第七章 鉄の鞭
その瞬間、室内の空気が凍った。
この3分足らずの短時間で、ヴィンター中将はユリエルの性別を見抜いたのであった。
急速に早まる心臓の鼓動に反し、思考が停止しかけたユリエルだったが、しらをきって強引にその場を納めようとした。
「ま、まぁっ失礼しちゃいますわ~! ワタシみたいな可愛い子に男だなんて……」
そのとき、ヴィンター中将はユリエルの左手首をガッと掴む。
「小柄だが、骨格と筋肉のつきかたが男のそれだ」
「……ッ!」
ユリエルはとっさに左手首をぐるっと返し、中将の手から離れると、ロングスカートの裾をたくし上げて、隠し持っていたスモールソードを右手で抜刀した。
しかし視界をヒュンッ! と横切る鋭い閃光が突然、彼の右手の甲にゴッ! と凄まじい衝撃を与えた。
「いたっ!」
それでも少年騎士は右手にできた紫色の打撲痕に目もくれず、先ほどとは別人のような険のある目つきで中将を睨む。間合いをとりつつ、しっかりと剣を構えなおした。
先ほど受けた衝撃の正体とは、何か。
椅子から立ち上がったヴィンター中将は、銀色の金属でできた、持ち手部分を含め全長150センチ以上はあるだろう、細長いものを手にしていた。
それは九節鞭といって、9本の金属製の棒を鎖のように繋げた打撃武器である。先端は尖っており、当たるとかなり痛いうえ怪我を負う。
中将は右手に持った九節鞭を、足元から脇の下を通過させて背中へと持っていき、反時計回りにビュンビュンと振り回している。
このようなリーチの長い鎖状の武器は、取り回しが難しいので初心者向きではないが、どうやら扱いに長けているようだ。
「ほう、剣を落とさなかったか。流石は騎士というわけか」
その白皙の顔は不敵な笑みを浮かべていた。
ユリエルは目を見開く。
「なぜそれを……!」
「ユリエル・アビエニア……貴様が仲間に助けられて、ウェスティーユから脱獄したことは知っているぞ。あともう一匹隠れているだろう」
ヴィンター中将は、女給の格好をした少年が部屋に入り、訓練された人間特有の無駄のない動きでティーポットを運んできた時点で、彼が何者なのか8割がた予想がついていたのである。
そして彼の素早い状況判断からの抜刀を目の当たりにして、予想が合っていることを確信したのだ。恐ろしい分析力である。
ユリエルたちの計画は失敗した。
だがここで引き下がるわけにはいかない。
ユリエルは助走をつけて近くの壁をダンッ! と蹴り上げると、その勢いで天井へ高くジャンプをした。
ヴィンター中将の頭に向かって剣を振り下ろす。
「エイヤァッ!」
中将は何食わぬ顔で、頭上に落ちてくる敵を九節鞭で、ハエのように叩きのめした。
バシンッ! と破裂音が鳴り響く。
「うわっ!」
九節鞭の先端がユリエルの左肩に当たり、ワンピースの袖が破れて、露わになった肩が赤く腫れている。
ユリエルは呼吸を整えながら、後ろへステップを踏むように間合いをとった。
スモールソードと九節鞭では、明らかにリーチの差が大きい。パルクールのような跳躍や、俊敏な動きに自信のあるユリエルだったが、長い鞭を振り回すことで360度どこからの攻撃にも防御している中将の懐に潜り込むことができないでいた。
(この男、隙がない!)
決め手を欠く彼を、ヴィンター中将はせせら笑う。
「おいたが過ぎたな。――仕置きの時間だ」
一歩踏み出して攻勢に出た。
そのとき。
「閣下!」
騒ぎを聞きつけて、見張り役の軍人が部屋の扉を開け放った。
ユリエルは背後から撃たれる前に、振り返りざまに軍人へ突進し、彼に足払いをして体勢を崩させると、その心臓をスモールソードでドスッとひと突きした。
「エイッ!」
「ぎゃあああ!」
だが次々と軍人がやってきて、状況を判断するや否や、彼らはユリエルに銃口を向けた。
「貴様……」
殺気に満ちたユリエルがスピードを生かした戦法で、まとめて倒そうとした瞬間。
「構うな!」
ヴィンター中将が部下たちを一喝した。
「この者は私が相手する。あともうひとり、この宿に隠れているはずだ。探し出して私の前に連れてくるのだ。生かすも殺すも問わない!」
中将は部下を無駄に減らすのを回避した。上官の言葉に軍人たちは一斉に走り出す。
(ハンフリーさん……!)
ユリエルは自分だけでなく、同僚にまで危険が及んでしまったことに後悔した。
「ったく、無駄にだだっ広いんだよな~」
屋根裏の梁の上を渡るハンフリーは、ようやく305号室の地点まできていた。
すると、ダンッと下から大きな音が響いた。ユリエルが壁を蹴った音だ。
「今の音は……!」
『この先だ、急げ!』
光り輝く剣を両手で握り、ハンフリーは細い眉をしかめ、険しい顔つきになって走り出した。