第十六話 戦士長は苦労人 アイゼス
拠点防衛戦士団戦士長、アイゼス視点。
今日も一日が終わろうとしている。
部下から上げられた報告をまとめ終え、一息入れようと立ち上がれば視界の端に夜景が見えた。
私に与えられた執務室は拠点で唯一の四階建ての建造物、総合庁舎の最上階にある。拠点内の治安維持を目的として動く部署の長だからと広い室内に、質の高い机や家具などが揃っている。
あまり華美なのは好まない性分だが、肩書きがある以上はそれ相応の物を揃えなければならないことも承知している。
それでも、やはり思う。
硝子というのは、いいな。
室内に光を届けつつも風は通さず、さらに透明なために圧迫感も軽減する。さらに晴れた日はこの賑やかで騒がしい拠点の街並みを一望でき、こうして陽が暮れれば家々の灯りが織り成す夜景を楽しむことができる。
この光景は、尊いものだ。
灯りがあり、そこに人々の営みがある。それがあるのは、我々がこの場所を守っているからだ。
多くの人が行き交えばそれだけ騒動が起こる。それを放っておけば規模は容易く拡大してしまう。まるで火のようなものだ。
我々は日々拠点を巡回し、その火を小さい内に消し去る。
毎日、毎日。
大きな物から小さな物まで。
だからか、業務報告書の数は毎日膨大な数で、それを一手に纏めるのは骨が折れる。
「ふぅ」
団長が南方から仕入れたコーヒーというものは好ましい。特にこの苦味が。
一杯をゆっくりと飲み干し、もう一杯カップに注いで再び執務机に戻る。
「……トリステスは、今頃家か」
戦士団にも専属事務官がいるが、我ら【獅子の咆哮】は少々特殊な成り立ちをしているために、慢性的な人手不足だ。
今彼らは拠点の内政を司る部署の手伝いに駆り出されてしまっている。
そんな彼らの内、最近入団した若者でトリステスという者がいる。
侯爵家という上位貴族の子息であった彼は文官として高い能力を持っていた。さらに人柄は貴族にありがちな高飛車だったりすることもなく、礼儀正しく気持ちのいい青年だ。
さらに、ただの文官という訳でもなく、自身も護身術程度とはいえ戦う気概と実力を持っているのも評価できる。
ここはどうしても荒くれ者が集まってしまうせいか、ひ弱な者では長く続かない。
かといってそういった者がいない訳でもないが。
話が逸れた。
トリステスは先程も言ったが能力が高いために即戦力としてとても重宝している。本当なら彼に手伝ってもらい早々に夜の自主訓練に赴いているはずだが、彼はもう帰宅させた。
理由は、今日の昼間に起こった出来事だ。
トリステスの妹が拠点内で柄の悪い傭兵に絡まれ、とても取り乱したというのだ。
絡んだ傭兵は【大蛇の鱗】という名の弱小傭兵団の者たちだ。そこらのゴロツキの集まりのような連中で、評判はすこぶる悪い。
この街に来た目的は我ら【獅子の咆哮】がどの程度のものか観察するためだという。
この連中、小賢しいことに街へ入るときは行商と偽っており、街中で武装して悪行を働いたのだ。
拠点への出入りに関しては我々戦士団の領分だ。多くの者に拠点内で騒動を起こした者は問答無用で捕縛することを伝えており、それを実行してきた。
外から来た者も、拠点で暮らす者も。
「普通に暮らすならいい。多少の喧嘩もいい。ただ、俺の縄張りで好き勝手すんなら俺の敵だ。容赦する必要はない」
ここのトップの言葉であり、我らの行動指針の一つだ。
聞くに値しない戯れ言をほざく連中はトリステスの兄によって捕縛され、現在は牢屋に閉じ込めてある。報告ではいつまでたっても黙ろうとしないので強制的に静かにしたという。
犯人は捕縛したが、被害者は荒事などとは無縁の元貴族の令嬢だ。その衝撃は計り知れないだろう。
トリステスとその家族は件の末娘を溺愛しているからか、報告を受けたトリステスは心配のしすぎで仕事にならず、即座に帰宅させた。
「さて、と」
もう遅い時間だが、やることは山積みだ。
警備体制の見直しに始まり、不届きものの捕縛に協力してくれた街の人々への謝礼の手配。それに仕事の遅れをどう取り戻すか……。
さらに言えば、残業で遅くなったために機嫌が悪くなった妻をどのようにして宥めるか。
さらにさらに。件の末娘は団長と朝食を共にしているというではないか。彼女のお陰で朝の会議がスムーズに始まり、皆とても感謝している。
まぁそれはさておき。
団長は、とても好き嫌いが激しい。
食もそうだが、人間に対しても。
件の娘は、私の予想だが団長にとても気に入られている。それも特上に。そうでなければあの団長が聖域とまで言った自宅に入ることを許可しないだろう。
そんな娘が害されたのだ。
あの、味方なら頼もしいが敵になれば絶望しかないエルトリートという男がどう動くか。
考えるだけで頭も胃も痛くなる。
今は外に出ているが、帰ってくるまでに対策を考えておかなければ最悪、拠点防衛戦士団が再訓練という名の八つ当たりで使い物にならなくなる。
「いかんな。早く訓練しなければ」
訓練はいいものだ。
体を動かし続け、筋肉を苛めぬく。負荷のかかった筋肉はその分だけ強靭になっていく。強靭になればなるほどそれは闘争の場での力となる。
闘争を武力で制し、守るべき者を守る。武力なき平穏は砂のように脆く儚い。それが世の常だ。
なればこそ、我らは平穏を脅かす全てを粉砕するために強くあらねばならない。
ああ、早く体を動かしたい。
「仕事をさっさと片付けるか」
まずは目の前のこれを処理しよう。
◇◇◇◇◇
長く書き物をしていたせいか肩と腰に違和感を感じたが、少々体をほぐせばすぐに消えた。
書類はあらかた処理し終わり、他の雑務も終わった。
後は明日に回しても大丈夫だと判断し、帰宅しよう。今日の所は訓練を取り止め、明日の朝にその分を補填する。
帰宅すれば妻の機嫌を直すために体力と時間を使うからな。
「戸締まりよし」
さすがにここへ忍び込むような輩はいないだろうが、絶対ではない。侵入者対策のための魔道具類を起動させる。
これで解除用の鍵がなければ室内に入れない。
入ろうとすればえげつない事になる。
実演された当時の光景が鮮明に甦る。ああはなりたくない。
「……む?」
執務室から出た瞬間、人の気配を感じる。
この建物の中にはまだ人はいる。内政を司る部署などは絶賛仕事中であろう。
しかし、それは階下の部屋で行われている。
この最上階にあるのは【獅子の咆哮】でも幹部級の人間の執務室か、大会議室か、団長室しかない。
大会議室はほぼ使われておらず、鍵は副長しか持っていない。
他の部屋にも気配は……ない。
ならば、残りは団長室。
「……ふむ」
この団長室、特に意味はない。ただ存在しているだけの、団長が好き勝手に使うための部屋だ。
正確に言えば、ただの物置小屋である。
ここ【獅子の咆哮】の特筆すべき点は、傭兵団や拠点の運営に関しては副長たるフォートレス殿が一手に担っていることだろう。
本来なら長がやるべきことなのだが……成り立ちが特殊なここではこれでいいのだ。
そもそも、エルトリートという男が傭兵団を設立したのではない。様々な理由で集まった弱者たちが圧倒的強者にすがり付いた結果、出来上がった組織なのだから。
「うあ~、つっかれた~」
まさか、と思っていたら、案の定団長室から出てきたのは団長本人だった。
何故か泥だらけであった。
「団長、今お帰りですか?」
「おー、アイゼス。お疲れー」
「お疲れ様です。転移ですか?」
「ああ、明日でも良かったんだけど、時間が時間だしな。汚れまくったから銭湯にいきてぇ」
水気のある泥が大半であったが、所々乾いている場所があったり、何かの草がこびりついていたりしている。両手は黒々とした汚れに覆われて、ちょっとやそっとでは落ちそうにない。
「随分と派手にやったようですね」
「やったっつーか、やられたわ。壊滅一歩手前で自爆とか……ほんっとクソだわあの連中」
「自爆、ですか?」
「使徒十五人片付けて、祭壇ぶち壊そうとしたら、その場にいた連中が爆弾抱えて爆発。洞窟が崩落してきてな」
使徒が、十五人。
それを聞いただけで嫌な汗が吹き出てきた。
……団長には、敵がいる。
明確に彼に敵対し、彼の大切な者を奪い、彼が殲滅することを誓った敵が。
敵は強大な力を有していながら姿を現さず、世界中にいる信奉者を使って暗躍している。
団長は手がかりを求め信奉者たちを追い続けている。今回もそうだ。
このことは幹部や最古参の者たちしか知らない。他の者は知る必要もない。
これは団長の戦いだ。
彼自身が決めた闘争だ。
彼が終わらせなければならない争乱なのだ。
だからこそ、傭兵団の維持や拠点の運営などの雑事は我々が行わなければならない。
団長の優しさにつけこんで居場所を確保した弱者たる私たちが。
いかんな。
思考が悪い方に行ってしまう。
「どしたよ? くら~い顔して」
「いえ、何でもありません」
「いや何でもなくねーだろ。結構深刻そうじゃんか。ははぁん、さてはお前……」
そこまで顔の筋肉は動かしてはいないのだが、団長は得意満面の笑みを浮かべている。
気付いたのか?
「嫁さんと喧嘩したから帰りたくないんだろ~? 図星? 図星?」
全身から力が抜け、思わず膝を着きそうになってしまった。ぬぅ、修練が足らん!
団長は何故か納得したと言わんばかりに頷き続ける。
「いえ、ただ仕事が長引いただけです」
「なぁんだ。ま、喧嘩してなけりゃいいや。夫婦喧嘩は犬も食わねぇらしいし」
団長は軽く笑うと歩き出した。
私も帰宅しようとしていた所だったので、随行する。
「んで、なんで仕事が長引いたんだ?」
「いえ、ちょっと文官をフォートレス殿の方へ回しまして。こちらは書類を纏めるのみですし、あちらの方が重要度が高いので」
「あ~、文官かぁ。こればっかりはなぁ~。誰でもいいって訳にもいかねぇしなぁ」
そう。誰でもいい訳ではない。
ここが普通の国や街なら選択肢は多いのだが、傭兵団が主体なので文官は集まりづらい傾向にある。
対策として一番に思い付くのは他所から人材をスカウトしてくることだが、
ヘタな人材を連れてくると思わぬ被害が出てしまう。
我々を脅威に感じている者、憎んでいる者、利用しようとする者、そして滅ぼそうとする者。多くの敵が内に入り込んでくるだろう。
それを防ぐには、今のように細々と追われた者たちを保護しつつ、適性がある者を採用していくしかない。
この場合、確実に団長が面談するので間違いはない。
団長は色々と摩訶不思議な力を持っているが、その中の一つに人の本質を見抜ける、というものがある。大雑把に良い奴か悪い奴か分かるくらいと言うが、分かるだけでもすごいことだ。
これのお陰で今まで採用した人間にハズレはなかった。
例外としては、能力は高いが性格に難がありすぎる奴もいたが、教育的指導を行った上で矯正された者もいる。
それはともかく。
ではこのまま行くしかない。
もう少しすれば学校で基礎を学んでいる若者たちが戦力になるようで、それまでの辛抱か。
「あれか? この間配属になったニイチャンもフォートレスんとこに行かせたのか? ホレ、なんつったっけ?」
「……トリステスですか?」
「そーそー。マリアルイーゼの兄ちゃん」
……さて、どうするべきか。
遅かれ早かれ、今日の出来事は団長の耳に入るだろう。
ここで黙っている、という選択肢はない。
……仕方なし。
「実はですな、本日このようなことがありまして……」
その夜、私の帰宅はかなり遅くなってしまった。
理由は単純だ。団長が私の報告を聞いて不埒者たちが収監されている牢屋へ直行したのについていったからだ。
団長を放置してしまうと後々とんでもないことになるのは目に見えているので、被害を最小限にするためには必要なことだ。
案の定、団長はまだ生意気なことをほざいているチンピラどもに怒りの鉄槌を振り下ろした。
私がいなかったら、地下の牢屋全体が拷問部屋に早変わりしていた所だ。
なんとか宥める事に成功したが、かなりの時間をとられてしまった。
──明日は、蛇狩りだな。
団長はそう言い残して帰っていった。
本来はとても恐ろしい、死刑宣告に等しい言葉なのだが……全身泥だらけの姿との対比がえもいわれぬ摩訶不思議さを醸し出しているので、どう反応していいのか非常に悩む。
まぁ、なにはともあれ、無事に帰宅できたことを女神様に感謝しよう。
玄関の戸を開けるまで、私はそう呑気なことを考えていた。
……疲れていたのだ。
「旦那様、お帰りなさいませ」
「ヒッ……今帰ったよ」
「何か聞こえたような気がしましたが?」
「気のせいだろう」
「そうでしたか」
玄関で出迎えてくれたのは、我が妻であるグレッセリアだ。
いつも美しく愛らしい妻。
疲れきっていても、その笑顔を見るだけで疲れも吹き飛ぶ。
はずなのだが、今日はその笑顔が恐ろしい。
せめてエントランスの灯りはつけておいてほしかった。
光魔石のランタン一つだけで佇まれては、少々反応に困る。
「旦那様、わたくし、御帰宅を首を長くしてお待ちしておりました」
「すまない。仕事が立て込んでしまってな」
「そうでしたか」
妻は音もなく私の目の前に来る。
そのまま、抱きついてきた。
私の身長は百九十ほど。妻は百六十ほど。私の鳩尾あたりに顔を埋める形になってしまう。
「すぅ~、ふ~、すぅ~、ふ~」
「セリィ?」
「すぅ~、ふ~。あぁ、旦那様のにおいぃ」
うむ。いつも通り。
普通、女人とはあまり濃い男の臭いは好まない。むしろ嫌悪するものではなかろうか。
しかし、妻は私の体臭を好む。
こうして仕事から帰ってくるといの一番に抱きついてこうして「至福の一時」を楽しむのだ。
「今日はいつもより薄いですのね」
「訓練を省いたからな」
「それはいけません! 旦那様は訓練が大好きで、わたくしはその汗の臭いが嗅ぎたいのです! さぁ旦那様、汗をかきましょう!」
私の妻は、欲望に忠実だな。
だが、そこがまた、いいのだ。
・アイゼス
拠点防衛戦士団のリーダー。
訓練大好き乳酸最高!
拠点防衛の要にして、エルトをして攻めきれるか分からないと言わしめる実力者。
・グレッセリア
アイゼスの妻。元やんごとなきお方。
小さな体に大きな包容力をもつ。
匂いふぇち。夫の汗臭さがお気に入り。




