第六章 とにかく隠れろ
兵士のひとりがカウンターに身を乗り出すように店員に近寄ると、「おい」と高圧的な態度で質問した。
「最近ここに大剣を背負った甲冑の男か、オレンジ色の髪をしたオークは来なかったか」
「そ、そんな人、うちに来ていませんよ!」
「本当だろうな」
いかつい兵士たちは視線だけで合図を取り合うと、そのうち2人が大柄な身体を屈めカニ歩きになって、狭い店内へ進んだ。
「中を調べさせてもらう」
えらいこっちゃと店員は血相を変えて、カウンターの奥にいる店長を呼びに行く。
一連の会話を耳にしたプリムローズは、こちらへ近づいてくる軍靴の音に顔を青ざめた。
(隠れなきゃ……!)
このままここに留まるのはまずいと、2階へ続く階段を上ろうとした。
「プリムラー、そっちには食べ物置いてないよ?」
乾物と缶詰のコーナーで何を買うか選別していたトラヴィスは、呑気な調子で彼女を呼び止めた。
プリムローズは肝が冷えそうになりながら振り返り、引き攣った笑みを浮かべる。
「ちょっと上の階も気になっちゃって……。見て来てもいいかしら?」
「うん、いいよ」
少年が返事をすると間髪入れず、王女はまるで密偵さながらに、そそくさと足音を立てず階段を上りきった。
2階の壁という壁に掛けられた、床まで届くほど長いカーテン用の布地が並ぶなかで、プリムローズは厚手のベルベットの生地の下に潜って、包まるように身を隠す。
2人の警備兵は缶詰を抱えた少年には目もくれず、1階を隈なく巡回すると、吹き抜けになっている2階を覗き込んだ。
1階から見えるのはハンガーにかけられた衣服用の布地だけである。兵士たちは階段を上り始めた。
トン、トン、と段差を上がる足音に、プリムローズの心臓は大きく跳ね上がった。
(こっちに来る……!)
布地の陰で息を潜めながら、冷たくなった膝を抱えて、小さく小さく縮こまった。
警備兵たちは2階に上がるなり、周囲を念入りに見回した。物が多くて狭い1階よりも人が隠れやすいと踏んだからである。
そして壁に掛けられたカーテン用の布地を、1枚、1枚、クローゼットから外套を引っ張り出すようにめくり上げた。
兵士の手が、今まさにプリムローズの隠れているベルベットの布地に届こうとしていた。
そのとき。
「……!」
彼らの行動に度肝を抜かれた彼女は、床にベターッと突っ伏して這うように、ベルベットの陰から隣のカーテン布地の陰に移動した。
大柄な警備兵らが自分たちの足元まで確認していたら、プリムローズが物音ひとつでも立てていたら、一巻の終わりだっただろう。
「特に不審なものはないな」
そう呟きながら、兵士たちは階段を下りていった。
「……」
床に伏していたプリムローズは、布地の隙間から、一段下りるたびに縮んでいく兵士たちの後ろ姿を見送ると、ホッと溜息を漏らす。
1階に降りた2人の警備兵たちは、カウンター越しに店主から聴取をしていたもうひとりに向かって、両腕を交差させるアルカネット式の敬礼をした。
「上の階、異状なし」
「これとこれ、くーださい!」
その傍らにいるトラヴィスは、ズボンのポケットから財布代わりの小袋を取り出し、つま先立ちになって、店員に缶詰の代金を支払っていた。
彼は満足げに缶詰の入った紙袋を両腕で抱えると、元気よくトタタタタッと階段を駆け上がった。
「買い物終わったよー! おーい!」
トラヴィスが2階のフロアに到着すると、カーテン布地の下から、プリムローズが這い上がっているところであった。
「何してんのプリムラ……むぐっ」
焦ったプリムローズは右手で彼の口を覆った。
「……上には誰もいなかったはずだが」
2階の吹き抜け部分をにらみながら、眉をひそめる警備兵らに、店員が返事をした。
「あの子の他に、もうひとり10代くらいの女の子が来ていて、さっき2階に上がっていきましたよ」
「何ッ!」
警備兵たちは全員で巡回したばかりの2階へ再び向かった。
しかしそこには、10代くらいの少女も、先ほどいたはずの買い物客の少年もいなかった。
警備兵のひとりが、すかさずフロアの奥にある両開きの窓を開けた。開け放たれた窓から吹き込む潮風と強い日差しに、煩わしげに片手で軍帽を抑えながらも、大通りを見下ろす。
目下にある往来を一通り見渡したものの、先ほどの少年たちの姿はなかった。
「……クソッ!」
警備兵たちは悪態をつき、階段を走り下りると、一目散に店を出た。
「まだ近くにいるはずだ!」
「探せ、探せ!」
「……」
プリムローズは紺色の軍服の男たちが、港のほうへ走っていくまで、一歩も動かなかった。
彼女たちは今、店の三角屋根の上にいる。警備兵たちが2階に上がる前に、窓から屋根瓦を伝って登ったのだった。
「なんであのおじさんたちから隠れたの?」
瓦の上にしゃがむトラヴィスは、不思議そうに彼女を見上げた。
プリムローズは頭巾を結び直しながら、困ったように微笑みかける。
「ごめんなさい、トラヴィス……。貴方は先にワタツミに帰っていて」
「なんで?」
トラヴィスは真顔になり、笑って誤魔化そうとする少女へ、なおも質問を投げかけた。このまま言う通りに彼女と別れたら、二度と会えなくなりそうな、そんな気がしたのだ。
「……あの人たち、きっとどこまでも追いかけてくるわ」
それでもプリムローズは全てを打ち明けることはできず、今から起こりうることだけを伝えた。
「じゃあ、おれに任せてよ。おれ、この辺に詳しいもん」
トラヴィスは自分の胸を叩くと、紙袋を小脇に抱えて、三角屋根を滑り台のようにスルスルと降りていく。
「ト、トラヴィス……ッ!」
屋根のてっぺんから滑り落ちたのではないかと思ったプリムローズは、サァッと血の気が引いたが、当の本人は軒先に両足をかけて平然としていた。
「このまま屋根の上を走るよ! ついてきて!」
トラヴィスは彼女へ手招きすると、隣の店の屋根へ軽々と飛び移った。
大通りの建物は隣同士の間隔が狭く、子供でも屋根から屋根へ飛び越えることができる。飛び移るのに成功したら、あとは歩道橋を渡るように屋根伝いに走っていけるのだ。
「……ッ!」
プリムローズは躊躇いを振りきるが如く両腕を大きく動かし、助走をつけて、少年の待つ隣の屋根へ勢いよくジャンプした。
「ハァッ!」




