第一章 ベリロナイト騎士団
キャンディスの城門前は、ベリロナイト騎士団の詰所と鍛錬場がある。
鍛錬場の裏庭で、20人余りの人だかりができていた。皆、騎士団の緋色の軍服を纏っているので、遠目からだと真っ赤な小山に見える。ある者は真剣な眼差しで、ある者は興味深げに腕を組んで見学している。
注目の的は、中堅の騎士マシューと若き騎士エヴァンの手合せだ。
「テヤァーッ!」
突進するエヴァンが一太刀浴びせんとサーベルを振りかぶったが、マシューは左手に持った短剣で斬撃を受け流した。
そのまま刃を滑らせながら身を捻り、エヴァンの喉元めがけて右手のレイピアを突く――瞬間、青年は後ろへ仰け反り、その刺突を交わした。
切られた数本の赤髪が宙を舞うも、無傷の本人は右足を一歩前に踏み出し、再び剣を振りながら態勢を立て直す。マシューはサッと一歩引いて防御の構えをとった。
「……二刀流の相手によくやるな、エヴァン」
固唾を呑んで見守っていた、鳥の巣のようにうねった茶髪の騎士が、思わず呟いた。剣戟が鳴り響くたびに、尖った長い耳がぴくぴくと動いている。
隣にいる色黒の騎士は頷いた。頭髪の左半分をそり込みにしたこめかみから、四角い黒縁眼鏡の蔓へ汗が流れる。
「ああ。マシュー副団長も、あの御年であの身のこなしは流石だ」
ベリロナイト騎士団は国王の所有する騎士団である。町の憲兵や役所の門番など市井の治安維持のための組織と異なり、騎士団は王家を警護する目的で発足された。しかし、戦時中は白兵戦に駆り出され、アルカネット軍と死闘を繰り広げた。
副団長であるマシューは先の戦争をくぐり抜いた猛者であった。齢56にして右手にレイピア、左手に短剣マンゴーシュを持ち、巧みに攻防を使い分ける。中背中肉で、白髪混じりのつむじがやや薄く、笑い皺の刻まれた赤ら顔というどこにでもいそうな中年男性だ。
しかしその外見から想像できない華麗な剣さばきを披露する。
対するエヴァンも幼い頃から剣の修行をしており、騎士としての経験は浅いが実力は確かであった。
「……もう終わりにしないか。稽古でへたばってしまっては元も子もないぞ」
マシューは息を整えながら、黄ばんだ前歯を見せてニッと笑った。
「いえ……まだです」
構えた剣を下ろすことなく、じりじりと間合いを詰めるエヴァンは、猛禽類のような鋭い眼光でマシューを捉えている。
そのむき出しの殺気に当てられ、やれやれとマシューは溜め息混じりに苦笑した。
騎士団の朝礼が終わってすぐ、エヴァンはマシューに手合せを申し出た。団長は国王陛下のアルカネット行きに付き添っており、止める者は誰もいないと踏んだのだ。
マシューは日頃からこの部下が自分を良く思っていないことを知っていたので、特に驚きもせずに「いいぞ」と承諾した。するとエヴァンは、恐ろしく真剣な顔つきでこう続けた。
「自分が勝てば……副団長のレイピアをお譲りください」
マシューは一歩踏み込んだと同時にマンゴーシュを突きつけた。今度はエヴァンがサーベルを振り翳して受け流す。キィン、と鋭い音を立てながら薙ぎ払うように、エヴァンはマシューの左手からマンゴーシュを叩き落とした。
マンゴーシュの柄は地面とぶつかり、すぐに拾えない距離まで転がってしまった。
「エヴァンの奴、力押しで副団長の二刀流を封じた!」
周囲がどよめき始める。ここからは、サーベル対レイピアの戦いだ。
マンゴーシュを手放しても、マシューは何食わぬ顔のまま、レイピアを左手に持ち変えた。だが、刃が湾曲した斬撃のできるサーベルに対し、レイピアは刺突用の剣であり、エヴァンの繰り出す猛攻撃に、マシューはひたすらかわし続ける防戦の一方である。
先程まで両者の強さは互角に見えたが、今は得物のリーチ差や、若さ故に体力任せの戦法ができるぶん、エヴァンのほうが優勢だ。その場にいた大半の者がエヴァンの勝利を信じていた。
「あいつ、気付いてないだろうなぁ……」
眼鏡を掛けた色黒の騎士が腕を組み、ぼそっと呟いた。
「ん? ビクター、どういうことだ」
耳の尖った茶髪の騎士が、首を傾げて尋ねる。ビクターという、先程呟いた騎士は困ったような笑みを浮かべながら、マシューを追い詰めるエヴァンの足元を指差した。
「……ああー」
茶髪の騎士も何かを察し、口角をへの字に曲げて残念そうに頷いた。
「ハアッ!」
剣戟の応酬の末、エヴァンはこれで止めだ、とマシューへ剣を振り上げる。その一瞬の隙を、マシューは見逃さなかった。
老兵は右足でエヴァンの脛を蹴り飛ばし、彼が態勢を崩した途端、更に剣の石突で鳩尾を突く。ぐはっ、と胃酸を吐きながら、エヴァンは地面に膝をついた。
それでも青年が苦痛を堪え、負けじと顔を上げた瞬間。
マシューは右足で、地面に落ちていたマンゴーシュの柄を踏み、テコの原理で上を向いた刃をエヴァンの喉にかざした。
「惜しかったな。少しムキになっちまったよ」
マシューは屈みながら目を細めて、照れくさいように笑いかけた。
「……!」
エヴァンは何も言い返せなかった。唾を飲み込んだ拍子に、顎から滴る汗の雫が、マンゴーシュの刃先に落ちて飛び散る。
「形勢逆転で、副団長が勝ったぞ!」
「エヴァンに押されていると思いきや、落とした剣の位置まで誘導していらっしゃったのか!」
周囲の騎士たちから喝采が起こる。マシューは立ち上がりざまに、二振りの剣を腰の左右にある鞘に納めた後、軽く咳払いをして、静かにするよう命じた。
「このように、たとえ敵が手から武器を落としても、不意を突いて反撃してくる恐れがある。その場合は武器を奪うか、間に合わなければ目潰し、手足を斬りつけるなど、反撃の隙を与えぬように!」
「了解!」
騎士たちは一斉に、左手の甲を胸の前にかざし、右の拳を斜め45度で掲げた。これがこの国の敬礼である。
「本日の稽古はこれにて終了とする、整列!」
マシューの号令と共に、騎士たちは素早く横一列に並んだ。皆は内心、早く終わったのを喜んでいた。
「皆も知っての通り、明日はアルカネットから陛下と団長方がご帰還され、修好条約締結のパーティーが催される。各自、明日に備えて英気を養うように」
酒飲んで酔い潰れるんじゃないぞ、とマシューは冗談っぽく付け加えた。
「了解!」
騎士たちは再び敬礼をして解散した。