第一章 義勇十字団と城下町の様子
城下町に着いた二人はまず、馬小屋を貸す農夫の元へ行き、マロンを一時的に預けることにした。
馬小屋といっても木板で囲いと屋根を組んだ簡易な造りだ。一頭につき一室ずつスペースがあり、柱で仕切られている。
「マロン、後で迎えに行くからね」
プリムローズは馬小屋に連れてきたマロンに、二人乗りの褒美として角砂糖を与えながら、首周りをよしよしと撫でた。マロンは待っていましたと言わんばかりに掌の角砂糖へ顔を近付けると、ぺろりと平らげた。
一方でアイヴィーは、馬小屋貸しの農夫に賃金を渡し、帰ってくる時間を教えた。
「いやぁ、お嬢ちゃんの付き人、娘だてらに馬を乗りこなすなんてたいしたもんだよ。今時の若い子はおしゃれを気にして、家畜に触ること自体嫌がるからさぁ」
フェルト帽の鍔を持ち上げながら、農夫はしみじみと感心したように、プリムローズを見つめていた。
「付き人?」
一瞬、農夫の言葉を理解できず眉を寄せたアイヴィーだが、自分たちの格好を見直してハッと気付いた。
髪を下ろしたワンピース姿の自分と、乗馬用のキュロットを履いた姫君は、傍目からだと良家の子女とその付き人という、立場が逆転して見えるのだ。
会話が聞こえていたプリムローズは、振り向きざまに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「サッ、お嬢様。さっそくですが、市場のほうへお供致します」
プリムローズはアイヴィーに深々とお辞儀しながら、その手を引いて馬小屋を後にした。
キャンディスの城下町は丘の上の城から扇状に広がっている。
バクストン6世の農業奨励政策の下、町民の多くは半農半商の二足の草鞋を履いている。街の向こうは田園があり、そこで収穫した作物を市場で売るのだ。
ベリロナイト人は淡いパステルカラーの色合いを好むので、色とりどりの軒並みは砂糖菓子のように可愛らしく、すこぶるメルヘンチックだ。
今日は収穫祭の最終日とあって、いつもはのどかな街も老若男女で賑わっていた。広場では普段と違った商品を扱う屋台が並んでいて、町民は食べ物や土産を買っている。
「市場はこちらでございます、お嬢様」
「……その口調は、おやめになって下さいませ」
いつまでも従者の真似をするプリムローズに、アイヴィーは眉を八の字に下げて難色を示した。
「駄目?」
「尊いお方が、目下の者にそのようなへりくだった言葉をお使いなさるのは、かえって気品を損ねますよ」
アイヴィーは通りすがりの人々に聞こえないよう、声を抑えて小言を言った。それがプリムローズには冷たい言い方に聞こえた。
「はぁい」
王女は拗ねるようにそっぽを向いた。
(いつもと違う自分になれたみたいで、面白かったのに……)
そのまま広場へ向かう彼女を、アイヴィーは小さく溜め息をついて追いかけようとした時、広場に続く路地から男の大きな声が聞こえた。
「我々は、義勇十字団! 義勇十字団である!」
二十代から三十代位の険しい表情をした男達は、五、六人で道の中央を立ち塞ぎ、怒鳴るように声を張り上げていた。一人は黒地の旗を掲げており、十字剣を突き刺された白百合が描かれている。これがシンボルマークらしい。
彼等こそ最近噂になっている反王政組織『義勇十字団』なのだ。どうやらこれから演説を始めるようだ。
「昨今の弱腰外交は、甚だ嘆かわしい! 国王陛下は何をお考えであろうか! 優先すべきはアルカネットではなく、我々ベリロナイトの国民である!」
「事勿れ主義の王家と保身に走るブルジョアどもを解体し、我々は、我々の為の新時代を創り上げようではないか!」
「同士諸君、今こそ正義の鉄槌を下す時である!」
義勇十字団の演説を、彼等と目を合わせないようにそそくさと素通りする者もいれば、その場でうんうんと聞き入っている者もいる。
彼等の旗が視界に入ると、アイヴィーはとっさに目を反らしたが、背筋がぞくりと凍った。
(……ベリロナイト王家の紋章は百合の花、それを剣で突き刺す旗を掲げるなど、何と無礼でおぞましい人達なの!)
民衆の中には、最後の最後まで戦わずアルカネットに降伏したバクストン6世を、小胆なことだとそしる者も少なくない。
長きに渡る10年戦争、ベリロナイトが優勢だった時期もあり、勝機が見えるまで持ち堪えるべきであった、と。だがそれは結果論に過ぎず、かつての栄光を求めるには、多くの血を流し過ぎた。もはや多くの国民はこの国を剣で立て直すことは不可能だと悟り、先の見えない平和を享受している。
その一方で、アルカネットの言いなりになるしかない君主に、やり場のない不満を抱えていた。
国全体を覆う圧倒的な無力感。それがアルカネット帝国のかけた最大の呪いだ。
「こら、うるさいぞ!」
どこからか通報があったのだろう。駆けつけてきた革鎧の憲兵が、義勇十字団を見るなり長槍を構えて突進すると、蜘蛛の子を散らす勢いで逃げ去った。
「全く迷惑な連中だ」
「おいおい、あいつら近いうちにクーデターを起こすんじゃないか?」
「およしよ、奴らの仲間がこの辺りにまだいるかもしれないんだから……」
一部始終を見ていた市民は騒めき、祭りの最中でも街は一瞬、空気が淀んだ。
「……」
アイヴィーは、もしプリムローズが、お忍びでここにいることを義勇十字団に知られたら、と考えると恐ろしくなり、瞳を伏せつつ胸元に手を当てた。ただ、その表情は恐怖に耐えるだけでなく、胸の内に秘めた何らかの覚悟を確かめるようでもあった。
「アイヴィー! アイヴィーは水色とオレンジ色とピンクなら、どれが好き?」
プリムローズはそんな状況などお構いなしに、市場の露店から呑気そうに声をかけた。
ぎょっとしたアイヴィーは彼女の元へつかつかと駆け寄った。
「おっ、大きな声を上げてはなりませんッ!」
「貴女の声のほうが大きいわ。ところで、このアクセサリー素敵よ。どの色がいいかしら」
先程まで自分を脅かす集団が近くにいたにも関わらず、うきうきした様子で露店の品定めをするプリムローズに、危機感はまるで見られなかった。アイヴィーはがっくりと肩を落とす。呆れるのを通り越して脱力したのだ。
「はぁ……オレンジ色がよろしいのでは……。いつでも陽気で、天真爛漫な感じがします……」
アイヴィーは品物をろくに見ず、含みのある意見を出した。空の彼方へ遠い目をしている。
「わかったわ。――全部でおいくらですか?」
土産を選び終えたプリムローズは、露店の主人に尋ねた。
「これと、これだから……600マッチだよ」
店主の言った金額に、茫然としていたアイヴィーはハッと意識を取り戻し、振り返った。それだけあれば三日分のパンが買える。
「ええと、もう少し安くなりません? ……400マッチとか」
「お嬢ちゃん、ウチも生活があるからねぇー」
うーんと唸る王女がふと目に留まったのは、白いシルク生地に薄紫色のリボンをあしらった、掌ほどの小袋だった。サシェという、ハーブを詰めた香り袋だ。
「あら、このサシェ可愛い。それにいい香り……ラベンダーかしら」
プリムローズはサシェを手に取り、優しい香りを楽しんだ。
「お目が高いね、それはウチの娘が愛情込めて作った逸品だよ。因みに100マッチ」
店主は一段とにこやかに笑った。
ベリロナイトの特産としてハーブと絹があり、ハーブの世話や絹織物は主に女子供が任されている。
「それでしたら、このサシェも買いますから、さっき買おうとしたものをまけてもらえますか? ……全部で500マッチとか」
あまりの強引さに、隣にいるアイヴィーは唖然とした。店主は苦笑しながら頭を掻く。
「いやいや、そうきたか……じゃあね、お買い得700マッチのところを650!」
収穫祭の最終日とあって、店主としても、多少値引いてでも商品を沢山買わせようという思惑があった。しかし、プリムローズはまだ妥協しない。
「500マッチなら絶対買うのに……」
「600!」
「もう一声」
「特別サービス、550! これ以上は無理!」
「では買います。サシェだけ別に包んでくださいな」