怒るルティアナ
「ルティ、一体今の何?」
シキが問いかけると、ルティアナは頭を撫でるのをやめて、やれやれといった風にため息をついた。
「その前に、そこの警備隊!倒れている女が呪術士だよ。目を覚まさない内にしっかり拘束しておきな!」
ルティアナが、怪しい光の球体に集まって来ていた警備隊に叫ぶと、倒れているイノスはあっという間に縛り上げられて警備隊に連れて行かれてしまった。
それを見届けると、ルティアナはツインテールをくるんとなびかせて向き直る。
「それがさあ、イノスを追い掛けてここまで来たんだけど、あいつここにとんでもない術式を仕掛けてたんだよ。さすがの私でも直撃したらただじゃ済まないくらいの攻撃魔法でさ、イノスのやつ自分もろとも私を殺るつもりだったみたいなんだ。とっさに高位結界を張ったんだけど、それがイノスが自分にかけていた防御術式と変に干渉しちゃって、結界に閉じ込められて、上空に吹き飛ばされたってわけ」
「え!?じゃあいままで、結界に閉じ込められていたの?」
「そう。色々やったけど出られないしさ。イノスはイノスで気を失ったまま全然起きないし。結界が弱まるまで待つしかなかったんだよ」
「あれから全然戻って来ないから、みんな心配してたんだよ」
シオンが少しむすっとしたように言うと、ルティアナはその背中をバンと叩く。
「まあ、閉じ込められちまったけど、シオンにフィオナを任せていたから、心配せずに済んだよ。ちゃんと助けてくれてありがとうよ」
満面の笑顔で見上げられたシオンは、照れた子供の様に唇を尖らせた。
「それにシキも転移成功したんだね。二人でフィオナを見つけてくれたのかい?」
「うん、というか見つけてくれたのは、諜報の人で、助けるのに一番貢献したのはシルフなんだけどね」
こんどはシキが唇を尖らせる。
やっぱり似ているな。この二人。
そのままシオンは現状の報告をすると、ルティアナはほっと息をついた。シオンが自分にも分かるように、詳しく説明してくれたおかげで、王城で起こった事も、シキが転移してここに来たと言う事も分かった。
「これで一安心だな。フェリクスも大丈夫そうだし何よりだね。それにしてもシキ、せっかく転移までしてここに来たのに、全然良いところが無かったじゃないか」
「言わないでよ」
「お前はもう、すぐにでも帰れよ。いくら厳重に結界を張ってきたとはいえ、魔植物園をあんまり無人にする訳にはいかないからな」
「そうだね。シュレンの事も気になるし……」
「シュレン?」
シキは言ってしまってから、はっとなり口をつぐむ。
シュレンの名前に、怖い思いをした満月の夜の事が思い出され、すっと背筋が寒くなる。
「あ、いや、ほら満月だったからさ」
「お前の嘘が分からない私だと思ったのかい?」
ルティアナがじろりとシキを睨めつけた。
シキはあっさりと観念して、白状した。
「実は転移するのに魔力が足りなくて、シュレンを魔植物園から出して転移装置に魔力を流して貰ったんだ」
「は!?」
ルティアナが目を点にする。
「シュレンを魔植物園から出した?」
「うん、でもちゃんと魔植物園に戻る約束させたから」
「え!?でも転移してきちゃったら、戻ったかどうか分からないだろう!?」
「あー、うん。そうなんだけど。でも、シュレンがアルト君を気に入って、彼の言う事なら聞くから、きっと大丈……」
「こんのバカタレ!!!!」
ルティアナの怒号が雷の様に落ちた。
自分が怒られている訳でもないのに、その声には、思わず冷や汗が出るほどの凄味があった。
シキも何も言い返せず黙っている。
「お前はあれを外に出す事がどれほど危険か分かっているだろう!あれは私しか止められない第一級危険魔植物……いや、魔人なんだよ!?」
「うん。分かっててやった。フィオナが行方不明だって聞かされて、どうしても助けに行かなきゃって思っちゃったんだ。許されないのも分かってるし、クビになる覚悟もしてるよ」
クビ?
王宮魔導士を辞めさせられる!?
「シュレンを出したって事は、入り口の結界をいじったのかい?」
「うん、シュレンだけ通れるように書き換えた」
「じゃあもし、シュレンが魔植物園に戻ったとしてもいつでも出れるって事じゃないか!本当にとんでもない事をしたね!場合によってはクビくらいじゃ済まされないよ!」
ルティアナの怒気がひしひしと伝わってくる。
「ルティっ……」
「フィオナは黙ってな!」
クビくらいじゃ済まされない。
その言葉に思わずシキを庇おうとつい声を上げると、それは許さないとばかりに睨まれる。これまでに無いほどに怖い顔のルティアナに、それ以上言葉は出せなかった。
「取り敢えず説教も罰も後回しだ。私は今すぐ魔植物園に帰る!あれを野放しにしておく訳にはいかないからね!下手したら、今頃王宮は壊滅してるかもしれないよっ」
ルティアナが箒を取り出して飛び乗ると、慌ててシオンが呼び止めた。
「まって!ルティ、取り敢えず王宮に連絡してみるよ。アキと通信が可能だから!向こうの状況を聞いてからでも遅くないでしょ!?」
「そんな事してる暇はないよ!今魔植物園で大人しくしていたとしても、奴の気がいつ変わるか分からないからね!とにかく私は急いで帰る!」
そう言ったと同時にルティアナの姿はかき消えていた。
「シキ!一体どういう事!?シュレンを魔植物園から出したって本当なの!?」
シキは深く息を吐いてからゆっくりうなずいた。
「なんで、そんなっ!シュレンって、あのシュレンですよね!?シキ、自分がシュレンに殺されそうになった事忘れちゃったんですか!?」
「覚えてるよ。けど、シュレンは本当はただ寂しがり屋なだけなんだ」
「たとえそうだとしても、魔植物園から出すなんて!」
「アキの他にユアラや一番隊のメンバー、それから……まあ、他にも何人か手伝ってくれたんだけど魔力が足りなかったんだ」
「え!?じゃあ、シュレンの側にユアラさんやロアルさん達一番隊のメンバーも居たんですか!?」
「うん」
「シキ!何考えてるんですか!」
「フィオナを助けに行く事だけ考えてた」
パン!と夜の塔のてっぺんに乾いた音が響いた。
気がつけば、思い切りシキの頬を叩いていた。
シキはまるで何が起こったか分からないという顔で、呆然とこちらを見ていた。
「シキ!がっかりしました!そもそも私が王子に捕まったり、呪術士に攫われたりしたせいですけど、だからといって王宮を危険に晒していいはずがありません!」
「僕はあの時王宮が壊滅する事より、フィオナを失う方が怖かったんだ」
シキが真っ直ぐ見つめて言う言葉にはまったく揺るぎがない。
それがもし、現実に起こり得る事ではなくて、たとえだとしたらこんなに嬉しい言葉はない。でもシキは紛れもなくそれを実行してしまったのだ。
つまり自分と、王宮にいる者の命を天秤に掛けた。
「じゃあ……、もし、私達が帰ったときにっ、もしっ……」
もし、アキレオやユアラ、一番隊がシュレンに殺されていたら?
満月の夜にシキの身体を貫いたシュレンの蔓が、今度はアキレオ達に襲いかかる光景が脳裏に浮かんでしまう。
それほどまでにシュレンという存在は恐怖なのだ。
ボロボロと頬に涙がこぼれ落ちる。口に出してしまったら本当にそうなってしまいそうで、言葉が続かない。
右の手の平がまだじんじんと熱を持っている。
「フィオナ……?」
シキが狼狽えた声で聞き返してくる。
一度よぎってしまった最悪の光景。
涙を流したまま言葉が出せなくなっていると、動揺して硬直したままのシキの代わりにシオンが側に来てハンカチを差し出してくれる。
「……ど、しよっ……、もしっ、もしっ……」
「シキ、お前フィオナさんにこれ以上言わせる気か?」
「フィオナ、帰っても王宮は無くなったりしてないよ、大丈夫だから」
「馬鹿かお前。王宮もそうだけど、彼女が心配してるのはアキ達に何かあったらどうするんだって事だろ」
「大丈夫だよ、アルト君もいたし」
平然とそう言い放つシキに今度はシオンが思い切り殴りつけた。
「った!シオン何……」
「お前本当に馬鹿か!お前にとっては大丈夫な存在でも、そのシュレンって奴が他の人にはどのくらい脅威なのか分からないのか!?ルティが血相変えて帰る存在を野放しにしてきたんだぞ!?もし、王宮に帰ってアキの死体が転がっていたら、俺はお前を一生許さないからな」
シキの顔が、殴られた時よりも酷く歪む。
「そんな事絶対ないなんて言うなよ。この世に絶対はない」
シオンに渡されたハンカチで何度も何度も涙を拭っていると、シオンがそっと肩に手を乗せ心配そうな顔を向けてくる。
「フィオナさん、大丈夫?大丈夫なら箒の後ろに乗せてターリアの部屋まで連れて行ってくれるかな?あそこに通信機があるから、一先ず状況を確認しよう」
そうだ、今は、とにかく皆が無事なのかどうか確認しなければ。
うなずいて、箒を取り出して跨ると、後ろにシオンが軽々と乗ってくる。さっきあれほど自分とシオンが二人乗りするのを嫌がっていたシキは、呆然と地面を見つめたまま動かなかった。
今頃になって、ようやくアキレオ達の命を軽く見ていたという事実に気がついたらしい。
「シキ、頭が冷えたら、フィオナさんの使っていた王城の部屋に来て。場所が分からなければ警備に聞いて。じゃあ、フィオナさん行こう」
少しだけシキが心配になったが、今の優先はアキレオ達の無事の確認だ。それに、何よりシキがしてきた事に腹を立てていた。
すっと箒を空に向けて浮き上がらせると、振り向かずターリアの部屋に向った。
ターリアの部屋に戻ると、そこにはしれっとした顔で、きっちりメイド服を着込んだターリアが居た。
扉を閉めた途端、無表情だったターリアが眉を寄せる。
「もー、あんまりここに来ないで欲しいなぁー。最後までターリアが諜報だって事は気づかれたくないんだから」
「分かってるよ。この部屋に入るのは誰にも見られていないから大丈夫」
「さっきの騒ぎも偶然君たちがこの部屋に入ったって事になってるんだからね」
「はいはい、それよりサク、通信機は?」
「あー、ありますよ。ちょっと待ってて」
サクはクローゼットの中から両手で抱えられるくらいの大きさの魔導具を持ってきてテーブルの上に置く。
「あと、書くものも」
「はいはい」
シオンはサクから紙とペンを受け取ると、そこにサラサラと文字を書いていき、封筒に入れ、蜜蝋を垂らすとポケットから取り出した指輪で蝋に印を押す。
「はい、サク。アキに送って」
「人使い荒いなー」
ぶつぶつ言いながらも、サクは装置を発動させて魔法陣の上に手紙を乗せる。数秒後にはその手紙はぱっと消えてしまった。
「こんな時間だし、向こうは寝てて気付かないんじゃない?」
「いや、多分起きてるよ。アキもフィオナさんの事をかなり心配していたし、シキが無事に転移出来たか不安に思っているだろうからね。そんな状況でぐっすり寝れるはずも無いだろう。もし、一時間以内に返事がないようなら、万が一の事を想定して僕も速攻で帰るよ」
万が一。
それはシュレンが暴走したと言う事だ。
「ふうん。よく分からないけど、俺には関係ないし頑張って」
「関係ない事もないよ。そもそも、フィオナさんをちゃんと見張っていなかったからこんな事になっているんだから。万が一が起こった時は君にも責任取って貰うからね」
「え!?ちょっ!何それ!てか、万が一って何!?減給とか嫌だからね!」
サクが冗談じゃないとばかりにシオンに食ってかかる。
「諜報なら自分で調べれば?それよりメイドならお茶でも淹れてよ」
「うわー、意地悪」
サクは口をへの字に歪ませると、ぷいっとスカートを翻してお茶を淹れに行った。
口を開かなければ本当に女にしか見えない。
サクがお茶をテーブルに置いて勧めてくれたが、気が気じゃなく、一口含んだだけで手を付けずじっと転移装置を見つめていると、唐突に魔法陣が浮かび上がりぱっと手紙が現れた。
すぐに手紙が帰って来た事に一先ず安心しそうになるが、手紙の内容次第ではどうなるか分からないので、きゅっと気を引き締める。
シオンはすぐに無言で手紙を手に取ると、手際よく封を開け、素早く文面を目で追っていく。二度それを読み返すと、くしゃっと握りつぶしてサクに渡した。
「サク、焼いちゃって」
「ほーい」
サクはベランダで素早くそれを焼き尽くした。
早く内容が知りたくシオンをじっと見つめていると、柔らかい笑顔が返って来た。
「フィオナさん。大丈夫だよ、みんな無事。シュレンとかいう魔人は、アキとアルトでちゃんと魔植物園に送り届けたって。アルトのおかげで随分友好的に帰ってくれたみたいで、今後暴れたりする事はなさそうだって書いてあったよ」
「よかったああ……」
へなへなとソファに沈みこむと、シオンもほっとしたように微笑んでいる。
「シキもこうなると予想しての行動だったんだろうけど、あいつも少しは他人の事を考えれる様にならないとね。君に引っぱたかれたのがちょっとは効いたんじゃない?」
「いえ、シオン副隊長がシキにちゃんと言ってくれたからだと思います。ありがとうございます」
「まあ、取り敢えず王宮は大丈夫そうだけど、帰ってからが大変だろうね」
ルティアナの言葉が思い返される。
クビくらいじゃ済まされない。
戻ってからシキにどんな処分が下されるのかと思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。
年末多忙の為、今年最後の更新になります。皆様よいお年をお迎え下さい。
そして、また来年も読んで頂ければ嬉しいです(*˙˘˙)