第七章ー86
プリムローズはオリバーの手を借り、欄干に足を掛けて、ようやく甲板に降り立った。その次にディエゴが背後を警戒しながら、まるで少し段差の高い階段を上るように膝を上げ、ひょいと甲板に上がる。
駆逐艦の甲板は当然ながら、小型船のアシ号より床面積が広い。プリムローズが周囲を見回すと、数十メートル先の駆逐艦の艦橋やその付近は依然として炎に包まれており、ぼうぼうと黒煙が上がっている。その焦げ臭い熱気が、遠くにいる彼女にさえ届いた。
「まだ燃えてんのかよ。あぶねぇな」
ディエゴは呆れたような、困惑したような声を上げる。
そこへ先に到着していたタラッサが、王女に近づいて声をかけた。
「口元に布を当てて! 長く煙を吸い込むと、体に障るよ」
そう言う彼女自身も、手拭いで口元を覆い、後頭部で結んでいる。プリムローズはタラッサに倣い、スカートのポケットからハンカチを取り出して、口元に当てた。
その直後である。甲板のハッチから蛇腹の重いホースを小脇に抱えた乗組員が、ぞろぞろとやってきた。ホースの末端は船内の消火栓と接続されている。船内から艦橋へは防火扉で閉ざされてアクセスができないので、彼らは外から艦橋を消火するつもりなのだ。
「おでましだね!」
タラッサは軍服の男たちを見るや否や、鉄扇をバサッ!と広げた。身に纏っていたターコイズブルーのロングスカートを投げ捨てる。動きやすいショートパンツ姿になって、敵へと走り出した。水兵たちもそれぞれが武器を手に、次期水軍頭領についていく。
「うおおおおおー! 死ね、アルカネットォオオオオオオオーッ!」
雄叫びを上げながら襲いかかる水軍に対し、消火活動に来た乗組員たちは少し反応が遅れてしまった。
「馬鹿野郎、我々の邪魔をするなアッ!」
ホースを放り出して応戦しようとするも、隙が生じてしまった。
その好機を見逃さないタラッサは、舞うような軽やかな足さばきで、前方にいた乗組員の側頭部と耳に上段回し蹴りを当て、軸足を回転させて身を捻り、さらに後ろ回し蹴りを彼の鳩尾に入れた。そして、よろめいた彼の人中にとどめと言わんばかりに、鉄扇をゴンッと叩きこむ。
「タァッ!」
「グハッ……!」
タラッサの攻撃を受けた乗組員は、その場で倒れ込んだ。気を失う数秒に見たのは美しき舞姫の、研ぎ澄まされた刃に似た、殺気に満ちた眼光だったに違いない。
「うおおおー!」
彼女に続き、水兵たちは勇敢に剣を振るって乗組員と戦う。しかし、鍔迫り合いの最中、水兵の背後で、消火器を振り上げた乗組員が現れる。
消火器が振り下ろされる寸前、ディエゴが間に割って入り、乗組員の襟首を掴んで船外へと放り投げた。
「うわああああああ!」
乗組員は絶叫しながら、水飛沫を上げて海に落ちる。
仲間が巨漢のオークに投げ飛ばされたのを目の当たりにした、他の乗組員たちは、皆一様に口の端を歪めて引き攣った半笑いになった。怯えているような、それでいて生存本能ゆえに神経が昂っているような、複雑な表情を見せる。
「オーク野郎が来やがった! ボサッとしてたら死ぬぞ、お前ら!」
「全員、オークの始末を優先しろ!」
そのなかでも数名の剛胆な者が声を張り上げると、彼らはハッと我に返り、冷静さを取り戻した。そして水兵たちの攻撃をかいくぐり、ディエゴへと突進した。
「うおおおおおおおお!」
対するディエゴも半身を切り、戦いの構えをとった。
「かかってこいや!」
こうしてタラッサ率いる水兵たちとディエゴが、消火活動をしにきた乗組員と乱闘を繰り広げる最中、オリバーはプリムローズに耳打ちした。
「……ディエゴ殿たちが奴らを足止めしている隙に、我々は船内に移動しましょう」
プリムローズは真剣な顔つきで、こくりと静かに頷く。
彼女たちの襲撃作戦は、海戦では移乗攻撃ともいう。この作戦では敵艦に乗り込んで、その艦を内部から破壊し、操縦不能――中破状態以上にするのが第一目標となる。
2人は敵に悟られぬよう忍び足になって、甲板からハッチへ辿り着き、駆逐艦の内部へ潜入した。
ハッチと繋がる通路は床も壁も金属で造られており、少し物音を立てただけで響いてしまいそうだ。オリバーは敵との遭遇に備えて剣を構えたまま、プリムローズの前を進む。
艦橋は燃え盛っているものの、艦内は全くと言っていいほど被害がなかった。アシ号の皆が必死の思いで撃ち続けた砲弾は何だったのかと、プリムローズは通路を移動しながら、駆逐艦の耐久性の高さに唖然とした。
(傷ひとつついてないだなんて。これがアルカネットの軍事力なのね……!)
実際、カルチェラタン水軍の士気と練度は高い。しかし所持している戦艦の性能が、帝国海軍のものとでは、あまりにも差が開きすぎている。今までプリムローズおよびアシ号の船員が無事でいられたのは、バルトルトやミルコといった優秀なマテリア使いや、帝国海軍が攻撃を躊躇するような命の盾による貢献が大きいだろう。
駆逐艦の装甲がこれほどまでに頑丈ともなると、やはり内部に潜り込んで破壊工作をするより他はない。プリムローズは胸の内に闘志を燃やし、ユージンに教わったことを思い出す。
『ああいった帝国の戦艦は艦橋以外にも、予備の舵がある操舵室という場所があります。だいたい艦橋の真下にある司令塔というところにありますので、そこを破壊なさると良いでしょう……』
「オリバー、操舵室ってどこにあるのかしら」
気持ちが逸る彼女に、オリバーは右手をかざした。一時停止、という意味だ。
「この先に、敵がおります」
オリバーは壁越しに乗組員の気配を感じ、曲がり角の陰で中腰になった。王女は彼の言葉に心臓が跳ね上がる。
そう、ここは海に浮かぶ鉄の砦、敵陣の真っただ中である。




