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プリムローズ・ストーリア  作者: 刈安ほづみ
第七章
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第七章 ビンタ


 クラァラ、メアリック、それにブレンは、シバルバー部隊の兵士たちに伝令するため、艦内の通路へ移動した。


 ハイドロディウス派の兵士を指揮するメアリックは、先頭を歩くクラァラに向かって、何となしに会話を切り出す。

「……艦長が懐の広い人で良かったね。ブレンが射殺されるかもって肝が冷えたよ」

「向こうからしたら、貸しひとつ作ったってことでしょう。私たち、ヴィンター中将お(かか)えの部隊だもの」

「面子を保つのと、中将を敵に回すの。天秤にかけたわけか」


 でしょうね、とクラァラは素っ気ない相槌を打つと、振り返りざまに後方のブレンの頬を平手打ちした。


 バチン、という破裂音が通路に響く。


 ブレンは打たれた頬をさすりながらも、怯むことなく真剣な眼差しで彼女を見据える。


 クラァラはそんな彼の上着の襟をグンッと掴んだ。

「……ブレン、貴方のさっきの軽率な行為は、貴方自身だけでなく、シバルバー部隊全体に恥をかかせたのよ」

 彼女の下睫毛(したまつげ)は濡れていた。


「もしも私が責任をとって降格する羽目になって、あの御方に遠のいてしまったら……貴方を絶対に許さないから!」


 そう言い捨てると襟から手をパッと放し、誰も寄せつけぬ殺気を全身に(まと)いながら、ひとり通路の向こうへ行った。


 残されたブレンは、腫れたほうの頬を隠すようにそっぽを向いて呟く。

「……それで俺のほうを振り向いてくれるなら、もう憎まれてもいいさ」

「君は馬鹿だなぁ」

 メアリックの間延びした罵倒に、場の剣呑な雰囲気がいくぶんか消え去った。


「なんだよ、お前まで酷いな」

 面食らったブレンが食ってかかるのを、メアリックは冷ややかな目で一瞥(いちべつ)する。


「クラァラは前に進みたいんだ。前方で両腕を広げて盾になろうとする男は、むしろ進路の邪魔なんだよ。彼女を守りたいなら、後ろから支えてあげなよ。まぁ、手っ取り早く好かれる方法なら他にあるだろうけどね」


「おう……?」

 ブレンは同僚の助言の意図するところを理解しきれなかった。しかし、彼のクラァラについての冷静な分析については舌を巻いた。

「お前まさか、クラァラのこと……」

「あんな重度のファザーコンプレックスを抱える人とは交際できないよ」

 メアリックは安っぽい嫉妬からくる疑念を、バッサリ切り捨てた。


 一方クラァラは、ヴィンター中将のことを思い浮かべて、乱れた心を落ち着かせるのであった。


(中将……)



 

 クラァラはずっと、認められたかった。

 

 彼女はアルカネット帝国の東に位置するオースト地方の農村の、中間富裕層というべき豪農(ごうのう)の家に生まれ育った。


 故郷は旧態依然とした男尊女卑社会であり、食事は主人が手をつけるまで妻と子は食べ始めてはいけないとか、兄と弟が学び舎に通う間、娘であるクラァラは家の手伝いをしなければならないとか、そういう男女の扱いの差が大きかった。


『学び舎に通いたい? 馬鹿を言うな。お前まで学校に行ったら、誰がうちの畑を耕すというのだ。母さんを見ろ。母さんはろくに読み書きもできないが、父さんが養ってあげてるし、何も文句言わず、本の1冊も読まず生まれてからずっと家の仕事をしてきたんだぞ。女の一生とはそれでいい。学問なんて銭と時間の無駄だ』


『お前は16で嫁に出すから、どこに嫁いでも生家(おさと)の恥にならぬよう炊事洗濯、畑仕事をさせているのだ。顔が綺麗で手の荒れている女――器量が良くて働き者の女になれ。嫁にも行かない、子を産まない娘っ子に屋根のあるところで飯を食う権利はない』


 クラァラは何かと持論を押しつけてくるこの父親が大嫌いだった。冬場に手のあかぎれが痛くて軟膏を塗っているとき、手袋をつけて雪遊びをしている兄弟が憎らしかった。


 家の外に出て、自由になりたい。そんな思いを胸の内に燻らせ、彼女は密かに弟の教科書を読んで勉強していた。


 12歳になったある日、暖炉(だんろ)の火が強かったのか、壁にかけていた父の外套(がいとう)の裾に燃え移った。慌てたクラァラは素手で火を叩き落とそうとした。


 そのとき。火は彼女の手をすり抜けて分散し、空中に5ミリ程度の小さな火の玉になってゆらゆら揺らぎながら、まるで(しずく)のように床に落ちて消えた。


 この現象は、火属性のマテリア術である「フレイマ・ダンツァトリーチェ」の初歩的な段階である。


 クラァラは気付いた。自分にはマテリア術の才能があるのだと。

 そして己の才能を磨くため、炎のマテリア術を研究するフレイミヤ・バーン派の総本山で修行することを決意した。


 父親と兄を納得させる自信のなかったクラァラは、最小限の荷物をまとめて家出を試みた。忍び足で家の敷地を出るすんでのところで、背後から何者かに呼び止められた。


『クラァラ』

 この家で一番影の薄い母だ。

『行ってしまうのね。いつかはこうなるかもしれないと思ってたけど……』


 クラァラは青ざめた。大人しい母さんが直接自分を叱ることは一度もなかった。父さんを呼んでくるかもしれない。怒り狂った父親が腕を振り上げる姿を想像して、背筋を凍らせた。


『ずるい』

 母から二言目に放たれた言葉は、彼女には予想外のものだった。


『私だって勉強して、外に出て働きたかった。でもこんな田舎に生まれたなら仕方ない、男の人の言うことを聞かないと生きていけないって、ずっと我慢してきたのに……。あなただって女なのに家族を捨てて、食わせてやった恩も忘れて、自分のやりたいようにするんだね。そんなの、ずるいよ』


 クラァラは唖然とした。今の今まで母は、父の言いなりに生きていくことを受け容れているのだと思っていたからだ。


 母は壊れた人形のような、虚ろな眼差しで娘を見つめた。

『私はあの人が嫌い。早く死ねばいいと思ってる。あんたも、子供たち皆嫌い。でも叱られるから、ぶたれるから、ずーっと我慢してた。嫌い、嫌い、皆死ね。死ね。死ね……』


 クラァラは泣きながら走り出した。どれだけ家から離れても、母の「死ね」と繰り返す声が頭から離れなかった。


 ――父も母も、どうして私を呪うの? なぜ私が自由に生きていくことを、認めてくれないの? そんな悲鳴にも似た葛藤を抱えたまま、フレイミヤ・バーン派総本山の門を叩いた。


 そこが新たな修羅の道とも知らず。



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