第七章 少年を呼べ
ユージンの提案に、一同は「あ!」と声を上げた。
皆すっかり艦隊戦で頭がいっぱいになり、ミルコ少年が大地のマテリア術を使えることを、今まで思考の外に追いやってしまっていたのである。
プリムローズはパンッと手を合わせた。その表情は明るく、微笑さえ浮かべている。
「そういえば、ミルコさんのマテリア術なら地震を起こして津波を作ることもできるし、大きな木を生やして船を守ることもできるわ」
「ミルコ殿は医務室にいるのでありましたか」
オリバーが確認するように尋ねると、ユージンは「はい」と頷いた。
「私、ミルコさんにお願いしてきます。オリバー、移動中の警護をよろしく頼みますね」
「はっ!」
プリムローズとオリバーがさっそく帆柱から離れようとしたのを、ディエゴは大きな掌をかざして止める。
「待てよ。坊主にマテリア術を使わせるにしても、あっちにいる水軍の姉ちゃんに、話を通しておいたほうがいいんじゃねぇのか。ダンドリってもんがあんだろうし」
彼はそう言いながら、親指でタラッサのほうを指差した。
「それはそうですね! ……ねぇ、タラッサぁー!」
王女は赤みがかった金髪をなびかせ、いつ砲撃が来るかわからない甲板の上を、軽やかに走り出した。
「あああ、お待ち下され! おひとりで飛び出されるのは危険であります! 自分が先行しますゆえ!」
オリバーは慌てて、鉄靴を鳴らしながら彼女を追いかける。
ユージンは彼女たちを見送ると、さりげなく周囲の安全を確認した後、帆柱に手をつきながら徐に立ち上がった。
「さて、ミルコさんを呼んできましょう」
ディエゴにそう告げると、小柄な背中を丸めるように、そそくさと船内へ戻っていった。
ひとり残されたディエゴも、スッと立ち上がる。そして憮然とした面持ちで、オレンジ色の逆立てた髪を片手でガシガシと掻いた。
「……」
すれ違いざまに見た旧友の表情を思い出してみる。
ユージンの丸眼鏡越しの焦げ茶色の瞳は爛爛と輝いて、その小さな口の両端は大きく釣り上がっていた。それは彼が難しそうな調べ物をしているとき、あるいはカラクリ仕掛けを作っているときと同じ顔だと、ディエゴにはすぐ分かった。
(あんたも、そうなっちまったか……)
『そうなった』とは、プリムローズに対する好奇心の芽生えである。絵描きとしての側面を持つディエゴが、朝焼けの花畑に佇む彼女の後ろ姿に惹かれたように、聡明であるはずのドワーフの友人も、何か心をくすぐられるようなものがあったのだろうと察した。
その好奇心とは厄介なもので、たとえプリムローズがディエゴの理想とする「純真爛漫で可憐な少女」という一面のみを持っているわけではないと頭で理解していても、どうしても彼女から目が離せない、彼女を通して理想の女性像を投影せずにはいられないのだ。もはやこの感情は呪いじみている。
ディエゴは甲板の床に向かって、苦笑するしかなかった。
さて、プリムローズはようやく、砲台近くのタラッサに駆け寄った。タラッサは水兵たちに指示を出しているところであった。
「タラッサ!」
声をかけられたタラッサは、黒いサイドテールの髪を揺らしながら、ぎょっと驚いたように振り返った。
「ちょ。危ないでしょ、こんなところまで来たら! どこかに掴まっててって、あたし言ったじゃんか、も~……。で、なになに?」
プリムローズは経緯をすっ飛ばして、要件だけを述べた。
「ミルコさんが今からマテリア術を使ってもいいかしら?」
「マテリア術!」
タラッサは弾かれたように反応した。先ほどのプリムローズたちのように、そういえばその手があったか、というような意表を突かれた様子である。
プリムローズの背後から、追いついたオリバーが続ける。
「地震を起こすか、大きな木を生やすか。如何される」
すると近くにいたベテランの水兵が進言した。
「お嬢、地震はいけませんぜ。こっちも津波に巻き込まれちまう」
地震を起こすマテリア術「ゼムリャトリャセーニア」を発動するには、敵の駆逐艦との距離が近すぎる。
そうだね……とタラッサは呟くと、頬に手を当てながら、敵艦の動きを注意深く観察しつつ、考えを巡らせる。しばらくして、プリムローズとオリバーに再び視線を向けた。
「じゃあ、あの船の真下に向かって、木を生やすって出来ないかな? 座礁って言って船が大きな木に乗り上がってさ、船の底に穴が開けられたら御の字なんだけど」
彼女は身振り手振りで、座礁という現象を説明した。
プリムローズは頷く。
「分かったわ。ミルコさんにそうお願いしてくるわね」
タラッサは付け加えた。
「あと、タイミングを合わせてもらっていい? こっちが合図を出したら、マテリア術を使ってほしいの」
駆逐艦の主砲のクールタイム中に、座礁させたいという狙いがあるのだ。プリムローズは「ええ」と返事をして踵を返すと、オリバーと共に船内の医務室へ向かおうとした。
ところが、船内に続く出入り口の前に、すでにユージンに連れられたミルコが立っていたのだった。
プリムローズは丁度良かったと言わんばかりに、ミルコに近寄った。
「ミルコさん、お願いがあるんですが……」
しかし、亜麻色の髪の少年は、切り揃えた前髪を振り乱し、不機嫌そうに顔をしかめながら、彼女の言葉を遮った。
「うみ、うるさーい! うみうるさーい! もうせンそウ、おわりッ! せンそウ、おしまいです! みんな、うるさーい!」
ミルコは大声でそう喚き立てた。明らかにパニック寸前の不穏な状態である。




