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マダラミドリ蜘蛛

 薬剤室の薬品チェックが終わると、シキがぽそりとつぶやいた。


 「それにしても、マダラミドリ蜘蛛かあ。ちょっと時期が早いのに、もう出てきたか」

 「私、はじめて聞きました。マダラミドリ蜘蛛」

 「ああ、フィオナが住んでいたのは北の方だからね。あっちには生息していないんだよ。このあたりから南に多いんだ。個体数はそんなに多くないし、森の奥深くとか、藪の中みたいな所にいる奴だから、あんまり咬まれる人はいないんだけど。フィオナも、外で森に入る時は気を付けてね。半袖とか、スカートなんかで入らないようにね」

 「はい。そんなに危険な蜘蛛なんですか?」

 「めったに死ぬことはないけど、咬まれたところを治療しないで放って置くと、赤紫色にパンパンに腫れあがって、高熱が出るんだ。腫れた所は、ひどく痛むしね。医療室でも時間を掛ければ治せるんだけど、薬をもらいに来たって事は、症状がひどかったのかも知れないね」

 「でも、すぐに治るに越したことはありませんよね」

 「そうなんだけど、あの薬作るの大変だから、軽い症状なら医療室でなんとかして欲しいものだね」

 「なるほど……」

 「一応ルティに報告しておくかな……」


 少し何かを考えるように、シキは目を細めた。

 それを見て不安そうな顔をするフィオナに、シキは気を取り直すように、ふわりと微笑む。


 「フィオナ、この後、外にあるハーブ園と、温室に行ってみよう」


 そういえば、ずっと魔植物園の中にばかりいたが、外にも、ハーブ園と温室があるのをすっかり忘れていた。最初に連れてこられた時、あの温室の中は何だろうと思ったのだ。


 管理棟から少し歩くと、広いハーブ園が広がっている。シキは手に籠を持ってきていた。


 「ここのハーブは基本的には自分たちの食用なんだ。たまに香り付けで薬に使う事もあるけれど、大体は料理とか、お茶とか、あとバスルームにある石鹸とか、そういうのに使っているね。まあ、趣味みたいなものだよ。たまに他の部署の人達が個人的に売って欲しいって来る時もある」

 「売っちゃっていいんですか?」

 「別に、自分の使う分さえ残せば、売っても大丈夫だよ。だって、これ、僕が作った専用の畑だし」

 「そうなんですか!?というか、シキは、本当にすごいですね。仕事もしながらハーブ園の管理までしているなんて」

 「ああ、ここの管理は、管理棟のお手伝いさんがやってくれているんだ。あっちの温室もお手伝いさんが管理してくれているんだよ」

 「温室には何があるんですか?」

 「見てみる?」


 シキが楽しそうに微笑む。


 温室に入ると、そこは一面の野菜畑だった。トマトにキュウリ、ナス、ピーマンなど、色とりどりの野菜が実をつけている。


 「うわあああ!!」

 「ここは野菜畑。果物も少し育てているよ。まあ、育てているのはお手伝いさんだけど。いつも食べている野菜はここのだよ」

 「すごい!すごいですよ!ああ、お手伝いさんに会ってみたいなあ」

 「フィオナならきっと仲良くなれるだろうね。まあ、慣れるまでもう少し時間がかかるだろうから、気長に待ってみて」

 「はい」


 シキと一緒に野菜を採って籠に入れていく。

 魔植物園の植物と違って、何かに警戒しないで収穫できるというのは、なんて楽なんだろうと、しみじみ実感しながら、ハサミでトマトを穫っていく。真っ赤に実ったトマトはみずみずしく、トマト特有の匂いが濃く漂う。

 トマトに鼻を付けてうっとりしていると、後ろからシキのくすりという笑い声が聞こえた。


 「食べてもいいよ」

 「ここで?」

 「うん、がぶっと。穫りたては特に美味しいよ」


 フィオナは少しためらって、我慢できず、服の裾でトマトを軽く拭くと、がぶりとかじりつく。たっぷりの水分と、甘く濃いトマトの風味が口いっぱいに広がった。


 「美味しい!」


 フィオナがシキを見上げると、シキが、フィオナのトマトを持っている手を掴んで、自分の口に持っていき、一口かじる。


 「うん、本当だ。いい出来だね」


 シキは自分の口に付いた汁をペロッと舐める。

 色っぽすぎる。

 毎日こんなことばかりだし、シキはきっと誰にでも同じ様な事をするのだろうけど、それでもフィオナは顔が赤くなってしまう。


 「ちょっと!シキ!仕事中にそうやって、女の子に手を出すのはおやめなさい!」


 温室の入口から、プリプリと怒った声がして、フィオナは慌てて振り向いた。

 そこには、医療室長のアザリーが立っていた。アザリーはずんずんと近づいてくると、シキをキッと睨みつける。


 「そうやってむやみに女の子の手を握らない!」


 未だに手を掴まれたままだった事に気づいて、フィオナは恥ずかしさに、さらに顔を赤くする。

 シキは突然のアザリーの登場に少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。


 「アザリー室長ご無沙汰ぶりです」

 「シキっ、手をっ」

 「ああ、ごめん、フィオナが食べられないね」


 そういう事じゃない!

 いつもの突っ込みをフィオナは心の中で叫ぶ。


 「ところでどうしました?なにか御用ですか?」

 「用があるから来ているんです」

 「例のあれでしたら、一応受け取りますけど、すぐ捨てちゃいますよ」


 フィオナの転属申請書の事だろうと、すぐに分かった。

 

 「まあ、そうでしょうね。それで、あなたにお願いに来ました」

 「なんですか?」

 「あなたがフィオナさんを気に入っているのは、ナック隊長に聞いています。けれど、魔植物園に閉じこめるのは、やめてちょうだい。あなたは知らないでしょうけど、普通配属された新人は、王宮内に慣れるため、それから、他の部署がどんなところか知る為に、三ヶ月の研修中に、他部署への配達や、納品、連絡など率先してさせられるのです。それに、何回かは、他部署に研修に出されます。今まで魔植物園は特別扱いでそれらの対象外になっていましたけど、フィオナさんはもっと他の部署を知る機会があるべきだと思うわ。ですから、フィオナさんにもそういった事に参加して欲しいの」

 「まあ、言っている事は至極まともですけど、魂胆が丸見えというかなんというか。アザリー室長、あなただって知っているでしょう。金のローブの意味を。はっきり言って、魔植物園は特別なんですよ。そんなちっぽけな制度、無視したところで全く問題にならない。でも、まあ、そうですね……」


 シキが考えこむそぶりを見せる。アザリー室長は、苦々しそうに目を細めてシキを見る。そんなアザリーの視線を全く気にするでもなく、シキはにっこりと微笑んで言った。


 「確かに、王宮内をフィオナに知って欲しいという気持ちもありますね。魔植物園にずっと引きこもらせているのも、可哀想だ。ただ、フィオナには覚えてもらう事が沢山あるので、他部署に研修に出している余裕はありません。だからそうですね。毎週水曜日の午後、これからフィオナには各部署に配達に行ってもらいましょう。そうすれば王宮内の地理にも詳しくなるし、各部署から何がどのくらい注文がくるのか把握する事にもつながるから、こちらとしても無駄ではない。フィオナも配達がてら、他部署の様子が見れるし、あなた方も、ここまでポーションを取りに来なくていいというメリットがある。どうでしょう、アザリー室長」


 アザリーは、返事をせずにフィオナに向き直る。


 「フィオナさん。あなたはどう思うの?正直に言ってちょうだい。他の新人達は、研修期間中に他部署を見学できる機会が与えられているわ。あなたにもその権利はあるのよ。ここに閉じこもっていたら、あなたにもっと向いている場所があるのに、それを知る機会すら与えられない事になるわ。あなたが望むなら、私からルティアナ様に進言してもいいのよ。シキはあなたを閉じ込めておきたいみたいだから」


 がっしりと、肩を掴まれて、アザリーに責めよられる。

 シキを見ると、いつもの様に、微笑んでいた。


 「アザリー室長、私は、望んで魔植物園に来たのです。なので、もし、研修の機会がなくても、ここに閉じこめられていると思う事は全くありません。三ヶ月後に異動する気もありません。アザリー室長や、他の室長さんたちのお気持ちはとても嬉しいのですが、私はシキの指示に従います。今、私の上司はシキです」


 はっきりとそう告げると、アザリー室長は、長い絶望のため息を吐いた。

 シキはそんなアザリー室長に、にっこりと微笑む。


 「そういう事です。でもまあ、僕が閉じ込めているのではないと分かってもらう為にも、配達にはいかせましょう。フィオナが配達に行った時、ついでに見学したいと言うのであれば止めません。多少納品に時間がかかっても、文句は言いませんよ。水曜の午後は注文品が多かろうが、少なかろうが、フィオナの予定はあけて置きます。せいぜいその時間で、勧誘してみてください」

 「随分な自信ね、シキ。それならそうさせてもらうわ。フィオナさんにはもっと向いている場所があるでしょうからね」


 なんとか、今後のフィオナとの接触の機会が与えられたアザリーは、満足げに温室を出て行った。

 アザリーが出ていくと、フィオナは無意識に大きく息を吐いていた。

 ぽんと頭に手が置かれる。


 「フィオナ、さっきはああ言っちゃったけど、良かった?もし本当は他部署に研修したいなら、ちゃんとその機会をとるよ」

 

 フィオナはゆっくりと首を振ると、シキを見上げる。


 「私は、魔植物園で仕事がしたいんです。シキ、だから、これからもよろしくお願いします」


 真剣にそう伝えると、シキはそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。

 フィオナもつられて笑みがこぼれる。

 ほっとして、手に持っていたトマトに再びかぶりつこうとしたとき、首筋にちくっとした痛みが走った。


 「いたっ」


 首筋に手を当てると、小さな虫に手が触れた。ぱっと手で振り払うと、足元に小さな何かが落ちた。


 「どうかした?」

 「なにか虫に刺されたみたい」


 フィオナは、しゃがんで足元に落ちた虫を見る。思い切り手で振り払ったせいで、その小さな虫は絶命したようで、動かない。緑色の一センチほどの不思議な形をした虫だった。

 シキも、しゃがみこんで、その虫を見ると、はっと息を飲む。


 「フィオナ!傷口見せて!」


 シキが首筋に手を当てていたフィオナの手を掴むと、咬まれた場所を見る。

 シキが、そのままフィオナの首筋に口を付けて、思い切り患部に吸い付く。


 「シキ!?」


 突然の首筋に感じた唇の感触に、身体がぞくりと反応し、フィオナはわたわたとうろたえる。

 シキは、口を放し、ぺっと地面に唾を吐き出した。


 「動かないで!毒を吸い出す」


 もう一度、シキの唇が首筋に吸い付く。今度は少し歯を立てられて、絞り出すように、吸われた。

 シキの様子に、フィオナはなにかよからぬものに咬まれたのだと確信した。

 シキは再び吸い出した毒を吐き出すと、有無を言わさずにフィオナを抱き上げた。


 「シキ!?」

 「動かないで。毒が回っちゃうから」


 シキは、フィオナを抱えて、温室の中に向かって叫ぶ。


 「レオナ!その虫回収しておいて!」


 そういうと、シキはフィオナを抱えて管理棟に向かって走り出した。

 レオナとは誰だろう?

 そう思ったが、少し怖いシキの様子に、黙って抱きかかえられて運ばれたのだった。


 シキは管理棟に駆けこんで、フィオナを抱えたまま、器用に引き出しを開けると、薬を取り出した。

 開けた引き出しは、マダラミドリ蜘蛛と書かれている。


 「まさか今のって!?」

 「そう、マダラミドリ蜘蛛。普通あんな所にいないのに」


 シキはフィオナを抱いて、二階に上がり、ソファに降ろすと、コップに水を汲んで、フィオナに丸薬を飲ませる。


 「苦いっ」

 「うん、苦いけど我慢して飲んで」


 少し大きめのその丸薬を飲み込むと、シキはフィオナをもう一度抱き上げて、寝室へと運ぶと、ベッドに降ろした。優しく寝かせると、毛布を掛ける。


 「シキ、私、大丈夫ですよ?身体も動くし、傷口は少し熱っぽいけど、寝るほどじゃあ……」

 「だめだよ。マダラミドリ蜘蛛は刺されてすぐは、症状がでない。最初は普通の虫刺されみたいなんだけど、時間が経つとみるみる悪化してくる。薬を飲んだから大丈夫と思うけど、咬まれた場所が場所だからね。もし首を咬まれたまま放っておいたら、そこからどんどん腫れあがって、顔まで紫色にパンパンに腫れちゃうところだった」


 想像してフィオナはぞっとする。


 「なるべく身体に毒を回らせないためにも、お願いだからじっとしていて」

 「分かりました。大人しくしています」


 フィオナが素直にうなずくと、やっとシキはいつもの様に笑ってくれた。


 「飲んだ薬は特効薬だから、多分腫れあがってくることはないだろうけど、明日の朝までは、なるべく動かないで安静にしている事。いいね」

 「はい」

 「僕はちょっとルティの所に行ってくるね。また様子を見にくるから」


 シキはフィオナの頭をそっと撫でると、ふわりと微笑んで部屋を出て行った。

 いつもの顔なのに、ちょっとだけ、不安そうに見えたのは気のせいだろうか。

 フィオナは、どうか腫れませんようにと祈って、目を瞑った。


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