第十二話 美少女教師マリアルイーゼ?
紙にペンを走らせる音を聞くと、私は心が落ち着きます。
以前の私は常に勉強をしていました。
教科書や参考書を開いて、練習問題を解いていました。それが終われば参考書など書店で買い求めたものを。それが終われば今度はインターネット上のものにまで手を出していましたね。
幼い頃から遊ぶことに消極的で、成長してからも臆病な性格でしたから自発的に動こうとしませんでした。
そのお陰で有名進学校、有名大学と進学してきました。
当時はそれでいいと思っていました。
だけど今は、もう少しだけ肩の力を抜いても良かったのでは? なんて思うようになりました。詮無いことですけどね。
いえ、前の自分を否定している訳ではありません。寧ろ勉強を頑張って来て良かったなと実感していますから。
何故なら──。
「はい、そこまで。皆さん、ペンを置いてください。後ろの席の子は紙を集めて持ってきて下さい」
砂時計が落ちきったのを確認して、終了を告げます。
途端に、室内は喧騒で満たされました。
「終わったー」「むずかしー」「あ、名前……」「なーここって答えなにー?」
子供達は本当に元気いっぱいですね。先ほどまで黙っていた反動なのでしょう、落ち着く気配など微塵も見当たりません。
ここは【獅子の咆哮】の拠点にある、学校の教室。今日は定期的に行われる学力テストの試験日なのです。
傭兵団に学力? と最初は疑問に思いました。私の偏見ですが、傭兵という職業は体が資本ですからあまり勉学を重要視していないと思っていました。
ですがここには私を含めて多くの非戦闘員が暮らしています。お店を経営している店主さん、物を作っている職人さん、野菜や穀物を育てている農家さん、牛や鶏を育てている酪農家さん、そしてそんな方々の奥方さんやその子供達。
この世界での識字率は大変低く、農村部では自分の名前を書けないのも当たり前で、初めて知った時には驚いてしまいました。
そうなると、四則演算なんてものを覚えるのなんて夢のまた夢。
「ここじゃそれが当たり前で、前世の俺らが恵まれ過ぎていただけだ。そこはきちんと区別しといた方がいい」
「可哀想だとか思うなよ? 別に計算が出来なくても畑は耕せる。地球でだって中世だとか戦国の時代にゃ勉学に勤しむ余裕がない人間は多かったはずだ。農民とかな」
「でもまぁ、学のある人間がいて、ガキ共も朝から晩まで働かなくてもいい余裕があるってんなら、将来のために色々仕込んでおいてもいいよな」
一緒にカニ鍋をつつきながら、エルトさんはそう仰いました。
拠点には他の国で教職に就いていた、研究に従事していた経歴の持ち主などもいて、そういった方々の働く場所として、また人材育成の場として学校を設立なさったのだというのです。
まだ【獅子の咆哮】は若く新しい組織で、この試みの成果が出るのはもっと後ですが、きっといい方向に向かうと思います。
そんな試みに、私も補欠ですが参加できるのは素直に嬉しく思います。
「はい、じゃあテストはこれで終わりです。皆さん、次のテストもありますから、騒ぎすぎないようにして下さいね」
「「「はーい! マリアせんせー!」」」
子供達の素直で大きなお返事に、頬が緩むのを抑えられません。
◇◇◇◇◇
拠点のにある学校は、昭和時代のような木造校舎です。拠点周囲の豊富な木材で建てられた校舎は訪れた記憶はありませんがどこかノスタルジックで、胸が締め付けられる感じがしました。
小、中、高の区別は特になく、六歳から十五歳までの十クラスあり、それぞれの年齢に合った授業を行っています。それぞれ一クラスずつで、概ね日本の学校と同じです。
もっと人数が多いかと思っていましたが、そうでもないのですね。私の通っていた日本の学校では五、六クラスありましたし、王都の学校でも八クラスありました。
それが当たり前でした。
「あっちじゃ進学校とか人が集まるから一学年の数も多いし。こっちじゃ学校なんて貴族が通うの前提で、しかも貴族は家を継がせる、政略結婚させるとかで子沢山な家が多いから結局クラスも多くなる。そう思うのも無理ねぇわな」
「でもさ、場所によっちゃ生徒が少なくて一クラスがやっとで、下手すりゃ生徒が少なくなりすぎて廃校なんてザラだったぜ? 俺の母校がそうだったし」
「こっちじゃ子供が健康に育つのは結構大変なことで、病気でポックリなんて当たり前だ。医者は少ない、治癒魔法は料金高いし、薬士の薬も高いし、どれも腕前が良いのは貴族しか相手しねぇし。だから子供の数が少ないのも当然」
エルトさんに指摘されて、自分が如何に世間知らずなのか気付かされました。
どれだけ自分が恵まれていたか。知識だけ頭に詰め込んで、理解した気になって。都合のいい部分だけで満足して、現実を見ようともしない私の悪癖。
無知は罪なりという言葉が頭を過り、自己嫌悪で泣きそうになりました。
「あー、俺その言葉嫌いなんだよなー。元ネタとか知らんけど、無知が悪いなら赤ん坊なんてみーんな悪いみてぇじゃん。何も知らないんだし。知らねーなら知ればいいだけじゃん? そのための『勉強』なんだからさー」
エルトさんは、すごい人です。私なんかじゃ比べ物にならないくらい世間というものを知っています。
私は恥を忍んでお願いをしました。命も家族も救っていただいた恩も返せていないのに、図々しいのも承知で、私に社会勉強をさせて欲しいと。
詰られるのも当然なお願いを、あの人は軽く了承して、この学校で働けるように手配してくれました。
こんな私でも王都の学校は首席でしたし、大学まで出た経験もあることを加味していただいた結果だそうで。
私の学校での役割は、教師陣の補佐です。
教材の準備から始まり、書類整理やテストなどの問題作成、授業の補佐、その他様々な雑用などです。
まだ数日しか経っておりませんが、大変ながらも充実した毎日です。
「お疲れ様です、マリアルイーゼ先生」
「あ、お疲れ様です。ジャック先生」
職員室に戻ってきた私に声をかけてくださったのは、低学年の子供達に文字を教えているジャック先生です。
この世界では文字は統一されています。女神教が古くから信仰されているため、文字も自然と教会が使っていたものが広まったためです。
「テストの監督はどうでした?」
「皆、真面目に取り組んでいましたよ。終わったらすごく騒がしくなりましたけど」
「ほほう、そうですか。いや羨ましい。僕だと静かにさせるだけでどれだけ苦労するか……」
ジャック先生は困ったように笑います。
先生は高い身長に紳士的な物腰の男性で、どうみても二十代前半にしか見えない方ですが、今年三十歳になるとのこと。最初に聞いた時には驚いてしまいました。
「マリアルイーゼ先生はこの後は?」
「オルス先生の代理で他のクラスの監督に参ります。次は……十歳クラスですね」
オルス先生は優しいお爺さん先生で、この教師陣にも頼りにされている方です。
本当なら本日のテストの監督もオルス先生が担当するはずだったのですが、奥方が体調を崩されたのでその付き添いで治療院に行くとのことで、私が代理で担当をいたしました。
奥方はほんの少し貧血気味なだけで大事ないそうで、安心しました。
「マリアルイーゼ先生なら、正式な教師としてもやっていけそうですね」
「いえ、私なんて……」
ジャック先生の言葉は大変嬉しく思います。
私の今の立場は、パートの事務員と教育実習生が混ざったようなもので、本当なら先生なんて呼ばれる人間ではないと思うのです。
でも、先生方にもそうですが、生徒たちにもそう呼んでいただいて、いつの間にか定着してました。
最高学年の十五歳クラスの方々なんて、一つしか違わないので受け入れてもらえないのではないか。生意気だとか思われないだろうか。そう心配して苦しくなりましたが、概ね好意的に受け入れてくれて。
十歳までのクラスの子供達も、中には朝の卵とりに行く子やエムリンさんもいてくれて。
心の底から安心しました。
ただ、教育課程を専攻していませんから、本職の方のように勉強のスケジュールというのでしょうか、どのような授業内容でどのように進めていくのか、そのノウハウが私にはありません。
正式な教師になるにはまだまだ経験が足りませんし、私自身、教師としてやっていく覚悟もまだないのが現状です。
そんな中途半端な人間に、人を教え育てる仕事ができるのでしょうか?
また、私は何が出来るのでしょうか?
「あ、予鈴が鳴りましたね」
カラン、カラン。
校舎横にある鐘の音とジャック先生の声で、私は我に返りました。
いけない、次の担当教室にいかないと。
慌てて立ち上がり、テスト用紙を確認します。これで間違ったら目も当てられません。
そんなことを思った次の瞬間には、足を机にぶつけてしまいました。
(こ、転んじゃう!)
咄嗟に手をつこうとしましたが、その前に私は抱き留められていました。
ふわりと漂う、洗剤の香り。それに混じって、これは煙草でしょうか。ちょっと煙たい独特の匂いがします。
──これって?
「大丈夫ですか? 慌てると危ないですよ」
「ひゃ、ジャ、ジャック先生!? す、すいません、今退きますから」
ジャック先生が笑顔で仰います。
ああ、なんてことでしょう! こんな失態をしてしまうなひゃあ!
「お、落ち着いて、落ち着いて下さいマリアルイーゼ先生」
「は、はい……」
は、恥ずかしい。
顔が熱くなっているのが自分でもわかります。
ただでさえ新人でご迷惑をおかけしているのに、このような……。
深呼吸をして、しっかりと足場を確認します。もう、これ以上の失態はダメです。ダメったらダメです。
「ご、御迷惑おかけしました」
「いえいえ、このくらいどうってことありませんよ。それよりもお怪我は? 足を捻ったりはしていませんか?」
「だ、大丈夫です」
ぶつけたと言ってもそこまで強く当たった訳でもありませんし、捻ってもいないので支障はありません。
「それは良かった」
見ているこちらも心が穏やかになるほど柔らかく笑うジャック先生。
は、いけない! テストが!
「す、すいません。時間が……」
「ああ、慌てなくても大丈夫ですから。それと、マリアルイーゼ先生」
「はい、なんでしょうか!?」
「何かお困りのことがあれば、気軽に相談して下さい。僕に出来ることがあれば、協力しますから」
慌てる私に、とても真剣な表情でそう告げるジャック先生。
「ありがとうございます!」
とても有難いお言葉です。
私は一礼して、職員室を出ました。
──ジャック先生って意外と逞しいのですね。
父や兄とは違って、固くもなく柔らかくもなく、その中間のような……低反発枕?
あれ? 最後の最後でマリアルイーゼに残念臭が……(汗)




