第一章 許すまじ、卑劣な義勇十字団
狭い路地裏を抜けると、エヴァンは空き地に辿り着いた。
(聞きつけていたが、本当にこんな場所があったとはな……)
その場を一目見て、彼は顔をしかめた。メルヘンな表通りと違い、酒場通り裏の空き地はとにかく薄汚い。
四方を素人造りのあばら家に囲まれ、考えなしに増築したのだろう、どこも屋内に階段がないのか二階に上がるための梯子が立てかけられている。そこら中にゴミが散乱し、焚き火するみすぼらしい格好の老人達は、朽ちた木片を火にくべて暖を取る。
流浪民のコミュニティーは、戦後から既に確立していた。国王バクストン6世は全ての国民に必要最低限の生活を保障する代わり、市民税や俸禄ごとの所得税を義務付けた。そのため、国民一人一人の戸籍を作り、所在を確認する必要が生じた。
だが、徴税から免れたい一部の人々は戦後の混乱に乗じ、この空き地に居着いてしまったのだ。彼等を流浪民という。流浪民は戸籍を作っていないので、正式な国民として保障されることはない反面、国家の一員としての義務もないのである。
なお、エルフ族も戸籍を持たないため流浪民とされているが、エルフの場合、有史以前よりベリロナイト王国に帰属していない独立した少数民族なので、元はベリロナイト国民でありながら、その国籍を放棄した人々とはまた事情が異なる。
そこは地上にありながら、アンダーグラウンドな雰囲気を醸し出している。
すねに傷のある荒くれ者、娼婦、浮浪者、誰が何をしていても不思議ではない。憲兵ですら面倒がって立ち入らないところだ。表立って行動できない組織が集会を開くにはうってつけの場所である。
「ねぇ、そこのお兄さぁん」
大きく胸元の空いたワンピースを着た少女が、猫撫で声でエヴァンに駆け寄った。身なりで余所者と判断したのだろう。
「お兄さんイケメンだねぇ。サービスして一晩300マッチにするよ?」
「タダでもブスとは寝ない、失せろ」
ひど~い、と少女はケラケラと笑った。濃い化粧をしているが、年齢はプリムローズと変わらないだろう。つれない返事をされても、彼女はめげずにエヴァンの胸に抱きつき、顔を埋める。膨らみかけのあどけない乳房を押し付けた。
「わざわざこんなところに来てさ、お利口ぶることないよ。……いけないことしようよ」
「そうだな」
肩に腕を回された少女が、艶やかな笑みでエヴァンを見上げた瞬間、背中に走った激痛で目を見開いた。
「ぐぁっ……!」
エヴァンの右手が彼女の背に剣を突き立てていたのである。騎士は左腕で少女を抱きとめながら、右腕で一気に剣を引き抜いた。
背中から紅い花弁の如く血飛沫を巻き散らし、放り投げられた少女は倒れ込む。その手から隠し持っていた、細長く鋭利な暗器が地面へ転がり落ちる。また、乱れたワンピースの裾から覗く、白い太股に、義勇十字団の刺青が彫ってあった。
いたいけな少女の死に顔を見て、エヴァンの脳裏に一瞬、プリムローズの姿がよぎる。彼はギリ、と歯を食いしばった。やり場のない悔しさを怒りに換える。
「義勇十字団に告ぐ! こんな小細工は無駄だ! 俺の首を欲しくば、自ら姿を現せ!」
騎士は声を張り上げ、剣で空を切った。年端もいかぬ少女に色仕掛けをさせて、隠れているだけの卑怯者に負ける気はしなかった。その場にいた流浪の民はそそくさと退いた。
代わりに方々のあばら屋から、いかめしい風情の男達が、それぞれナイフなど武器を携えながら、ぞろぞろと出てきた。その数はざっと2、30人、皆、身体のどこかに義勇十字団の刺青をしている。やはり、路地裏の空地は義勇十字団の巣窟だったのだ。
「そんな綺麗な面して、娘相手でも容赦なく斬っちまうとは」
道端のゴミを蹴り上げ、肩を揺らしながら、一人の男がエヴァンに近寄る。年は40代くらいだろう。流浪民の棲家に居ながら、一般市民と変わらない清潔なシャツとズボンを着ているが、そんな平凡な格好に似つかわしくない、頬に大きな切り傷があった。
「アンタが最近、街で俺達を探ってんのは知ってるんだぜ。おおかた、おかみの回し者なんだろ」
「貴様が、義勇十字団の頭領か……」
エヴァンは剣を構え、じりじりと頬に傷のある男との間合いをとった。男は何も武器を構えず、ニヤニヤと思惑の読めない嘲笑を浮かべている。
(……気味の悪い男だ。さっさと決着をつける!)
エヴァンは攻撃の機会を狙い、男に斬りかかった。しかし、他の義勇十字団の団員らが襲いかかって来る。まさに四面楚歌だ。
それでも彼の騎士は涼しげな顔でサーベルを振り、向かってくる敵の刃をかわし、その身を叩き斬った。血煙を浴びながら敵を次々と斬り倒す姿は、鬼神めいていながら軽やかに舞を踊っているようにも見えた。
エヴァンが5、6人を倒したところ、頬に傷のある男は、ヒュー、とふざけた調子で口笛を吹く。
その挑発にエヴァンは引っかかってしまい、苛立ちながら振り返ると、握っていた剣が急に動きを封じられた。刀身に分銅のついた鎖が投げつけられ、巻きついたのである。
何事かと驚愕するエヴァンに、頬に傷のある男は鎖を引っ張りながらクク……、とせせら笑う。今まで袖の中に分銅鎖を隠し持っていたのだ。
「死ねぇぇい!」
背後から別の男が、エヴァンに向かって剣を振り上げる。