第五十九話 拉致②
衝撃。揺れる世界。熱い。
「まったく、悪い子だ。聞き分けがない子には躾が必要だね」
叩かれた……?
「下賤な者どもと関わると碌なことにならない。さぁ、マリアルイーゼ。僕が君を元に戻してあげるよ。以前の、従順で、淑やかで、僕の恋焦がれた君に、ね」
滲む視界に、近寄ってくる人影。
嫌。
こないで。
「さぁここから出よう。大丈夫。君と暮らすための屋敷は用意してある。何分、急な事だったから万端とは言えないが、そこは我慢してほしい」
右腕を掴まれる。
放して。
はなしてよ。
「すぐに君のために全てを揃えるよ。そうすれば、君はもう外に出なくていい。ずっと、ずぅっと、僕のために笑っていてくれ。ずぅっと、ずぅっとね」
腕が引かれる。
引きずられる。
やめて。
「さぁ、立つんだ。どうしたんだい? 駄々をこねているのかい? また躾が必要かなぁ?」
身体が震える。
また叩かれる。
「ああぁ、抱き抱えてほしいのかぁい? いいねぇ。そぉうしようかぁ」
気持ち悪い。
止めて。
こないで。
「さぁ……僕と一緒にぃ──」
エルトさん──!
「もし、誰かいらっしゃいますか?」
唐突に、女性の声が聞こえました。
目の前に迫っていたアンドラス・クレナガンが勢いよく身を放して顔を背けました。
私も驚いて涙が止まったようで、何度か瞬きをすると視界がクリアになりました。
声がした方──アンドラス・クレナガンの見ている方を見れば、それはこの小屋の入り口でした。
「もし、誰か」
再び、女性の声。
入口の方には、すでに誘拐の実行犯であろう三人の男たちが。
手振りで何かを伝え合い、頷いて。
「駄目逃げて!」
咄嗟に私は叫んでいました。
男たちが慌てて動いて。
アンドラス・クレナガンが血走った目をしたまま私の顎を掴んで。
何かが壊れるような大きな音が響いて。
男の一人が壁に叩きつけられて。
怒声が響いて。
強風が吹いたような音がして。
灯りが消えて真っ暗になって。
苦悶の声がして。
強く掴まれていた顎が解放されて。
身体が浮き上がるような感覚。
真っ暗の中で、青白い四角のなにかがもの凄い勢いで迫ってきて。
冷たい空気が全身を包みました。
ざぁ、と風の音。
以前、強制的に乗せられたことのあるジェットコースターを思い出して身が竦み。
青白と黒の入り乱れる場所を勝手に運ばれて、一気に明るい所まで来てようやく止まりました。
私の身体を運んでいた何かが解けるように消えていき、柔らかい地面に座り込む形で解放されたのです。
何が何だか。
上を見れば、満月が煌々と光り輝いていて、周囲を見渡せばここが木々の中にぽっかりと空いた広場のような空間であると分かりました。
ですが、
「女の人……」
「呼ばれましたか?」
「ひうっ」
私自身に起こったこともそうですが、先程の小屋に現れたであろう女性のことが気になり、声を出した途端、真横から声がかかってびっくりしました。
見れば、月明かりに照らされて、見覚えのある女性がこちらに微笑んでいました。
「グレッセリアさん?」
「はい。先ほどぶりですね」
一気に疲労感が広がり、身体が少しふらつきました。
グレッセリアさんはしゃがみ込んで支えてくれました。
「大丈夫かしら?」
「……はい。でも、すぐに逃げなきゃ」
「そうですわね。あら、もう追いついたの」
「え?」
暗い木々の間から人の走る音と、罵るような荒々しい声。
来た。あの犯罪者たちが……!
「に、逃げないと……」
立ち上がろうとしましたが、足が言うことを聞きません。
こ、これが腰が抜けたというものですか!
「大丈夫」
「そ、そんな事」
「大丈夫」
グレッセリアさんは穏やかなまま大丈夫と繰り返して、慌てている様子が一切ありません。
何故?
そうこうしている内に、暗がりから四人の男たちが。
「くそが、舐めた真似しやがって」
「観念しな」
「いっつつ……ぶっ殺してやるぞクソアマが!」
荒々しい男たちはすでに武器を構えています!
「はぁ……! はぁ……! マリアァ、悪い子だぁ……お仕置きだぁっ!」
アンドラス・クレナガンは疲れ切っていました。運動不足ですか?
「グレッセリアさん! 早く逃げて!」
「遅ぇよ! 野郎ども!」
腰が抜けた私では、足手まといです。
せめてグレッセリアさんだけでも逃げてもらわなければ。
そう思って声をかけましたが、男たちが怒声を張り上げれば、男たちの背後から続々と武装した男たちが!
「俺ら【大蛇の舌】を舐めてんじゃねぇぞ!」
「蛇……?」
「ああ、以前マリアルイーゼさんに絡んできた下種どものお仲間ですわね。あちらは鱗でしたが、今度は舌ですか。もっといい名前もあったでしょうに」
緊迫した場面なのに、グレッセリアさんは落ち着きすぎていませんか!?
「ああそうだよ。テメェらにやられた【大蛇の鱗】は俺らの仲間だ。その落とし前はつけさせてもらうぜぇ!?」
そんな。
勝手に因縁つけて、勝手に暴力を振るおうとしたのに、それを捕まえたからといってこんな事をするなんて。
「頭の悪い連中です事。先に不埒な真似をしたのはそちらのお仲間でしょうに」
「知るかボケェ!」
あああ、グレッセリアさんそんなに挑発しては駄目です!
「予定変更だ、テメェらはぶち殺してから仲間の前に晒してやる!」
「おい! マリアは──」
「るせぇ!」
怒り狂った男に、アンドラス・クレナガンが殴り倒されました。
どうしましょう。
全然心が動きません。
「さぁ覚悟しろ! 泣け! 喚け!」
男たちが、殺到してきます。
このままじゃ──。
「覚悟するのはどちらでしょうね?」
グレッセリアさんは変わらず穏やかなまま。
「大丈夫よ。白馬に乗った王子様が……いえ、空飛ぶ災厄が来ますわ」
「え」
私たちと男たちの間の地面が爆発しました。
今度は何ですか!?




