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プリムローズ・ストーリア  作者: 刈安ほづみ
第七章
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第七章 着水


 水飛沫を上げながら、落下していくアシ号。その勢いはまるでジェットコースターのようである。ただし、現代のアトラクションとは違う点がある。レールと安全装置がない。


 アシ号は海上とほぼ垂直に落ちていく。プリムローズは喉を痛めるほど甲高い声で絶叫した。全身が真下に落ちるような感覚を伴う重力加速度に耐えきれず、しがみついていた帆柱に指を放しかける。しかし上から覆い被さるように(かば)うオリバーが、彼女をしっかり抱き留めた。

 このたった今、帆柱から手を放したが最後、船から振り落とされ海面へ叩きつけられるだろう。その衝撃は一瞬で命を落とす。

 帆柱の反対側に掴まっていたディエゴも、顔にかかる水飛沫に目を瞑りながら、(たくま)しい両腕でミルコとユージンを庇っている。


 甲板は急斜面と化して、置いていた資材は滑り落ち、帆を張った縄はガタガタと揺れる。


 プリムローズの海を割かんばかりの絶叫が響くなか、次期水軍頭領タラッサは、右手は鉄扇を握り、左手は他の水兵たちと同じく手すりに掴まる。片膝立ちの姿勢で不敵な笑みを漏らした。

 絶体絶命の最中で、彼女の口角が上がったのは何故か。


 アシ号は物理法則に逆らえず、とうとう海面へ落下した。バシャアアアアン! とクジラが跳びはねたような、派手な水飛沫が上がる。

 その衝撃で大破するかと思いきや、このアシ号は帆船(はんせん)。ベテランの水夫たちの巧みな(てん)(ぱん)技術によって、グライダーのようにとまではいかないが、想定よりずっと緩やかに滑空し、ズザアアアアアア! と着水することができた。

 もちろん、甲板がずぶ濡れになるのは免れなかったが。


 頭から水を被ったディエゴはとりあえず、きょとんと呆けたままのミルコと、ユージンを抱えていた腕を解いた。そして、水浸しになった甲板を、信じられないという風にキョロキョロと見回す。

「すげえ……。あんだけ無茶したのに、船が無事だ」


 着水に成功したアシ号は、チャプン、チャプンと不規則な波に揺られながらも、何事もなかったかのように、涼しげに海面に浮かんでいる。


 プリムローズはオリバーの手を借りながら立ち上がると、甲板の欄干に近寄り、下を覗いた。

 船体に括りつけられていた警備兵たちは、それぞれ呻き声を上げて苦しんでいるものの、死亡はしていない。彼らをしっかり縛りつけている網が、ジェットコースターで言うところの安全バーの役割を果たしたのだろう。

「よかった。命の盾もまだ息があるわ」

 王女はほっと胸を撫で下ろした。


 タラッサは水の滴る前髪を掻き上げながら、スッと立ち上がる。

「みんな、大丈夫だった? 怪我してない?」

 水兵たちはオオー!と威勢よく返す。なんと最も高所である見張り台の水兵までもが無事だ。ベテランの水兵が鼻の下をこすって笑う。

「そんなヘマしませんよ。こっからが本番でしょう」


 彼らの卓越した航海技術がなければ、アシ号は今頃、海の藻屑であっただろう。頼もしい水兵たちに、タラッサはニシシ、と勝気な笑みを浮かべた。

「そうだね。よし! あの駆逐艦にカチコミをかけるよ!」

 よっしゃあ! そうこなくちゃ! と、水兵たちが口々に叫ぶ。遠くからその光景を見つめ、覚悟を固めていたプリムローズの傍に、小柄なユージンが並ぶ。

「王女殿下。あの敵艦の兵たちは今、一時的に混乱しているでしょうが、すぐに立て直して我々に反撃をしてくることでしょう。タラッサ船長の言う通り、その前にこちらから仕掛ける必要があります」


 彼の丸眼鏡越しの焦げ茶色の目が、鈍い光を放ち、プリムローズの飴色の瞳を見上げる。

「狭い場所における効果的な戦法を、今からお伝え致します」

 指揮官を失った兵隊を、さらに追い詰めて叩きのめそうというのだ。

 王女の背後にいたオリバーも、黙って耳を傾けた。




 一方、アシ号が落下したときの余波が、数十メートル先の、クラァラたちシバルバー部隊の乗っている人力小型船まで届く。


 小型船は波によって揺さぶられた。シバルバー部隊を含め船員たちは、その場で姿勢を崩す。それまで海底からせり上がった樹木を、炎のマテリア術で焼き払っていたクラァラやブレンも膝をついてしまった。


 ただ唯一、メアリックだけが、まるで幽霊と化したように呆然と立ち尽くす。

「波に乗り上げたときの高低差を利用して、艦橋(かんきょう)を撃つなんて……。そんなの……」

 誰に聞かせるわけでもない独り言を呟いた後に、拳を固く握り締める。

「そんなの、僕がやりたかった!」

 彼は水のマテリア使いとして、荒れた波を利用する作戦を敵方より先に思いつかなかったことに、不甲斐なさと悔しさを感じたのだった。


「僕はカルチェラタン水軍を見くびっていたようだ。これではいけない、ハイドロディウス派の掲げる『理知と探究の精神』に背いている。僕が……僕こそが、水のマテリア術の可能性を広げなければ!」

 青年は鈍色の髪を掻き上げながら不敵に笑う。彼の嗜虐的な視線の先にあるのは、遠くに浮かぶアシ号だ。

「研究対象が増えた。再戦のときが待ち遠しいよ」


 ブレンが肩をすくめて苦笑する。

「お前すげえな。俺はまだ、そういうテンションになれねーわ……。味方も結構やられたし、しばらく引きずりそう」

「情けないわね」

 立ち上がったクラァラがいつもの調子で、同門の彼に厳しい言葉を投げかける。

「戦場で散った味方の無念は、戦場で晴らすべきなのよ。私達はもう、後戻りできない。嘆いている暇はないの」

 彼女もまたメアリックと同様に、アシ号を睨みつけた。

「必ず奴らと決着をつけてみせるわ。そしてその先の、カルチェラタンの港町に隠れているプリムローズ王女を、私の炎で絶対焼き殺すんだから!」


 もしプリムローズ王女と強力な土属性のマテリア使いが、あのアシ号という同じ船に乗っていることを知っていたら、シバルバー部隊は今からでもアシ号への接近を試みただろう。だからこそ彼らは命拾いをし、プリムローズ王女一行もまた、目の前の駆逐艦に攻撃を集中させることができるのである。

 この情報伝達の齟齬(そご)は、両陣営にとって奇妙な幸運をもたらした。


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