第七章 緋色の誓い
そう言うのもアテラ教の四大宗派のうち、女神を信仰しているグランディーナ派を除き、どの宗派も僧侶より尼僧のほうが地位が低いからだ。
アテラ教の最高神がアテラという男神なのもあるが、古今東西、信仰者には身も心も清らかであることを求められる宗教において、女性には月経があるため、血を流す者、つまり穢れた存在として忌み嫌われがちなのである。
だからアルカネットでは、マテリア術の才能があっても、わざわざ冷遇されてまで寺院で修行しようと思う女性は少数派であった。
フレイミヤ・バーン派の総本山の僧侶たちは研究者という側面もあるため、才能と学習意欲のあるクラァラを受け入れないわけにはいかなかった。だが大半の僧侶は彼女に対し、「学び舎に通ったこともない、田舎出身の小娘」という馬鹿にした態度をとっていた。
たとえば学び舎で教わるような基礎知識をクラァラが知らないとわかると、これだから女は、とあからさまに侮蔑をしたり、彼女のほうが良い成績を上げても、同期の見習い僧侶ばかりを贔屓した。
(聖職者といっても、狭量で意地悪な人たちばかりだわ!)
クラァラは皆が寝静まった後も、ひとり月明りの下で書物を読み込んだ。
故郷の両親も寺院の僧侶も皆、彼女を侮り、過小評価し、見くびっている。
いつか見返してやる、という向上心が彼女の胸の内で燃え滾った。
クラァラは凄まじいスピードでマテリア術を上達させ、14歳にして最終奥義『フレイミヤ・バーン来迎』を修得した。これはフレイミヤ・バーン派では史上最年少の記録である。
頭角を現したクラァラは見習いの僧侶同士で行われる、神前での模擬戦(グランディーナ派では行われない)でも着々と勝ち星を挙げ、かつて彼女を侮っていた僧侶は居心地の悪そうに背を向けた。
この努力家の少女は、実力によって周囲の鼻を明かしたのだった。
クラァラが16歳になったある日、帝国軍の将軍が総本山に視察に訪れた。
それがヴィンター中将だ。
中将は寺院の中庭で「フェニーチェ・グローリア」を発動させるクラァラのもとに、拍手をしながらやってきた。
『炎でできた鳥か、見事だ。緋色に揺らめく翼と尾が美しい』
クラァラの腕に留まる炎の鳥を見て、ヴィンター中将はわずかに口角を上げた。
『恐縮です』
クラァラは不審に思ったが、彼の青い軍服に輝くいくつもの勲章を見て、上級軍人であることを察した。
そのとき、ぽつぽつと、傘をさすほどでもない、にわか雨が降り始めた。
『……その鳥は消えないのかね』
中将は少し驚いたように、炎の鳥を見つめた。わずかに濡れた前髪を黒革の手袋をはめた指で梳く。
その仕草が気障っぽくて、男性不信に陥っていた当時のクラァラは、少しつっけんどんに返した。
『これしきの雨なら、マテリア術で火力を調整できますわ』
ほう、とヴィンター中将は感嘆の声を上げた。
『雨に打たれてもなお、炎を燃やし続けるというのか。熾烈でありながらも気高さを纏うその姿はいじらしくもあり、目を見張るものがある』
マテリア術を詩的に褒め称える彼に、クラァラは可笑しくなってクスッと微笑んだ。
『そんなにフェニーチェ・グローリアがお気に召したのですか?』
『ああ。この小さな籠の中に収まっているのは勿体ない。この鳥も――クラァラ嬢、君も』
クラァラは今度は目を丸くして驚いた。普段の彼女ならここまで表情がくるくる変わることはない。
たった数分の間に知らずして、ヴィンター中将に心理誘導されていたのである。
『若き天才がいると噂を聞いてやってきたのだ。君の才腕をぜひ、私のもとで振るってくれないか』
黒革の手袋をはめた手が、少女に差し伸べられる。
クラァラの頬に雨粒がポタリと当たり、スッと一筋の跡を描いて滴り落ちた。
彼女の胸に温かな火が灯る。
16歳にして、生まれて初めて、自分を認めてくれる人に出会った。
彼女は差し伸べられた黒手袋の手を掴もうとした。しかし自身の荒れた手を恥じて、躊躇いがちに手を引っ込めた。日頃の水仕事や炎のマテリア術の練習で、ガサガサに乾燥しきった手だった。
『……』
少女の気まずそうな様子を察したヴィンター中将は、おもむろに手袋を外した。
『……!』
クラァラは思わず顔を強張らせた。彼の左の手の甲には、凹凸のある皮膚の表面が生々しい、大きな傷痕があったからだ。
『十年戦争、ですか?』
彼女はこの軍人の怪我は先の戦争によるものだと考えた。
『いや、確かに戦時中だったが、これは上官を庇ったときの怪我だ。銃弾が左手を貫通した』
クラァラはヒッ! と小さく悲鳴を上げる。
『それ以来、銃を扱うのが怖くなってしまったよ。大砲は問題ないんだが。はは、情けない話だろう』
肩をすくめて自嘲する中将に、クラァラは首を横に振った。
『そんな痛そうな怪我をすれば、そうなるのも当然ですわ。身を挺して上官の方を助けるなんて勇敢です』
『ありがとう。私のほうこそ、君のことを勇敢だと思っている。男社会のアテラ教で、よくここまで技を磨いたものだ』
ヴィンターは左手の傷痕を晒したまま、クラァラの手をとって両手で握手した。
炎の鳥がクラァラの腕から離れ、いつの間にか雨の止んだ灰白色の雲間へ飛び立ち、祝福するように太陽の下で弧を描く。
『君はあの炎の鳥そのものだ。大空に羽ばたく翼を持っている。私は君が天高く舞い上がるのを見てみたいのだ。クラァラ……私にはわかる、君は素晴らしい女性軍人になれる』
落ち着いた低い声が優しい響きを帯びて、切れ長の目が細められたとき、クラァラは己の生涯を彼に捧げることを誓ったのだった。
クラァラは2年前にヴィンター中将と出会ったときのことを思い出して、黒い手袋をはめた手を固く握り締めた。
(私の実力を認め、居場所を与えてくれた、あの御方の期待に応えなくては!)
そして、招集したシバルバー部隊の全兵士に顔を向ける。総員62名、ハイドロディウス派は白地に水色の紋章が入った腕章を、フレイミヤ・バーン派は赤地に金色の紋章が入った腕章をつけている。クラァラも赤い腕章をしていた。
「……これより、作戦を説明するッ!」
クラァラは先ほど艦長に提案した作戦内容を、部下たち全員とも共有した。




