第六章 ハイドロディウス派の僧侶
呆気にとられているオリバーとディエゴの顔をまじまじと見つめると、頭を丸めた男性は「うむ」とひとり頷いた。
「お二方ともご無事なようで何より」
そしてマテリア術で鎮火した建物を見回す。
「……この辺りの住人は、昼間は漁か商売に出ているので、まぁ多少焦げた家もあるが怪我人はひとりもおらぬようだ。これまた不幸中の幸い、ハイドロディウス神の御加護であろう!」
男性はハッハッハ、と高らかに歯を見せて笑った。
2人はその屈託のない笑顔に気を許し、ようやく口を開いた。
「ありがとう。助かったよ」
「右に同じく、危ういところを助けて頂きかたじけない。……ところで、貴殿が彼方にある寺院の住職殿でありますか?」
オリバーは、男性の持っている錫杖が、先輩であるビクターの三叉槍と意匠が似ているのに気付き、水属性マテリア術の道具ではないかと察した。
彼は魚籠を持ったほうの手で胸を叩いて、力強く頷いた。
「如何にも。拙僧はバルトルトと申す。今朝方から釣りをしていたので、暫くのあいだ寺を空けていた。お待たせしたのなら申し訳ない」
「俺ぁディエゴってんだ。こっちの鎧はオリバー。俺たちはノルド・ノルドステンから来たんだ。ええっと……ああ~ちょっと湿気ってるけど、これ身分証になるかな?」
水に濡れた髪を掻き上げたディエゴは、もう片方の手で脚絆のポケットから薄紫色の通行手形を取り出し、目の前にいる住職に見せた。
バルトルトはふむふむ、と自らの顎をさすりながら、通行手形に捺された紋章を確かめる。
「おお、聖テラマートル寺院の通行手形。しかし失敬であるが、お二方がグランディーナ派の教徒には見えなんだが……?」
彼はオーク族の青年と甲冑鎧を纏った剣士を交互に見て、不思議そうに首を傾げた。
オリバーはこれ以上怪しまれてはまずいと慌てて、素性を誤魔化そうと、しどろもどろに語り始めた。
「わ、我々はグランディーナ派の僧侶の付き人であります! 恥ずかしながら、不慣れな土地ゆえ途中で僧侶と、もうひとりの付き人とはぐれてしまったのであります。……僧侶はミルコという名の少年でありますが」
プリムローズ王女の名前を伏せるため、あえてミルコの存在を強調した。
それを聞いた途端、泰然として構えていたバルトルトが、血相を変えてギョッと目を見開く。
「……もしやミルコ聖人か! 宗派は違えど、拙僧もその功績は存じ上げている」
ミルコは独自の術式で災害を予測したり、人間をゴーレムにして操る『グリアズニィー・クゥクラ』のような新たな術を編み出したりなど、本人の自覚の有無はともかく土属性のマテリア術の発展に貢献している。弱冠11歳にして聖人の称号を得たことで、グランディーナ派だけでなく他のアテラ教の宗派にもその名が知れ渡っていた。
「あの高僧とはぐれたとあっては、一大事ではないか! 近頃この街は物騒だというのに……こうしてはおれん!」
人柄の良い住職は大体の事情を知るや否や、協力に応じるかの問いも待たずに、持っていた魚籠を近くにいたオリバーに託し、錫杖を担いで走り出した。
「何か当てがあるのですか、バルトルト殿!」
魚籠を抱えたオリバーに続き、その後ろからディエゴもバルトルトについていこうと走り出す。
「道に落ちていた火薬の臭い……あれは本国の正規軍でしか手に入らないミスリルが含まれていた。金品目当てのゴロツキといった類の仕業ではあるまい」
眉間に皺を寄せ、険しい表情をしたバルトルトは、走りながら話を続ける。
「ミルコ聖人の付き人であるお二方が襲われたのはつまり、聖人が今なお良からぬ輩に狙われているということに他ならんだろう!」
彼の背中を追うディエゴは、あることにハッと気付いた。
(そうだ、ギユーなんとかって連中の本当の狙いは俺やオリバーじゃない。姫さんじゃないか! 火薬を投げてきた奴は、単に俺たちから逃げただけじゃなくて、姫さんを探しに行ったのかもしれねぇ!)
ディエゴたちを尾行した義勇十字団員が彼らとの戦闘を途中で切り上げ、丸腰の標的へ向かうのは自然な行動だろう。
バルトルトはプリムローズ王女の存在を知らないので、ミルコ聖人が標的にされていること前提での推測をしているが、実際に義勇十字団が狙っているのは王女である。
「クゥッ、追手を全員倒そうとしたのに、ひとり逃してしまった……。不覚ッ!」
ディエゴと同じことを考えたのか、オリバーは悔しげにそう呟いた。彼らは眼前の敵を倒すのに躍起になるあまり、敵の一手先の行動を予測できていなかったのだ。
「逃げた奴が姫さ――坊主たちと出くわしたらまずい! どうやって探す?」
額から汗をかいたディエゴが問いかけると、バルトルトは肩から掛けた水色の衣を少しまくり、懐からある物を取り出した。
透き通る石が太陽の光を浴びて煌めき、木の葉から滴り落ちた朝露の雫のように揺れる。
銀の鎖で繋いだ水晶のペンデュラムである。
「マテリア術で探る。先ほど火事が起こった直後、たまたま通りかかった拙僧は煙の中を突っ切る怪しげな人影をこの目で確と見た! とっさに捕まえることは叶わなかったが、炎を消したとき、その者にも水のマテリア術をかけておいたのだ!」
不規則に揺れていた水晶の振り子であったが、次第に一定の方向へ半月を描くように動き始める。
「まだマテリア反応は強い……。これを辿れば通りに火を点けた者の足取りが掴めるのである! 恐らくミルコ聖人もその先にいらっしゃるだろう。良からぬ輩は聖人を狙って動いているのだろうから」
「成る程ッ!」
住職の話を理解したオリバーは、魚籠を抱えたまま力強く頷いた。あとはペンデュラムの示す方向へ向かうだけだ。
先頭のバルトルトは憤りながら全力で走る。
「行脚中の僧侶の付き人を襲い、街に放火するなど不届き千万! 必ずや成敗してくれるッ」
こうして3人は、逃走した義勇十字団員を追跡することとなった。