第七章 津波
「母なる大地の怒号――ゼムリャトリャセーニア」
大海原は一瞬にして、目も眩むほどの黄金色の光に覆われた。光はみるみる海と空を飲みこみ、帝国の駆逐艦隊を越え水平線の彼方まで届く。
艦橋の窓に飛び込んできた強すぎる光に、通信士はウッと呻いて目をつぶる。まるで閃光弾を放たれたかのようだった。
そんな異常事態にいち早く対応できたのは、マテリア使いのシバルバー部隊であった。
「耐ショック姿勢! どこかに掴まって!」
シバルバー部隊の隊長クラァラの声が艦橋に響く。
その瞬間、黄金の光が消えたと思いきや、その場にいる全員が足元の揺れを体感した。
地震だ。
間髪入れずドッバァン! とクジラが体当たりしたかのような、高波のぶつかる衝撃が、駆逐艦全体に走った。
艦橋の床が45度くらい傾き、乗組員は近くの物に掴まって体を丸める。船そのものが波に押し出され、傾斜しているのだ。
「クラァラ!」
傾く艦橋の中でブレンは滑り込み、耐ショック姿勢をとるクラァラに、上から覆いかぶさるようにして庇う。
その傍らで、両腕で頭を守って伏せているメアリックが、自らの思考を吐き出すように独り言を呟いている。
「大丈夫。この辺りはまだ水深が深いから、それほど津波の影響はない……。船には『復原力』があるし……」
復原力とは平たく言うと、風や波によって船体が傾いたとき、自然と元の角度に戻ろうとする働きを指す。
たとえば、水の中に入ると体が軽くなったように感じるのは、水中にある物体を浮かせようとする力が働くからである。これを浮力という。
水中の物体には常に、水底へ沈めようとする重力と、水面へ浮かせようとする浮力の2つの力が同時にかけられている。
船は船全体の重力がかかる一点の中心部――重心と、全体の浮力がかかる一点の中心部――浮心の位置関係を考慮して設計されており、重心が下向きに、浮心が上向きに作用することによって復原力を得て、傾いてもバランスを保つことができるのだ。
そしてメアリックの読みは当たった。波にぶつかった駆逐艦は、しばらくして元の角度に戻ったのだった。
海の男とはタフネスで、滅多なことでは動じない。駆逐艦の艦長は椅子に座ったまま、何事もなかったような態度で、クラァラに問いかけた。
「大尉、今のもマテリア術か」
はい、と彼女は答える。
「恐らく先ほどの地震は、大地のマテリア術によるものかと」
艦橋はざわついた。敵方には水属性のマテリア使いだけでなく、土属性のマテリア使いもいるのかと、乗組員たちは一様に困惑した表情を見せる。
海上にいる彼らにとって、津波の原因になりうる地震を発生させるマテリア術は、この上なく厄介なことである。
「シバルバー部隊には、大地のマテリア術への対抗手段はあるのか」
艦長の問いに、クラァラは首を横に振って栗色の髪を揺らした。
「大地のマテリア術に有効なのは、風のマテリア術のみです。残念ながら我が隊には、火属性と水属性のマテリア使いしか在籍しておりません」
彼らには知る由もないが、いま現在、水軍の船に乗っているミルコは、土属性のマテリア術「ゼムリャトリャセーニャ」で海底を揺らすことが可能なのだ。
ただし、彼の能力は山羊革の聖典によって制御されているため、現代の単位であらわすなら、マグニチュード5以下の小規模な地震しか発生させることはできない。
いわばこの津波は「こけおどし」だ。
艦長は顎ひげをさすって低く唸った。
「地震を起こすマテリア使いがいる限り、浅瀬に出ることは叶わんな」
ミルコの能力が制限されていることを知らない彼は、慎重論を唱えるしかなかった。
「何故です?」
航海に明るくないブレンの質問に、副艦長が答える。
「津波というのは、沖合のような水深が深いところから、浅いところのほうへと向かうとき、だんだんスピードが落ちてくるものなんだ。遅くなった波は前方の波を追い越して高くなるから、浅瀬のほうが危険なのさ」
ブレンは「ン?」と首を傾げた。
「ということは、敵側のほうが不利なのではありませんか? 奴らは水深の浅いところにいるはずです。波が高くなるのでは」
「普通に考えれば自殺行為でしょう」
傍らのメアリックも敵の挙動が理解できず、眉をひそめて両腕を組む。
艦長が進行するのをためらい、停船状態にあるなか、ひとりの通信士が他の艦からの通信を拾い報告した。
「輸送船および他の駆逐艦は4隻とも無事と報告がありました。しかし補給のため輸送船から出ていた小型船が、先ほどの津波で転覆し、乗組員11名が死亡したとのこと……」
とうとう非戦闘員の死亡者が出てしまった。艦橋は一時、沈黙する。
「……」
皆が黙祷を捧げるなか、ブレンは悔しげに顔をしかめて拳を固く握り締めた。




