来客の多い日
「フィオナ、今日は、この研究棟と、管理棟両方の薬品チェックと、在庫確認をしよう。いつもはキノがやってくれるんだけど、フィオナに、どこに何があるのか知ってもらうのと、どのくらい在庫があればいいのか、なんとなく知っておいて欲しいからね」
「分かりました。でも、こういうのって初日にやるのかと思ってました」
「うん、本当はそうしたいんだけど、初日に教えても、みんなすぐ辞めちゃうから無駄かなって思って。でもフィオナは辞めなそうだから、ちゃんと教えるよ」
「辞めなそうじゃなくて、辞めませんって」
思わずふくれっ面になるフィオナに、シキは嬉しそうな顔で言う。
「うん。ずっと居て」
そんな顔で言われたら、膨れた頬もすぐにしぼんでしまう。
シキはふわりと微笑んで、さっそくフィオナに仕事を教え始めた。
キノがきちんと管理しているため、薬品棚も、素材置き場も、保管庫もとても見やすく分かりやすく整理されている。棚や引き出しに、何が入っているかちゃんと書いてあるが、シキはそれでも、一つ一つ丁寧に教えてくれる。
「この棚は、素材が入っているよ。素手でさわってはいけないのは、これと、これと、これ。あ、あとこれも。さわる時は、手袋をしてね。分からなくなったらその都度聞いてくれてもいいからね。それから、在庫量なんだけど、この棚は今あるくらい揃っていれば大丈夫。使ったら、補充する感じだね。まあ、なんだか分からないものが多いだろうから、その辺は徐々に覚えるといいよ」
シキの説明を、フィオナは、ノートに真剣に書き留めていく。
「この引き出しは、ポーションを作る時の魔方陣の紙が入れてある。仕切りに名前が書いてあるだろう。魔方陣はみんな形が似ているし、慣れるまでは、どれがどれなのか区別がつかないだろうから、使ったら、ちゃんと元の場所に戻してね」
「はい」
「次に、こっちの引き出しは……」
シキが説明をしている途中で、通信機から声が聞こえてきた。
『誰かいますかー?』
シキは、説明を止めて、通信機へと手を当てた。
「はい。どちら様?」
『開発室の者なんですけど、急な入用で、ヒアザミの花弁を一袋欲しいんですがー』
「分かりました。今持っていきます」
『あと、室長より、ルティアナ様宛の書類を預かっていまして、サインを頂きたいのですが』
「ああ、分かりました。ルティは今、手が離せないので、僕がいきますよ」
通信を切ると、シキはフィオナに振り返る。
「ごめん、ちょっと行ってくるから、待っていてくれる?すぐに戻るから」
「分かりました。今までの所をノートにまとめてますので」
「うん、じゃあ、行ってくる」
キノがすぐさま準備した、ヒアザミの袋を持ってシキは研究棟を出ていった。
フィオナはその間に、細かいメモをノート書き込んでいく。
「それにしても、すごい種類の素材の量だなあ。まだこの園内に知らない素材が山のようにあるんだね」
感心しつつも、胸が躍る。
「それにしても、この量の素材と薬品を一人で管理しているなんて、キノはすごいね」
ヒアザミの入っていた引き出しを戻しているキノにそういうと、キノは振り返って、少し口を笑みの形にあげた。可愛い。
十分ほどでシキは戻ってきたが、なぜかどことなく不機嫌そうに見える。
「シキ、どうかしましたか?」
「ああ、何でもないよ」
シキはにこりと笑うと、手にしていた封筒をゴミ箱に捨ててしまった。封筒には開けられた形跡があった。
「え!シキ、それ、ルティへの書類だったんじゃなかったんですか!?勝手に開けちゃっていいんですか?」
「ああ、いいの。ルティに来た仕事上の書面は、僕が見て振り分けているから。ルティが見たとしても、同じことするでしょ」
「なんの書類だったんですか?」
「フィオナを三ヶ月後に、よこせっていう申請書」
「え!?」
「各室長、隊長は、欲しい人材がいたら、他部署に転属要請書を出せるんだよ。誰々が欲しいので下さいって。それで、出された方のトップがオーケイすれば、本人の意思とは関係なしに転属させられちゃうの」
フィオナは目を丸くした。
「じゃあ、もし、ルティがその書面に了承のサインをして返せば、私がここに居たいって言っても、配置換えになっちゃうんですか!?」
「そういうこと。でも、僕もルティも、絶対に君を渡すつもりはないから。だからゴミ箱行き」
フィオナはほっと息をつく。
「でも、もし、三か月後にフィオナが転属を希望して、相手側が了承すれば、僕たちには止める権利はないんだけどね。もし、フィオナが本気で他の部署に異動したいと思っているのなら、その時は、仕方がないと思っているよ。その時は、遠慮せずに言ってね」
シキが少し寂しそうな笑みを向ける。その顔を見て、フィオナはすかさず叫んだ。
「そんな事、思っていません!ここに居たいです!」
シキはフィオナの勢いに、驚いた顔をするが、すぐに、ふわりと嬉しそうに微笑んだ。
「ごめん。僕もルティも本当に君にここにいて欲しいって願っているんだよ」
フィオナは安心すると、今度は別の可能性に気づく。
「あの、シキ。そんな事絶対ないと思いますけど、もし、他の部署が、シキを欲しいって言って、ルティが了承したら、シキが居なくなることもあるんですか!?」
シキは自分で王宮魔導士で五本の指に入ると言っていたのだ。どの部署だって欲しいだろう。
「ああ、僕はあと五年は絶対異動はないよ」
「五年は、ですか?どうしてです?」
「僕はね、ルティとちょっと特別な契約をしているんだよ。あんまりこの制度を使う人は居ないんだけどね。僕はルティの特別補佐官なんだ。特別補佐官っていうのは、五年間その人の元に弟子入りする、みたいな制度。特別補佐官の期間中は転属は絶対ないからね。僕はもう過去五年ルティの特別補佐官だったんだけど、今年も継続してもらったんだ。だからあと五年は絶対ここにいるよ」
「そうなんだ。良かった……」
「僕がいないと困るの?」
「困りますよ!私の上司なんですから!」
フィオナがそう言うと、シキはものすごく嬉しそうな顔で、フィオナの頭を撫でた。
その後再び薬品のチェックをし、研究棟の分すべての在庫確認が終わると、ちょうどお昼になっていた。
「じゃあ、管理棟に戻ってご飯にしようか。それで午後は、管理棟の薬剤室にある物の説明をするよ」
二人で研究棟を出ようとすると、通信機から声が聞こえてきた。
『すいません。魔法警備部ですが。誰かいますか?』
「はい、なんでしょうか?」
『注文したいものがあって、来たんですが』
「ああ、今行きますよ」
『あと、警備部隊長から、ルティアナ所長に書類を預かっています』
「ああ……、分かりました。ちょっと待っててくださいね」
シキは珍しく、眉間にしわを寄せる。
「シキ?」
「あ、ああ。行こうか」
すぐにいつもの笑顔に戻ったが、フィオナはなんだか心配になる。
二人が管理棟に戻り、カウンターに行くと、見たことがある顔が立っていた。
「あ!この前の」
フィオナは名前が思い出せず、つい叫んでしまった。
「ロアルだよ。ロアル・ミスコ。この前ぶりだな。フィオナ・マーメル」
「先日はありがとうございました」
「いや、仕事だからな。それよりちゃんと配達できたのか?」
「はい、おかげさまで」
フィオナがロアルと楽し気に話すそのを見て、シキが尋ねる。
「フィオナ、知り合い?」
「はい、この前納品に行った時に、親切にしてもらいました」
「そう、ロアル君だっけ。ありがとう、フィオナが世話になったね」
シキが破壊力抜群の笑顔をロアルにむける。ロアルはその眩し過ぎる笑顔に、思わずたじろいでいた。
「い、いえ、仕事なんで。あ、これ、注文書です。よろしくお願いします」
「うん、分かったよ。そうだなあ。これだと、三日後には出来ると思う。それ以降に取りにきて」
「分かりました。あと、これを預かってきたんですが」
ロアルが、出しにくそうに、封筒をシキに渡す。
シキはにっこりと微笑んで、受取書にサインをする。
「ありがとう。ルティに渡しておくね」
「はい、よろしくお願いします」
最後にロアルはフィオナをちらっと見て、口だけでにっと笑って去っていった。
ロアルが出ていくと、シキはすぐに封筒を開けて、中身を取り出した。
中に入っていたのは、フィオナの転属要請書だった。
フィオナはそれを見て思わず息を呑む。
シキはそれを封筒に戻すと、笑顔でねじりつぶして、ゴミ箱に捨てた。
「さあ、フィオナ、ご飯にしよう」
「はい……」
確かにその書類を握りつぶしてくれるのは嬉しいのだが、前に嘘は言わないって言っていませんでしか!?
フィオナはゴミ箱の中で、ぐしゃぐしゃになった封書をみて、ロアルさんごめんね、と心の中でつぶやいた。
今日の昼食は、チーズたっぷりのピザと野菜サラダ、カットフルーツだ。
相変わらずシキの料理は美味しい。きっといいお嫁さん?になるだろう。
「それにしてもなんで、立て続けに配属要請書が、二部署から来たんでしょう?」
「多分、魔導開発室が要請書を出したって話しが広がっているんだろう。それで出し抜かれたと思った警備部が焦って持って来たということじゃないかな?」
「でも三ヶ月も先のことなのに?」
「それでも、出来る事なら、今から君を予約しておきたいってことなんだろうね。もしかしたら他の部署もこれから来るかもしれないよ?もう、いっそ、目の前で破り捨てちゃおうか?」
ふふっと笑うシキの目は本気だ。
「さすがにそれは、シキの立場が悪くなるからだめです!」
「僕はそんなの全然気にしないけどね。今更だし」
「今更?」
「ああ、僕……」
言いかけて、シキが、ふと目線をフィオナの後ろに向ける。
「どうしました?」
「下に客が来ているみたい。フィオナは食べていて」
シキは立ち上がると、キッチンを出て、階段を降りて行った。
もしかしたら、また申請書を誰かが持って来たのかと、不安になる。本当にシキは目の前で書類を破り捨ててしまいそうだ。
フィオナはそっと立ち上がると、足音を立てないように階段を下りた。
話し声が聞こえてくる。
「わざわざ、薬室長自らいらっしゃるとは、どういう風の吹き回しですか?」
「シキ、君は相変わらずだね。どうせ何をしに来たのか分かっているのだろう?先に開発室と警備部が来たんだろうからさ」
「フィオナを転属させろってあれですか」
「分かっているじゃないか」
そっと、物陰から、覗くと、シキは少しぽっちゃりとした年配の男性と話していた。五十代くらいに見えるその男性は、白い物が混じった焦げ茶色の髪をオールバックに後ろになでつけ、穏やかな笑みをたたえている。太い眉に少し垂れ気味の目をしており、フィオナは見た目アライグマっぽいなと思ってしまった。
「エイビス室長、せっかく来ていただいたので、はっきり言っておきますよ。フィオナはあげません。僕、気に入っちゃってるんですよ。あなたなら、そういえばわかるでしょう?」
「あー、やれやれ。やっぱりその噂は本当か。じゃあ、勝ち目がないかなあ。大人しく引き下がるとしよう」
「そうしてください。あー、一応申請書を持って来たなら受け取ってはおきますよ?」
「ふん、どうせ、お前が握りつぶしているんだろう。無駄な事はしない主義なんだ」
「そうですか。さすがエイビス室長。賢明ですね」
「だが、三カ月後に彼女が異動したいと言った時は、邪魔するなよ」
「しませんよ」
「じゃあな。あ、そうだ、シキ。紫アケビはまだか?」
「まだですね。まだちょっと早い。多分来月にならないと実らないでしょうね」
「実ができたら、連絡してくれ」
「分かりました」
アライグマに似た、エイビス室長は、あっさりと帰っていった。
シキはくるっと振り返る。フィオナは慌ててキッチンに戻ろうとするが、くすりと笑われて呼び止められてしまった。
「フィオナ、別に隠れなくても良かったのに」
「ごめんなさい。気になって」
物陰から、顔を出してバツの悪そうな顔をすると、シキは、そんなフィオナにぽんと頭に手を乗せて、にっこりと笑った。
「さあ、ご飯を食べちゃおう」
食事を終えて、薬剤室の薬品をチェックする。こちらは、素材はほとんどなく、完成したポーションや調合薬ばかりだ。だが、この調合薬の種類が何気に多い。粉状の物や、丸薬になっているものなどさまざまで、効能も、かなり特定の病気や、症状に合わせたものだった。これは覚えるのに苦労しそうだ。
「ここは、もう出来上がったものしか置いていないんだけど、結構種類が多いから、覚えるのは大変かもしれないね。一応病気や、症状のスペル順になっているんだけど、最近開発できた物とかは、端の棚だから、探す時気を付けて」
「分かりました」
チェックをしていると、一人の若い女性が入ってきた。シキがカウンターへと向かう。
「すみませんっ」
「はい、どうしました?」
服装からして、王宮に努める侍女のようだ。
「あの、同室の侍女が、昨日から具合が悪くて、医療室に連れて行ったら、マダラミドリ蜘蛛に咬まれたらしくて、こちらに特効薬があるからもらってきて欲しいと、医療室の人に頼まれてきました」
「一級薬品要請書はもらってきたかい?」
「あ、はい!」
女性は手にしていた書状をシキに渡す。
「確かに。ちょっと待っててね。フィオナ、マダラミドリ蜘蛛の薬を出して」
シキに言われ、スペル順に並んでいる棚を探す。
「あのっ、大丈夫なんでしょうか。アリアの足首、紫色に腫れあがって、高熱を出して……医療室の人でもすぐには治せないって言っていて」
泣きそうな女性に、シキは笑顔を向けると安心させるように優しく答える。
「大丈夫だよ。今渡す薬は、本当に特効薬だからね。飲んだら、目に見えて良くなるはずだよ。……それより、君その指どうしたの」
シキは侍女の手を掴むと、顔を近づけて、左手のひとさし指に切り傷があるのをじっと見る。
「え、あ、これは、朝仕事中にちょっと切ってしまって。でもこのくらいなんともないです」
「だめだよ。傷からばい菌が入って化膿したら大変でしょう?医療室に行ったのに治してもらわなかったの?」
「そそそ、それどころでは、なくてっ……」
侍女はシキに手を掴まれて、顔を赤くする。
シキは棚から、液体の入った瓶をだすと、自分の指に少し付けて、侍女の手の傷に塗った。彼女の手がびくっと震える。
「ごめん、痛かった?」
「いえっ、大丈夫です」
手の傷はみるみるとふさがっていく。顔を赤らめて、されるがままにしていた侍女は、それを見て目を丸くする。
「あ、ありがとうございます!」
侍女はシキの手を握りしめて、きらきらした目で礼を言う。
シキは、どういたしましてと、ふわりと微笑む。
フィオナは、そんな二人を横目に、マダラミドリ蜘蛛の特効薬を、カウンターに置いた。個包装の丸薬だ。
「じゃあ、二粒袋に入っているから、医療室の人に渡してね」
「はい!ありがとうございます」
侍女は、うっとりした目で、シキに何度も頭を下げると、名残惜しそうに出て行った。
フィオナはそんな侍女の様子に、ちらっとシキを見ると、相変わらず彼は、なんでもなさそうに、作業へと戻る。
フィオナはじとっとシキを見ると、心の中でそっと呟いた。
天然女たらし。