光と闇の狭間で
「貴様! 誰に頼まれた!? 国王派か!? エレメント皇国か!? 教会か!?」
酒場も閉まり王都が眠りにつく新月の夜。
贅を尽くした自身の寝室にて肥えた身体をした中年男性は、震える手で宝石で彩られたナイフを必死に握りしめ、闇夜に溶けてしまいそうなほど黒い何者かに声をかける。
全身黒づくめの強化防護服。と言ってもこの世界の者には伝わらないだろう。
どこぞのSF映画の悪役のようなヘルメットからは目線すら見えない。
「お前に犯されて、腹の中の子供と共に殺されたメイドの恋人だよ」
「バカな! ワシを誰だと思っている!!」
「安心しろ。死ねばただの屍だ」
白い輝くような純白の床を、黒づくめの何者かがゆっくりと歩く音だけがやけに響く。
貴族は震えていた。
迫り来る死の恐怖に。
先程からいくら叫んでも誰も駆け付けぬ不自然すぎる現状に。
「なっ……」
死神か? そんな思いすら過るが貴族にはすでに逃げ場はない。
いつの間にか貴族を部屋の隅に追い詰められた貴族は、この世界では見ることすらない銃口を向けられていた。
その瞬間、静かな闇夜に響くような銃声が部屋に響き渡る。
貴族だった男はただの屍となり、眉間から血を吹き出して倒れた。
「地獄に堕ちろ」
純白の床を染めるように広がる血に、黒づくめの何者かは一瞬だけ視線を向けると、そのまま闇夜に溶けるように消えていく。
「マスター。起きてくださいよ!」
「ん~。あと五分……」
「駄目です! いっつもそうなんですから!!」
翌朝。王都の裏通りある何でも屋という怪しげな看板を掲げた店の二階には、少女特有の甲高い声が響いていた。
十代半ばだろうか。少しウェーブの掛かった髪を後ろで束ねた可愛らしい少女が、まだ暗い部屋のカーテンを一気に開けると、室内には明るい日差しが一気に射し込む。
そこは部屋と言うよりは倉庫のようで、木製の木箱が山積みにされている。そんな木箱に囲まれた一角にあるベッドに、日差しから逃れるように布団に潜り込もうとする男がいる。
「……おはよう。ミルちゃん」
「早くありません! もうすぐお昼です!」
少女がなんの躊躇いもなくベッドの布団を剥ぐと、ボサボサになった黒髪の青年が眠そうな表情であくびをした。
少女の名はミル。この何でも屋の従業員である。黒髪の青年はマコト。アラサーで独身彼女無しのこの男は、何でも屋のダメ主である。
実際に店を切り盛りしてるのはミルの方で、マコトは時々何処からかおかしな商品を仕入れて来るだけなのだ。
「ほら、起きたら顔洗って髪を直して下さい」
「へーい。ミルちゃんはいいお母さんになるなぁ」
「私はまだ未婚です!!」
まるで子どもを叱りつける母親のようなミルにマコトは笑いながら起き上がると、誉めるつもりか怒らせるつもりか分からぬ事を口にしてベッドから叩き出される。
ミルはそのままマコトの寝ていた布団を裏庭に干しすと、開店休業中のようながらんとした店の掃除を始めた。
品物はおかしな物ばかりだ。
ゾンビ以外は斬れないゾンビキラーや炎しか防げない盾などの武具から始まり、この世界では誰も着ないような怪しいコスプレ衣装などなど。
「ミルちゃん。アレちょうだい」
「はい! 毎度ありがとうございます!」
「マスターはまだ寝てるの?」
「今さっき叩き起こしました!」
こんな物を誰が買うんだろうと毎日のように思うミルだが、この店にも唯一売れ筋の商品がある。
買いに来るのは花街のお姉さん達で、売れ筋の商品は超薄の避妊具だ。この世界の技術では作れぬメードインジャパン製にそっくりな避妊具になる。
マコトが冗談半分で置いたら売れ筋となってしまい、売るのを止められなくなった商品だ。
尤もこれが無ければ、ミルのお給金も家賃も払えなくなるのだが。
「そう言えば聞いた? ダーバン伯爵が殺されたらしいわよ。例によってまた不正の証があちこちに届けられてね」
「また出たんですか。ダークナイト」
「ええ。伯爵家は取り潰し。男子は国家反逆罪で全員死刑。いい気味だわ」
「誰なんでしょうね。ダークナイト」
ミルは注文の品を用意しながら常連のお姉さんと世間話をするが、この日は朝から王都は大騒ぎだった。
悪名高いダーバン伯爵が何者かに殺され、彼の悪事が暴かれたのだから。
数年前からミル達の国を含めた近隣地域で騒がれてる、謎の殺し屋ダークナイト。
彼の仕業と酷似しているので、人々はダークナイトがクソ貴族をやっつけたと祭りのような大騒ぎをしているらしい。
むろん殺し屋は殺し屋だ。過去にも面子を潰された国や教会は莫大な懸賞金を賭けて行方を追っているが、足取りどころか目撃者すら見つからぬ謎の殺し屋。
一説には魔王とも死神とも言われ、姿を見たものは生きては居ないのだと畏怖されている存在。
地位ある者からは恐れられ、庶民からは憧れを抱かれる存在である。
「シンディさん! 来てたんですか!? せっかくですから、中でお茶でもどうです?」
「あらマコト。久々ね。悪いけどこれから仕事なの。お客さんとしてなら歓迎するわよ」
「それじゃ、さっそく……」
「マスター。そんなお金あるんですか?」
ダークナイトは何者なんだろう。ミルと常連のお姉さんはふと考え込み無言となった時。 またあくびをしていたマコトが姿を現す。
常連のお姉さんの名はシンディ。王都でも指折りの娼婦であり、一晩相手をするだけで平民の数年分の給金が飛ぶと言われる美女だ。
欲情的なスタイルと男を惑わすようなさ仕草にマコトの鼻の下は延びきっている。
しかしミルの今にも凍りつきそうなほど冷たい視線を向けられると、腰が引けたように乾いた笑いを見せていた。
「ふふふ。じゃあね。ミルちゃん」
シンディはそんな二人の夫婦漫才のようなや り取りに、意味ありげな笑みを浮かべながら商品を受け取ると帰っていく。
最後の一瞬に少しだけ羨ましそうな視線を残しながら。
「また出たみたいですよ。ダークナイト」
「へぇ。働き者だね。先週も出たって言ってなかった?」
「みたいですね。何でも正体は最近姿を見せてないS級の冒険者だとか」
「どうせ近所のオバサンの話だろ?」
「まあ、そうですけど」
何でも屋の一日の客は多くて十人ほど。少ないとゼロという日も珍しくないので、マコトもミルも暇だった。
シンディが居なくなるとマコトは固い黒パンを、ミルが持ってきてくれたスープに浸して朝食件昼食を取る。
何処かダークナイトが気になる様子のミルに、マコトは興味ないと言いたげな表情で話を聞き流していた。
いつもと変わらぬ何でも屋の光景だった。
「相変わらず辛気くさい顔してるな」
「悪かったな。辛気くさい顔で」
日が暮れると店を閉めたマコトは、近所の人気のない酒場に来ていた。
酒場の店主は強面な上に偏屈な男で騒ぐ奴は客じゃねえと、よく一見さんを追い出す。
結果として近所の親父やマコトくらいしか寄り付かない、今にも潰れそうな酒場だった。
マコトの顔を見るなり迷惑だと言いたげな表情の店主であるが、マコトは気にせずカウンター席に座る。
「ほら。報酬だ」
「依頼人はどうなった?」
「死んだよ。ありがとうって言い残してな」
他には誰も居ない。
銀貨数枚を何かの報酬として店主から受けとると、マコトはそれを興味無さげにアイテムボ ックスに放り込んだ。
「結局、また誰も救えなかったか」
「そんなことはないさ。依頼人は少なくともダークナイトに満足してた」
「本当にね。物語なんかだと異世界に来ればモテモテで成り上がれるのに。オレは……」
この酒場はダークナイトと依頼人を繋ぐ、闇ギルドの酒場だった。
一年ほど前に前に突然この世界に飛ばされて来た時、路頭に迷って奴隷堕ちしそうだったマコトを助けたのは、闇ギルドのギルマスでもある店主だったのだ。
マコトは紆余曲折の末に異世界人ゆえに持ち得たチートスキルで、闇の殺し屋ダークナイトとなった。
「辞めてもいいんだぞ。お前が世の中の闇を背負う必要なんてないんだ。それにその力。普通に使えば、すぐに成り上がれるぞ」
「冗談だよ。オレは今の生活くらいでいい。分相応だ」
酒場の店主が出した強めの酒を一気に飲み干したマコトは、ポケットから銅貨数枚を取り出すとカウンターに置いて店を後にする。
その後ろ姿に酒場の店主が少しため息を溢したのは、幸か不幸かマコトには聞こえなかったらしい。
「帰って寝るか」
ダークナイトの存在が知られて以降、夜の街は静かになった。
貴族達は自らの振る舞いに気を付けるようになり、商人やチンピラですら闇に怯えるようになった。
だがマコトの心は晴れなかった。
帰りたい。日本に。
叶わぬ願いと知りつつ。
すでに血で汚れた自分にはその資格がないと知りつつ。
吸い込まれそうな星空を見上げて。
願ってしまう。
いつか日本に帰れますようにと。