第七章 師を仰ぐ
見兼ねたタラッサが砲台からすっ飛んできた。
「どうしたの? これじゃ船を動かせないよ」
ミルコはその場で地団駄を踏んで、叫び声を上げた。
「ヤダダーッ! ウワアアアアア!」
「あーもう、やっぱ船の中に連れて行くわ」
ディエゴが腕を広げて彼を抱きかかえようとした直前、ユージンがそれをやんわりと制した。
「今の彼に構っても、ますます混乱させてしまいますよ。ここはいっそ落ち着くまで、放っておいてあげたら良いのではないでしょうか」
医学において、不穏時の患者には過剰に接触せず、ただし事故や負傷等がないように経過を見守るといった対応マニュアルは確かに存在する。
医者である友人の言葉でも、オークの青年は困惑したように眉を下げる。
「放っとけったって……坊主は周りにエンリョなく、マテリア術を使いまくってんだぞ。センキョーってのが、滅茶苦茶になっちまうよ」
ユージンは「あれを」とだけ言うと、一同に遠くのほうへ注目させるように、指を差した。彼の指し示す方角には、中型船カガミ号があった。
カガミ号は、挟撃してきた駆逐艦の片方がミルコの術で撃沈したのを好機に、反転し戦線から後退することに成功していたのだった。
タラッサは、ほっと胸を撫で下ろす。
「カガミ号は逃げ切れたんだ」
「良かった……」
プリムローズも安堵の表情で頷いた。
また、アシ号と交戦中の駆逐艦においても、不規則に突出する樹木のせいで機動力を生かせず、目に見えて航行が鈍重となりつつあった。
「これで彼らも、命の盾を狙いづらくなりましたね」
ユージンは焦げ茶色の目を細めて、王女に朗らかな笑みを向ける。
「あえて戦況をかき乱すことで、敵ごと巻き込むのもまた、次なる攻撃への布石となるでしょう」
プリムローズは「あ!」と声を上げて、頬の横で両手を合わせた。
「『攪乱』ですよね……。私、攪乱好きです」
よくご存知で、とユージンは笑みを深めると、彼女も微笑み返したが、飴色の瞳は少し悲しげに潤んでいた。
「帝都まで守ってくれた騎士が、教えてくれました。彼らのお陰で、今の私がいるのです」
プリムローズ王女を帝都まで護衛したという、その騎士の身に何が起きたのか。彼女の表情からことの顛末を察したユージンは、スッと細めていた目を開き、たちまち神妙な面持ちになった。
「……知識とは、他人に奪われることのない財産です。騎士の方は、王女殿下に献上されたのですね。誰にも損なわれなどしない、半永久的に形を保つ財産を。王女殿下がそれを手にお入れするに相応しいお方だと、そう考えてのことでしょう。先ほどの私が、焙烙火矢をお渡ししたように」
ドワーフの医師の言葉に、王女は胸を打たれ、言葉を詰まらせた。
「殿下のお心次第で、蓄えられた財産の価値が変動します。真価を発揮されたいのであれば、ひとつの物事をより広く深く、お考えになるのがよろしいかと」
僭越ながら、私はそう存じております……と結び、ユージンは困り笑いを浮かべた。
プリムローズは何の対策もとらずに駆逐艦へ単身乗り込もうとした、先ほどまでの短慮な自分を恥じて俯く。
「その通りですね……。私は浅はかでしたわ。少し頭が冷えてきました」
「なんと……ッ!」
傍でことの成り行きを窺っていたオリバーは、戦闘態勢に切り替わっていたはずのプリムローズ王女が、すんなりと人の忠告を受け容れたことに信じられず、彼女とユージンの顔を交互に見た。
どうやらこの王女は頭ごなしに否定されるより、別の視点から道徳観念に基づいて指摘されるほうが効くらしい。ユージンは見事に彼女の手綱を取ったのだ。
プリムローズは俯いたかと思いきや、すぐにパッと顔を上げた。
「……恥ずかしながら私はまだ、今までで出会ってきた人たちから受け取った財産を、上手に使う自信がありません。今後どうか、アドバイスを頂けないでしょうか――ユージン先生」
そして深々とお辞儀をした。
彼女はこの計算高さと思慮深さを兼ね備えたドワーフの医師を、軍師として改めて迎え入れようというのである。
ユージンは焦げ茶色の目を丸くした。彼からすれば好都合な筋運びだが、アルカネットの皇太子に仕え、なおかつ少数民族である自分に、まさかベリロナイトの王女が『先生』と敬称をつけて名を呼び、頭を下げると思わなかった。
つまりそれだけプリムローズが、ユージンに敬意を持って接しているのだ。
「……」
丸眼鏡越のズレを直してから、フッといつもの微笑みを浮かべて、恭しく一礼をした。
「はい。非才の身ながら、謹んでお受け致します」
「先生?」
2人の話についていけないディエゴはひとり、小首を傾げる。




