第一章 眠らぬ街の怪しき魔の手
交換条件だ。
貴様に私の知りうる限りの情報を教える代わり、ひとつ依頼を引き受けてもらう。
これは天下のため、公のためでもあるのだ。
貴様なら必ずやり遂げるだろうと見込んでの頼みだ。悪い話ではあるまい。
エヴァンは外套のフードを目深に被り、夕方の城下町、路地裏を壁伝いに走った。服のポケットの中から掌ほどの小さな鏡を取り出すと、振り向くことなく、鏡の角度を変えながら背後や、辺りの様子を窺った。不審な人物がいないことを確認すると、路地裏から飛び出し、人混みに紛れて移動した。
収穫祭の最終日は日が暮れると酒場通りで宴会が始まり、刺激の欲しい若者や荒くれた人々が出没する。女子供、家族連れで賑わっていた昼間ののどかな雰囲気と大きく変わるのだ。夜の街の喧騒に乗じて、厄介な連中も姿を現す。
エヴァンは酒場通りの一角にある大きな黒猫の看板が立てかけられた店に入ると、酔っ払いの客で溢れた狭い店内を難なく進み、奥のカウンターでワイングラスを磨く、スキンヘッドのふてぶてしい店主の男に話しかけた。
「20年代の赤をひとつ」
店主は眉をぴくりと動かした。ワイングラスを磨く手が止まる。
「……そんな上等なワイン、こっちにゃ置いてないよ。後ろから取りに行きな」
ぶっきらぼうにそう言うと、男は自分の背後にある裏口のドアを親指で示した。袖をまくって露わになった彼の二の腕には、百合の花に剣をつき立てた、黒い刺青が施されていた。義勇十字団の刻印である。
エヴァンとこの男のさりげない会話は、組織の合言葉の応酬だったのだ。
エヴァンはごく自然な様子で店の裏口を出て、建物の壁と壁に挟まれた、人ひとりがやっと入れる通路を渡る。この通路は義勇十字団のアジトにつながっており、青年騎士はピリピリした緊張感と武者震いを感じた。だが――。
「……この俺の後をつけるとはいい度胸だな」
振り向くことなく、エヴァンは背後の人影にそう言い捨てた。
「……バレたか」
しゃがれた男の声だ。見破られるまで、気配と足音を極限まで消していたのだ。
「その身に染み付いた卑しさが臭って来るのでな」
ハンッ、と背後の男は鼻で笑った。
「貴様が最近、我々を嗅ぎまわっていることは知っている。死ね……!」
男が暗がりに鈍い光を放つ、暗殺ナイフをエヴァンの背中に突き立てようとした瞬間、エヴァンは外套の下に隠し持っていたサーベルで鞘ごと男の腹を突いた。
衝撃を食らってよろめく男へ、更に騎士は振り向きざま剣を抜いて、一太刀浴びせた。
男はグウウ……! と呻き、斬られた肩から胴にかけて血飛沫を上げながら、前のめりに倒れ込んだ。手の甲には、義勇十字団の刺青があった。町人の格好をしているが、先程の店に潜伏していたのだろう。すんなりと裏口へ招いた店主の差し金かもしれない。
「まずは一人目……」
エヴァンはサーベルを振って半円の軌道を描き、刀身についた刺客の血を払い落とす。見上げれば臙脂色に染まる黄昏の空が、迫り来る宵闇に急き立てられているようであった。