第十四話 騒動は唐突に
厄介事って、急に来ますよね。
雲一つない青空の下、柔らかな風が吹いて洗濯物を揺らしていきます。
ふわりとはためくシーツが気になるのか、フーちゃんが跳び跳ねて捕まえようとしているのが可愛い。
でもせっかく綺麗にしたのですから、汚されるのは見過ごせません。以前、見守っていたら口でシーツの端を咥えられ、引っ張って地面に落とされた上にくるまって転がって泥だらけにされたこともあります。
なので早々にフーちゃんを確保です。
「フーちゃん、汚しちゃメッ、ですよ。こちらにいらっしゃい」
「アフッ!」
フーちゃんはお利口で、私の言うことをキチンと聞いてくれます。声をかけるとこちらに顔を向けますが、シーツのはためきが気になっているのでしょう。こちらを見て、シーツを見て、こちらに数歩進んで、シーツのほうに戻ってを何度か繰り返してから私の所に走ってきてくれました。
「いい子いい子」
しゃがんでフーちゃんを撫でてあげると、コロンとお腹を出して寝そべってしまいました。なので柔らかいお腹を揉んであげます。
ふふ、気持ちいい?
もみもみ。なでなで。こしょこしょ。
「マリア、マリアルイーゼ? ちょっと来てもらえるかしら?」
あら、お母様が呼んでいますね。
何かありましたか?
「はーい、今いきまーす」
フーちゃんを抱っこして、家に入りましょう。
◇◇◇◇◇
今日は学校はお休みの日で、エルトさんは遠くに泊まりがけの出張で、時間が有り余ってしまっています。
私の感覚では、一日は朝から晩まで慌ただしくて、時間はいくらあっても足りないものでした。
朝は身支度を整えているだけで家を出る時間が迫っていて、窮屈な思いをしながら通勤して、仕事は目が回る程の忙しさで終わりが見えず、気がつけば日付が変わるくらい遅くまでで、帰宅すればもう疲れきっているのが当たり前。
休日も炊事洗濯など家事をして、細々とした雑事をしていたらもうあっという間に陽が暮れていたり。
そもそも休日がない時もありました。
それから、色々あって、二度目の学生生活を送ることになりましたが、貴族としての常識やマナー、ダンスを始めとしたお稽古事が目白押しでした。その上でお妃教育なんてものまで追加されてしまって……。
見事なまでに、常にお仕事に追われていた人生ですね。
「ふぅ」
空が、とても青い。
今までの人生の中で、こうやってのんびりと空を見上げることなんてありませんでした。
視線を下に戻せば、やんちゃな子供たちが元気一杯にフーちゃんと追いかけっこを楽しんでいて、まだまだ止まる気配はありません。
小さいながらも滑り台やブランコといった遊具よりも、フーちゃんの方が人気があるようです。
風が、少しだけ強く吹きます。
季節はまだ夏ですが、拠点は北方に位置しているのでとても過ごしやすくて助かりますね。
夏という季節は湿気がすごくて暑くて嫌な季節でした。コンクリートで覆われた街並みはどこもホットプレートのようで、一歩踏み出しただけで汗だくになるのですから。
でも、石畳で舗装された街を歩いていてもそこまで熱気を感じませんし、こうして土の地面の場所で木陰にいると、まるで秋のように感じてしまいます。
やはりコンクリートというのは熱を吸収しやすいのですかね? 石畳に使われている石は熱が籠りにくいのでしょうか?
「私は、何をしていたんでしょうか……」
昼間に公園のベンチに座って、子供たちが遊ぶ楽しそうな声を聞くことも、木陰の涼しさも、風の柔らかさも、今になって初めて体験しているような気がします。
知識としては知っていたはずです。はずなのですが、とても新鮮な感じです。
だからこそ、
「本当に、何をしていたんでしょうね」
この一言に尽きます。
生まれてからこれまで、そういった体験をしてこなかった、もしくは体験したとしてもそうとは理解できなかった。
自分で自分に呆れてしまいます。
どれほどの事柄を見逃してきたのか。
どれだけの事をしてこなかったのか。
普通の子供たちはこうして幼い頃から友達と一緒に遊び、様々な事を経験していくのでしょう。
この子達には、私のようなことにはなってほしくないですね。
……こういった事を、子供たちに教えていくのも教育なのでしょう。情操教育、というものですね。
──私に出来る?
──こんな、偏った人間に?
学問なら、いけるでしょう。
でも、人として欠落している私が、人としての何かを子供たちに教え、育てることができるのでしょうか?
拠点に来て、新しく出来た友人にも言われました。これからの人生で私も誰かと結婚して子供を産み、母親になるのだと。
まだ小学校に通っていた頃、私は仲の良い両親の関係に憧れ、いつか暖かい家庭を築きたいなぁなんて思っていました。
婚約が決まってもまだ漠然と明るい予想図を描いていました。
それが今はどうでしょう。
自分の欠陥を自覚することで、これからの未来には不安しかありません。
前世の両親はどうだったのでしょう?
思い返してみても、私は前世の両親とはあまりにも関係が希薄でした。物心ついた頃から家に帰ってくる頻度が少なく、帰って来ても私が寝ている間にまた出ていってしまうのでほぼ会うこともありませんでした。
入学式や卒業式、三者面談なども両親は不在で、親戚も特にいるかどうかも分からず、祖父母とも会ったことがありません。
私、よく社会人まで成長できましたね。
本当に……。
もう一度同じ事をしろと言われても、出来る自信はありません。
「……はぁ」
全身がすごく重く感じます。
「おねーちゃん、だいじょーぶ?」
「え?」
子供の声に驚いていつの間にか俯いていた顔を上げれば、遊んでいた子供たちが集まっていました。
その中の一人の女の子がフーちゃんを抱っこしています。
皆、顔は不安そうで……。
「げんきないの?」
「おなかいたいのー?」
「おやつたべるー?」
「アフッ!」
ああ、また考え事に浸ってしまっていました。
「ごめんね、大丈夫よ。ちょっと休めば元気になるから」
「ほんと?」
「ええ、本当よ」
優しい、いい子達ですね。
是非このまま健やかに成長してほしいと素直に思います。
「心配しないで。ね? そうだ、おや……」
「へぇ! こんなもんまであんのかよ? たいしたモンだなぁ!」
「そうですねぇアニキ!」
「ちょ、やめましょうよ~」
私が子供たちへ話しかけていたら、ものすごい大きな声が聞こえてきました。
見れば、公園の出入口に男の人が三人、珍しい物を見るような感じで中を覗き込んでいます。その装いは三人とも皮鎧と剣を身に付けていました。
ここは賑やかな街ですが、傭兵団の拠点であるために武器を携帯している方は珍しくありません。むしろ治安維持を担っている拠点防衛戦士団の方は武装して警邏していますし、【獅子の咆哮】に所属している方やそうでない傭兵の方なども武器を持っています。
前世とは違ってこの世界は危険に満ちていて、武器を持つハードルというのはとても低くなっています。
だから、剣を持っていてもおかしくはないのです。おかしくないのですが、だからといって平然とはしていられません。
もし拠点防衛戦士団の方でしたらお揃いの制服や鎧を着ていますから一目瞭然ですし、拠点内の治安維持が任務ですから頼もしい限りです。
でも出入口にいる三人は、その格好からして違います。それに雰囲気も。
「ハッ、ガキくせぇ。傭兵団が聞いて呆れるぜ!」
「まったくですぜ」
「そんな大声で言っちゃだめですって~」
中心にいるのは身長が高く、中性的な顔立ちの方です。オレンジ色にも見える長い髪と切れ長の目。どこかホストのような印象です。
口許は笑っていますが、はっきりとそれが嘲笑だと分かります。自分以外を見下している人間特有の冷たさというか、気持ちの悪さがヒシヒシと伝わってきます。
その横で先程から同意しかしていない、小太りの方。お肉で膨らんで、まるでパンで出来た頭のヒーローのようですが、視線が、嫌です。先程から、鳥肌がたっています。
彼らの後ろには気の弱そうな方がいます。痩せすぎでちゃんと食べていないのでしょうか。すぐにでも倒れてしまいそうな印象です。
彼は他の二人を止めようとしているのでしょうが、聞いてもらえないためか体を左右に小刻みに揺らしています。
「なにあれ」
「やだー」
「こわいよー」
子供たちが私の後ろに隠れてしまいました。
……私も、正直に言えば怖いのです。でも、年長者としてここで弱気になってはいけません。この子達を安心させるために毅然とした態度を……
「なんだよあいつ!」
「えらそう!」
男の子の中でも血気盛んな二人が出入口の三人を睨み付けて、声を張り上げてしまいました。
ああ、駄目ですよそんなことを言っては。
「ああ? おいガキ、俺に文句言ったかぁ?」
聞こえてしまいましたか。
当然ですよね。それほど距離が離れている訳でもなく、先程から三人ともこちらを見ているのですから。
リーダー格の長身の方がすごく嬉しそうに笑顔で公園内に入ってきます。続いて他の二人も。
「やだ」
「こわい」
「お姉ちゃん」
女の子たちがぎゅっと抱きついてきます。
男の子たちは私の前にいますが、武器を持った大人が三人も近づいてくるので後退り、私のすぐ側に。
公園に入ってきた男達は大股でこちらに近付いてきます。
三人とも、私を見ている?
嫌な予感とともに、汗が出ます。
「おい、今俺に文句言ったのは誰だ?」
「アニキが聞いてんだ、答えろ!」
「やめましょうよ~、相手は子供ですよ~」
リーダー格の男の人よりも小太りの人の大声に子供たちは驚き、体を震わせます。もちろん、私も。
本来なら子供たちを落ち着かせたりしなければいけないのですが、そんな余裕はありません。
男達は、私を、見ている。
子供たちのことなど、まさに眼中になく。ただ、粘つくような不快な感覚がして、気持ち悪い。
「ハッ、どうした? さっきは俺に文句言ったんだ。ほれ、もう一度言ってみろよ」
「アニキがこう仰ってるんだ、言えよ!」
「あんまり大声はやめましょうよ~」
リーダー格の男の人、小太りの人、痩せすぎな人、と順番を決めているのでしょうか? 先程から同じローテーションで喋っています。
それと、痩せすぎの人。言葉では他の二人を止めるようなことを言っていますが、言葉だけで実際には止める気はないのでしょう。
口許が笑っています。
本気で止めるようなら、こんな状態で笑える訳がありません。
「黙ってる訳? ここのガキはシツケがなってねーなぁ。おい、お前か?」
「お前だろ! お前だろ!」
「やめましょうよ~」
私の前にいる男の子たちに、顔を近づけて詰問する男の人たち。
思わず手を伸ばし、抱き締めるように距離を開けさせます。
「や、やめて。こ、子供相手に」
声が震えてしまいます。情けない。年長者として私には子供たちを守る義務があるのに。
「おっほ! なに? あんたのガキ? これあんたのガキ?」
「アニキ、どうみても若すぎますぜ」
「アネキですよね~」
「うるせぇ! 分かってんだよそんなことぐれぇ」
リーダー格の男の人は仲間に対して怒ると、より嬉しそうな笑顔で私を見てきました。
子供たちを抱き締める手に、力が入ってしまいます。
「ダメだなぁ、ほんっとダメだなぁ。ガキのシツケはちゃんとしとかねーとよぉ? 俺じゃなきゃ殺してるよ?」
「そんな!?」
いくらなんでも酷すぎる。
子供を、殺す、なんて、そんな……。
「まぁ俺も? 優しいから? ガキのやったことだし? 許してやらんこともねーけど?」
「おい、アニキに感謝しろ!」
「運がいいですね~」
どこが優しいのでしょう。
こんなの、酷すぎます。
でも、いつまでも怖がっている訳にはいきません。どうにかしてこの場を納めなければ。
「どう、どうしたら、許して、くれますか?」
震える声で、そう言うのが精一杯な私に対して、男達は、待ってましたとばかりに笑い合い、
「誠意をみせろよ」
「そうそう、誠意だよ」
「謝るにはそれですよね~」
「誠意、ですか? それ、は、どのような?」
「はぁ!? んなもん自分で考えろよ! テメェのシツケがわりぃんだろうが!」
息が、出来ない。怖い。なんで? なんでこんなことに? どうして? この人たちはなにがしたいの?
「おいおい泣くなよ。泣きたいのはこっちだぜぇ? いきなり悪口言われちゃってさぁ、傷ついたんだぜぇ?」
「そうだそうだ! どうしてくれるんだ!」
「考えようよ~」
視界が、にじんで。怖い。怖い。
「や、やめ」
「ガキはすっこんでろ!」
男の子の一人が勇気を振り絞って声を出しましたが、男達は腰から銀色のものを抜いて、
「やめて! 子供たちには手を出さないで! お願いします、何でもしますから!」
目を強く閉じて男の子を庇うように抱きしめます。この子達が傷つくような光景だけは見たくありません。
何があろうと、守ります。
──あんな思いは、もう嫌。
ぎゅうっと、抱きしめ続けていると、
「な、なんだてめぇ!」
「拠点防衛戦士団だよ」
リーダー格の男の人と、新しい男の人の声。
続けて生々しい嫌な音。小太りの男の人の罵声。痩せすぎの男の人の悲鳴。何かが倒れる音。そして、
「もう大丈夫だよ、マリア」
聞きなれた、男性の声。
顔を上げれば、そこには、
「おにいさま」
「よくがんばったな。もう心配いらないぞ」
私の一番上の兄、ファルガーお兄様がニコリと笑っていました。
恋愛物なら普通、ヒーローが現れる所ですが、出てきたのは書き始めてから(短編含む)初めて名前の出た長兄でした。
どうしてこうなった……。
皆様、書くときはキチンとプロットを練り、細かい部分を決めておきましょう。
じゃないと中々ヒーローとヒロインのいちゃラブが出てきません。
この作品は大雑把に大きなイベントを決めてその他の部分は書きながら考えている火の車状態で進行しています。
執筆は計画的に……。




