第七章 帆を広げる
一方その頃、プリムローズ一行と水軍は。
彼らの艦隊はたった今、海上で生い茂る樹林に行く手を塞がれている。いや、あえてそうしているのだ。
勿論この樹木も、ミルコが発動させた土属性のマテリア術によるものである。地震による津波を発生させたとき、防波堤代わりに塩水に強い植物を生やしたのだった。
小型船アシ号の船長であるタラッサは、甲板から海原の様子を見てひとり頷く。
「よし。もう津波の心配はないよ」
「つかれた」
ミルコが一言呟いた途端、水軍の船を立ち塞いでいた樹林が突然枯れ始め、ザブンッと海の底へ沈み込むように消えていった。
プリムローズは海の向こうを見つめた。まだ帝国軍の船影はない。
「これで帝国海軍を足止めできたかしら?」
ユージンが潮風に三つ編みを揺らしながら、王女の問いに答える。
「成功したとしても、一時しのぎに過ぎません」
額の辺りで手庇を作る彼も、水平線の彼方、遠くの戦艦を見据えている。
「それでもミルコさんのマテリア術の威力が伝われば上出来です。彼らは恐れをなして、土属性のマテリア術の封じ込みを最優先に動くでしょう。これを逆手にとりましょうか」
「逆手とは?」
並んで立つプリムローズとオリバーが、ほぼ同時に疑問を口にした。
ドワーフの医師は丸眼鏡の縁を持ち上げる。
「水軍の偵察船を攻撃したのは何属性でしたか?」
プリムローズが答えた。
「突然、火柱が上がって、船が燃やされたと聞きました……。だから火属性だと思います」
「その通りです。今回もまた火属性のマテリア使いが先手を打つでしょう。その理由は……」
ユージンはわざと間を空けて、プリムローズに自力で考えさせるように促した。
プリムローズはバルトルト住職の話を思い出す。
「えっと……水属性のマテリア術だと、ミルコさんの土属性に負けてしまうから?」
マテリア術でいうところの相克関係である。
「正解です」
王女の回答を満足げに褒めると、彼は説明を続けた。
「帝国海軍が火属性のマテリア術でこちらの船を燃やしたら、当然消火しなくてはなりませんよね。幸いカガミ号に住職殿がいらっしゃるから、水属性のマテリア術で素早く火を消してくださるでしょう。ですが――最初から燃やされないに越したことはない、ではありませんか」
「そこで、『盾』を使うのでありますな……」
オリバーの導き出した答えに、ユージンは「そういうことです」と人の好さそうな微笑みを浮かべた。
「そろそろ『盾』の皆さんを配置する頃合いかと」
ユージンが焦げ茶色の目で、タラッサに目配せする。
「わかった」
彼女はサイドテールに束ねた黒髪を揺らしながら、大きな声で水兵たちに指示を出した。
「みんなー! 警備兵を吊るすよー!」
「合点でぇい!」
水兵たちは小型船の左右の舷に、負傷した警備兵を縄でガッチリ縛りつけた網を広げる。かなりの重労働だが、彼らはせっせと段取りよくこなしていく。
「かぁ~キッツ!」
「何言ってんだ、こういうのはマグロ漁で慣れてンだろうよ!」
「ガハハッ、ちげぇねぇ!」
驚くべきことに談笑する余裕すらあった。海の男はタフである。
「うう……」
縛られた警備兵は強い陽光に照りつけられ、波に揺られながら、背中や腰のあたりを船体に何度もぶつけた。
彼らを船に吊るす重量も計算して、アシ号は戦艦にしては少人数体制だったわけである。
「うん、バッチリだね!」
タラッサが勝気な笑顔を浮かべると、水兵のひとりが声をかけた。
「お嬢、お頭からお達しが来ました。全艦、出撃せよ、と……!」
その瞬間、タラッサは気のいい町娘から、凛とした、水軍次期頭領の風格を備えた面構えに切り替わる。そして仁王立ちになって、声を張り上げた。
「総員、展帆ーッ!」
水兵たちがオオーッと雄叫びを上げるなか、プリムローズは聞き慣れない単語に小首を傾げる。
「テンパン?」
「帆を張ることだよ。大人数でやる作業だから、プリムラたちも手伝ってくれる?」
「はい!」
タラッサに連れられ、プリムローズ、オリバー、ディエゴは帆を張るためにロープを引く作業に参加することにした。
このとき、ミルコは疲れたと言って船内に戻り、ユージンも船内の医務室へと向かった。
麻で作られた帆は帆船の進む力――推進力を得るために、必要不可欠な部位だ。小型船アシ号は、帆柱と呼ばれる、船に対し垂直に建てられた3本の柱で帆を支えている。
一番前の柱は「フォアマスト」といい、見張り台が備えられている。真ん中の柱は「メインマスト」といって、この柱がもっとも高い。
フォアマストとメインマストにはそれぞれ、横帆という1枚の大きな帆を横に6分割したような、四角形の帆を支えている。
横帆は追い風のときに船が進みやすくなるが、向かい風だと四角い帆の縁がはためいて、船の進みが悪くなってしまう。よって風力や風向きの変化によって細かい調整ができるように、横帆は複数に分割されているのだ。
一番後ろの柱は「ミズンマスト」だ。縦帆という台形に似た大きい帆を支えている。縦帆は横帆ほど追い風で推進力を得ることができないが、マストを軸にして向きを変えることで、船の旋回を助ける役割を持つ。
他にも船の最前部――舳先に張る三角形のジブや、マストとマストの間に張るステイセルという帆もある。どれも船が推進力を得るためになくてはならないものだ。
帆を張るためのロープを引く作業を手伝ったオリバーは、フゥと溜め息を吐いた。
「水軍の面々が逞しい理由が分かったであります。あれはかなりの力仕事ですぞ」
水兵たちは帆のロープを、簡単にほどけないような複雑な縛り方で固定していく。
「俺は何人かが……マストだったか? ホを広げるのに、あの柱をよじ登ってったのに驚いた。あんなの俺だったら足場を折っちまうよ。ユージンだったらいけるかもな」
そう冗談を飛ばすディエゴに、甲冑の騎士は恐る恐る尋ねる。
「あのユージン殿は、その……アルカネット帝国に恨みのある方なのでありますか?」
ディエゴは虚を突かれたように、目を丸くした。
「何でそう思ったんだ?」
「アルカネット皇太子の専属医師という経歴を持ちながら、『盾』作戦といい、帝国軍を攻撃することに躊躇がないといいますか、やけにプリムローズ様に協力されるというような……」
むしろ率先してプリムローズ王女を自らの策に誘導しているような気配すらする、とはオリバーは言い切ることができなかった。このオーク族の青年がユージンと旧知の仲だからである。彼に遠慮して、歯切れの悪い言い方になってしまった。
うーん……と、ディエゴは難しそうな顔をして唸った。
「あいつはあんまり自分のことを話したがらないんだ。昔、背中に大きな古傷があるのを見たことならある。ガキの頃、帝国軍の兵士にやられたって言ってた」
「そうでありましたか……」
やはり、とオリバーは内心思った。今までうっすらと抱えていた、ユージンは王女を自らの復讐の道具にするつもりなのでは? という疑念をますます深める。
「だけどよ」
ディエゴはイノシシのような牙を見せつけるように、大きな顔をずいっとオリバーに近づける。
「ユ―ジンが恨みで動くようなアクイのある人間だったら、俺は今頃まだ故郷に引きこもってたぜ」
牽制されたか、と今度はオリバーが虚を突かれた。ディエゴのユージンに対する信頼の高さは並々ならぬものである。
その頃、プリムローズは船の進みが速くなったことを、無邪気に喜んでいた。
「まぁ、すごい! タラッサ、船がどんどん前に進むわ!」
「そりゃそうだよ。まぁ正確に言うと、真っ直ぐに進むわけじゃないんだけどね」
「どういうこと?」
プリムローズがきょとんとした顔をすると、タラッサはクスッと笑ってウインクした。
アシ号の背後からタラッサの母ゾーイが乗る哨戒船カガミ号が接近し、併走してきた。そのさらに後方には、父ドミニクの乗る戦艦アマノトリ号が見える。
タラッサは背中を押されているような気分になった。
彼女は風にさらされた前髪が額を撫でるのをくすぐったく思いながら、来たる戦いに向け、武者震いをする。
「これからのお楽しみってやつだよ!」




