。野菜とハーブはレオナが収穫して保冷庫に入れてくれるから、それを使って。とくに使いたいハーブがあれば、レオナ宛に紙に書いて、キッチンにでも貼って置けば、採っておいてくれるよ」
「わかりました」
「じゃあ、戻るね。フィオナお休み」
「お休みなさい。シキ、あんまり無理しないでくださいね」
フィオナが心配そうな声を出すと、シキはふわりと微笑んでフィオナの頭を撫でて、研究所に戻っていった。