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私の勇気

 「だって、だって! 司さんをあんなにいじめるなんて、聞いてないから! 確かめるだけって言ってたじゃない? 何であんなひどいこと言うのさ!」


 あまりにもひどい万里子の行いに、私は本当に怒っていた。

 あれでは美人局だ。

 困惑が滲む司さんの声に私は何度も腕まくりをして飛び出していこうとし、その度に係長に止められてしまった。

 くっそ~。

 上司でさえなければ、急所を蹴り上げてでも振り切っていくのに!


 「だから、すぐに出て行って文句言おうと思ったら係長が、ひゃ、ひゃぁ!!」


 背中から唐突に抱きしめられ、私は奇声を発して振り返った。

 司さんは何故か、とろけそうな顔をして、私を抱きしめている。

 長身を屈め、私の耳元で甘く囁く。

 「お願いだから、声を聞かせて?」


 正直、舐めてました。

 特訓の成果が出て、司さんの声を間近で聞いてもへっちゃら! とか思ってました!


 「由香里さん?」


 蜂蜜に砂糖を溶かし込んでスイカにかけたみたいに甘い!

 フェロモンとはこれのことか!

 なんか自分が、カブトムシかクワガタにでもなった気分になる。

 そんな私をたくましい腕がそっと囲い込む。

 もう何も喋って欲しくなくて、でも声はまたも出なくなって。

 私は司さんを見上げるしか術がなく……。


 「大切にします。だからもう、逃げないで?」


 頭の中でハレーションが瞬く。

 何を言ってるの、この人?

 司さんって、こんなだだ甘な声でだだ甘なことを言う人だった?

 違う、違うよね?

 なんかもう、全然判らない!


 間近にある彼の瞳は珍しい青みがかった濃い灰色の虹彩で、私は吸い込まれるようにそれを見上げている。

 「あ、あの……わた、私……」

 何か、何か言わなきゃ!

 そう思っても言葉が出ない。

 近すぎる司さんの胸を手で押しやろうとしてもびくともしない!

 嬉しいんだけど! このシチュエーションは美味しすぎるんだけど!


 「マダ……マニアウカナ?」


 瞬きさえ惜しむように、司さんは私を見下ろし続ける。

 もう言葉の意味さえ、私には理解できない。

 耳から吹き込まれる甘い毒。

 痺れに似た何かが背筋を走って、視界は司さんでいっぱいになり、私は何もかもを肯定すれば楽になれるんじゃないかと……。


 「はい、ドクターストップよ。由香里が限界だわ。片桐さん、色気ダダ漏れだから」


 万里子ががばっと私から司さんを剥がし、背にかばってくれた。

 私はいつの間にか止まっていた呼吸に、今更ながらに気づき、必死で深呼吸を繰り返す。


 「そうだな、君の声は確かに破壊力抜群だな。江端が限界みたいだ」


 部屋の奥の方に座ったままだった係長が、人の悪い笑みを浮かべていた。


 私は二人のせりふに、先ほどまで見られていた、あの危ない光景が脳裏によみがえる。

 笛付き薬缶で湯が沸騰したような、ピーという音が聞こえたような気がした。

 思わず万里子のスカートにすがりつく。

 万里子が痛ましいような目つきで私を見下ろし、ため息をついた。


 「いい? あんた達に必要なのは会話よ。今までみたいな、一方通行ずつじゃない。ちゃんとした会話。ここはそのための場所。OK?」


 教室で騒いだ子供達に根気強く説教しているような面もちで、万里子は静かに説明してくれた。

 私は何度も瞬きを繰り返した。

 まさか、万里子がそこまで考えていてくれたなんて。

 うれしさに涙が滲みそうになっていると、それに気づいた万里子が綺麗なウィンクをする。

 私は感極まって何も言えないまま、何度も何度も頷いて見せた。

 万里子が満足そうに、ホッとしたように笑う。


 万里子は続いて司さんを睨みつけるように見た。

 司さんは真剣な表情でしっかりと頷く。

 私の肩の力が抜けた。


 同じように考えてくれてる?

 私と話し合いたい、って?


 「じゃぁ、ここからは二人で話し合いなさい。私たちはもう帰るから」


 万里子はもう一度全員を見渡した後、そう言って、まだ座っていた係長を促した。

 その背に追いすがり、声をかける。 


 「万里子!」

 「ん? 何?」


 司さんは勿論、私にとって今一番気にかかっていて、好きな人。

 だけど、私の人生の中での一番のポジションは今のところ、ぶっちぎりで万里子だ。

 誰よりも鮮やかで、厳しくて、誰よりも私に甘い。

 

 「ありがとう。大好き」


 万里子は声に出さずに頷いて、係長の背中に手を添えて座敷を出て行く。

 私はその背中を見送りながら、ぐっと手を握った。

 そうだ。

 結局、私がしっかり出来なかったから、こんなに拗れてるんだ。

 私は多分、本当の私を司さんに見せていない。

 声を聞くことにだけ満足して、次は多分、喋ることで司さんの中の「恥ずかしがり屋で可愛い由香里」を壊したくなくて。


 しっかりしろ、由香里。

 ここは正念場だ。

 一定に保たれた私と彼の間の距離。

 これを崩さないことには次のステップはない。

 例え、壊れてしまうのだとしても。


 私は両手で自分の頬をパン!と挟んだ。


 振り返ると、司さんが驚いたように私を見返していた。

 あぁ、気合いを入れるために頬を叩いたのは、さすがにやりすぎだったか。

 でも、これも私の一面だ。

 反らしかけた視線に力を込めて、ぐっと見返す。

 司さんも、表情を厳しくする。


 「あの、お……お話があります!」

 「はい」

 司さんは静かに応えてくれる。

 テーブルの前の座布団を促し、私たちは向かい合わせに座った。


 「先日は逃げてしまって、すみませんでした。あれは、その……司さんが悪いわけではなく、私が……怖くなっちゃって」

 「あなたが怖くなるようなことをしたのは僕でしょう? 由香里さんの気持ちも確かめずに……」

 司さんの表情が苦いものになる。

 「いや、だから、違うんです! あの……嬉しかったけど……体が怖がっちゃって……」

 「だからそれは僕が……」

 「私の話を聞いてください!」

 誤り続けようとする司さんに苛ついて、私はテーブルを強かに叩いた。

 司さんが目を丸くする。

 幻滅……したかな。でも、これも私。こんな私も受け入れてくれないと、先を続けることは到底無理だ。

 「お願いします。まずは私の話を聞いてください」

 司さんが無言で頷くのを確認して、私は先を続けた。


 あれは高校生の時だった。

 父のパソコンを貸してもらって行う、オンラインゲーム、所謂MMOというゲームにはまっていた。

 仲がよくなったプレイヤー同士でギルドを作り、ボイスチャットといって、ヘッドセットを使った実際の会話も楽しんでいた。

 その中に、すっごく声の良い人がいて、私はその人の声聞きたさにその人にまとわりつき、その人も私をかまってくれて、ゲームの中では相思相愛のベストカップル、となっていた。

 でも、そのときはまだ高校生で、自分の危機意識が非常に薄いってことに、私は全く気づいていなかった。

 ただ、家族にも、万里子にも内緒のこのゲーム内の関係が、私の変身願望を叶えてくれるようで、秘密の関係、という言葉に深く考えずにのめり込んでいた。

 ある日、その人が長期休暇を利用して北海道に旅行に来ると言い出した。

 ゲーム内の「嫁」である私に、現実でも会いたい、と言ってきたのだ。

 私は勿論、二つ返事で了承し、夏休みのとある一日に会う約束をする。

 実際に会ったその男性は、勿論ゲームビジュアルとは全く違う。普通の男性だったと思う。

 特に不潔でもなければ、異様な風体でもない。

 聞けば社会人だと言うから、どこかに漂う大人の雰囲気も、好印象だった。

 ネット検索して確認した札幌市内の有名どころををあちこち案内して回る。

 生まれたときからずっと住んでいたら、観光名所なんて避けるべきところで、遊びに行くところではない。

 私の案内は、とても現地の人とは思えない拙いものだっただろう。

 それでもその人がいちいち、すごく良い声で私をほめてくれたので、有頂天になっていた。

 その人のおごりで夕食をいただいた後、私が帰ろうとしたところで、それは起こった。

 私は強引に手を捕まれ、ビルの隙間に連れ込まれた。

 その人の変貌に驚き、怒った私は、とにかく暴れた。

 『やだって、言ってるでしょう! 私、そう言うつもり出来たんじゃ……』


 『そんなに怯えんなよ、俺の声、好きなんだろう? 目を閉じてれば、天国に連れて行ってやるぜ?』


 その一言の衝撃を、何て言い表せばいいんだろう。

 私はこの人の何を見ていたんだろう。

 ずっと一緒に会話していたつもりだったけど、この人はその裏でずっと何を考えていたんだろう。

 胸につららを突き刺されたような、冷たい痛みを感じたのを憶えている。

 あの衝撃は、ずっと心臓の中で、心臓を突き刺し続けているように感じて……。


 急にガクンと体が揺れて、回想に飛んでいた意識が戻ってくる。

 目の前には司さんが怖いくらいの怒り顔になっていて、いつの間にか私の隣で、私の両腕を痛いほどに握りしめていた。

 「そいつに、何をされたんだ? そいつが誰なのか、今でも判ってる?」

 「あの、司さん、落ち着いて。昔の話ですし……」

 「それでも、傷ついて、ずっと苦しんでいたんだろう? そんな、下種野郎のせいで、由香里さんは!」

 「いや、確かに傷つきましたけど、多分、相手の方が痛かったか、と」

 「……は?」

 「私、そいつの鼻先にグーパンかまして、ですね、怯んだところで足払いかけて転ばせて、その隙に走って逃げたんです。

 ホテルとかに連れ込まれていたら、本当にやばかったと思うんですが、路地裏の浅いところで助かりました」

 私はあの時のことを思いだし身震いする。

 あまりにも世間知らずだった自分に、そんな自分が狙われていたことに。

 それらがすべて恥ずかしくて、万里子にさえ明かすことは出来なかったのだ。

 それ以来、いい声に惹かれても、そう言う人に近づく勇気は欠片も沸かず、万里子にも曖昧に笑って、薦められる男性とも距離をとり続けていたんだけど……。


 座っていても私よりも少し背の高い司さんを見上げると、司さんは私の話をじっと聞いてくれていた。

 心がぽっと温かくなる。

 声に片思いして、でも踏み出す勇気がなかった。

 奇跡の再会で私の背中を押してくれたのは万里子だった。

 いつも電話をかけてくれて、黙り込む私に優しく話しかけ続けてくれた人は司さんだった。

 万里子が言っていた「一方通行ずつじゃない会話」。

 それは私が勇気を出さなかったから。

 ここで足踏みしていたら、どんな未来が待っているのか。

 そこに司さんはいてくれるのか?

 私は……何を求めているのか……。


 いつの間にか口中にたまっていたつばを飲み込む。

 すぐ隣にいる司さんの手を取り、ぎゅっと握りしめた。

 大きくてがさがさの手は、緊張しているのか、力が入っていて少し汗をかいていた。

 いつも大人の余裕があったように見えていた司さんは、私よりも少し年上なだけで、私と同じように不安に瞳を揺らす男の人。

 私だけじゃない。

 この人も不安だったんだ。


 「私、司さんに謝りたかったんです。

 逃げてしまってごめんなさい。

 司さんは、あの時の男の人とは全然違う。

 勇気のない私をずっと待っていてくれて、私の背中を押してくれたり、腕を引っ張ってくれたり。

 よく考えれば判ったのに」


 司さんの表情が少しずつ、ほんの少しずつ明るくなる。

 瞳をきらきらとさせて、私をのぞき込んでくる。

 頬に血が上ってくるのを感じた。

 それを振り切って、視線を絡める。


 「あの……好きです、付き合ってください!」


 私の勇気、受け取ってくれますか?

20161022 誤字訂正しております。

20161123 誤字訂正しております。

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