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上級魔力回復ポーション(スズランの花)

 研究棟に戻り、キノの淹れてくれたお茶を飲んでひと息入れると、シキが尋ねてくる。


 「ねえ、フィオナ、今まで生きてきて、とても怖い思いってしたことある?こう、震えあがるほど恐怖を感じるような」

 「恐怖ですか?うーん、さっき話した、蛾の幼虫に全身にたかられたのは怖かったですね。あとは何だろう……」

 「例えば小さい頃、誘拐された事があるとか、どこかで遭難したことがあるとか、強盗に殺されかけた事があるとか」

 「なんですかそれ?ないですよ。そういえば、野犬に追いかけられたことはあったかな。でもすぐにリザナおばさんが助けてくれたし」

 「そう、ならいいけど」

 「どうしてそんな事を聞くんですか?」

 「これから採りに行くスズランなんだけどね、文字通り花が鈴の形をしていて、人間が近づくと音を鳴らすんだよ。その音を聞くと幻覚を見るんだ。僕はもう効かないけど、フィオナにはてきめんだと思う。その音を長く聞くと、自分の心の深い部分にある悪夢とか、トラウマみたいなものが、見えてきて、パニック状態になったり、泣き叫んだり、人によって症状は様々なんだけど、まあ、とにかくおかしくなっちゃうんだ。あんまり酷いと、錯乱して、その後しばらく精神が戻ってこれなかったりするから、ちょっと心配になって」


 シキの話を聞いてフィオナは、心の奥で何かが引っかかった。


 「もしかしたら、幼虫に全身たかられる幻覚を見るかもしれないね」

 

 さらりと言うシキに、フィオナはそんな自分を想像して、全身に鳥肌が立った。さっき引っかかった何かはすぐに頭から離れていってしまった。


 「シキはどんな幻覚を見たんですか?」

 「え?僕?」


 シキは、少し困った顔をすると、すぐに微笑んで、内緒と答えた。


 スズラン畑は魔力水の泉から、オドリコナズナの生えている場所とは反対側にしばらく歩いて行った場所にあった。畑とは言っても、きっちり区画されているような感じではなく、まばらに生えた木々の間に群生しているといった感じであった。


 「これ以上近づくと、鈴が鳴り始める。フィオナはこれをして」

 「これは、耳栓ですか?」

 「うん、これを付けておけば、しばらくは大丈夫。それでも、スズランの音色は魔力を帯びているから、耳栓を通して少しずつ入って来ちゃうと思う。それでも音はだいぶ緩和されているはずだから、深く幻覚に飲み込まれることはないと思うよ。だから、幻覚が見え始めたら、なるべく畑から離れる事。音が聞こえなくなったら、幻覚は徐々に治まるからね」

 「わかりました」

 「それじゃあ、耳栓をする前に、スズランの取り方を説明するよ。スズランは知っているかと思うけど、球根の植物です。なので、球根ごと引き抜いちゃうと、どんどん減っちゃうんだ。だから、茎の根本から、ハサミで切り取ります。採取の部分では、特に注意することはないかな。切り取ったスズランは、音を鳴らすのをやめるよ。分からない事はあるかな?」

 「いえ、大丈夫です」

 「じゃあ、耳栓をして。行こうか」


 フィオナは耳栓を付ける。高機能な耳栓なのか、それをすると、全く音が聞こえなくなった。シキがパクパクと口を動かしてなにか話しているが、聞こえないので、首を傾げて、耳栓をとろうとすると、その手を掴まれて、にっこりと、微笑みを返される。どうやら、ちゃんと聞こえない様になったか試したようだった。


 スズランは、まばらに生えた木々の間で、ある程度のかたまりになって、あちらこちらに生えている。

 スズランの鈴が、小刻みに震えているので、音が鳴っているのだろう。

 そういえば、何本採るのか聞かなかったなと、思い出して、シキのシャツを引っ張る。

 シキが振り向いて、どうしたのかと、首を傾げる。

 フィオナが身振り手振りで何本採るのかを聞こうとすると、シキは、自分の耳を指さして、くすりと笑う。

 そういえば、シキは耳栓をしていなかったのだ。

 フィオナは自分の馬鹿さ加減に、顔を赤らめて、何本採るのと声を出した。耳栓をしているせいで、自分の声が、頭の中でくぐもった様に聞こえる。

 シキは指で、一、ゼロ、ゼロと動かした。

 百本だそうだ。

 フィオナは幻覚を見る前に終わらせようと、近くのスズランのかたまりに向かって手を伸ばした。


 耳が聞こえないとは、不思議な感覚だ。

 ハサミで茎を切っても、音がないと、手ごたえがない。歩いていても、自分の歩く音が聞こえないと、平行感覚がおかしくなるような気がしてくる。

 誰もいない世界に取り残されてしまったような不安が、不意に襲ってきて、慌ててシキを探す。

 少し離れた場所でスズランを採っている姿に、ほっとして、再びスズランの茎に手を伸ばし、ハサミで切ると、かごに入れる。十本ずつにまとめた束が、六つになった。

 これは今までで一番順調かもしれない。フィオナはにんまりとすると、スズランを採りながら、どんどん林の奥へと入っていった。時折シキの姿が見えるか確認して、ちゃんと見える事にほっとする。


 りぃん……。


 フィオナはスズランを切って、かごに入れて、もう一度数えた。結構いい本数になったはずだ。数を数える。

 十本の束が、一、二、三、四……


 りぃん……。


 五、六……


 りぃん……。


 七……。


 景色が急に変わった。森の中にいる。枯れ葉が降り積もる秋の山の中。

 声がした。


 『フィオナ、十まで数えたら、思い切り向こうに走るんだ』


 (お父さんも、お母さんも一緒だよね?)

 

 『お父さんも、お母さんも後から行くから、振り返らずに、真っすぐ走るんだ。真っすぐ行ったら村が見える。リザナの所で待っていてくれ』


 (嫌だよ!一緒じゃなきゃ嫌だよ!)


 『駄目だよ。だってお父さんと、お母さんは……』


 目の前に、黒い巨体が立ちふさがる。デーモンミノタウロス、第一級指定魔獣だ。額の横にねじれた鋭い角をはやし、真っ赤な目でフィオナを見る。薄く開かれた、牙の生えた凶悪な口からは、獲物を前に、よだれを流し、邪悪な息を吐きだしている。

 デーモンミノタウロスは、フィオナの肩を、そのおぞましい手でがしっと掴みしゃべった。


 『だって、お前のお父さんと、お母さんは、お前が逃げる時間を稼ぐために、俺に食われるんだからな』


 フィオナは思い切り、デーモンミノタウロスの手を払った。

 次の瞬間、デーモンミノタウロスは、父の首を掴むと、頭にぞぶりと牙を立てて、噛み付いた。父が真っ赤に染まっていった。


 『フィオナ、早く逃げなさい!早く!行くのよ!』


 母が叫んでいる。

 デーモンミノタウロスが、肉を食いちぎる音がクチャクチャと聞こえてくる。


 『行きなさい!早くっ……』


 母の苦痛の声と、ぐしゃりと何かが潰れる音。

 走って逃げているはずなのに、間近でその音は聞こえた。


 そう、逃げたのだ。

 幼かった自分は、怖くて逃げだしたのだ。


 グチャリと足元から音がした。一面の血だまりの中を走っていた。


 (!!!)


 恐ろしさに自分の中で何かが、プツンと切れた。


 なんで逃げているんだっけ。

 なんで逃げる必要があるの?

 殺せばいいじゃないか。 

 だってあの時とは違うのだから。

 私はもう、子供ではないのだ。 


 再び音が聞こえた。


 ぐちゃり。


 魔獣が人間を食らう音が耳から離れない。


 ぐちゃり。


 「やめろ……」


 ぐちゃ、じゅる、ぐちゃり。


 「やめろ!食うな!やめろーーーー!!!!」


 フィオナの魔力が身体の中で一気に膨れ上がり、怒りに任せてデーモンミノタウロスに突っ込んでいく。


 憎い憎い憎い憎い!あの魔獣が憎い!

 一人逃げた自分が憎い!

 だから今度は逃げずに奴を倒す!


 フィオナは、自分の中で最も凶悪な魔法を発動させる。

 巨大なデスサイスで相手を薙ぎ払うその魔法。その闇の大鎌に触れたものは、一瞬で塵と化す。

 それ故に、消費魔力も尋常ではない。だが、フィオナの頭は、憎しみで埋め尽くされて、そんな事はどうでも良かった。


 後先考えず、デーモンミノタウロスに向かって、風魔法で勢いをつけると、デスサイスを振り下ろす。


 確実に仕留めたと思ったはずなのに、デーモンミノタウロスは、その場にいなかった。


 どこに!?


 次の瞬間、みぞおちに思い切り衝撃を受けた。あまりの衝撃に魔法を保てず、デスサイスが消える。そして、気がつくと、後ろにまわりこんでいたデーモンミノタウロスに腕で首を締められていた。


 「くはっ!くっ、ううっ」


 もがいても解くことができず、悔しさに涙が溢れる。

 父の、母の、かたきも取れず、自分自身すら、こいつに殺されるのだ。

 悔しくて涙が止まらない。

 ああ、もう……。

 あの時、一緒に死んでおけばよかったのかな……。


 

 怖い夢を見ていた。

 頬が涙で濡れている。

 眠っているのに、まだ涙がこぼれてきた。


 ああ、なんで忘れていたんだろう。

 夢で見たのは、フィオナが幼い頃に実際に体験した事だ。


 森に狩りに出掛け、突然現れたデーモンミノタウロスに、襲われたのだ。

 フィオナは、父と母が食われている間になんとか村にたどり着き、泣きながらリザナの元へ駆け込んで、何度も助けて、助けてと叫んだ。

 そして、なんとかリザナに事情を伝えると、気を失ったのだ。


 あまりに恐ろしい記憶故に、自ら記憶を消し去っていたのだろう。

 目を瞑ったまま、浅い眠りの中、再びフィオナの口から嗚咽が漏れる。

 ふわりと、優しい手が頭に触れた。


 「お、父さん……、おか……さ、ん」


 手がぴくりと一瞬止まり、今度は、安心させるかのように、ゆっくりと頭を撫でていく。

 頬を涙がつたう。

 そして、もう一度、意識は深く落ちていった。


 次に気がついたとき、フィオナは全身のだるさに襲われていた。

 ゆっくりと目を開いてみる。

 ベージュ色の無機質な天井。

 研究棟だ。

 顔をゆっくりと、横に向ける。

 シキがいた。初めて見るシキの顔だった。

 泣きそうな、苦しそうな、だけどホッとしたような顔。


 「シキ?」

 

 いつもならすぐに、大丈夫?と言ってくれるのに、シキは、唇をきゅっと結んで何も言わない。

 まだ耳栓を付けているのかな?

 フィオナが手を動かそうとすると、自分の腕ではないように重かった。


 「あれ?私、どうなったの?」

 「幻覚を見て、暴れたんだよ」


 気づくとルティアナも、フィオナが寝かされているソファの横に座っていた。


 「あ……」


 フィオナは夢を思い出す。記憶の奥底に封印していた、恐ろしい過去。


 「私……、さっきまで、忘れていた記憶があったんです」

 「どんな記憶だい?」

 「幼い頃、父と母と森に狩りにでかけて、デーモンミノタウロスに遭遇したんです」

 「デーモンミノタウロス!?なんでそんなものが!」

 「分かりません。けど、父と母は、私を逃がす時間を稼ぐために、自ら犠牲になってデーモンミノタウロスに食われました。幻覚の中で父と母が食われている時の音が……」


 そこまで言って、フィオナは、再び嗚咽し、涙が溢れる。

 突然、シキに抱きしめられた。


 嗚咽がおさまらず、声が出せないフィオナの肩口にシキは顔を埋める、


 「ごめん、ごめんね。フィオナ。思い出したくない過去を思い出させてしまったね」


 シキが苦しげな声をだす。まるで泣いているかのような声に、フィオナは驚く。


 「シキは悪くないですっ」


 フィオナは重い腕をなんとか、動かして、抱きついているシキの背に回して、なだめるように撫でる。


 「そうだよ。誰も悪くない。しいて言えば、あの植物を作った私が悪いのかねえ!あははっ!」

 「あの、私、なんでこんなに身体が動かないんでしょうか?スズランは幻覚作用ですよね?」


 ルティアナの明るい笑い声に、やっと涙が引っ込んだフィオナは、不思議に思い尋ねる。


 「ん?あんた、幻覚のせいで、シキに闇魔法で攻撃したそうじゃないか。魔力全開のデスサイスなんか使ったら、魔力欠乏で身体が動かなくなるに決まってるだろ?しっかし、すごいな。そんな魔法使える新人なんて、初めて見たわ!あははは!」


 フィオナは全身から血の気が引く。


 「シキにデスサイスで!?」


 そういえば、幻覚の中でデーモンミノタウロスに後先考えず、魔力全開で攻撃した事を思い出す。


 「シキ!怪我は!?ちょっと、シキ!?」


 デスサイスで攻撃なんて、なんてことを!

 鎌に触れただけで、対象を塵にしてしまうような、とんでもない魔法だ。

 もし、シキに当たっていたら、もちろん怪我などではすまない。塵となって消えていただろう。

 フィオナの首に抱きついて、肩口に顔をうずめたまま動かないシキを、フィオナは引き剥がそうとするが、身体がろくに動かない。


 「あー、大丈夫、大丈夫。こいつどこも怪我してないから。むしろあんたのみぞおちの方が大丈夫か?シキに腹殴られて、首締められて意識落とされんだろ?」

 

 ルティアナがそう言うと、シキの絡みついている腕が、ぎゅっときつくしまった。


 「いや、私は大丈夫です。むしろ止めてくれてありがとうございました。本当にごめんなさい。シキが無事でよかった……」


 シキは黙ったままフィオナを抱きしめている。

 

 「シキ、聞いてますか!?なんでずっと黙ってるんですか!」

 「そいつ、フィオナの意識が闇に飲まれて戻らなかったらどうしようって、さっきまで泣きそうな顔してたんだよ。だから安心したんだろう?」

 「そうだったんですか。心配かけてすみません。もう、大丈夫ですから、離れて、シキ」

 「無駄無駄。しばらくそいつの気が済むまで、放っておくしかないよ。そーなったら、そいつ、もう人の言う事なんて聞かないから」

 「えええええええ!」

 「おい、シキ。気が済んだらフィオナに魔力回復ポーション飲ませておけよ」


 シキがフィオナの首筋でうなずく。

 くすぐったい。


 「じゃあ、私は自分の研究に戻るから」


 ルティアナはそう言ってあっさりと二階に上がっていった。


 フィオナはどうする事も出来なくて、仕方なく、僅かに動く手でシキの背を撫でた。

 しばらく開放してはもらえなさそうだと、諦めて、そのままでいると、キノがてこてことソファの横にやってくる。


 キノはじっとフィオナとシキを見つめると、双葉の間から、するすると蔓を伸ばすと、フィオナの手を真似するように、シキの背中とフィオナの頭を撫でる。


 フィオナがふふっと笑うと、キノがほんの少し、口を笑みの形にした。

 

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