廃墟
しまった……。
気を失っていた。
覚醒と同時に、地下の秘密部屋での出来事がすぐに蘇ってくる。
ばっと顔を上げると、そこは見た事もない場所だった。薄暗く埃っぽい部屋。明らかに廃墟だろうと推測される荒れて汚れた床や壁。
長い事放って置かれただろう家具には蜘蛛の巣が張っている。
ヒビの入った窓ガラスの向こうには、木が生えているのが見えた。
王城から廃墟にでも連れて来られてしまったのだろう。
そんな埃だらけ蜘蛛の巣だらけの部屋の真ん中の床の上に、フィオナは転がされていた。
床についた手の平がじくじくと痛い。ついでに背中もギシギシと痛む。身体中がだるい。
あの呪術士イノスに散々蹴られたせいだ。手の平を広げてみると割れた爪には乾いた血がこびりつき、指の何本かは赤く腫れあがっていた。
軽く曲げると傷みが走るが骨が折れているほどではなさそうだ。
部屋に自分しかいない事を確かめて、ゆっくり立ち上がると、異様なものが目に飛び込んできた。
自分が立った場所を中心として放射線状に大きな魔法陣が書かれていた。それは部屋の床一面と言っていいほど大きく書かれている。
「何これ……」
ぐるりと黒い染料で書かれたその文字は、フィオナが今まで全く見た事もない文字だった。
見た事もない文字であるが、絶対に良くないものだとは分かる。
ぞわりと鳥肌が立って、その中心から逃げようと足を踏み出して、その足元でじゃらりと音が鳴る。
「!」
足元を見ると、右の足首に金属の拘束具が付けられて、そこから長い鎖が伸びている。その鎖は魔方陣の中心の床にしっかりと固定されていた。
なんとかして外せるんじゃないかという希望を全く持たせて貰えない程には、その拘束具も鎖も頑丈なものだった。
イノスがやったのだろう。
手を首に当てる。
やはり首輪もされたまま。
「くそぉ……。情けないっ!」
床にへたり込んで悪態をつく。
なんだってこうあっちこっちに連れ去られないと行けないのか。
それにしてもなんでイノスは自分を連れ去ったのだろうか?
イノスとヒュラン王子が仲間だとしたら、わざわざ王城の外に連れ出す必要はないだろう。
さっきから物音一つしないので、今イノスはここには居ないのかもしれない。
腕時計を見る。
針は十時半。外は明るいからきっとあれから約半日ちょっと眠っていたと思われる。
とりあえず部屋を動き回れるほどには長い鎖を引きずって、部屋に二つあるうちの一つの扉に向かう。一つはトイレだった。お世辞にも綺麗とは言えないが使える程度には手入れされていてほっとする。もう一つは部屋への入口で、扉には鍵が掛かっておらず開けると暗い廊下があるだけだった。廊下の先は下に降りる階段になっていてここが二階以上の場所だと分かる。
廊下に出ようとして、右足が鎖に引っ張られた。
「感心するほど絶妙な長さ」
今度は扉とは反対方向の窓に向かう。
外を見ると、木々に囲まれているようで、周りには家らしきものは見えない。
一体ここはどこなのか?
首都エルメロなのか、それともそこから離れた場所まで連れてこられてしまったのだろうか。
窓を開けて顔を外に出そうとすると、バチっという音と共に顔が弾かれて、室内に尻もちをついてしまった。
「いったあ……。結界か」
イノスはあれだけの雷撃を使えるのだ。普通に考えて、家の周りに結界を張ってあることくらい考えておくべきだった。ずっと頭痛と眩暈が続いているせいで注意力が散漫になってしまっている気がする。
「さて、どうするか……」
イノスは自分の事をルティアナに復讐する為に使うつもりだろう。ルティアナが来てくれるのは嬉しいが、自分が捕まったままでは動きづらくなってしまう事は間違いない。
「なんとか逃げられないかな……」
ルティアナがこちらに向かっているとしてもきっとまだ着かない。
今はイノスもいないようだし、出来る事なら逃げ出したい。
逃げ出せないかダメもとでやってみるか。
フィオナはじゃらりと足につながった鎖を引きずって、部屋を家探しすることにした。
家探しをすること三十分。
何もなかった。
鎖や首輪を切れるものとか、イノスが来た時に武器になるようなものがないか探していたのだが、蜘蛛の巣だらけの家具の引き出しの中はどこも空っぽで、引き出し自体は引き抜けないような作りになっている。最悪引き抜いた引き出しで、殴り掛かるという事まで考えていたのだが。
その後も拘束具から無理やり足が抜けないかなどと、あれこれ試してみたが徒労に終わった。
自力で逃げ出すのが難しいと半ばあきらめ、それならせめて誰か外を通りかからないかと窓際でしばらく外を眺めていた。
どのくらいそうしていただろうか。
「誰も通らないよ」
突然背後で聞こえた声にびくりと振り向いた。
「イノス……」
前に会った時と同じく目深にかぶった黒いフード。
顔は見えないがかぶったフードの裾から黒い癖のある髪が見える。
この前はあまりしっかりと見ていなかったが、思っていたよりも低い身長に、ほっそりとした手首。たっぷりとした黒いローブを着ているので体つきは分からないがきっと華奢なのだろう。
「名前で呼んでもらえるとは光栄ね」
「思ってもいない事を」
「ははは。鋭いね。ああ、思ってもいない。ルティアナ以外には何の興味もないからね」
「私をどうするつもりなの」
「どうなると思う?考えてみた?」
「ここに拘束してルティをおびき寄せるつもり?」
「残念。外れー。ルティアナは王城に向かっているだろうから、私は今からそこで迎え撃つわ。あなたにはそのために私の役に立ってもらおうと思って」
嫌な予感しかしなくて、つい眉をひそめてしまう。
「私ね、もう何ヶ月も前から準備していたのよ。王城に自分の駒を使って色々仕込みをしていたの。色んな場所に術式を組み込んで、中で働いている人間の毛髪やら血液やら集めて、それはもう大変だったわ。でももうすっかり準備は整っているの。あとは魔法陣に魔力を流し込むだけ。あなたのその足の拘束具はね、特殊な作りになっていて、王城の魔法陣と連動しているの。王城の魔法陣に魔力を流すと、こっちの魔法陣も一緒に発動して、拘束具を付けている人間の魔力がなくなるまで絞りつくして呪術の糧となる。どう?すごいでしょ」
「私の魔力を使って何か術を発動させる気なの?」
「正解。発動すれば、私が毛髪や血液を集めた人間全てが意思を無くした人形になるの。私の命令しか聞かないお人形さん。まあ、全員ではないけど、半分以上は人形に出来るはずよ」
王城にいる半分の人間がイノスの操り人形になるという事か!?
「そんな事出来るはずない!」
「ふふっ、あなただって身をもって知っているはずよ?ヒュランの言葉に逆らえなくなったでしょ?」
「それでも、一瞬だけだったし、いっぺんにそんな大勢をっ」
「あなたの場合はヒュランの希望であなたの意思を奪わず人形にっていう事だったから、なかなか難しかったのよ。でもただの人形にするだけなら、きちんと下準備さえしておけば可能よ。あとは膨大な魔力が必要なだけ。でもそれもあなたから供給されるわ。あなたオーム山脈でワイバーンを倒したほどなんですってね。ヒュランが言っていたわ。それほどの魔力持ちなら王城にいる大勢の人間を人形にできるくらいの魔力はあるはずよ。あなたの魔力が空になってあなたが死んでしまえば術は解けちゃうから、わたしがルティアナと遊べるくらいの時間はせいぜい頑張ってね」
冗談じゃない。
つまりはイノスはいざとなれば王城の人間を盾にすることも出来るという事だ。
そうなればルティアナは不利になってしまう。
「なんでそんな事をするの?ルティとやり合いたいのなら真正面から挑めばいいじゃない。なんでフェリクス王を病にしたり、王城の人間を人形にしたりなんてしようとするの!?」
「そんなの決まっているじゃない。ルティアナを倒した後私がコロラ王国の王になる為よ」
イノスがコロラ王国の王?
「はあ!?」
「そしてこの国の王になってルティアナのいなくなったカプラス王国も私の物にする。いずれ私は世界の王になるのよ!」
今時世界征服をしようと考える人間がいるなんて……。
呆れて物も言えない。
「それで?世界の王になって何がしたいの?」
「呪術を馬鹿にした奴らを見返してやる。私の呪術をもってすれば世界すらも手に入れられるとね」
「それ、やってて楽しい?」
「ええ、楽しいわ。だって今から私を捨てたルティアナを殺せるんですもの」
捨てた?
ルティアナと過去に何があったのだろうか。
でも何があったとしても……。
「馬鹿みたい」
思わず本音がこぼれた。
イノスのまとった空気が重くなる。
「今なんて言った?」
「馬鹿みたいっていったの。だってそうでしょ?ルティと何があったか知らないけど、やっている事は周りを巻き込んでの仕返しでしょ?」
「仕返し!?そんな生ぬるい事じゃない!あいつは私を、私の呪術を否定して、捨てたの!私の人生を全否定したの!許せない!許せない、許せない!あいつが私を傷つけた分、私はあいつにそれ以上の苦しみを負わせてやる!あいつはあいつのせいで友好国の王を死なせ、自分の大事な部下も死なせるんだ!そうだ!まずはルティアナが来る前にカプラスから来たお前の仲間を殺してやろう。自分が着いた時に自国の人間が血まみれで転がっていたら、どんな顔するかなあ?どんな顔すると思う?」
イノスは狂ったように笑いながら一気に言葉を吐き出す。
狂っている。
リヒト達は強い。そう簡単にはやられたりしないはず。
きっと睨みつけると、イノスの口元がにいっと持ち上がる。
「私に殺せないとでも思ってる?私、呪術士だけど強いんだよ。だって、ルティアナの弟子だったんだもん。王宮魔導士程度虫けらみたいなものよ?」
「ルティの弟子……?」
「そう、あなたは弟子ではなくて部下なんでしょ?まあその程度の力じゃ弟子になんてしてもらえないか!ルティアナの弟子は後にも先にもこの私だけ!」
「そんな事ない。今ルティには弟子がいるわ」
イノスがぴしりと固まる。
気づくと思い切り床にうつ伏せに押し倒されていた。
イノスの動きが全然見えなかった。
強いと言ったのは嘘ではないらしい。
「嘘を言うな!」
ぎりりと腕をねじ上げられる。
昨日も散々蹴られた背中がずきずきと痛む。
「嘘じゃない!」
「言え!誰だ!許さない!私の他に弟子なんて!私以外にルティアナが……」
どうやらイノスはシキの事は知らないらしい。
「教えてあげる代わりに、カプラスから来た私の仲間を殺さないと約束して」
「は!冗談を。無理やり言わせれば済むだけだ」
さらに腕をねじ上げられる。
ものすごく痛い。それ以上やられたら折れる!
「絶対に言わない!殺されたって言わない。私がここで死んだら困るんじゃないの!?」
「だったら調べれば済む話だ」
「私しか知らないもの!ルティが秘密で弟子にしているんだから」
「言え!名前を!」
正直こんな嘘にイノスが引っかかるとは思っていなかった。
調べればシキの事はすぐに分かってしまう。
それでも、こんなちっぽけな手札しか交渉できないのだから、せいぜい頑張るしかない。
歯を食いしばっているとさらに腕がねじり上げられた。
バキッと嫌な音と共に強烈な痛みが走る。
「きゃああああっ!」
あまりの傷みに悲鳴を上げるが、イノスは力を緩めず今度はもう片方の床についている手の平に魔法で杭のようなものを打ち込む。
「くっうううう!」
左腕は折れて、右手は床に魔法で縫い付けられてしまった。床に血が広がっていく。
もうあちこち痛すぎてどこが痛いのかも分からない。
呼吸が乱れ、脂汗が吹き出してくる。
「ほら、言え。言えば傷は治してやるぞ」
ひきつったような笑いと共にイノスが自分の背中の上から言う。
「仲間を……殺さないと、約束して……」
今度は足に痛みが走った。
「くああああああ!」
その後もイノスは次々に身体に痛みを与え、意識が無くなると治療魔法を掛け、覚醒と共にまた痛みを与えてくる。
どのくらいそうされていただろう。
ぐったりと動かない自分をイノスが見下ろしている。
「強情な女。いいわ。これだけの痛みに耐えたご褒美として、名前を言えばカプラスから来た者達は殺さないと約束してあげる」
「ぜ、ったいに、よ。やぶった、ら、ゆるさ、ない」
「言いなさい。ルティアナの弟子の名前」
シキごめん。でもカプラスにいるシキが今すぐイノスにどうこうされる事はないはず。
「シキ。シキ・カーセス」
「……シキ・カーセス」
イノスが繰り返す。
「ルティアナを殺したら、そのシキ・カーセスも殺さなきゃね」
「あなたに、ルティ、は、殺せない」
ガンと思い切り腹を蹴られた。
「っくう」
床に無様にうずくまる様子に満足したのか、イノスは大きく息をつく。
目の前にコトリと瓶が置かれた。
金のポーション。
「魔力回復ポーションを二つだけおいて行くわ。飲むも飲まないもあなた次第。私はこれから王城に言って術を発動させる。きっと明日辺りルティアナが来るような気がするわ。私の勘はよく当たるの。術が発動したら、あなたの魔力はどんどん吸い取られる。今のそのボロボロの身体で魔力が最後の一滴まで搾り取られたら、多分死ぬでしょうね?ポーションを飲んで私とルティアナが遊ぶ時間を長くしてくれるか、飲まずに死ぬか、好きな方を選ぶと良いわ。まあ、あなたが死んで人形が言う事聞かなくなったら面倒くさくて殺しちゃうかもしれないけどね」
どちらにしても、魔力が切れそうになったらポーションを飲むという選択肢しか残っていないという事だ。
「じゃあね。ルティアナを殺してその弟子も殺して、その後あなたの事を思い出したら迎えに来てあげる。それまで生きていられたらね」
イノスはにたりと笑って部屋を出て行った。
ここから生きて返すつもりなんて微塵もないくせに!
ぎりっと歯を食いしばる。
大丈夫。
ルティアナはあんな奴には負けない。
イノスが約束を破ったとしても、リヒト達はそう簡単にやられたりしない。
大丈夫。
大丈夫……。




