深夜の定例会議
今回はシキ視点です。
7/7日サブタイトル変更
「それで、フィオナの具合はどうだい?」
「大丈夫。腫れも出ていないし。あの場で、マダラミドリ蜘蛛だって分からなければ、酷い事になっていただろうけど、すぐに気づいて毒も吸い出したからね」
「ならいいけどさ」
ルティアナが、コップに入っている透明な酒をあおる。
今日は、週に一回、夜の定例会議。
まあ、ただの飲み会ともいう。もう何年も週に一度、互いの仕事状況を話しながら、こうして、ルティアナの部屋で夜明けまで飲み明かす。
シキはこの時間が好きだ。
研究棟の二階、ルティの部屋の床に二人は向かい合って座って酒を注ぎ合う。真ん中に灯されたランプの光がゆらゆらと二人を照らす。
「それにしても、温室の畑にマダラミドリ蜘蛛がいるなんておかしいよ」
「こりゃあ、マダラミドリ蜘蛛が大量発生したのかもね。一応魔導師長には、全部署に警戒するように伝えて来たけどね」
「ルティ、ありがとう。本当ならそういうの僕の仕事なのにね」
「いいさ、あんたはフィオナに付いていたかったろうしね。時折あるんだよ、こういうの。十五年前にはさ、キイロヒアリが大量発生してさ、あのときは大変だったね」
「ふうん、でも、あれの特効薬もあるでしょう?」
「その時に私が作ったんだよ。あれは元々そんな毒素が強い奴じゃなかったのに、何かの拍子に突然変異した特殊個体が大繁殖したんだ。だから薬なんてなかったのさ。それで、仕方ないから私が作った。もう、忙しくて死ぬかと思ったよ」
「ふふ、お疲れ様」
「他人事だと思って」
「うん」
シキは飲んでいたグラスを傾ける。自分でもかなり酒には強い方だと思うが、ルティアナには敵わない。
「んで、シキに夕方報告受けてから、とりあえず、マダラミドリ蜘蛛の薬の素材は揃えておいたから、明日からお前大量に作っておきな」
「え?もう全部揃えたの?」
「いや、肝心なのがまだ残ってる。オオマダラミドリ蜘蛛の体液」
「だよね。奴、深夜にしか活動しないし」
「シキ、後で取って来な」
「うん、でもまだ早いね。もう少し遅くなったらいくよ」
シキは空っぽになったコップに、手酌で酒を注ぐ。
「何飲んでいるんだい?」
「残り最後一本のアケビ酒」
「ふうん、私にもちょうだい」
ルティアナは、自分のコップに残っていた酒を一気に飲み干す。シキはそこに、にこにこしながらアケビ酒を注いだ。
「随分楽しそうじゃないか」
「うん」
「フィオナが来てから、前にも増して一日中ニマニマして。そのうちウザいって言われるぞ」
「フィオナは言わないよ。ねえ、ルティ、聞いてよ」
「なんだよ」
「今日さ、魔導部署全部が、フィオナをよこせって言ってきた」
「ふうん。それで?」
「もちろん、あげないけどさ、最後に医療室のアザリー室長が来て、せめて研修に出せって言ってきたから、断った。まあ、ある程度の譲歩はしたけどね。それでさ……」
言いかけて、シキの顔がさらに緩む。
「アザリー室長がフィオナにも詰め寄ったんだ。フィオナは研修受けなくていいのかって。他の新人に比べて損をしているみたいな言い方でさ」
「へえ、アザリーも生意気いう様になったね」
「でさ、フィオナなんて言ったと思う?」
「さあ?」
「自分の上司は僕だから、僕に従うって。自分は研修を受けなかったとしても、働きたいのは魔植物園だから構わないって」
「へえ、随分なついてるじゃないか」
「うん」
「それで、そんなに、だらしない顔してるのか」
「うん、嬉しいからね」
「まあ、三ヶ月後までどうなるかは分からないからね。あんたもそんなに腑抜けていると、今にえらい失敗して、フィオナに逃げられるぞ」
「そんなことしないよ」
「えらい自信じゃないか」
「もう、十年ルティに鍛えられているからね」
ルティアナはふっと笑って、アケビ酒を飲み干し、シキに注ぐように、コップを揺らして催促する。
シキは、ルティアナに酒を注ぐと、少し不服そうに言った。
「ルティ、これ最後の一本なんだよ。そんなに水みたいにがぶがぶ飲まないでよ。僕の分がなくなっちゃうだろ」
「知った事か。なくなるのが嫌なら、自分もさっさと飲めばいいだろう」
にひひと笑って、ルティアナは、酒に口を付けた。
シキは仕方なく、自分のコップのアケビ酒を一気に飲み干すと、並々と注ぎ足した。
せめて、自分の分は確保しなければ。
アケビ酒は相当アルコール度数が高い。一気に飲んだので、さすがに、少し酔いが回ってきたなと、感じる。なにせ、アケビ酒の前にも、仕事の話をしながら相当飲んでいるのだ。
まあ、このくらいなら、まだまだ大丈夫だけど。
シキはふふっと笑って、また一口味わう。
「そういえばさ、この前のフィオナの唾液。あれ、どうだった?」
「ああ、だめだった。どの植物とも合わなかったね。フィオナの遺伝子の入った魔人とか、面白そうだったんだけど」
「そうかあ、残念だな。楽しみにしていたのに」
「やっぱり人間の遺伝子を組み込んでの合成は、そうそう上手くいかないもんだね。レオナを作ってからまだ、一度も成功してないよ」
「僕もキノだけだね」
「キノは本当にラッキーだったのさ。私が教えてたった五年で作れたんだからね。私なんて、この研究をしてから、レオナを作るまでに二十年はかかったんだからね」
「才能かな?」
「たまたまだろう」
ルティアナがまたアケビ酒を飲み干して、今度は手酌で、コップのふちギリギリまで注いでいく。
アケビ酒の瓶はもう半分に減っていた。それを見たシキは、自分のアケビ酒をすぐに飲み干して、負けじとコップのふちまで注ぐ。
ちょっと回ってきたかも。気持ちいい。
シキは、ランプを邪魔そうに横にどかすと、胡坐をかいて床に座っているルティアナの足の間に、ごろんと横になり頭を乗せる。
「なんだい、珍しいな」
自分の胡坐の上に頭を乗せてきたシキを見て、ルティアナは面白そうに笑う。
「ルティ、ペース早すぎ。ちょっと回って来ちゃったよ」
「なにいってるのさ。そろそろ、いい時間だぞ。マダラミドリ蜘蛛の体液取りにいくんだろ」
「ああ、そうだった。ルティも一緒に行こうよ。あそこは特区のE区画だよ。そんな危険な場所に、酔っぱらっている部下を一人で行かせてもいいの?」
シキはルティを見上げて、ふわりと笑う。
「今日は珍しく甘えるね。うーん、まあいいか。軽い運動がてら行くとしようか」
「優しいね、ルティ」
「今日だけだぞ」
二人はコップのアケビ酒を飲み干すと、研究棟の外へでた。
「じゃあ、いくか」
ルティアナは箒を出すと、ぴょんと飛び乗る。シキも魔法で箒をだす。シキの箒は真っ黒で、不思議な曲線の形状だ。もうしっくりと手に馴染んでいるその曲線にシキはふわりと乗る。
ルティアナに付いて飛ぶが、相変わらず彼女のスピードは半端ない。障害物だらけの森の中を、曲芸の様にくるくると進んで行く。
シキは、うっかり木の枝にぶつかりそうになり、飲み過ぎたかなと、苦笑いする。
なにせ夜中なのだ。明かりの魔法で照らしてはいるが、森の中は薄暗い。
一気に森を抜けて、チューリップ畑へとでた。月明かりに照らされて、ゆらゆらと揺れる一面のチューリップはなかなかに、壮大で幻想的だ。
こんど夜中にフィオナを連れて来ようかなと、ふと考える。
チューリップ畑を低空で抜けると、そこからは魔植物園の中でも特に危険な場所だ。
そこから先は特区と呼んでいて、奥に行けば行くほど危険度が上がる。
目の前のルティアナが、一気に高度を上げていく。
夜中は、ここから先低空で森を抜けるより、慣れた結界やトラップのある上空の方が楽なのだ。飛んでいる途中で暗い中、どこから危険な植物や生き物がちょっかいを掛けてくるか分からない。
シキも同じように高度を上げていく。いつもならこのあたりから、半透明の網状のトラップが、ランダムに仕掛けてある。それをよけながら飛ばなくてはならないのだが、そんなのはいつもの事だ。
ルティはさっさと通り抜けて、先に進んで行く。シキも、トラップをするりと避ける。その途端、突然雷撃が槍の様に飛んできた。すんでのところでかわすと、目の前にまた網状のトラップが待ち構えている。それもギリギリで避けると、避けた先に雷撃が降ってきた。今度はそれを、防御結界を発動して防ぐ。そんなことを繰り返して、トラップを抜けると、抜けた先で、ルティアナがニヤニヤとした笑みを浮かべて待っていた。
「トラップ変えたなら、そう言っておいてよ。ちょっと危なかったよ。酔っぱらっているのに」
「言ったら意味ないだろう?シキが危なかったっていうなら、まあいい感じに仕掛けられたかな」
「酔っぱらっていたからだからね」
「んじゃ、明日もうちょっときつめに直しておこう」
ルティアナはこうやってしょっちゅうトラップの仕様を変えるので、油断できない。
そろそろ変えるころだと思って、少し警戒しておいて正解だった。
「んじゃ行くか」
きっとシキが初見でどのくらいトラップに手こずるのか見たくて付いてきたのだろう。
シキは、思わず笑みが浮かぶ。
楽しくなってきた。
その後も、前とは全く違う仕様に変えられているトラップを潜り抜け、E区画へとたどり着いた。
二人はゆっくりと高度を落としていく。
このあたりの魔植物は、もうどれもこれもが猛獣と変わりない。
周りから、トゲだらけの蔦が鞭のようにしなって飛んでくるのを、軽くあしらいながら、オオマダラミドリ蜘蛛を探す。ルティアナは何でもなさそうにトゲの蔦をかわして、箒の上に立ち上がると、腰に手を当てて、周りを見渡している。
「あー、いたいた。シキいくよ」
ルティは、ひゅんと箒をしならせて、森の一画に降り立った。シキもそれに続く。
そこはホタルブクロの群生地だった。
ホタルブクロは、一本の茎から淡い紫色の袋状の花が、下向きに数輪連なって咲く花だ。その袋状の花は、甘い香りを漂わせ、近づいてきた虫や昆虫をぱくっと食べてしまう。人間も指を近づけたら、花弁に吸い付かれ中の消化液で溶かされてしまう。
昼間はそれだけなのだが、夜になると、中の消化液が発光して、花はまるでランプの様に光を灯しながら揺れ動き、幻覚を誘う。
一面のホタルブクロが淡い緑光に発光し、揺れ動いている様は、蛍の群れの中にいるようで、なんとも美しい。見慣れているシキですらつい、うっとりとしてしまいそうになる。
だが、ホタルブクロの幻覚作用はかなり強力だ。もう随分慣れたシキですら、長居すると、くらくらしてきてしまう。
さっさと大蜘蛛の体液を採取してしまおう。
ホタルブクロの群生地の真ん中に、牛ほどの大きさの胴体を持った巨大な蜘蛛が目を赤く光らせて、獲物を狙っていた。獲物とはもちろんルティアナとシキである。蜘蛛は、黒く長いギザギザとした足を、ゆっくりと動かし、ルティアナに近づこうとする。月の明かりを反射して、口にある鋭い牙がぎらりと凶悪に光った。
「んじゃ、私は囮ね。シキは注射器三本分の体液よろしく」
「うん、分かったよ」
あー、いい感じに酔いが回ってきてるなー。
シキはふっと口の端を上げる。
きっとルティアナが変えたトラップで身体を動かしたせいだ。
ルティアナが、蜘蛛に向かって飛んでいった。蜘蛛の口元から、白い糸が勢いよく吹き出してルティアナを捉えようとするが、彼女はピンクのツインテールを揺らして、それを軽々とかわしていく。
シキはその隙に箒で蜘蛛の真上まで行くと、マダラ模様のその背に飛び乗った。
すぐに蜘蛛が暴れ出し、ところかまわず、糸をまき散らしてくる。その糸は、意思があるように、ルティアナとシキを追い回す。
「あははっ!さすがE区画の魔獣だね」
「だろう?私が作ったんだからこのくらいしてくれないと困るさ」
ルティアナが糸を巧みによけながら得意げに言う。
「ねえ、ルティ!僕、いい感じに酔っぱらってきちゃったよ!」
シキは蜘蛛の胴の上で、糸をよけつつ、カバンから出した、太い注射器の針をぶつりとその腹に突き刺した。蜘蛛は怒り狂い、足をばたつかせ、シキを振り落とそうする。その間も糸の攻撃は止まない。
「酔っぱらっているくらいで丁度いいだろう?」
「うん、すごく楽しよ!」
風魔法で襲ってくる無数の糸を薙ぎ払い、暴れる蜘蛛の上で、注射器の内筒を引っ張ると、シリンジの中に、どろりとした濃い緑色の液体がたまっていく。
一本目のシリンジが満タンになったところで、二本目のシリンジを付け替える。
風魔法の防御を潜り抜けて、糸がシキめがけて飛んできた。
瞬時に箒を出して捕まると、注射器を刺したまま、くるりと宙で回転してかわした。
「シキー、まだー?飽きてきたんだけどー!」
糸の攻撃の大半を引きつけているルティアナが、不満げに叫んでくる。
「もうちょっと遊んでてー。後二本ー!」
シキは再び蜘蛛の上に着地して、一気に体液を吸い取り、三本目に付け替える。暴れまわる蜘蛛の上で体勢を保ちながら、糸をかわし薙ぎ払い、三本目を満タンにして、針を引き抜く。シキは針を刺した、傷口に魔獣用の傷薬を、さっと塗り付ける。
「はい、注射終わったよ。痛かったね。我慢出来ていい子でした」
シキは蜘蛛の腹を軽く撫でると、注射器をしまい箒に飛び乗る。
「ルティ、終わったよー」
「おう!んじゃ帰るか」
「うん」
二人は一気に高度を上げる。
ふらりとよろめいて、危うくトラップに引っかかりそうになってしまった。
「珍しくちゃんと酔っぱらってるじゃないか」
ルティに向かって、ふわりと笑う。
夜風が吹き抜けて、酒で火照った身体を冷ましていく。
「ルティ、今さ、すごく気持ちいい」
「そりゃあ良かったな」
「うん」
「まあ、でも私が居なくても余裕だったな。わざわざついてこなくても良かったかな。トラップの反応だけ見て帰れば良かったよ」
「だめだよ。だって今日は久しぶりにルティと一緒に、散歩したかったんだから。ああ、本当に楽しかった。ねえ、ルティ、また一緒に来ようね」
「本当にお前は人たらしだよねえ」
研究棟に戻るとすでにもう朝の四時になっていた。
「んじゃ、今日は解散。少し寝るかなあ」
ルティはあくびをして二階に上がっていった。
シキは蜘蛛の体液を保管用の瓶に移すと、それを持って地下に降りる。丸薬作りは時間も手間もかかるのだ。
作業にとりかかろうとして、ふと気づいた。
あ、なんか酒臭いかも。
フィオナに酒臭いって言われちゃうかな。
シキは、じっと薬品棚を見る。特級異常状態解除ポーションだ。もうシキは特級ポーションしか効かなくなっている。
二日酔いに特級ポーションを使うなど、自分くらいだろうなと、苦笑いする。
「ああ、でも、あれも作るの面倒くさいんだよなあ」
ポーションを作る過程を想像して、げっそりとする。
でもフィオナにポーションを口移しした時、酒臭いって顔を背けられたらちょっと嫌かも。
悩んだ挙句、シキは棚から貴重な特級ポーションを取り出して、地下へと降りて行ったのだった。