救出
廃墟の古くボロボロの部屋の中、魔法陣の書かれた床の上に、フィオナはぐったりと横たわっていた。
視線の先には、空のポーション瓶が二つ転がっている。今朝魔法陣が発動してから、魔力はどんどん吸い取られていき、イノスが置いていったポーションはすでに飲み終えてしまった。
後はどれだけ魔力がもつか。
そして魔力が切れる前にルティアナが来てくれるかどうか。
魔法陣が発動したと言う事は、きっとルティアナが王都に到着したと言う事だ。
大丈夫。絶対に来る。
そう思わずには精神が持ちそうになかった。
それに助かる勝算もあった。
ターリアがここに来たのだ。
二本目のポーションを飲んで少し経った頃、窓の外に小さく灯が見え、よくよく見るとそれは、いつものメイド服ではなく、黒ずくめの格好をしたターリアだったのだ。
結界は声すら遮断するらしく、窓にギリギリまで近寄って、大声でターリアに呼びかけてみたが、首を振られてしまった。
ターリアも何かこちらに向かって話しかけて居たようだったが、何も聞こえず同じように聞こえないとジェスチャーを交えて首を振った。
それよりこの足についた鎖を外して、魔力を吸い取られるのをなんとかしないとと思い、ターリアに身振り手振りで鎖を外してと伝えてみた。
ターリアはうなずいてから、結界を破ろうと、しばらく色々試していたが、どうにもならなかった様で、最後に首を振って、こちらによく見えるように口を動かした。
『待ってて』
そう言ったように見えたので、こちらも分かりやすく口を動かした。
『早く』
ターリアはうなずいてくれたが、果たしてどこまで理解してくれたか分からない。それでも助けを呼びに行ってくれたのだとは分かった。
ターリアが未だに何者なのかは不明だが、取り敢えずここから助けてくれるなら今は誰でもいい。
願わくばルティアナを連れて来て欲しい。
そんな事を考えながらも、どんどん吸い取られていく魔力に徐々に焦りがこみ上げて来た。
ターリアが居なくなってからどのくらい経ったろうか。
あえて時計は見ていない。
ポーション一本分消費する時間が迫ってきたら、それだけで精神が負けてしまいそうだから。
でも多分もうすぐ魔力が底をつく。
感覚がそう言っている。
床に座り込んでいたのも耐えられなくなり、ごろんと横たわった。
後は助けがくるまで無駄に動かず、じっと耐えるしか手立ては思い付かない。
目の前がぼんやりしてきて、ゆっくり目を瞑る。意識だけは決して飛ばしてはいけないと、まぶたを伏せながらも、頭を動かそうと傷薬の作り方を思いだしてみる事にした。
まずは、ハシリドコロの花を集めて、先にネズの木の葉を取りに行こう。ネズの葉で多少服が破れるから、そのままその服でダマシハジキの実を取りに行くのがいいな。そうすれば駄目にする服は一枚で済むし。ドクロソウの実の粉末は在庫あったかな?なかったらシキは一緒に取りに連れて行ってくれるかな?ドクロソウの実はまだ危ないって言って未だに連れて行ってくれないんだよね。シキはちょっと過保護過ぎるよ。
シキの笑った顔が脳裏にぱっと浮かぶ。
いつの間にかボロボロと涙がこぼれていた。
いけないいけない。
こういう感傷に浸るような状態になるとか、もう死ぬ間際みたいじゃないか。
絶対に死んだりしないし、ちゃんとシキの所に帰るんだ。
万が一私が死んだりしたら、シキがどうなるか想像するだけで恐ろしい。多分コロラ王国の王都は吹き飛ぶんじゃないかな?
別に惚気てる訳じゃないけど、そのくらいシキが自分にどっぷり依存してるのは身を持って知っている。
だから絶対に、死んだり……しな……。
「っ!」
シキの事を考えながら、一瞬意識が飛びそうになってしまった。
頭がぐらんぐらんする。
目にちかちかと火花が飛び交う。
駄目だ。
まだ、駄目。
なんだか寒くなってきた。
眠ってしまったら凍えちゃう。
シキと一緒に眠る温もりが懐かしい。
ああ……。
目の前にベッドが見えてきた。
シキが眠っているベッド。
潜り込んじゃおうかな?
いいかな?
いいよね?
だって寒いんだもん。
シキ大好き。
そっと毛布に手を掛けて、シキの横に滑り込んだ。
☆
「……ナ!フィ……ナ!」
聞きなれた声が遠くから聞こえる。
「フィオナ!フィオナ!」
「シキ、脈はあるよ。早くポーションを」
「あ、生きてるんだ。一瞬死んでるよかと思っちゃったー。じゃあ俺は鎖外すよ。彼女鎖を外して欲しがってたみたいだったから。いやー、良かった良かった。死んでたら俺の責任問題になる所だった」
「サク、少しそのダダ漏れな口を閉じようか?」
口に冷たい感触。
液体が流れ込んでくる。
ああ、ポーションを飲まされているのか。
再び唇に荒っぽく何かが当たって、液体が流れ込んでくる。こくりと飲むこむと、徐々に意識がはっきりしてくる。
「鎖外したよ」
「恐らくそれが術式に繋がってたんだろうね。シキ、どう?フィオナさんは」
「少し顔色が戻ってきた」
シキ?
ん?シキ?
あれ?まだ夢を見てる?
再び唇を覆われる感触。
頬に添えられている手が震えている。
こくりと口に入って来た液体を飲み込むと、驚くほど身体が楽になっていくのが分かった。
指先に力をこめると、ちゃんとぴくりと反応する。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、ずっと見たいと思っていた顔が心配そうにこちらを覗きんでいた。
「フィオナっ!」
「あれ……?なんで……、夢?」
「違うよっ!迎えに来たんだっ」
「そんな訳……。あ、もしかして死んじゃったのかな……。それでシキが見えるのかも。あー、どうしよう。私が死んだら、シキが荒れ狂うかも……。まずいなあ、まずいよね?」
目が覚めたらシキに抱きかかえられているなんて、都合が良すぎる。
目の前のシキにそう尋ねると、くしゃっと泣きそうな顔をされた。
その後ろからくつくつと笑い声が聞こえる。
「フィオナさん、わかってるね。うん、君が死んだら本当にまずい事になってたよ。これは夢じゃないよ。生きてて良かった」
ゆっくり声をする方に視線を向ける。
「え?シオン副隊長?あれ?なんで?」
「シキに頼まれたんだよ。君を探すのを手伝ってて」
「え?え?なんでシオン副隊長?」
思いもよらない人物が居て、頭が混乱する。混乱している所に今度は真っ白な毛の巨体が突撃してきた。
「シルフ!?」
シルフがお腹に鼻面を押し付けてぐりぐりしてくる。見れば千切れんほどに尻尾が揺れていた。
「いたたっ、ああ、もう。シルフも来てくれたんだね。ありがとう」
突撃された衝撃で傷口が痛んだが、構わず…ふわふわの毛並みを撫でると、バシンバシンと尻尾が床を叩く。
「シルフ、フィオナはまだ傷が治ってないんだ。少し大人しく待ってて」
シキがそう言って擦りついているシルフの背中を撫でると、残念そうな鳴き声を一つもらして、巨体が離れていく。
「さあフィオナ、傷薬も飲もう。酷い怪我してる」
「え、あ、はい」
手を持ち上げて、シキの手にしているポーションを受け取ろうとすると、もう片方の手で手首を掴まれ、口移しされる。
「シキっ!シオン副隊長がいるのにっ」
「いいから」
「ちょっ、シキっ、ん……」
唇が離れると同時に怖い顔をされる。
「この傷誰にやられたの?」
「イノスって名前の、呪術士……んん」
シキは名前だけ聞くと再びポーションを飲ませにかかる。
結局シオンの前で傷薬と体力回復ポーションも口移しされてしまった。夢だとして恥ずかしい。
そして、ポーションを飲み終わって傷も体力も戻って元気になったというのに、シキにぎゅうぎゅうに抱きしめられている。
「ねえねえ、そこの副所長さんとフィオナさんデキてんの?」
「そうだよ」
シキとシオンしか居ないと思っていた所に、別の人物の声が聞こえ、はっと首を向けると、そこには黒ずくめのターリアが立っていた。まるで気配を感じられなかった。しかもシオンはさらっと答えている。
「ターリア!」
「今気づいたの?どんくさいね」
ターリアの姿を見た途端、急激に現実感が出てきた。
「あなたがシキとシオン副隊長を連れて来てくれたの?」
「そうだよ?上からの命令で君を保護するように言われてたからね。でもまさか、あの地下通路に隠してたのに攫われるとは思わなかったよー」
前のターリアとは違って、随分砕けた口調に少し驚く。
「あなた一体何者なの?」
「そんな格好で真顔で言われてもねえ」
ターリアはそう言って肩をすくめてから、シオンをちらりと見る。
確かに今はシキに羽交い締めにされているかのように、がっちりと抱きしめられているので、シリアスな顔をした所で説得力がない。
「シキ、もう大丈夫だから離して」
「やだ」
さらに強く抱き込まれて、首筋に顔を埋めてくる。
「私、ターリアに聞きたい事が……」
「僕がどれだけフィオナを心配したと思ってるの?ヒュラン王子に捕まったって聞いて、そうかと思えば行方不明になって、やっとこっちに来れたと思ったら、術式の贄にされてるって聞かされて。見つけた時には全然動かなくて、真っ青で、冷たくてっ……」
ぎゅうっと腕に力が込められる。
「一瞬手遅れかとっ……」
シキが声を詰まらせ、背中に回された腕が僅かに震えているのが伝わってきた。
とてつもなく心配させてしまった。
自分でもあと少し遅かったら死んでいたと確信するくらいには、危機的状況だったのを思い出す。
「シキ、心配かけてごめんなさい。助けに来てくれてありがとう」
ぎゅっと抱きしめ返すと、僅かに腕の力が緩んで、安心したようにシキが大きく息をついた。
「シキ、良かったね。間に合って」
シオンがそんな様子を見てにっこり微笑む。
「シオン副隊長も助けに来てくれてありがとうございました」
「どういたしまして。フィオナさんに万が一があったら、シキが大変だったからね。それに今回はこいつがミスったせいでもあるからね」
シオンがターリアの頭をポカリと殴る。
「あの、ターリアはシオン副隊長のお知り合いですか?」
「ああ……そう、知り合いなんだ。あ、彼はカプラス王国の人間だから安心していいよ」
「彼?」
あれ?ターリアはだってメイド服来てたよね?
「君、男なのか。どっちか分からなかったよ」
やっと落ち着いたのか、シキが腕を緩めてターリアを見て呟く。
「や、副所長さんの前では普通に素でいたから、男って分かってると思ったんだけどな。フィオナさんの前ではメイド姿が多かったから、女だと思われてるかなーとは思ったけど」
「ええええええ!?男!?本当に!?メイド姿に全然違和感なかったけど!?」
「そりゃそうでしょ。そうじゃなきゃメイドとして潜入したりしないし」
「本当に男なの!?」
「なんなら見てみる?」
え?なにを?
目をぱちくりさせていると、ターリアがズボンのベルトに手をかけた。
それを見て笑顔でシオンがターリアの頭を殴る。シキも緩めた腕を再び強め、ターリアから引き離す用に後ろへ下がった。
「サク。そういう冗談はやめようね?シキ君に殺されるよ?」
「え?副所長さんに?いや、俺あの人より絶対強いし」
「うん、実力的にはサクの方が強いけど、シキ君はかなり腹黒いから、どんな手を使われるか分かんないよ?」
「へえ、見かけによらないね。優男っぽく見えるけど。けど、どんな手を使ったとしても、俺を殺れる人間なんてそうそう居ないと思うけど?なんならやってみる?副所長さん」
「お前のそういう自信過剰な所が、今回フィオナさんを危険な目に合わせたんだろうが!この馬鹿」
シキが答える間もなく、シオンが拳で思い切りターリアの頭を殴った。
「あの、サクってターリアの事ですか?」
「ああ、そう。ターリアは潜入する為の偽名。俺の名前一応サクだから」
「一応?」
「まあ、サクって名前も本名では無いんだけど、一応これで通しているから」
いまいち掴めないサクの人物像に首を傾げていると、シオンが間に入って来る。
「サクは国王直属の諜報員だから、フィオナさんあんまり詮索しないであげて。それと、他の人達にはサクの事内緒にしててね」
なるほど。
国王直属の諜報員となれば、秘密も多いだろうし、話せない事もあるだろう。上司というのはレイヴン国王の事だったのか。
王宮に戻ったら、国王にきちんとお礼を言わなければ。
「じゃあ、とにかくこんな所に居ても仕方ないし、この魔法陣を壊して王宮に戻ろうか」
シオンはそうにっこりと笑うと、「サク、宜しく」と言って顎で使う。
国王直属の諜報員を顎で使うなんて、シオン副隊長は何気に権力があるんだな。
そう思ってぼんやりとシオンを見ていると、にこっと笑みを返されてしまった。
「フィオナ、駄目だよ。あの男にはあんまり関わらないで」
「え?ターリ……じゃなくて、サクさんですか?」
「違うよ。シオンだよ」
「え?なんで?」
「あんな腹の中が真っ黒で更に毒蛇でも飼ってそうな男に係るとロクな事がないよ」
そんな訳あるはずがないじゃないか。
シオンはいつも優しく頼りがいがあって、紳士的だ。なんとなく雰囲気も少しシキに似ているし。
「シキ、シオン副隊長はとてもいい人ですよ?今回だってシキの頼みを聞いて、コロラ王国まで来てくれたんですよね?駄目ですよ?そんな事言っちゃ」
そうたしなめると、ものすごく複雑な顔をされてしまった。
くつくつとシオンが笑う。
その間にもサクが床の魔法陣を魔法で壊して行く。
「フィオナ、床が抜けるかもしれない。危ないから外に出よう」
サクを残して部屋を出て階段を降りる。シルフが嬉しそうに先導して駆け下りて行った。
屋敷の外に出ると、先程までいた二階の部屋から派手な音がして、床が抜け落ちたような衝撃が伝わってくる。
「派手にやったね」
くすくす笑うシオンの元に、二階の窓からサクが箒で降りて来た。
「破壊完了ー」
「じゃあ、早く王宮に戻ろうか。あっちはあっちで大変な事になってるしね。あ、サク箒に乗せて」
シオンはサクの後ろにひらりと飛び乗った。
騎士団所属のシオンは魔法が使えないから、もちろん誰かの後ろに乗って帰るしかない。
魔法が使えないといえば……。
「あ!」
「何?フィオナどうしたの?」
「シキ、私も魔法使えないんでした。後ろに乗せて貰えますか?」
「え!?魔法使えないってどういう事!?ポーションで魔力回復したのに?」
「ほら、この首輪。魔法を封じるマジックアイテムなんです。ヒュラン王子に付けられてしまって、解除コードがわからないと外せないらしいんです」
「つまりヒュラン王子にしか外せないって事?」
「はい」
眉を下げてうなずくと、後ろからすっとサクが箒を寄せて来た。
「あ、俺外せるから。えーと、確か解除コードは……」
サクが口の中でブツブツ唱え、首輪に触れ魔力を流すと、繋目もなかったそれは、パキンと音を立てて、呆気なく地面に落ちた。
「サクさん、ありがとうございま……、え?ちょっと待って。解除コード知ってたの!?ええええ!?それならあの地下の隠し部屋の時に外せましたよね!?」
「うん。俺、一言も外せないとは言ってなかったけど?」
サクはからかうように、ふふっと笑って、逃げるように箒の高度を上げていってしまった。




