上級魔力回復ポーション(ルリイロアゲハの鱗粉)
「さあ、今日は、上級魔力回復ポーションの素材集めをしようか」
「はいっ」
「じゃあ上級魔力回復ポーションのレシピを教えるよ」
上級魔力回復ポーション(1本分)
魔力水 100ml
チューリップの蜜(ピンク・紫) 小さじ1杯
スズランの花 5輪
ルリイロアゲハの鱗粉 少量
フィオナはノートにメモをとっていく。やはり普通の上級魔力回復ポーションとはレシピが違う。普通の上級魔力回復ポーションのレシピは、アカシアの蜜に、スズランの花、ターコイズリリーの花粉だ。
「魔力水は前も説明した通り、時間が経つと劣化してしまうから、ポーションを作る直前に汲みに行くよ。今日はまず最初にルリイロアゲハの鱗粉からだ。この蝶は日が高くなると活動しなくなっちゃうから、朝のうちにやってしまおう」
「素材には昆虫も使うんですね」
「うん、園内には、魔植物以外にも、魔力を持った昆虫や、両生類、小型の爬虫類、動物、鳥なんかが沢山いるよ。全部が全部素材として使うわけではないけど、なにかしらこの園内で必要な役割があるんだ。だから、ヘビとか、虫とか見つけても、むやみに殺さないでね。たまに何かしらの影響で大量発生して駆除しないといけない時もあるけどね」
すごく怖い事を聞いてしまった、とフィオナは鳥肌が立つ。
シキはカバンの中に、広口の大きな瓶に、とろりとした琥珀色の液体の入った瓶、それに、柔らかい毛の大きな刷毛を二本入れると、研究棟を出た。
森に入ると、いつもの蔦達がよってくる。フィオナはそれらを、撫でたり、握手しながらシキの後についていく。
「君は本当に森に愛されているね」
そんなフィオナを見て、シキが微笑む。
「そうですか?でも嬉しいです。みんなこうやって挨拶に来てくれるし」
「その蔦を手なずけているから、ほかの奴らもフィオナに手を出さないんだろうね」
「他の奴ら?」
「うん、ここには、その蔦以外にも、動き回って、人間にいたずらする奴らがいるんだよ。まあ、大したいたずらじゃないんだけど。時々、かさかさって小さく茂みが動いたりするだろう?昆虫や小動物の時もあるけど、それは、いたずら好きの魔植物がこっちを伺っている事が多いんだ」
「例えばどんないたずらをするんですか?」
「そうだね、例えば、ムスビソウが、葉のついた蔓で輪を作って足を引っかけるとか、ツヅラフジが大量に種をぶつけて来るとか、まあ他にも季節によって変わるけど、そんな感じだよ。大抵の新人は森を歩くだけで、くたくたになっちゃう」
「そうだったんですね。いたずらされないのは嬉しいですけど、それらの植物は見てみたいですね」
「あ、ほら、あの茂みにムスビソウがいるよ」
シキが指を指した方を見ると、背の低い蔓性の緑色の植物が生えている。フィオナがじっと見つめると、その葉のついた蔓がくにゃりと動いた。
「その蔓を輪にして足を引っかけるんだよ」
「へえ……。見てみたいな」
フィオナがそう言うと、蔓は輪の形に蔓を伸ばしてフィオナの足元に寄ってくる。
「わあ!すごい!これ知らなかったら確実に転ばされますね!」
「うん、そう。僕はもうここに長いから、そんないたずらはされないけど、新しい人が来ると、みんな面白がって、張り切っていたずらするんだよ」
フィオナは輪になっている蔓を軽く撫でる。
「ムスビソウ、転ばすのはやめてね。これからよろしくね」
輪がほどけて、くねくねと動く。
「君は本当にすごいな。これもエルフの血なのかなあ」
「どうでしょうか?でも、植物と仲良くできるなんて嬉しいです」
「君は本当に面白いよ。さあ、行こう。日が高くなる前に蝶を捕まえないと」
森の中の道を進んで行くと、ピンク色の大きな花が沢山咲いている場所に着いた。
「この花はユレアオイだよ。ルリイロアゲハはこの花の蜜が好きなんだ。あ、ユレアオイにむやみに近づかないでね。近づくといい匂いがするけど、顔を近づけた途端、顔に張り付かれるから」
「ひっ!じゃあルリイロアゲハはどうやって蜜を吸うんですか?」
「花から少し離れた場所にとまって、長いストローみたいな口で吸うんだよ」
「なるほど。じゃあ、この蜜を吸いに来た時を狙うんですね」
「いや、そんな事をしていたら時間がかかるし、動きの速い奴らだから、捕まえるのが面倒だ。だから、これを使う」
シキがカバンからとろりとした琥珀色の液体の入った瓶を取り出すと、自分の左手に塗っていく。
「それは?」
「これは、ユレアオイの蜜に、ルリイロアゲハ用のフェロモン剤と蝶用の催淫成分を混ぜたもの。蝶はこの匂いに寄ってきて、蜜を吸うと、意識が散漫になる。まあ人間でいうところの、媚薬みたいなものかな?あ、フィオナ、カバンにマスクが入っているから付けておいてね。あんまり鱗粉を吸いすぎると大変だから」
「鱗粉になにか毒でも!?」
フィオナは慌てて、マスクを付ける。
「毒というか、睡眠誘引作用があるんだ。吸いすぎると眠くなっちゃう。それで、やり方なんだけど、この液体を左腕の内側から、手のひらに塗る。しばらくすると、匂いにさそわれて、蝶がやってくるからね。腕を伸ばして、揺らして誘うと、蝶は液体を塗った手の上に降り立つはずだよ。そうしたら、蝶の腹を撫でてやる。そうすると、蝶は相手がいると思い込むんだよ。この蝶は番う時に相手の口の蜜をお互いになめ合うんだ。それで、ストロー状の口で今塗った液に吸い付いてくる。蝶が夢中になっている間に、蝶の羽の内側の鱗粉を刷毛で採取するんだ。じゃあ、やってみるよ。みてて」
シキが蜜を塗った腕を上に向けて揺らすと、手の平めがけて、数匹の蝶がふわりと向かってくる。いつの間にか、二人の周りの上空に、ふわり、ふわりと舞う蝶の影が何十匹も見られた。
フィオナは黒地に瑠璃色の幻想的な羽根の美しさと、なにより、思っていたよりも五倍は大きな蝶を見て、目を丸くする。
「お、大きい!」
「しっ、大声はだめだよ」
フィオナはマスクの上から口を押える。
シキの手の平に、そのうちの一匹の蝶が降り立った。シキはふわりと微笑むと、腕をゆっくりおろし、右手のひとさし指で、フィオナの腕程ありそうな、蝶の太い腹をゆっくりと優しく撫でる。すると蝶は広げていた羽根を閉じるように、上に向けると、長いストロー状の口でシキの腕の蜜を吸い始める。
シキはすかさず、右手に持った刷毛で、羽根の内側の表面を優しくなぞっていった。
シキが腕に瑠璃色の蝶を乗せて微笑んでいる姿に、フィオナは思わず見とれてしまう。
きれいだなと思った。
鱗粉がとり終わると、シキは左手を軽く振る。蝶は驚いたように、飛び立っていった。シキは鱗粉のついた刷毛を瓶にいれると、振って粉を落とす。瓶底に、瑠璃色の鱗粉がうっすらと見えた。
「こんな感じだよ。簡単だろう?」
「はい、なんだか私にもできそうな気がします!」
「じゃあ、やって見て」
フィオナは、瓶の液を左手に塗って、蝶を誘う。すると、上空にいた蝶の内の一匹が手の平に降り立った。
近くで見るとさらに大きい。
フィオナは蝶の腹を、指で撫でようとして手が止まった。瑠璃色に白の斑点のあるぷっくりとした蝶の腹は、よく見ると、巨大な芋虫の胴体にしか見えず、それはもうグロテスクだった。普通の蝶の五倍ほどの大きさだけに、その迫力は半端ない。蝶は、相手を探して、腹を動かして、くいっと曲げると、フィオナの手にその腹をすりつけてくる。くにゃりとひんやりと柔らかいその感触に、フィオナの全身にぞわっと鳥肌が立った。
フィオナは毛虫や幼虫系が苦手なのだ。今まで田舎で暮らしていたので、何度も目にする機会はあったのだが、いつもそれらを見ると、ぞわりと鳥肌が立つ。ましてや素手でさわろうとした事なんて一度もない。
「フィオナ、撫でてあげて」
シキが小さめの声でフィオナを促す。
フィオナは、小さく震える手で、腹を撫でようとするが、どうしても直前で手が止まってしまう。それに加え、蝶の腹がくねくねとフィオナの左手を這っているので、全身から鳥肌が引かない。
冷や汗が出てきた。
フィオナの頭の中でいやな思い出が蘇った。
そうこうしているうちに、蝶はぱっと飛んで行ってしまった。
かくんと、荒い息で座り込むフィオナに、シキが駆け寄ってきてしゃがみこむ。
「フィオナどうしたの?真っ青だよ?」
心配そうにシキが覗き込んでくる。
「シキ……。私、毛虫とか、幼虫が、苦手で……」
「うん、どこかにいたかな?毛虫」
「ちがくて、蝶の腹の所が、そう見えちゃって」
「ああ、まあ、確かにそうだね。そんなに苦手なの?すごい汗かいているよ」
シキが、フィオナの額の汗を手で拭う。
「小さい時に、大量発生した、蛾の幼虫に身体中にたかられた事があって、それ以来、苦手になってしまって……」
「ああ、それでか。それは怖い思いをしたね。しかし、困ったね。まあ、確かに、蝶の腹って幼虫に見えるしねえ。さわるのは無理か……」
フィオナは涙目になって、唇を噛む。
おそらくこの素材は、魔植物園では一番多く使う部類のはずだ。
それが、苦手だから取れないなんて情けなさすぎた。
昨日、アルトとどちらが先に国一番になるか競争しようと言っていたのに。
こんなんじゃだめだと、自分を叱咤する。
「じゃあ、仕方ない、ここは僕が……」
代わりに自分がと、立ち上がろうとしたシキのシャツを引っ張る。
「シキ、私、やるから。時間かかるかもしれないけど、お願い、やらせて」
涙目で訴える、フィオナに、シキは驚いた顔をするが、再びしゃがみこんで、顔を正面から合わせると、ふわりと微笑む。
「うん、わかった」
シキはフィオナの頬に蜜で濡れていない右手を添えて、真っすぐに見つめる。
「おなじないをしてあげる。フィオナ、僕の顔をみて。怖くなったら、僕の顔を思い出して。君がだめな時は、ちゃんと助けるから。だから安心して、落ち着いて。そうしたらきっと大丈夫だよ」
シキは最後に、フィオナのおでこに自分のおでこをくっつけて微笑む。
いつもならどきどきして顔を真っ赤にさせるフィオナだが、この時だけは、なぜか、安心感に包まれて、半泣きの顔でくしゃりと笑った。
再び、蝶を呼び寄せると、フィオナは手の平に止まった蝶を見る。綺麗な羽根だ。
羽根だけを見よう。うん。
ちらりと、視線を胴体に向けて、右手を腹に伸ばす。
気持ちが悪い。怖い。さわりたくない。
そんな感情がぶわっと湧き上がって、鳥肌が立った。
シキはさっきなんて言った。怖くなったら、シキの顔を思い出せと。
ほんの少し目を閉じる。
シキのふわりと笑った顔。そして次の瞬間、最初にシキが腕に蝶を止まらせて微笑んでいる姿がぱっと浮かんだ。すごくきれいだった。
フィオナは目を開けると、右手でそっと蝶の腹にふれた。くにゃりと柔らかい感触で、また身体がぞわりとするが、蝶がストロー状の口で蜜を吸い始めたのを見て、腹から手を離す。羽根が閉じていったところを、震える手で刷毛を掴み、鱗粉を採取していく。羽根は全然怖くない。むしろ綺麗だ。
一通りなぞったら、左手を振って、蝶を逃がした。
鱗粉がついた刷毛を瓶に差し込むと、自分の手の震えで、瓶がカタカタと音を立てる。
今更だが、それを悟られたくなくて、慌てて、刷毛を振って鱗粉を瓶に落とし、蓋を閉める。
そこまで終えると、くたりと座り込んだ。
「出来た……」
気づくとシキがすぐ側に来て、フィオナの頭を撫でる。
そして、とても嬉しそうに、にっこりと笑った。
「出来たね」
この笑顔があるから頑張れてるのかなと、フィオナもにへらっと笑った。
「フィオナ、頑張ったね。この調子で、蝶に慣れていこうね。今日はあと三十匹分取ったら終わりだよ。ゆっくりでいいからね」
ですよねー。
フィオナはうっすらと目を細めて、上空を飛び回る蝶を見た。
ここから見ている分には綺麗なのになあ……。
結局フィオナはその後もなんとか、鱗粉を採取して、瓶の底に一センチくらい溜まるほどのルリイロアゲハの鱗粉を採取することが出来た。
「フィオナお疲れ様。よく頑張ったね」
シキが蜜のついた手をタオルでふき取り、瓶を片付ける。
「時間がかかってすみません」
「全然平気だよ。最後の方は随分慣れてきていたみたいだしね」
「はい、ちょっと大丈夫になってきたかもです」
フィオナも手を拭って、片付けを手伝おうとする。
「あ、フィオナ、ちょっと来て」
フィオナがシキの側に行くと、シキの手がフィオナの顔に近づき、マスクを奪っていった。
目の前で、いきなり鱗粉の付いた刷毛を振られる。なぜか、シキの刷毛にたっぷりの鱗粉が残っていて、ぶわっと目の前で粉が舞い、フィオナは大量の鱗粉を吸い込んでしまった。
「シキっ!いきなり何を!」
シキはふわりと笑う。
「鱗粉にも慣れてもらわないとだからね」
フィオナは吸い込んだ鼻と口を押える。嫌な予感しかしない。
片付けているシキの横で、フィオナは徐々に頭がぼんやりとしてきた。
「眠くなってきた?」
「シ……キ……」
「うん、大丈夫だよ。寝っちゃっていいからね。ちゃんと運んであげるから」
フィオナはゆらっと、身体を崩し、地面にへたり込む。もう目も開けていられない。
片付けを終えて、肩からカバンを掛けたシキは、あっという間にフィオナを腕に抱え込む。
「戻ったら、お昼ご飯にしようか。ご飯ができたらちゃんと起こしてあげるからね」
ゆらゆらと運ばれていく感覚の中で、シキの声が優しく聞こえ、そのままフィオナは眠りに落ちた。