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僕の過ち

動物園デート後半です。

 頬を染めて、涙目になる彼女の耳元で、そっと囁く。

 「僕のことは、司、と」

 彼女は大きく目を見開いて、僕を見返している。

 その目から、透明な涙が一粒、落ちそうになっていた。

 僕の腕の中で!

 思わず、目尻の涙を吸い取りそうになったが、我慢した。

 その後の一言が、僕の鼓動を止めたせいだ。


 「……司さん、離して下さいぃ~」

 震える声が、ピンク色の唇から紡がれる。

 僕はその唇から、目が離せなくなる。

 艶やかに震える果実は、とても甘そうで……。

 口に含んでしまいたい、そんな欲望に打ち勝てたのは、単に昼食狙いのカラスが急降下をして、僕らの頭上を掠めたからに過ぎなかった。


 「あ、その……ごめん……」

 我に返り、小声で謝罪する。

 そして、意に反して強く抱きしめようとする腕を何とか彼女の細い腰から引き剥がし、息を無理矢理整えた。


 「いえ、その……ありがとうございます。助かりました」

 へへっと笑った彼女の腰では、幻のしっぽがパタパタと揺れて見えた。

 「こんなに荷物があるのに腰抜けてたら、どうやって帰っていいか、途方に暮れてましたね。

 ふふっ。かなり耐性がついてきましたよ」

 得意そうに言う彼女の顔はどこか無理しているようで、幻のしっぽは力なくゆらゆらと揺れている。


 昼食を用意する時、確かに彼女は僕に怯えたように見えた。

 僕の目に、僕の手に。

 今の彼女にそんな怯えは一切見あたらない。

 どういうことなんだろう。

 彼女は、僕の声にはいつもびくびくしている。それはわかっている。

 それとは違う何か、奥に潜む恐怖がどこかにあるようで……。

 打ち明けて貰えないことに、胸の奥がチリチリと苛つく。

 彼女の中に、僕の知らないことが多すぎる。


 あぁ、もうダメだ。解ってる。

 僕には余裕なんて、欠片もなかったんだ。

 何かと言い訳をつけて、この関係が壊れないように、君の決定的な言葉がその唇から漏れないように、細心の注意を払い続けている。

 声が好き、と言う君。

 喋らないで、と言う君。

 僕は、この声だから君と出会えたんだろう。

 だけど、この声だから、君に避けられている。

 雁字搦めの中で、もがき続けていることに、少し疲れてきてもいた。

 彼女を手に入れたい。僕のすべてを受け入れてほしい。

 イッソノコト……。


 「えぇと、つ、司さん?」

 おずおずとしたように、江端さん、いや、由香里さんが僕を見上げてくる。

 白くて柔らかくて温かい手が、僕の手を包んでくれていた。

 「疲れちゃいましたか?」

 僕は今、何を考えていたのか?

 頭の中にあった暴力的な衝動諸共、どこかに吹き飛んでくれないか、と言う気持ちを込めて、僕は頭を横に振る。

 その勢いに気圧されたのか、彼女は一歩下がったものの、まだ上気したままの頬を僕に見せてくれた。

 「まだ、動物園見て回りますか? 次の餌やり、何時だったかな?」

 彼女の細い体が僕に寄り添うように近づき、僕の手元にあった園内地図をのぞき込む。

 やっぱり可愛い。

 旋毛まで可愛く見えるってことは、やっぱり、……なんだろうな。

 僕が苦笑しながら、地図を指さしていると、不意に遠くから野太い声がかかった。


 「あれ? ゆっきーじゃん! おい、ゆっきー! 江端ゆっきー!」

 由香里さんは勢いよく地図から顔を上げ、辺りを見回した。

 少し離れたベンチに、体格のよい男が二人いて、片方が太い腕をぶんぶんと振り回している。

 「あれ? 加藤先輩?!」

 彼女の口から、あの男のものだろう名前が呼ばれた。


 「やっぱり、ゆっきーだったか! 久しぶりだな! 大学卒業以来か?」

 「あ、……あの、えっと……。先輩の追いコン以来ですよ。お久しぶりです。お元気そうで何より」

 僕に気兼ねしたのか、由香里さんは僕に向かって目礼をしてから、先輩とやらに向き直る。

 僕の倍は太そうな胴回りの男は、あっと言う間に目の前まで駆けてきて、馴れ馴れしく由香里さんの肩に手を置いた。

 「何だよ、加藤の元カノか?」

 押っ取り刀で、もう一人の男もやってくる。

 「違うって。サークルの後輩。まぁ、可愛かったから、狙ってる奴は多かったけどなぁ、俺も含めて」

 「や、やめてください! そんなことないです!」

 「そんなことあるだろ? ゆっきーとまりりんは、サークルの二人姫ふたりひめってんで、すっげぇもててたんだぜ。まぁ、ゆっきーのはガード堅すぎて、誰も落とせなかったけどなぁ」

 「あの、私、用事があるのでこれで……」

 「なぁ、まだメルアド、変わってないの? ここで会えたのって運命だと思わね?」

 「おい、野郎一緒の女口説くって、どんだけ飢えてんだよ、おまえ」

 「ん? あぁ、いたのか。ゆっきー、このひょろいの、彼氏? やめとけよ。おまえ鈍くさいんだから、包容力があって、カバー力がある、頼りがいがある奴がいいって。こういうひょろいのは、まりりんに任せておけよ。あいつ、女王様だからな」

 「加藤先輩、私、先輩とお付き合いする気は……」

 「今すぐじゃなくていいからさ。メール送るから。懐かしい話題とかもあるだろ? 遠慮すんなって、な?」

 加藤と呼ばれた男は、僕と由香里さんの間に強引に割り込むと、彼女の体をそのでかい図体の陰に隠してしまう。

 「あの、私本当に、これ以上は迷惑で……」

 「スマホ貸せよ、念のため、メルアド交換な」

 彼女の拒否の言葉を常に遮り、彼女のポシェットからのぞいていたスマホを取り上げる。

 その瞬間、加藤は明らかに僕の方を振り返り、挑戦的に目を細めた。

 奴の無骨な左手が、彼女の右手首を掴む。

 由香里さんの体が怯えたように縮こまり、腰が引けていく。


 僕の中で、何かがちぎれる音がした、と思った。


 「すみません。離してくれませんか? その子、僕のなんです」


 殊更に声を低くし、体中に響かせるように告げる。

 加藤は、これまで黙っていた僕を明らかに侮っていた。

 でも、重低音に目を丸くし、少し後ずさる。

 僕はすかさず、彼女と加藤の間に割って入り、ついでにスマホを取り返す。


 「おまえには関係ないだろ!」

 「あなたこそ、関係ない! 彼女は僕のだ! 髪の毛一本たりとも、触ることは許さない!」

 「この!」

 伸びてきた右手首をすかさず握りしめ、奴の力を逃がすようにして自分の体を反転させると、そのまま加藤の背中に右手をひねりあげてやる。

 日々、酔客の相手をしている地下鉄職員を、この男は舐めすぎだろう。

 傷をつけないよう、無力化させる講習だってあるんだ。

 「ぐわぁっ!」

 意外と痛みに弱いようで、加藤は呻いて座り込む。

 「カンカンカン! タオル投げ込むよ~。はい、加藤の負け~」

 これまで我関せずだった加藤の友達が、気の抜けた台詞を響かせる。

 僕は奴の手を離し、これ以上、何もする気はない、と示すために、両手を上に挙げた。

 「お、俺はまだ。今のは油断しただけだ、こんなひょろいのに!」

 筋を痛めたのだろう。右肩を押さえながら、加藤が憎々しげに僕を睨みつける。

 上背だけは勝っている僕は、それを鼻で笑って、見下ろしてやった。

 「負けは負けでしょ。彼女ちゃんだって、困ってるって。加藤、逆効果なんだよなぁ。

 ごめんねぇ。彼女ちゃんも彼氏君も、ここはもてない男のひがみだと思ってさ、許してやってよ。

 今日一緒に来るはずだった女の子に振られて、こいつ、ちょっと落ち込んでてさぁ」

 へらへらとした、あまりにも人を小馬鹿にした態度に、思わず拳を握る。

 でも、その拳を、後ろから柔らかい手に包み込まれた。

 振り向くと、彼女は困ったように眉根を寄せて、首を横に振った。


 加藤に感じた苛立ちよりも大きく、体の中に凶暴な気配が持ち上がる。


 僕は、男たち二人をもう一度睨みつけると、乱暴に由香里さんの手を引っ張り、一目散に駐車場に向かう。


 「あの……ごめんなさい。先輩、そんなに悪い人じゃないんです。ちょっと強引なんですけど」

 僕のコンパスについてくるのがやっとと言う風情の由香里さんは、小走りになり、息を切らせながら、そんなことを言う。


 あいつをかばうのか?


 あんなひどいことをされて、それでも、あいつをかばうのか?


 車に到着すると、僕はリュックを乱暴に助手席に投げ込み、後部座席に彼女を投げ込む。

 由香里さんはきょとん、とした顔で僕を見返していた。

 僕は彼女の両肩をつかみ、運転席側の窓に乱暴に押しつけた。

 「片桐さん?!」

 「あいつの方が昔を知ってるから? 声を聞いても大丈夫だから? だから許すの? だから喋るの?」

 「あ……う……」

 また、由香里さんが声を失う。

 茶色の優しい色の瞳に、涙が満ちる。

 「卑怯じゃないかな。僕のことを、僕の声を拒否しておいて、君は泣くの?」

 透明な滴が、血の気を失った頬を伝う。

 胸のチリチリが限界を迎えている。

 「ずるいよ……」

 君が君の武器を使うなら、僕は僕の手段を使っても良いはずだ。


 僕は、彼女の後頭部をがっつりと押さえ、乱暴に口づけた。

 彼女の何か言い掛けた言葉は、僕の中に吸い込まれた。

 柔らかい温かな唇を堪能し、薄く開いた口の中に強引に舌をねじ込む。

 逃げまどう彼女の舌を捕まえ、乱暴に舐めすする。

 甘い。

 頭の中がしびれてしまうほどに甘い。

 彼女の拳が、僕の胸を叩くのさえ、甘美だ。


 夢中で舌を、唇を味わい、耳を甘噛みし、首を舐める。

 僕を誘うような匂いが、Vネックの奥から漂ってくる。


 「司さん!」


 叫ぶような、はっきりとした声が、僕の名前を呼ぶ。

 その瞬間、我に返った。


 僕は……何をした……?


 間近でみる由香里さんは、頬を上気させ、Vネックの合わせ目をぎゅっと握りしめ、涙をぼろぼろとこぼしながら僕を睨みつけていた。

 その瞳には、確かに恐怖があった。

 それは明らかな、僕への拒絶にほかならない。


 「あ……由香里……さん、ごめ……」


 由香里さんは、僕のことを力一杯押しやると、運転席側のドアから車を降り、走り去っていく。

 追いかけようと手を伸ばし、届かない指先を、力なくおろす。


 追いかけて、追いすがって、どうするんだ?

20161011 誤字を訂正いたしました。

20161014 誤字を訂正いたしました。

20161123 誤字を修正いたしました。

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